項目を変えました。
さて本日の雑音情報。
以下は「戦争推進者」カテゴリーのようだけれど、そうではありません。
腹は立ってますが、順々にきちんといってきましょう。
例のK派が調子に乗ってウクライナを賛美して「プーチンの最大の〝誤算〟は、ウクライナの軍と人民が、、、かくも勇敢に・かくも強固にロシア軍に立ち向かうとは想像だにしなかったことにある。」だのとのたまっております。「軍」だと?? Kが泣くよ。「軍」てなんだ? いったい何をもって「人民」以外に肩入れのアドバンテージがあるというのかね。つい口が滑ったって?
まあそこまでで黙っとりゃ許してやってもいいが
「死を賭して戦っているウクライナ人民にむかって「抗戦放棄」を〝勧告〟するなどというのは、帝国主義国で牙をぬかれて安穏としている自称「左翼」の傲慢と腐敗いがいのいったい何であるのか!」だと。
ところでお前のおかげですでに何万もの人民が死んでおるのだが、お前は何をしたというんだね? デモだ? デモの自己満足で人間が殺されてたまるか。
で、何をやるんだって? 口先男たちが。
「全世界の労働者人民は、いまこそ殺戮者プーチンを怒りの炎で包囲せよ! そして台湾を焦点とする戦争勃発の危機をうち破る反戦闘争を創造せよ!」
へ! 口先男が。文学で戦争に勝てりゃ誰も苦労はしねえや。
もちろん問題はこのような口先のはなしではありません。
彼らやその他の権力主義者たちが、「国家」を人間の命よりも大事にする心的構造を取り上げています。
帝国主義者やスターリニストとそれ自体どこも変わらないにも関わらず、彼らは自分がデモに飽きるまではそう言い続けるわけです。いつまでも飽きないのは一部の職業幹部だけに過ぎません。
「人民の命? そんなものはウクライナ国家のためなら要りはしない。」
彼らは帝国主義者やスターリニストと同様に、人民は国家に命を捧げろというのです。
いってない? じゃあなんなんだよ、偉そうに「俺は日本軍国主義のために死ぬのはまっぴらごめんだ」という口をふさごうと百万言を費やしているではないか。それが「自称「左翼」の傲慢と腐敗いがいのいったい何であるのか!」!! ウクライナはお前らのそんな理想の国家だったのか。
わかりる?
自分の命を保つための国家が、もちろんそんな「国家」など存在しないのだが、そのために命を失う本末転倒。もちろん国家は支配者だけのものであり、人民の命など守る義務はありません。人民だけの片思いです。
さて、ここまでは戦争推進者カテゴリー。こんなことはもちろん馬鹿に言っても無駄なのです、彼らの賞賛と優越は「国家」に掌握されているからです。もちろん「革命」に掌握といってもいい。同じことです。人民が自分の幸せを作るための革命に「人民自身の」命を捧げる。なんて自己矛盾か。なに、矛盾なんかではない。彼らが欲しいのは人民の幸せなどではなく、世間に浮かんでいる賞賛と優越だけなのだから。しかも、ほんとうに命を捧げるのならまだ許せるが、言い飽きたらそれでおさらばです。
これは馬鹿に限らない。日本への侵略者に対しては、「われわれ」アナーキストでさえ戦いたくなるし、戦うかもしれない。国家の支配はわれわれ人民の生活すべてを掌握しているからです。自分の家族や友人を殺されて黙っていられるものか。生活すべてと同時に(?)他者からの賞賛と優越も一に(いつに)ここにかかっている。おめおめと逃げ隠れしては賞賛も優越も消えてなくなる、それは馬鹿が自己反省もなく思う「国家」からの賞賛と優越ではありませんが、観念上相互交換されるものなのです。
だからといって、他人を戦争に引きずり込んでてめえはどこも痛くもないくせにさも偉そうなラッパを吹き鳴らしてふんぞりかえっていることを許せるものではない。お前の親は、子は、戦争で死んだのか、飢えて見知らぬ土地をさまよっているのか。それを平気で、いったいそれでも自称左翼なのか。
(と、ここまでいっても馬鹿には違いは判らないような気がするので追加します。
「戦う人民が欲しいものは家族の安全であって、国家の名誉なんかではない。家族が生きていける土地の保善であって国家領土の保持なんかではない。」ということです。
