ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権96~名誉革命と権利・権力の均衡

2014-05-18 08:54:11 | 人権
●名誉革命と権利・権力の均衡

 1658年にクロムウェルが病没すると、独立派と対立していた穏健な長老派が王党派と組み、前王の子チャールズ2世を迎えて、1660年にスチュアート朝への王政復古が行われた。 共和制も水平派も、歴史の一コマと化した。
 チャールズ2世は、国民の権利を制限し、親カトリック政策を取った。続くジェームズ2世は、国王大権を乱用し、カトリック化を推進したため、国民の不満が高まった。1688年、議会のトーリー党(王権擁護派)とウイッグ党(王権制限派)が結束して、ジェームズ2世の娘メアリと、その夫のオランダ統領ウィレムに援助を要請した。ウィレムが軍を率いてイギリスに上陸すると、ジェームズ2世はフランスに亡命し、戦わずして革命が成し遂げられた。とはいえ、次期国王たる人物を外国から呼んだり、国王が外国に逃走したり、なんとも情けない話である。
 ウィレム夫妻は、イギリスでそれぞれウィリアム3世、メアリ2世となり、共同統治者として王位に就いた。その時、議会は、即位の条件として、権利宣言を承認させ、これを権利章典として制定した。権利章典の正式名は「臣民の権利と自由を宣言し、王位継承を定める法律」という。僧俗の貴族および庶民が祖先から継承した権利を確認するものであり、同時に、国王の権限をあらためて慣習法の制約のもとに置くものでもあった。段階的な展開によって、イギリスでは、議会を中心とする立憲君主制が確立した。この革命が、名誉革命と呼ばれる。こうしてイギリスでは、2度の市民革命によって、国家主権は君主の主権から君民共有の主権へと変化した。
 名誉革命の時代にホッブスの理論を受けて、独自の社会契約説を説いたのが、ジョン・ロックである。ロックもまた政府が設立される以前に、自然状態を仮定したが、ホッブスのそれとは正反対に平和な社会を想定した。だが、相互の権利を防衛するために皆で合意して政府を作ったという理論を説いた。そして、名誉革命は人々の合意で新たな政府を形成したものとその意義を説明した。確かに、名誉革命で、議会は王を任免する権利を得て、王の権力を大きく制限した。ただし、人民による社会契約を実行したものではない。議会による王の交代は、王との統治契約であって全面的な社会契約ではない。契約の当事者も、当時の上院下院合同の仮議会(convention)の構成員であって、人民全体ではなかった。
 名誉革命後の36年後となる1714年、スチュアート朝が絶え、開祖の血を引くドイツのハノーヴァー選帝侯がジョージ1世として即位した。選帝侯とは、神聖ローマ帝国皇帝を選ぶ権限を持った上級貴族だった。皇帝の家臣がイギリスの王になったのである。ドイツ生まれのジョージ1世は英語を解さず、政治にも無関心だった。そのため、議会の多数派が内閣を形成して政治を行うようになった。1721年、内閣が国王ではなく議会に対して責任を負う責任内閣制が確立した。イギリス独特の「君主は君臨すれども統治せず(The sovereign reigns but does not rule.)」という伝統が生まれた。これが伝統となったのだが、王朝が絶え、外国人を呼んで国王にしたものの、その国王が国家を統治できないので、こういう制度を作ったのである。栄光あるものとは言えない。ハノーヴァー朝は、イギリスがドイツと戦った第1次世界大戦中に、ドイツ風の名前を改め、ウインザー家と称するようになった。それが今日の英国王室である。これも名誉ある改名とは言えない。
 イギリスでは、17世紀から18世紀にかけて、市民革命と議会政治を通じて、国王の主権がさらに制限され、国民の権利と権力が増大した。そして、国王の権力と貴族・僧侶・市民の権力の均衡が生まれ、制限君主制となった。
 主権は最高統治権であり、理論的には無制限の権利であり、また無制限の権力である。だが、実際の歴史において、国王の権力はマグナ・カルタ等によって制限され、議会は、国王の権利・権力を協議的に制限する仕組みとして機能してきた。協議によって行使が制限され得るということは、そもそもその権利・権力は主権すなわち統治の最高権力ではなかったことを意味する。
 イギリスは、17世紀後半からウェストファリア体制の西欧で覇権を目指すフランスの最大の競争相手となった。そして18世紀半ばにかけて、英仏は海外植民地の支配権をめぐって数次にわたる戦争を行った。総称して英仏植民地戦争という。英仏は、当時の二大植民地帝国として、勢力を争った。フランスより早く資本主義が発達したイギリスでは、1770年代から動力とエネルギーの大変革による産業革命が進んだ。それにより、イギリスは、経済力・技術力・軍事力において、フランスをはじめとする西欧諸国を圧倒する存在になっていった。そして、世界に冠たる大英帝国の繁栄を築いた。
 ところで、私は、家族制度が価値観、法律、経済、イデオロギー等の違いにまで、深く影響しているというトッドの説を支持しており、イギリスの市民革命には、家族型的な価値観が影響していると考える。イングランドを中心とする地域では、絶対核家族が支配的である。絶対家族は遺産相続において、親が自由に遺産の分配を決定できる遺言の慣行があり、兄弟間の平等に無関心である。この型が生み出す価値観は自由である。自由のみで平等には無関心ゆえ、諸国民や人間の間の差異を信じる差異主義の傾向がある。そこに自由を中心とした思想が発達し、市民革命の推進力になった。ホッブスやロックは、こうした社会を背景に、自然権や社会契約論の思想を説いた。彼らの思想については、第9章で市民革命から20世紀初めまでの時代の思想を検討する際に述べる。

 次回に続く。

安倍首相が集団的自衛権の行使容認に決意示す

2014-05-16 10:49:11 | 時事
 5月15日安倍首相は、政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の報告書を受け取った。報告書は、集団的自衛権の行使について、憲法解釈の変更で容認することを求めるなど、日本の安全保障政策の大きな転換につながり得る内容を含んでいる。
 首相は、記者会見で「いかなる危機にあっても国民を守る責任がある」と述べ、集団的自衛権行使の容認に関しては、「必要な法的基盤を盤石にする確固たる信念を持って、真剣に検討を進めていく決意だ」と表明した。
 続いて、首相は官邸で記者会見を開き、自ら「政府の基本的方向性」を示した。首相は、安全保障環境の現状について、東シナ海への中国公船の領海侵入や、北朝鮮の核・ミサイル開発を取り上げ、「現実に起こりうる事態への備えが大切だ」と訴えた。ここで、首相は、2枚のパネルを用い、具体的な事例を示して、国民に呼びかけた。



 1枚目は、現在は政府の憲法解釈が禁じている「(海外で起きた紛争から逃げる)邦人輸送中の米輸送艦の防護」に関するもの。首相は、「米国の船を自衛隊は守れないのが現在の憲法解釈だ。日本人を助けることができないでいいのか」と訴えた。2枚目は、自衛隊が国連平和維持活動(PKO)中に日本の非政府組織(NGO)やPKO要員らが武装集団に襲われた際に駆け付けて救助する「駆け付け警護」に関するもの。「(現行政府解釈では)自衛隊は彼らを見捨てるしかない。これが現実だ」と説明した。
 安全保障の具体的な事例は、専門的で一般の国民が理解するにはかなりの努力がいる。首相は、子供や女性も描かれている、わかりやすい絵を示して、直接国民に語りかけ、問いかけた。そして「この議論は国民の一人一人にかかわる現実的な話だ」と指摘した。トップが自ら国民一人一人に説明し、訴える。「パネルで俺は勝負する」と首相自ら図案を決めたと伝えられる。この姿勢は、立派である。
 会見では、首相は、武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」への対処能力強化に向けて法整備を急ぐ方針も示した。国民の生命と財産、国家の主権と独立を守る責任を担う国家最高指導者としての決意がよく伝わってくる会見だった。
 安保法制懇の報告書は、あらゆる集団的自衛権の行使を認める憲法の新解釈と、国家の存立にとって必要最小限の集団的自衛権に限って認める限定的行使容認論を併記した。これに対し、安倍首相は、集団的自衛権の全面行使や集団安全保障への全面参加は従来の憲法解釈と論理的に整合しないとして、採用できないと記者会見で明言した。その上で、限定的行使容認論に基づき、与党との調整を進める方針を示した。

