リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

先週の小さな続き

2016-02-27 15:34:23 | 社会学の基礎概念
 こんにちは。つまんないですね。
 といってはブログが始まらない。いちおう、わたしの社会の窓なので。
 もとい。
 「もとい」って知ってる? 私の世間にはないけど、2、3人の教師が使っていた。
 ネット情報だと誰が言い出したか「元へ」ってことになっているが本当かねえ、、 「もといい」=「元で言うには」 じゃないのかねえ。国語学者もピンキリだし。
 で、こんにちは。楽しいですね。
 あほか。

 というわけで先週の続き。
 コナンの特別編なるものを2冊読みました。ためになったぜ。
 コナンの本編はよくできてるなあ、、って。知ってたけど再度感心。
 なんでも特別編はアシスタントの方が書いてるそうで、ネタはよろしいんですが、まあもったいない使い方を。あらすじのみ、ってやつで、私の小説風理論本のようなもの。
 何が足りないって、感情の動きの書き込みがないので感動する前に話が進んでしまう。そりゃもったいないでしょ。(+追体験を促す「無駄な」状況描写。本編はうまい。)
 本編と差別化を図ってわざとなのかもしれないけどね。わざとでなければ早く気づかないと作者は一人前にならないよ。あるいは発表が月刊誌で筋を長くできないのかもしれないけど。
 まあ何をいっても自分の身に覚えがあることで、とてもためになりました。
 
 付属的に、こうゆうのが「特別編」なのね、ということで、カムイ外伝の(カムイ伝に対する)位置づけがようやくわかりました (外伝のほうが面白いのになんで「外」だ、と思っていた=日本語上の「外」の理屈は知っていたが、作者にとってが「外」なんだなと分かった、という意味)。短くても面白くはできる (物語にはならないが) ということも確認されますが。
 
 なお、先週の続き。コトバの重要性は、記憶の主体的再構成の手段として不可欠だ、ということでもあります。社会的には事実の認知の主体性のことです。生理学的には、他者たる人間の自己等の行為への反応の状況認知によるホルモン分泌という自己の体内変化の記憶を、脳内において再構成し、社会科学的概念(この場合、=日常的にも使用される観念)とする手段、のことです。
 って生理学はもちろん前半のみ。前半だけではトラの社会学ですな。ライオンでもいいけど、詩的にはトラ。孤独な虎。山月記ですな。

コメント
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