リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

善意の評論家と悪意の研究者

2008-10-29 22:07:45 | コーヒーブレイク
 おばんです、隈です。実はコーヒータイム。こんな題ですからね、来るほうも来るほう。
 ほお、A型全開! 一見さんに気を使って、って幸い白血病ではないので、AB型は変わってないです。

 いつもの暇つぶしの朝日新聞、昔から「ブル新」(=ブルジョワジーの飼い犬の新聞)ていいまして、ほんとの新聞主張は取るに足らないものですが、そこは「良心の朝日」、25歳以下の新入社員もいますから、何も分からないながら、社会記事で人間の姿を伝えることはできます。

 で、今日の夕刊はいくつもよい記事があって、の中のひとつ、鶴見俊輔のお弟子さんが鶴見から聞いたハンセン氏病の患者さんに会って、生きる様をずっと伝えてきた、という話。伝えたご本人と患者さんの話は、申し訳ありませんがここではおいて、わざわざ名前が出た鶴見俊輔。
いい人なんでしょうねえ、なんでもないのに名前がでている。他でも見たことがあります、若い人が「ぼくは鶴見に感動した」とかって。

 さて、しかし、私のHPご覧の方はおわかりでしょうが、鶴見という人は、ただの評論家なのに、出ないでいい社会科学的な場面に出て発言する、が言っていることには何の科学性もない。そのまま翻訳するとこれが本当のデマゴーグ。
    ああ胸が痛い、こんな悪口をいって。
 世間にはたくさんいるんですよね、本当の世であれば、人間的な、この上ない人なのに、歴史の中ではただの反動。

 極端に言えば、この悪い世は、いい人だけでできている。

 でね、「そんな世では悪い人間になろう」というのが、70年安保の若者の合言葉なのです。ま、「逆説」っていうんですけどね。でも、誰二人覚えてやしないよね。年取ったのをいいことにみんなそのまんま悪人、人殺しかブル犬。おっとっと、ちょっとお酒が入ってますね。
    お前は、って? はいはい、最後の一人さ。


    ここんとこ、つまんない著作作業に時間を使ってまして、そんな気晴らしコーヒータイム。

コメント
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