 さて、本日16日の全国紙の社説を見ると、朝日新聞は「集団的自衛権―戦争に必要最小限はない」、毎日新聞は「集団的自衛権 根拠なき憲法の破壊だ」と題し、集団的自衛権の行使容認に反対し、憲法解釈の変更を認めない見解を述べている。これら2紙の論調は、東シナ海への中国公船の領海侵入や北朝鮮の核・ミサイル開発等がわが国の安全への脅威になっている現実を、読者に意識させないようにし、現実に起こりうる事態への備えを不要と感じさせ、むしろ防備を行うことが危険な事態を招くと錯覚させるものとなっている。
 集団的自衛権の行使容認は、日本が侵攻戦争を始める準備として行うことではなく、日米の絆を強めることによって、外国の侵攻への抑止力を高めるために必要なことである。戦争を起こすためではなく、戦争を防ぎ、平和を守るために、自衛権の整備が必要なのである。先の2紙と異なり、読売新聞、産経新聞、日本経済新聞は、この点を踏まえた見解を述べている。
 読売新聞の社説より~「報告書は、集団的自衛権の行使の要件として『我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性』『国会承認』など6項目を挙げた。日本攻撃に発展する蓋然性や日米同盟の信頼性への影響を含め、『総合的に勘案する』とも明記した。おおむね適切な内容だ。どんな事態が発生するかを事前に予測するのは困難であり、政府に一定の裁量の余地を残す必要がある。報告書も指摘するように、集団的自衛権は権利であり、義務ではない。政府が検討した結果、行使しないとなることも、十分あり得よう。解釈変更は、行使を可能にしておくことで日米同盟を強化し、抑止力を高めて、紛争を未然に防止することにこそ主眼がある。憲法には平和主義に加え、平和的生存権や国際協調主義がうたわれていることも忘れてはなるまい」。
 産経新聞の社説(「主張」)より~「オバマ政権はアジア重視の『リバランス』(再均衡)政策をとるが、国防費は削減の流れにあり、米国民も海外での軍事行動を望まない。集団的自衛権の行使容認で日本が責任を分担する姿勢を明確にし、地域の平和と安定のため、今後も米国を強く引きつけておく努力が欠かせない。朝鮮半島有事の際、日本人を含む各国国民を避難させる米軍の輸送艦を自衛隊が守ることは、集団的自衛権の行使にあたるため、現状では困難とされる。安全保障の法的基盤の不備から、国民を守ることができない。米軍将兵は命をかけて日本の防衛にあたる。その同盟国が攻撃を受けているのに、近くにいる自衛隊が助けなければ、真の絆を強められるだろうか。日本の国際的信用も失墜しかねない。集団的自衛権の行使を認めれば戦争に巻き込まれるといった批判がある。だが、むしろ行使容認によって抑止力が向上する効果を生むとみるべきだ。外交努力に加え、同盟や防衛力で戦争を未然に防ぐ必要がある」。
 日本経済新聞の社説より~「財政難の米国に単独で世界の警察を務める国力はもはやない。内向きになりがちな米国の目をアジアに向けさせるには、日本も汗を流してアジアひいては世界の安定に貢献し、日米同盟の絆を強める努力がいる」「政府はまず、急いで取り組むべき課題とじっくり考えるべき課題、現行法制でできることと憲法解釈の見直しが必要なことを、きちんと仕分けることが大事だ。与党協議では具体的な事例に沿って検討すべきだ。戦後日本の憲法論議は一般人には縁遠い法理にばかり着目し、袋小路に入り込むことが多かった。日本が直面しそうな危機に対処するにはどんな手があるのか、それは公明党が主張する個別的自衛権の拡大解釈などで説明できるのか、集団的自衛権にもやや踏み込むのか――。こうした議論を重ねれば合意に至る道筋は必ずみつかるはずだ」。
 情報を得るためのメディアの選択は重要である。特にお金を払って新聞を読んでいる人は、よく各紙を比較し、購読する価値があるかどうか、しっかり考えた方がよいだろう。
 今後、与党で真摯な議論がされ、早期の閣議決定、必要な法整備等が進むことを期待したい。
 以下は、読売・産経・日経の社説。

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●読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140515-OYT1T50136.html
集団的自衛権 日本存立へ行使「限定容認」せよ
2014年05月16日 01時24分

◆グレーゾーン事態法制も重要だ◆
 日本の安全保障政策を大幅に強化し、様々な緊急事態に備えるうえで、歴史的な提言である。
 政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が、集団的自衛権の行使を容認するよう求める報告書を安倍首相に提出した。
 首相は記者会見し、「もはや一国のみで平和を守れないのが世界の共通認識だ」と強調した。
 在外邦人を輸送する米輸送艦に対する自衛隊の警護などを例示し、集団的自衛権の行使を可能にするため、政府の憲法解釈の変更に取り組む考えも表明した。その方向性を改めて支持したい。

◆解釈変更に問題はない◆
 自民、公明両党は20日に協議を開始する。政府は来月中にも新たな憲法解釈などを閣議決定することを目指しており、与党協議の加速が求められる。
 懇談会の報告書は、北朝鮮の核実験や中国の影響力の増大など、日本周辺の脅威の変化や軍事技術の進歩を踏まえ、個別的自衛権だけでの対応には限界があり、むしろ危険な孤立主義を招く、と指摘した。
 さらに、周辺有事における米軍艦船の防護や強制的な船舶検査、海上交通路での機雷除去の事例を挙げ、集団的自衛権を行使できるようにする必要性を強調している。
 こうした重大な事態にきちんと対処できないようでは、日米同盟や国際協調は成り立たない。
 報告書は、あらゆる集団的自衛権の行使を認める新解釈と、国家の存立にとって必要最小限の集団的自衛権に限って認める「限定容認論」を併記した。戦闘行動を伴う国連の集団安全保障措置への参加も可能としている。
 これに対し、安倍首相は、集団的自衛権の全面行使や集団安全保障への全面参加は従来の憲法解釈と論理的に整合しないとして、採用できないと明言した。一方で、「限定容認論」に基づき、与党との調整を進める方針を示した。
 首相が有識者会議の提言の一部を直ちに否定するのは異例だが、解釈変更に慎重な公明党に配慮した政治的判断と評価できる。
 集団的自衛権の全面行使が可能になれば、有事における政府の選択肢が増えるのは確かである。
 ただ、従来の解釈との整合性を保ち、法的な安定性を確保することは法治国家として不可欠だ。海外での戦争参加を認めるかのような誤解を払拭し、幅広い与野党や国民の合意を形成するためにも限定容認論が現実的である。
 解釈変更には、「立憲主義の否定」といった批判もある。
 だが、内閣の持つ憲法の公権的解釈権に基づき、丁寧に手順を踏み、合理的な範囲内で解釈変更を問うことに、問題はなかろう。