そんなことは もちろん主体的に生きている人間であれば他国民でもわかる。
それがわからない奴を呼ぶのに馬鹿以外の言葉があるだろうか。いいや、ない。)
にもかかわらず、これがアナーキストが必ず闘いに敗れる構造であり、他方、アナーキズム思想が決して負けはしない、人民が手放すことのない永遠の思想であることの証左なのです。
本当の闘いの勝敗は、支配者に自分をなぞらえ得た人間の数によって決まる。人民大衆が「我こそは支配者たらん」と思い込んだその人間の数によって決まる。
馬鹿には矛盾ではないが、アナーキストにはたいした矛盾です。
しかし、それが「歴史」というものなのだからしょうがない。
あ、これは左翼初心者の子どもたちに言っとかないとね。歴史というのは歴史に敗れる人間を含めて歴史なのです。明治革命にどんな貧農が役割を果たしたか。明治末期のどんな貧農の行動が大正デモクラシーを呼んだか。もちろんすべての解放行動は破れた。そして、破れてなお歴史が進むのです。それは流れに乗って自慢げなマルキストたちには決してできやしない役割なのです。そして、主体的な人間というものは、たとえ破れようとも、自己と人民の自由を目指して闘うその側につくしかないのです。
笑っちゃうKの著書に「逆流に抗して」なんちゅう本がありますが、おっしゃるとおり。こうして破れた、それが人民を前に進ませるのです。あるいはそのとき、多少ですが人民を前に進ませたのです、その頃は。今じゃ(今も)K派の諸君は自分たちが支配党になるつもりみたいですけどね。どこにそんな歴史認識の余地があるものか。これが笑わずに済むのかね。
*********
来週は七夕。「ああ今年は天の川が出るかも、、天の川は無理でも織姫彦星は出るだろ」と思ったけど、やっぱダメっぽいね。
さて本日の雑音情報。
以下は「戦争推進者」カテゴリーのようだけれど、そうではありません。
腹は立ってますが、順々にきちんといってきましょう。
例のK派が調子に乗ってウクライナを賛美して「プーチンの最大の〝誤算〟は、ウクライナの軍と人民が、、、かくも勇敢に・かくも強固にロシア軍に立ち向かうとは想像だにしなかったことにある。」だのとのたまっております。「軍」だと?? Kが泣くよ。「軍」てなんだ? いったい何をもって「人民」以外に肩入れのアドバンテージがあるというのかね。つい口が滑ったって?
まあそこまでで黙っとりゃ許してやってもいいが
「死を賭して戦っているウクライナ人民にむかって「抗戦放棄」を〝勧告〟するなどというのは、帝国主義国で牙をぬかれて安穏としている自称「左翼」の傲慢と腐敗いがいのいったい何であるのか!」だと。
ところでお前のおかげですでに何万もの人民が死んでおるのだが、お前は何をしたというんだね? デモだ? デモの自己満足で人間が殺されてたまるか。
で、何をやるんだって? 口先男たちが。
「全世界の労働者人民は、いまこそ殺戮者プーチンを怒りの炎で包囲せよ! そして台湾を焦点とする戦争勃発の危機をうち破る反戦闘争を創造せよ!」
へ! 口先男が。文学で戦争に勝てりゃ誰も苦労はしねえや。
もちろん問題はこのような口先のはなしではありません。
彼らやその他の権力主義者たちが、「国家」を人間の命よりも大事にする心的構造を取り上げています。
帝国主義者やスターリニストとそれ自体どこも変わらないにも関わらず、彼らは自分がデモに飽きるまではそう言い続けるわけです。いつまでも飽きないのは一部の職業幹部だけに過ぎません。
「人民の命? そんなものはウクライナ国家のためなら要りはしない。」
彼らは帝国主義者やスターリニストと同様に、人民は国家に命を捧げろというのです。
いってない? じゃあなんなんだよ、偉そうに「俺は日本軍国主義のために死ぬのはまっぴらごめんだ」という口をふさごうと百万言を費やしているではないか。それが「自称「左翼」の傲慢と腐敗いがいのいったい何であるのか!」!! ウクライナはお前らのそんな理想の国家だったのか。
わかりる?
