リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

介護制度的コメント

2010-01-03 21:44:15 | その他
こんばんは

 ほんとはこんなことしてちゃいけないんだけど、お正月で、休みすぎだと刺激がなくてですね。

 今日の朝日新聞に痴呆性老人のホームを作った良心的な若人の言が。
 「介護保険制度のおかげで、僕のような人間でも施設を作れた」
と。
 わたしは、介護保険制度反対派ですが、そう-なんですよね。そういうことってあるの。

 とゆうわけで、福祉制度の作りの話。

 介護保険は、まずは、医療保険がつぶれそうになって設計したものなのです。
 それまでは重度の介護必要者だけが公的施設に入っていて、入れない人は病院に入っていたわけですが、医者が治せるわけでもない老人を病院に入れといたら、高額な診療報酬を払わなきゃならない、それは、国も健康保険制度ももうごめん、という話です。
 介護保険の体系は、国の負担も少ないし(その分、地方が払う)、医者の手もかからないからラッキー。というものです。

 一方、これに呼応して、病人でないことは知っているが手のかかる、そんな老人を介護していた普通に良心的な、特に女性の方々がこれに賛同しました。
 病院に入れる理由もなし、じゃあ、といったとき、別の選択肢もない。なによ、あたしだけが苦労しろというの。

 この当事者論に手を差し伸べたのが、賢い経済学者です。
(でね、それが誰だったのか、この数分のネット検索だとわかんないんだよね。
私などがその頃、目に入ったのは、社会保障論的経済学者の話ばかりになっててね、社会保障制度が云々みたいなこと。なにいってんだよ、そうじゃないだろ、産業構造の変換だろ、って、そりゃ左翼には常識だから翻訳しちゃってましたが、さて、ほんとは誰なんだろう。)
 で、産業構造の変換です。もうその頃って、15年前、IT産業も胡散臭いし、かといって土木系もダメ、そしたらいままで土木系の労働賃金で生きてきた人はどうなるんだって話でね。
 なんのかんのいっても、ぎりぎりのところでは経済学者もほんとのことを言うんですよ。
 要は、今と一緒。リストラされたら介護業界へ行ってくださいって。

 ま、そんなことでできた介護保険制度.作ったのは厚生大臣小泉ね。
 ごらんの通り、労働者はそこそこ吸収し(って生活保護寸前の給料でね)、この朝日新聞記事のように、良心とやる気があれば社長にもなれる。
 どうだ、みたいなもんだね。

 ずっと前にも書いたけど。この「やる気」ね、これを社会主義的に汲み取る制度構築を、30年経ったら、しないとね。
 いつもいうように、われわれ労働者には未来は永遠、いつでも来い、だからね。あせるのはプチブルばかりさ。(いや、なんつって怒りを忘れちゃいけませんよ、特に若人は)

 今日の、目先のためになる知識はそんな話じゃなくて、
 第1に、今ある介護のレベルは、介護制度が始まる前、老人介護が華やかに論壇に上がってしばらくした後、良心的な国家制度の老人ホーム労働者たちが作り出した水準だ、ということです。
 その頃地方行政と一体となって動いていった公務員的若人たちが、従来のレベルを越えて作り出した水準を国が追認してできたものだから、そこそこまともに動けた、という点が第1点。いいたいことは、理想は、まともな食い扶持からしか現実化しない、ということです。
 (なんか、いつも国家をずいぶん褒めててね。ほとんどアナーキストじゃないやね)
 第2に、それでも、いわば勢いに乗って、それ以上に突っ走ることができることは、認識しなければいけない。
 15年前、痴呆症の施設など隔離病棟もいいところだった。鉄格子は(かなり)なかったけどね。それをよくここまで持ってきたと、これはシンプルに感心。
 もっとも15年前に痴呆症といわれた人たちは、外見的には今みたいな普通の人じゃなかったけどね。どうしようもできなくなって施設話になる、それでも施設なんかなかったしね。
 私なんか、実はもともとそこそこ普通なんだと思うわけですが、それも知らない人のヨタ話かもしれませんしね。

コメント
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