◆主眼は抑止力の強化◆
 報告書は、集団的自衛権の行使の要件として「我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性」「国会承認」など6項目を挙げた。日本攻撃に発展する蓋然性や日米同盟の信頼性への影響を含め、「総合的に勘案する」とも明記した。
 おおむね適切な内容だ。どんな事態が発生するかを事前に予測するのは困難であり、政府に一定の裁量の余地を残す必要がある。
 報告書も指摘するように、集団的自衛権は権利であり、義務ではない。政府が検討した結果、行使しないとなることも、十分あり得よう。
 解釈変更は、行使を可能にしておくことで日米同盟を強化し、抑止力を高めて、紛争を未然に防止することにこそ主眼がある。憲法には平和主義に加え、平和的生存権や国際協調主義がうたわれていることも忘れてはなるまい。
 偽装漁民による離島占拠など、武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」について、報告書は、平時から「切れ目のない対応」を可能にするよう、法制度を充実すべきだと主張している。
 安倍首相も、与党協議で優先して検討する考えを示した。

◆「切れ目のない」対応を◆
 中国が海洋進出を活発化し、尖閣諸島周辺での領海侵入を常態化させる中、グレーゾーン事態はいつ発生してもおかしくない。
 現行の自衛隊法では、自衛権に基づく「防衛出動」は武力攻撃を受けた場合に限られる。警察権で武器を使う「海上警備行動」では、武装した特殊部隊の制圧などには不十分との指摘がある。
 海上自衛隊や海上保安庁がより迅速かつ機動的に対応し、効果的に武器を使用できる仕組みにしておくことが重要だ。
 公明党もグレーゾーン事態に対処する法整備には前向きな姿勢を見せており、議論を深めたい。

●産経新聞

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140516/plc14051603360005-n1.htm
【主張】
集団自衛権報告書 「異質の国」脱却の一歩だ
2014.5.16 03:36

■行使容認なくして国民守れぬ
 日本の安全保障政策の大きな転換につながる集団的自衛権の行使について、政府の有識者会議が憲法解釈の変更で容認することを求める報告書を安倍晋三首相に提出した。
 首相は記者会見で「いかなる危機にあっても国民を守る責任がある」と述べ、本格的な与党協議に入る考えを表明した。
 日本の平和と安全、国民の生命・財産を守るため、当然の政治判断がようやく行われようとしていることを高く評価したい。
 早期に与党合意を取り付け、自衛隊法など必要な関連法の改正などに取り組んでもらいたい。

≪緊張への備えは重要だ≫
 なぜ今、集団的自衛権の行使が必要なのか。それは、厳しさを増す安全保障環境を乗り切るため、日米同盟の信頼性を高め、抑止力を強化する必要があるからだ。
 報告書は「一層強大な中国軍の登場」に強い懸念を示した。「国家間のパワーバランスの変化」から「特にアジア太平洋地域」の緊張激化を指摘した。
 中国は東シナ海では尖閣諸島の奪取をねらっている。南シナ海ではフィリピンやベトナムを相手にスプラトリー(南沙)、パラセル(西沙)諸島などを奪おうとしている。力による現状変更を図る試みは受け入れられない。
 東西冷戦の時代であれば、日本が個別的自衛権の殻に閉じこもっていても、米国は仮にソ連の攻撃があれば日本を守っただろう。
 だが、今や米国に一方的庇護(ひご)を求めることはできない。オバマ政権はアジア重視の「リバランス」(再均衡)政策をとるが、国防費は削減の流れにあり、米国民も海外での軍事行動を望まない。
 集団的自衛権の行使容認で日本が責任を分担する姿勢を明確にし、地域の平和と安定のため、今後も米国を強く引きつけておく努力が欠かせない。
 朝鮮半島有事の際、日本人を含む各国国民を避難させる米軍の輸送艦を自衛隊が守ることは、集団的自衛権の行使にあたるため、現状では困難とされる。安全保障の法的基盤の不備から、国民を守ることができない。
 米軍将兵は命をかけて日本の防衛にあたる。その同盟国が攻撃を受けているのに、近くにいる自衛隊が助けなければ、真の絆を強められるだろうか。日本の国際的信用も失墜しかねない。
 集団的自衛権の行使を認めれば戦争に巻き込まれるといった批判がある。だが、むしろ行使容認によって抑止力が向上する効果を生むとみるべきだ。外交努力に加え、同盟や防衛力で戦争を未然に防ぐ必要がある。
 過去の内閣法制局の憲法解釈を金科玉条のように位置付け、変更は認められないとの主張もある。だが、過去にも憲法66条の「文民」の定義で現職自衛官を外すなどの解釈変更は行われた。

≪グレーゾーン対応急げ≫
 そもそも、憲法が行使を許す「自衛のための必要最小限度」の中に、集団的自衛権を限定的に含めるのは、国の守りに必要である以上、当然だ。危機を直視せず、十分な抑止力を使えない不備を放置すれば「憲法解釈守って国滅ぶ」ことになりかねない。
 与党協議に向け、公明党は行使容認に慎重な態度を崩していない。だが、通算11年以上、自民との連立で政権を担当してきた。安全保障面でも国家や国民を守る責任を等しく負っている。行使容認への接点を探ってもらいたい。
 容認に前向きな日本維新の会やみんなの党などと党派を超えた議論も加速すべきだ。
 有識者会議の報告書のうち、武力攻撃手前の侵害である「グレーゾーン事態」への対応や、国連平和維持活動(PKO)での「駆け付け警護」を容認する点などは、公明党を含め多数の政党の理解が広がっている。
 漁民に偽装した中国の海上民兵や特殊部隊が、尖閣に上陸して占拠しようとするケースもグレーゾーン事態だ。これに対応する領域警備の法整備は急務だ。
 一方、国連安保理決議に基づく多国籍軍への自衛隊の参加などの提言を、首相が「海外での武力行使」にあたるとの従来の解釈に立ち、採用しない考えを示した点は疑問もないわけではない。
 自衛隊の活動への強い制約を解くことが課題である。内外に表明している積極的平和主義の具体化へ、現実的対応を求めたい。

●日本経済新聞

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71288380W4A510C1EA1000/
憲法解釈の変更へ丁寧な説明を
2014/5/16付 記事保存

 安倍晋三首相が憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を可能にする方向で「政府としての検討を進める」と正式表明した。日本の安保政策の分岐点となり得る重大な方向転換だ。幅広い国民の理解を得られるように丁寧な説明、粘り強い対話を求めたい。
 首相の発言は有識者の集まりである「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)が報告書を提出したのを踏まえてなされた。

安保環境の大きな変化
 報告書は「我が国を取り巻く安保環境はわずか数年の間に大きく変化した」と指摘した。東シナ海や南シナ海での中国の振る舞い、北朝鮮の挑発的な言動などを例示するまでもなく、うなずく国民は多いだろう。
 さらに報告書は「一方的に米国の庇護(ひご)を期待する」という冷戦期の対応は時代遅れだと強調し、新たに必要な法整備を進めるべきだと訴えている。
 財政難の米国に単独で世界の警察を務める国力はもはやない。内向きになりがちな米国の目をアジアに向けさせるには、日本も汗を流してアジアひいては世界の安定に貢献し、日米同盟の絆を強める努力がいる。
 日本が取り組むべき具体策として報告書は(1)日本近隣有事の際の米艦防護や不審船の船舶検査(臨検)(2)日本船舶が利用する海上航路での機雷の除去(3)離島に上陸した武装集団への迅速な対応――などを挙げた。
 これらはあくまでも有識者の意見である。政策を決めるための土台でしかない。
 政府はまず、急いで取り組むべき課題とじっくり考えるべき課題、現行法制でできることと憲法解釈の見直しが必要なことを、きちんと仕分けることが大事だ。
 提言のうち、国際貢献のための武力行使を容認するくだりを首相が「採用できない」と明言したのは当然だ。
 今の時点で最も警戒が必要な非常事態としては、沖縄県の尖閣諸島などの離島に漁民と称する正体不明の武装集団が上陸するケースが考えられる。
 警察や海上保安庁には荷が重いが、かといって、いきなり自衛隊が防衛出動するのか。警察権と自衛権の境界にあるグレーゾーンへの対処方法を早く決めておかなくてはならない。これは憲法解釈の見直しも不要で、来週始める自民党と公明党の協議はここから着手するのが妥当だ。
 「与党協議の結果に基づき、憲法解釈の変更が必要と判断されれば、改正すべき法制の基本的方向を閣議決定していく」。首相はこうも述べた。解釈変更ありきではない、と印象付けることで、現在の解釈を変えたくない公明党と折り合う糸口を探る狙いがある。
 与党協議では具体的な事例に沿って検討すべきだ。戦後日本の憲法論議は一般人には縁遠い法理にばかり着目し、袋小路に入り込むことが多かった。
 日本が直面しそうな危機に対処するにはどんな手があるのか、それは公明党が主張する個別的自衛権の拡大解釈などで説明できるのか、集団的自衛権にもやや踏み込むのか――。こうした議論を重ねれば合意に至る道筋は必ずみつかるはずだ。