自分の命を保つための国家が、もちろんそんな「国家」など存在しないのだが、そのために命を失う本末転倒。もちろん国家は支配者だけのものであり、人民の命など守る義務はありません。人民だけの片思いです。
さて、ここまでは戦争推進者カテゴリー。こんなことはもちろん馬鹿に言っても無駄なのです、彼らの賞賛と優越は「国家」に掌握されているからです。もちろん「革命」に掌握といってもいい。同じことです。人民が自分の幸せを作るための革命に「人民自身の」命を捧げる。なんて自己矛盾か。なに、矛盾なんかではない。彼らが欲しいのは人民の幸せなどではなく、世間に浮かんでいる賞賛と優越だけなのだから。しかも、ほんとうに命を捧げるのならまだ許せるが、言い飽きたらそれでおさらばです。
これは馬鹿に限らない。日本への侵略者に対しては、「われわれ」アナーキストでさえ戦いたくなるし、戦うかもしれない。国家の支配はわれわれ人民の生活すべてを掌握しているからです。自分の家族や友人を殺されて黙っていられるものか。生活すべてと同時に(?)他者からの賞賛と優越も一に(いつに)ここにかかっている。おめおめと逃げ隠れしては賞賛も優越も消えてなくなる、それは馬鹿が自己反省もなく思う「国家」からの賞賛と優越ではありませんが、観念上相互交換されるものなのです。
だからといって、他人を戦争に引きずり込んでてめえはどこも痛くもないくせにさも偉そうなラッパを吹き鳴らしてふんぞりかえっていることを許せるものではない。お前の親は、子は、戦争で死んだのか、飢えて見知らぬ土地をさまよっているのか。それを平気で、いったいそれでも自称左翼なのか。
(と、ここまでいっても馬鹿には違いは判らないような気がするので追加します。
「戦う人民が欲しいものは家族の安全であって、国家の名誉なんかではない。家族が生きていける土地の保善であって国家領土の保持なんかではない。」ということです。
そんなことは もちろん主体的に生きている人間であれば他国民でもわかる。
それがわからない奴を呼ぶのに馬鹿以外の言葉があるだろうか。いいや、ない。)
にもかかわらず、これがアナーキストが必ず闘いに敗れる構造であり、他方、アナーキズム思想が決して負けはしない、人民が手放すことのない永遠の思想であることの証左なのです。
本当の闘いの勝敗は、支配者に自分をなぞらえ得た人間の数によって決まる。人民大衆が「我こそは支配者たらん」と思い込んだその人間の数によって決まる。
馬鹿には矛盾ではないが、アナーキストにはたいした矛盾です。
しかし、それが「歴史」というものなのだからしょうがない。
あ、これは左翼初心者の子どもたちに言っとかないとね。歴史というのは歴史に敗れる人間を含めて歴史なのです。明治革命にどんな貧農が役割を果たしたか。明治末期のどんな貧農の行動が大正デモクラシーを呼んだか。もちろんすべての解放行動は破れた。そして、破れてなお歴史が進むのです。それは流れに乗って自慢げなマルキストたちには決してできやしない役割なのです。そして、主体的な人間というものは、たとえ破れようとも、自己と人民の自由を目指して闘うその側につくしかないのです。
笑っちゃうKの著書に「逆流に抗して」なんちゅう本がありますが、おっしゃるとおり。こうして破れた、それが人民を前に進ませるのです。あるいはそのとき、多少ですが人民を前に進ませたのです、その頃は。今じゃ(今も)K派の諸君は自分たちが支配党になるつもりみたいですけどね。どこにそんな歴史認識の余地があるものか。これが笑わずに済むのかね。
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来週は七夕。「ああ今年は天の川が出るかも、、天の川は無理でも織姫彦星は出るだろ」と思ったけど、やっぱダメっぽいね。