リベルテールの社会学

生きている人間の自由とは、私の自由と、あなたの自由のことだ。そして社会科学とは、この人間の自由を実現する道具だ。

「現実主義者」

2012-12-08 21:14:53 | 不定期=中途半端
 こんばんは。東京地方、氷雨のような天気のうちに黄葉期も過ぎ、今日は風がどんどん枯葉を薙いで行きます。ベランダからはそろそろ葉の落ちた森の向こうに山が見えてきました。(だから東京の地方だって)。まあ、晴れて温かいので許しますが。

 本日は、ニュース好きの家人が「また変な番組やってる」って、7時半のニュース枠に「戦艦大和」番組をやってるんですね。
 「まったく国営放送は。中国がバカやって眠れる獅子(日本軍国主義)を起こしちまったんだよ」みたいに言って、よく見たら自称「良識の朝日」も「八甲田山」なんかやってる。
 ああ、世も末だな、と思って考えると、今日は開戦記念日。ああ記念放送という考えもあるが、と思って番組表をみると、日経連放送=サンケイフジは、明るいお笑い番組ばかり。
 はあ、これは番組をやってるほうがまだましなのか、なんなのか。
 ちなみに自称良識の府の本家、朝日新聞には、「開戦記念日」のカの字もなかったですが。
 
 というわけで本日の第1の感想。
 中国を含めて、統一国家には、平和も好戦もありゃあしない。
 統一国家は、その国家の利益になることをするために存在する、という、普通の人にははなはだ当たり前な感想の確認ですね。
 「いや、社会主義国家は違う」、とか言うやつがいるんでね。ま、今はいないか。
 (その「いない」ってとこがまたおかしくてね。まだ死ぬような歳じゃないだろ、君。
 みたいなもんさ。ま、こんなとこには来ないだろうけどね。来ても不愉快だろうから。まったくお互い不愉快さ。 閑話休題)
 国家、ちゅうのは、国家利益のために存在するわけで。あとは、「国家」が「どれだけの国民」の利益をカバーするか、というだけでね。
 
 で、本日第2の感想。
 という国家主義的状況に、「目くじらを立てて」なんだかんだいっても始まらない、という一つの現実的前提は、原理派のアナーキストの方々を貶めるんだろうな、という感想ですね。
 何をいったって、中国は膨張したがり、愛国日本は「それに抗する」、というと聞こえもいいですが要するに自分たちも膨張したい。40年前の膨張したがらない中国の時代だって、とにかく「抗したがって」いた経団連=自民党ですから、昔を知ってる人間にはそんなものは言い訳にもなりません。
 
 で、本日第3の感想、とはいえ、人民というものは、現実がどうであろうと、「冗談じゃねえぞ」、という声を上げなければならない。上げなければ経団連のいいなりですからね。
 
 で、誰なら声をあげられるんだ?
 普通の方に声が上げられますか?
 「お前はただのバカだ、現実のゲの字も知らない」 といわれても大丈夫ですか?
 原理派のアナーキストは大丈夫です。腹くくってるから。あるいはただのバカかもしれませんが。それは現実には無駄なことですが、未来へつながる行為なのです。それが動き続ける上部構造中の「事実認知」というものです。
 
 いずれにせよ、人間が未来へ生きて行く路程にある現実の中では、「現実派」など糞の役にも立たない、ということです。
 それが人間の現在という一瞬を規定し続ける下部構造というものです。
 
コメント
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