与党以外とも対話を
 もちろん日本ができる実力行使の範囲を歯止めなく広げ、際限なき軍拡に走ることは憲法が掲げる平和主義に反する。戦前には在外邦人保護を理由にして中国大陸に戦闘部隊を送り込んだこともあった。日本が許される自衛権は「必要最小限度の範囲」という憲法解釈まで変えてはいけない。
 自公関係に亀裂が生じれば、影響は安保・外交政策にとどまるまい。景気の先行きは予断を許さない。与党の内輪もめで成長戦略のとりまとめなどが滞り、日本経済が立ち往生するような事態は誰も望んでいない。
 話し合うべきは与党だけではない。民主党など野党にも集団的自衛権の行使解禁に前向きな議員はいる。国を二分する論争にすれば政権交代があるたびに憲法解釈が変更されかねない。
 海外では外交・安保政策で与野党が一定の共通認識を持つ国が多い。日本でもそうした与野党関係を築きたい。
 外国への説明も不可欠だ。報告書の中身をよく読みもせずに「軍国主義の復活」などと言い立てる国も出てこよう。有事への備えの強化と並行して、周辺国との緊張緩和にも全力で取り組み、日本の意図を世界に正しく理解してもらわねばならない。
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集団的自衛権の限定的行使案を政府が準備5

2014-05-15 08:50:14 | 時事
 産経新聞社とFNNが4月26~27日に実施した合同世論調査の結果では、日米首脳会談の成果について「評価する」が54・3%、「評価しない」は34・8%。オバマが尖閣諸島(沖縄県石垣市)に日米安全保障条約が適用されることを明言したことついては「評価する」が85・6%に達した。わが国が集団的自衛権の行使容認に向けた取り組みを進めていることに対し、オバマが支持を表明したことについては、「評価する」が59・3%、「評価しない」が27・9%となった。集団的自衛権の行使容認については「必要最小限度で使えるようにすべきだ」が64・1%、「全面的に使えるようにすべきだ」(7・3%)をあわせて、7割以上が行使容認に賛意を示した。「使えるようにすべきではない」は25・5%だった。
 問題は、連立与党の公明党である。先の産経・FNNの世論調査では、行使容認に慎重な公明党が自民党との調整で「決裂」した場合に関する質問で、「連立を解消した方がよい」との回答が59・9%に達した。産経・フジ系の世論調査は、マスメディアによる世論調査では、保守的・愛国的な回答者が最も多いので、平均的な国民の意識を推測するには、これよりかなり割り引いて考える必要がある。
 安倍政権は、自公連立政権である。自民党は政権の獲得についても維持についても、公明党に依存している状態である。5月4日首相は、訪問先のポルトガルで、同行記者団の質疑に応じた。その際、首相は、集団的自衛権の憲法解釈を変更する閣議決定について「時期ありきではなく、与党で一致することが重要だ。時間を要することもあるのだろうと思っている」と述べ、また、安倍首相は、集団的自衛権の行使容認に向けた政府の基本的考え方に関し「検討の方向性について考え方を示すが、政策的方向性を示すことはない」と語り、集団的自衛権の行使に慎重な姿勢を示す公明党への配慮を示した。「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の報告書を踏まえた与党の議論を見守る姿勢を強調した。本日(5月15日)、報告書の提出を受けて、安倍首相は「政府の基本的考え方」を発表する予定であり、以後公明党との本格的な協議が加速される見通しである。安倍首相は、今国会の会期中である6月22日までに閣議決定がされることが望ましい、と語っていると報じられる一方、時期にはこだわらないという意向も伝えられている。
 集団的自衛権の行使には、法改正及び新規立法で11本の法案の成立が必要となる。政府・自民党は、それらの法整備に向け、今秋の臨時国会で関連法案の審議に対応する担当閣僚を新たに設置する方向で検討を行っている。遅くとも秋の臨時国会までには憲法解釈見直しの閣議決定を行う流れを想定しているものだろう。その場合、閣議決定のデッドラインは、9月と見られる。だが、憲法の解釈変更に公明党が反対した場合は、全会一致が原則の閣議決定は成立せず、集団的自衛権の行使容認は、そこでとん挫することになる。
 公明党の支持母体である創価学会は、日蓮の教えを信奉する団体である。日蓮は、1260年に『立正安国論』を著して蒙古襲来を予言して、時の執権・北条時頼に奉献した。流罪になっても繰り返し国難を訴え、1271年には断罪されかかった。その3年後、蒙古が襲来した。7年後にも再び襲来した。今日、わが国が防備しなければならないのは、この約740年前の元寇以来となるシナによる侵攻である。元寇の当時とは比べ物にならないほど強大な軍事力を持った軍隊の侵攻である。尖閣を取られれば、沖縄も危うい。沖縄を支配されれば、わが国のシーレーンを抑えられる。そうなれば、わが国は、中国の属国にされていくことになる。日本のシナ化は、日本国の滅亡であり、日本人の顔をした奴隷集団への堕落である。日蓮の教えを信奉する人々は、日蓮の憂国の念を思い起こし、国防の強化を真剣に考えるべき時である。(了)
関連掲示
・拙稿「集団的自衛権は行使すべし」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08n.htm
・拙稿「中国で沖縄工作が公言」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/a3ac2550ec7308d805acfe732eb25d4a
 2050年の日本は真の日本精神の普及で「昼の時代」の先導国家か、中国によって東海省と日本自治区に東西分断支配された奴隷国家か。

集団的自衛権の限定的行使案を政府が準備4

2014-05-14 08:49:22 | 時事
 4月24日安倍首相とオバマ大統領による日米首脳会談が行われた後の記者会見で、安倍首相は、「集団的自衛権の行使容認に向けた検討状況を説明し、オバマ米大統領から『歓迎し支持する』との立場が示された」と述べた。首脳会談に先立って4月5~7日に来日したヘーゲル米国防長官は、日本の安全保障の取り組みについて、「歓迎し、努力を奨励し支持する」と語った。これは昨年10月の外務・防衛閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)の「歓迎」よりも踏み込んだ表現だった。今回は、大統領がわが国の集団的自衛権行使検討への支持を表明したことで、米国政府の支持はゆるぎないものとなった。安倍首相は、これを受けて集団的自衛権行使を容認する憲法解釈見直しに向けて政府・与党内の調整・説得を進めると見られる。
 5月9日の産経新聞は、安保法制懇の報告書の全容が明らかになったとして、首相に提出される前に、先行的に報道した。
 記事によると、安保法制懇は報告書をまとめる契機として、中国が軍事費を経済成長を上回る勢いで増加させている上、近隣海域で海洋進出を強めていることへの懸念を表明し、さらに北朝鮮による核・弾道ミサイル開発など日本を取り巻く安全保障環境が悪化していること、テロやサイバーなど脅威が多様化していることなどを挙げている。
 憲法に関して、戦後の政府は首相や防衛庁長官、内閣法制局長官らの国会答弁や質問主意書に対する答弁書によって憲法解釈の変更を行ってきたこと、憲法の最終的な解釈者である最高裁判所の砂川事件判決は自衛権を認めていることなどを述べ、集団的自衛権の「権利」を保有しているが「行使」は許されないとする政府見解の課題のほか、環境や情勢が大きく変化する中で解釈変更が迫られていることなどを指摘する。
 基本的な考え方としては、日本が保有する自衛権には個別的自衛権と集団的自衛権があるとし、憲法第9条は個別的自衛権はもとより、集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障への参加を禁ずるものではないことを明記している。
 集団的自衛権の行使については、密接な関係にある国が攻撃を受けた場合などの条件を提言し、集団的自衛権によって不測の事態を抑止することの重要性を訴えているという。
 集団的自衛権と集団安全保障、武力攻撃に至らない「グレーゾーン」事態については、先に書いた平成20年の報告書の4類型と今回議論されたケースを合わせ、下記の9事例を列挙しているという。

1 公海における米艦の防護
2 米国に向かう弾道ミサイルの迎撃
3 米国が武力攻撃を受けた場合の船舶検査など対米支援
4 わが国近隣有事の際の船舶検査、米国への攻撃排除、国連決定があった場合の関連活動への参加
5 国際的な平和活動における自衛隊の武器使用
6 国連平和維持活動(PKO)に参加している他国への後方支援
7 国際秩序の維持に重大な影響を及ぼす武力攻撃が発生した際の国連決定に基づく活動への参加
8 わが国の船舶の航行に重大な影響を及ぼす海域における機雷の掃海
9 わが国領海で潜没航行する外国潜水艦が退去要求に応じず徘徊を継続する場合への対応

 これらのグレーゾーン事態では、個別的自衛権として実力で排除できるよう法整備を求めている。特に注意したいのは、尖閣諸島に、漁民に偽装した中国民兵が上陸した場合は、武力攻撃ではないグレーゾーン事態に当たるため、自衛隊は出動できないことである。この状態を改善するには、自衛隊法を改正するか領域警備法を制定する必要がある。日米安保条約第5条の日米「共同防衛」作戦は、尖閣防衛に関する限り個別的自衛権行使の問題であり、集団的自衛権の行使容認とは別に、自主防衛の課題としての法整備が早急に必要である。
 安保法制懇の報告書に戻ると、集団的自衛権を行使する条件については、(1)密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、(2)放置すれば日本の安全に大きな影響を及ぼす場合、(3)当該国からの明示的な支援要請の三つにに加え、「国会の承認」を求めている。事前承認が原則だが、弾道ミサイルへの対応など緊急時は事後承認でも可能にする。手続きとして「首相の総合的な判断」や「第三国の領域通過する場合の当該国の同意」の必要性を指摘している。地理的制限は求めていない。集団安全保障では、自衛隊の行動に関してポジティブ(できること)リストからネガティブ(できないこと)リストへの転換を前提として、世界的な標準に合わせた武器使用の緩和を求めている。
 また、在外邦人の救出・保護については、その領域国の許可を得て妨害行為を排除するため、自衛隊の武器使用を可能にする法整備を求めているという。
 上記のような内容の報告書は、15日に安倍首相に提出され、首相が「政府の基本的考え方」を示す。「政府の基本的考え方」は、「わが国を取り巻く安全保障環境が極めて厳しい中、どのような形で国民の生命、財産、国の安全を守れるかについて政府の考えを示す」(菅官房長官)ものとなる模様である。

 次回に続く。

集団的自衛権の限定的行使案を政府が準備3

2014-05-12 10:25:18 | 時事
 集団的自衛権に関し、私は、6年ほど前、拙稿「集団的自衛権は行使すべし」に課題と見解を書いている。わが国の基本的な課題は、変わっていない。前進がないからである。その間、わが国の置かれた国際環境は、悪化を続けている。米国が国力の低下を露わにするなかで、中国が急激な軍事力の増強のもとで海洋覇権の奪取に躍起となり、北朝鮮は核・ミサイル開発を強行している。今年に入ると、ロシアがクリミアの併合を行い、領土拡張の意思を示したことで、世界は冷戦終結後、最も緊張を高めている。わが国の対応がこれ以上遅れると、国家の存亡に関わる事態に陥る恐れがある。この6年間、安倍首相ほど深く状況を理解し、真摯に対応しようとしている国家指導者はいない。
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08n.htm
 集団的自衛権に関する最近の有識者の発言の中では、日本大学教授・百地章氏が、産経新聞平成26年3月8日に書いた論稿は、参考になるものである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140403/plc14040303260003-n1.htm
 そこで、百地氏は、代表的な集団防衛条約が集団的自衛権をどのように定めているかを紹介している。

(1) 全米相互援助条約第3条1項(1947年)
「米州の一国に対する武力攻撃を米州のすべての国に対する攻撃とみなし…集団的自衛権を行使する」
(2) 北大西洋条約第5条(1949年)
「欧州または北米における締約国に対する武力攻撃を全ての締約国に対する攻撃とみなし…集団的自衛権を行使する」(5条)。

 これらに比べて、わが国の政府見解は、非常に無理のある定義をしている。すなわち、集団的自衛権は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であり、「集団的自衛権を行使することは、必要最小限の範囲を超える」としている。
 百地氏は、これに対し、「政府見解では『自国と密接な関係にある外国に対する攻撃』を『自国に対する攻撃とみなして反撃する』という、最も肝腎な部分がオミットされ、逆に『自国が直接攻撃されていないにもかかわらず』と強調されてしまった。これによって、自国が直接攻撃されていない場合にまで武力行使を行うのは、『必要最小限度』を超えるとされたわけだ」と適切な指摘をしている。
 そして、「しかし」として、次のように述べている。「個別的自衛権と集団的自衛権は不即不離のものである。集団的自衛権については、国内法における『正当防衛(刑法36条)』や『緊急避難(同37条)』とのアナロジーで説明されることがある。つまり、『急迫不正の侵害』が発生した場合、『自己または他人の権利を防衛する』のが正当防衛である。例えば、一緒に散歩していた女性が突然暴漢に襲われた場合には、自分に対する攻撃でなくても、反撃し女性を助けることができるのが正当防衛である。また、緊急避難でも『自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため』とある。
 であれば、国際法上の自衛権についても、個別的自衛権と集団的自衛権を不即不離のものと考えるのが自然だろう。例えば、公海上において一緒に訓練を行っていた米国の艦船に対して、万一ミサイル攻撃があれば、自衛隊が反撃を行い米艦を助けることができるのは当然ということになる。
 それゆえ、まず集団的自衛権の定義を正したうえで、行使の条件を『放置すれば日本の安全に重大な影響を与える場合』などに限定すれば、『必要最小限度の自衛権の行使は可能』としてきた従来の政府答弁との整合性も保たれると思われる」と。
 注目すべき見解である。まず集団的自衛縁の定義を国際社会の標準的な定義に改め、その上で、行使の条件を明確にしなければならない。それと同時に、自衛権を発動する際の要件を見直す必要がある。
 現在、わが国の政府は、憲法第9条のもとで自衛権を発動するためには、3つの要件を満たすことが必要だという見解を取っている。3要件とは、(1)わが国に対する急迫不正の侵害があること、(2)この場合、これを排除するために他の適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、――以上である。
 集団的自衛権の行使を可能とするには、自衛権の発動要件を一部改める必要がある。政府は、この点の検討を進めており、(1)の「急迫不正の侵害」については日本に限定せず、「わが国と密接な関係にある国」に対する武力攻撃があったケースでも自衛権を発動できるようにする方針と伝えられる。「わが国と密接な関係にある国」を追加することで、同盟国の米国をはじめ友好国との集団的自衛権の行使を可能とするわけである。
 以下は、百地氏の記事の転載。

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●産経新聞 平成26年3月8日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140403/plc14040303260003-n1.htm
【正論】
集団自衛権の「日本的定義」正せ 日本大学教授・百地章
2014.4.3 03:25

 政府は、集団的自衛権の行使は憲法上許されないとしてきた従来の見解を見直し、他国への武力攻撃が「日本の安全」に密接に関係していることを条件として行使を認めようとしている、という(毎日新聞、3月26日付)。これに対しては、野党や自民党内の一部にも反対や慎重論がある。
 理由は、(1)憲法解釈の変更は許されない(2)集団的自衛権の行使を認めたら、アメリカの戦争に巻き込まれる-などというものだ。

過去にも憲法解釈を変更
 第1点だが、安易な憲法解釈の変更が許されないのは当然である。しかし、憲法や法律の解釈には幅があり、「解釈の枠内」での変更は判例・通説の認めるところだ。
 典型的な例は、首相の靖国神社参拝をめぐる憲法20条3項についての解釈変更である。
 昭和55年11月17日の政府統一見解では、靖国神社公式参拝は「憲法第20条第3項との関係で問題があ(り)、〈略〉政府としては違憲とも合憲とも断定していないが、このような参拝が違憲ではないかとの疑いをなお否定できない」となっていた。
 これを変更したのが昭和60年8月20日の政府見解である。中曽根康弘内閣の下に設置されたいわゆる「靖國懇」は、公式参拝を合憲とする報告書を提出、これを受けて次のような見解が示された。
 首相らの参拝が「戦没者に対する追悼を目的として、靖国神社の本殿又は社頭において一礼する方式で参拝することは、同項の規定に違反する疑いはないとの判断に至ったので、〈略〉昭和55年11月17日の政府見解をその限りにおいて変更した」。
 今回も、安倍首相は懇談会を設置しその報告を受けて政府見解を変更しようとしているのだから、これと変わらないではないか。

国際標準に改め問題解決を
 第2点だが、混乱の原因は従来政府が行ってきた「集団的自衛権」の無理な定義にあると思われる。それゆえ、その定義を国際標準に改めれば、問題は解決する。
 集団的自衛権は「自国と政治的・軍事的に協力関係にある他国にたいして武力攻撃がなされたとき、その攻撃が直接自国に向けられたものでなくても、自国の平和と安全を害するものとみなして、これに対抗する措置をとることを認められた権利」である(城戸正彦『戦争と国際法』)。つまり自国が直接攻撃を受けなくても「自国が攻撃を受けたものとみなし反撃する」のが集団的自衛権だ(田畑茂二郎『国際法講義下』)。
 代表的な集団防衛条約でも、次のように定めている。(1)全米相互援助条約(1947年)「米州の一国に対する武力攻撃を米州のすべての国に対する攻撃とみなし…集団的自衛権を行使する(3条1項)(2)北大西洋条約(1949年)「欧州または北米における締約国に対する武力攻撃を全ての締約国に対する攻撃とみなし…集団的自衛権を行使する」(5条)。
 ところが、政府見解では、集団的自衛権は「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」であり、「集団的自衛権を行使することは、必要最小限の範囲を超える」とされている。
 つまり、政府見解では「自国と密接な関係にある外国に対する攻撃」を「自国に対する攻撃とみなして反撃する」という、最も肝腎(かんじん)な部分がオミットされ、逆に「自国が直接攻撃されていないにもかかわらず」と強調されてしまった。これによって、自国が直接攻撃されていない場合にまで武力行使を行うのは、「必要最小限度」を超えるとされたわけだ。

従来の政府答弁とも整合性
 しかし、個別的自衛権と集団的自衛権は不即不離のものである。集団的自衛権については、国内法における「正当防衛(刑法36条)」や「緊急避難(同37条)」とのアナロジーで説明されることがある。
 つまり、「急迫不正の侵害」が発生した場合、「自己または他人の権利を防衛する」のが正当防衛である。例えば、一緒に散歩していた女性が突然暴漢に襲われた場合には、自分に対する攻撃でなくても、反撃し女性を助けることができるのが正当防衛である。また、緊急避難でも「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため」とある。
 であれば、国際法上の自衛権についても、個別的自衛権と集団的自衛権を不即不離のものと考えるのが自然だろう。例えば、公海上において一緒に訓練を行っていた米国の艦船に対して、万一ミサイル攻撃があれば、自衛隊が反撃を行い米艦を助けることができるのは当然ということになる。
 それゆえ、まず集団的自衛権の定義を正したうえで、行使の条件を「放置すれば日本の安全に重大な影響を与える場合」などに限定すれば、「必要最小限度の自衛権の行使は可能」としてきた従来の政府答弁との整合性も保たれると思われる。(ももち あきら)
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 次回に続く。

人権95~市民革命の始まり

2014-05-11 08:33:19 | 人権
●市民革命はイギリスのピューリタン革命に始まる

 前章に書いた西欧における中世から近代初期にかけての主権・民権・人権の歴史に続いて、これから市民革命の時代から20世紀初めにかけての歴史を書く。その中で権利・権力の変動を見ていく。まず本章では市民革命をイギリス、アメリカ、フランスの順に見る。次に、西欧各国を横断的に共通する要素について述べる。
 さて、17~18世紀にかけてイギリス、アメリカ、フランスで市民革命が起こった。イギリスのピューリタン革命で封建的身分の特権を否定する自然法に基づく権利の理論が表れた。アメリカ独立革命の独立宣言でイギリスの「臣民の権利」の歴史性が否定されて、権利は神授のものとされた。フランス市民革命の人権宣言でも権利の神授性の論理が維持された。こうして歴史的に発達した権利が、普遍的・生得的な人権という概念で理解されるようになった。
 だが、近代西欧的な権利は、西欧各国の歴史の中で形成されてきたものであり、また権利の概念、内容、それを保障する法制度は、国や時代によってさまざまである。すなわち、人権という概念の実態は、各国の国民の権利である。
 ヨーロッパ大陸で新旧両教徒が争ったドイツ30年戦争が終結に近づいていたころ、周辺のブリテン島で市民革命が起こった。ピューリタン革命である。ピューリタン革命は1640~60年にかけて展開され、王政復古の後、1688年には名誉革命が起きた。これら2度の革命によって、イギリスの絶対王政は終焉を迎え、議会による君民共治の政体が実現した。その過程で、国王の主権は国民と共有されるものとなり、同時に人間は生まれながらに自由であり、平等な権利を持つという人権の観念が発達した。
 マグナ・カルタ以後、16世紀のチューダー王朝までの間は、王権と臣民の権利の均衡の原則が機能していた。ところが、17世紀初めスコットランドからイングランドに来てスチュアート王朝を開いたジェームズ1世は、絶対王政を敷いた。ジェームズ1世は法律に拘束されない王権の行使こそ真に自由な政治であると主張し、従来の慣行を無視して国王の大権の行使を主張し、議会との衝突を繰り返した。
 イギリスでは、封建制の解体が西欧で最も早く進んでいた。17世紀に入ると、ジェントリー(郷紳)やヨーマンリー(独立自営農民)が市民階級を形成し、議会に進出して政治的な影響力を持つようになっていた。またブルジョワジー(中産階級・商工業者・資本家)が成長し、私有財産等の権利を主張していた。彼らの多くは、カルヴァン派のプロテスタントだった。
 ジェームズ1世の子、チャールズ1世は、スコットランドに国教会を強制しようとした。これへの反発からスコットランドで反乱が起こると、国王は戦費調達のため、1640年に議会を召集した。これをきっかけに、ピューリタン革命が始まった。
 議会では、王党派と議会派が激しく対立し、1642年に内戦状態になった。その中で個々の教会の自主独立を説く独立派が勢力を強め、独立派から徹底抗戦を主張するクロムウェルが台頭した。49年に議会の決議によりチャールズ1世が斬首刑に処され、共和制が樹立された。ウェストファリア条約で西欧に主権国家体制が誕生した翌年だった。クロムウェルは、53年に護国卿となって独裁政権を樹立した。
 この時代の思想家として知られるホッブスは、革命の最中にオランダにいた。絶対王政を擁護する理論を著述した。それが『リヴァイアサン』である。ホッブスは、原始的な自然状態は、「万人の万人に対する闘争」であるとする。人々は生命を奪われる恐れから逃れようと、社会契約によって権利を主権者に委譲し、国家を作るという社会契約論を説き、専制君主を支持した。一方、この対極となる主張をしたのが、水平派である。クロムウェルは「新しい型の軍隊」(New Model Army)を指揮して内戦を制した。その軍には合議制の組織ができ、全員参加で意思決定をした。兵士たちの一部は水平派(Levellers)という急進的な政治結社に参加した。水平派は生得権(Birth right)を主張し、身分ある者の特権だった自由に対し、万人が平等に持つ自由を主張した。人民主権の成文憲法や普通選挙を主張した。だが、1649年クロムウェルの弾圧により、水平派は消滅した。イギリスでは、水平派のような思想は、以後大きく伸長しなかった。

 次回に続く。

集団的自衛権の限定的行使案を政府が準備2

2014-05-09 08:43:13 | 時事
 集団的自衛権の行使については、憲法改正は必須の条件ではない。問題は、歴代の内閣法制局長官が示した解釈が政府解釈とされてきていることにある。内閣法制局の国際法上権利を保有するが、憲法上行使はできないという解釈を政府が改めれば、行使は可能となる。
 安倍首相は、25年8月小松一郎氏を内閣法制局長官に任命した。外務省出身者として初めての人事だった。小松氏は、内閣として見解を示すときの最高責任者は「法制局長官ではなく首相だというのは当たり前」と述べている。一官僚にすぎない法制局長官の見解が政府の見解となるという異常な事態を改め、内閣総理大臣が最高判断をする体制を実現すべきである。
 集団的自衛権の行使容認については、本年2月22~23日に産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が実施した合同世論調査で、賛成が47.7%で、反対は38.1%だった。賛成した回答の45.3%は「憲法改正が望ましいが、当面、憲法解釈の変更で対応すればよい」として、「必ず憲法の改正が必要」(31.7%)や「憲法解釈を変更すればよい」(19.7%)を上回った。中国や北朝鮮の脅威が高まる中で、国民の多くは、防衛力の強化を望んでいることの表れだろう。
 国家にとって自衛権の確立は、自然権の実現として当然のことである。自衛権には個別的と集団的が含まれる。中国の侵攻から尖閣諸島を守り、沖縄を守るには、集団的自衛権を行使できるようにしなければならない。また北朝鮮の冒険主義的な姿勢が強まっており、朝鮮半島で戦争が起こった場合にも、行使できるようにしなければならない。行使は政府が解釈を変えれば、それで実現できる。急いだ方が良い。安倍首相は、断固解釈変更を決断すべきである。
 さて、本件に関して、政府・自民党は3月2日、集団的自衛権を限定的に行使を容認する方向で最終調整に入ったと伝えられる。自民党内には必要最小限度に限る形で行使を認めることへの反対論は出ておらず、党側との調整を円滑に進めるため、政府側が譲歩したと伝えられる。
 行使容認の対象とするのは、

①日本周辺の有事で米国が集団的自衛権を行使している際に、米軍への攻撃排除や攻撃国に武器供給する船舶への立ち入り検査を行う。
②機雷で封鎖されたシーレーン(海上交通路)の掃海活動
③米国が攻撃を受け同盟国と自衛権を行使している状況下で、攻撃した国に武器供給する船舶を日本に回航する。

 これらの三つの事例という。これらの事例は「日本の安全に深刻な影響を及ぼす事態」に該当するとして、朝鮮半島有事での対米支援などと加え、こうした事態は現行の政府の憲法解釈で認められている「必要最小限度」の自衛権に含まれると判断し、対象を限って集団的自衛権の行使を認めるとする。一方で、他国の領土での集団的自衛権の行使については、公明党などの強い反発が予想されるため原則的に見送り、行使をわが国の領海や公海に限定して容認する方向となったと報じられる。
 この限定的行使案は、行使容認には慎重姿勢を取る公明党の理解を得るための案だろう。こう着状態を打開するため、与党内で政治的な妥協を図るものだろう。しかし、日本の平和と安全を守るためには、包括的に行使を認め、政府に判断の余地を与えるのが望ましい。予想が困難な危機に対処するため、政府が必要な範囲で軍を活用するのが世界標準である。わが国の安全保障に重大な影響がある事態でも他国の領域での行使を認めないとすると、わが国への信頼を損なう可能性がある。例えば、朝鮮半島での有事の際、韓国の在留邦人を含む各国国民や傷ついた各国将兵の救出が必要な場合に、自衛隊は動かなかったら各国の信頼を失うだろう。また、自衛隊はインド洋北西部アデン湾で海賊対処活動に当たっており、ジブチにある根拠地の近くには米軍、フランス軍などの拠点があるが、それらの国の拠点が攻撃されたときに、自衛隊が援護しなかったら失望されるだろう。

 次回に続く。

集団的自衛権の限定的行使案を政府が準備1

2014-05-08 10:22:19 | 時事
 私は、日本の再建には、憲法改正が急務と考える。憲法改正は、2年2か月後に衆参同日選挙と国民投票を同時に行うなら、それが最も早い機会となる。それまでは、改正の機会はない。問題は、これから改正の機会までの間にも、わが国の主権を揺るがす事態が生じるおそれがあることである。私は、特に中国による尖閣諸島への武力侵攻、北朝鮮の冒険主義的行動または体制崩壊によるわが国への影響を懸念する。そこで、憲法を改正せずともできる防衛関連法の整備、尖閣防衛の具体的施策の実行が非常に重要となる。特に重要なのが、集団的自衛権行使の容認である。政府は現在、集団的自衛権の限定行使案を準備している。本件について短期連載する。

 4月23~25日、オバマ米国大統領が来日し、安倍首相と日米首脳会談が行われた。今回の首脳会談の重要目的の一つが、日米同盟の関係強化であり、そのための議題の一つがわが国の集団的自衛権行使だった。24日会談後に行われた両首脳の記者会見で、安倍首相は、「集団的自衛権の行使容認に向けた検討状況を説明し、オバマ米大統領から『歓迎し支持する』との立場が示された」と述べた。安倍首相は、会談の成果をもとに、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈見直しに向けて政府・与党内の調整・説得を進めると見られる一方、行使容認に消極的な公明党を配慮した発言を行っている。
 安倍晋三首相は、集団的自衛権の行使を可能にすることについて意欲を示してきた。平成24年12月の衆院選挙で首相に再度就任した後、同月30日に産経新聞が行ったインタビューで、安倍首相は、集団的自衛権について、次のように述べた。
 「日米同盟関係を強化することは、別に米国に日本が仕えるということではない。日本がより安全になっていくことだ。同盟強化で日本はより安全に、地域の平和と安定はより強固になっていく。
 集団的自衛権の行使について、かつての安倍政権の『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』(安保法制懇)で検討した。福田康夫政権で報告書が出されたが、来年早々にでも安保法制懇の委員に報告書を安倍内閣に出し直してもらいたい。会議を開き、私が出席し説明を受ける。あれから5年が経過し、アジアの安全保障環境が大きく変わった。あの4類型でいいのか、もう一度検討してもらう。議論を深めてもらいたい。しかるべき時を選んで、どのように解釈を変更していくか考えていきたい」と。
 ここにいう4類型とは、次の通りである。

①海で米軍の艦船が攻撃を受けた場合、近くにいる自衛隊が何もできなくてよいのか。
②アメリカを狙った弾道ミサイルを打ち落とすことができなくてよいのか。
③PKOなどで、他国の部隊を武器を使いながら救援することができなくてよいのか。
④他国への後方支援を行う場合、今まで通りの条件が必要なのか。

 安倍首相は、これら4類型でいいのか、「もう一度検討してもらう。議論を深めてもらいたい。しかるべき時を選んで、どのように解釈を変更していくか考えていきたい」と述べたわけである。
 25年1月安倍首相は、東南アジア諸国を歴訪した際、各国で集団的自衛権の行使や国防軍保持を述べた。インドネシアのユドヨノ大統領と会談した際には、任期中に集団的自衛権の行使を可能にするとともに、「憲法を改正し、国防軍を保持することはアジアの平和と安定につながる」との考えを伝えた。大統領は「完全に合理的な考えだ。防衛力を持った日本は地域の安定にプラスになる」と賛意を表明した。ベトナムのグエン・タン・ズン、タイのインラック両首相にも集団的自衛権行使を容認する考えを伝えたが、両首脳も異論はなかったという。海洋進出を活発化させている中国に対抗することは、日本と東南アジア諸国の共通課題である。首相の発言は、集団的自衛権行使や憲法改正、国防軍保持について、事前にこれら諸国の理解を得えておこうとしたものだろう。

 次回に続く。

関連掲示
・拙稿「集団的自衛権は行使すべし」
http://www.ab.auone-net.jp/~khosoau/opinion08n.htm

商船三井が中国側に和解金40億を支払った

2014-05-06 08:39:47 | 国際関係
 日中戦争勃発前年の1936年に商船三井の前身の海運会社「大同海運」が中国企業「中威輪船公司」と契約し、船舶2隻を借り受けた。船舶はその後、旧日本軍に徴用され、旧日本海軍が使用し、沈没した。
 船舶を貸し出した「中威」の創業者親族が、1988年、20億元(現在のレートで約330億円)の損害賠償を求めて提訴した。商船三井側は、「船舶は旧日本軍に徴用されており、賠償責任はない」と主張したが、上海海事法院(裁判所)は大同が船舶を不法占有したと認定、2007年に約29億2千万円の賠償を商船三井に対して命じた。商船三井側は判決を不服として控訴するなどしたが、2010年12月、最高人民法院(最高裁)は再審理の申請を退け、判決が確定した。
 今年に入り4月19日、海事法院は浙江省舟山市の港で同社が所有する貨物船1隻を差し押さえた。差し押さえられたのは、中国向けに鉱石を輸送する大型ばら積み船「バオスティール・エモーション」である。中国の裁判所が戦後補償をめぐる訴訟で日本企業の資産が差し押さえたことは、前例のない強硬策だった。
 こうしたなか、商船三井の対応が注目されたが、上海海事法院は24日、差し押さえを解除したと発表した。同社が供託金の納付に応じたことによるもので、公告は「判決の義務を全面的に履行した」としている。同社の支払額は、上海海事法院(裁判所)の決定に基づく約29億円に、金利分を加えた約40億円とみられる。商船三井側は当初、示談の可能性を模索するため、支払いに応じない構えだったが、船舶の差し押さえが長期間に及べば、業務に支障が出かねないと判断し、早期に事実上の和解金の支払いに応じたようである。
 日中両国政府が1972年に合意した「日中共同声明」では、中国の「戦争賠償の放棄」が明記されており、中国外務省も、表向きは、今回の訴訟は「一般の民事事件」と位置付けている。だが、船舶の差し押さえという「実力行使」は、日中戦争時の強制連行被害者らによる対日賠償訴訟の受理を認めるなど対日攻勢を強めている習近平政権の意向を反映した動きと見られる。
 今回の裁判及び商船三井の対応が、今後の日中関係に深刻な影響を与えるのは必至である。
 まず天津市では、商船三井の場合と同じように、戦時中に日本に徴用された船舶を所有していた企業家の関係者が、対日訴訟を準備していると伝えられる。損害賠償総額は400億円を上回るとみられ、戦争賠償をめぐる一連の訴訟で最高額となると見られる。
 日中共同声明に中国の「戦争賠償の放棄」が明記されているので、「一般の民事事件」として提訴すれば、裁判所に受理されやすいと関係者らは考えているようである。
 中国では、戦時中に日本に強制連行されたと主張する中国人元労働者らが日本企業に損害賠償を求める訴状を裁判所に提出する動きが相次いでいる。上海海事法院による商船三井の船舶差し押えは、被告となった日本企業を揺さぶる狙いがあるものかもしれない。今後、これ判例として、被告となった日本企業の中国国内の資産が次々と差し押さえられる恐れもがある。
 また、商船三井が中国側に対し、事実上の和解金を支払って早期決着を図ったことは、「実力を行使すれば、日本は簡単に譲歩する」という印象を中国側に与えただろう。今後、日中間の他のトラブルでも、被告となった日本企業の中国国内の資産が次々の差し押さえられる恐れがある。
 非常にまずい流れになってきている。わが国の政府は、中国側の理不尽なやり方に対して積極的に抗議し、日本企業を全力で支える姿勢を示すべきだった。商船三井の問題に関し、菅官房長官は「中国側は戦後賠償とは違うと発表しているので、分けて考えるべきだ」とし、政府がこれ以上介入する必要はないという認識を示している。だが、商船三井の問題は同社だけに終わらない。中国側は歴史認識の問題を使って、日本人の資産をむしりとろうとしている。これまでの政府の姿勢では、これに有効に対処することはできない。根本的な歴史認識の転換と私企業への強力な支援が必要である。

中国経済は破滅の道を進んでいる~石平氏

2014-05-05 10:20:01 | 国際関係
 シナ系日本人評論家の石平氏は、本年1月9日の産経新聞の記事で、中国経済の動向を伝え、「どうやら今度こそ、長年恐れられてきた、バブル崩壊という名の『狼』は本当にやってくるのである」と書いた。詳しくは、3月13日の日記で紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/df23966d7c58055c15c278029659bd3a
 石氏は、「昨年後半から不動産バブルの崩壊はすでに目の前の現実となりつつある」と述べ、「今年2014年は、地方負債の問題がさら深刻化してきている中で、金融の安全を第一義に考える中国政府は不動産業に対する金融引き締めを継続していくしかない。そうすると不動産はますます売れなくなり、価格のさらなる下落は避けられない。バブル破裂の動きはいっそう加速化するであろう」と観測した。
 石氏は、4月3日の記事で、「今年の2月あたりから、中国における不動産バブルの崩壊が本格化している」と書いた。不動産価格の暴落は2月半ばから浙江省の中心都市の杭州で始まった。3月10日には、大都会の南京で2つの不動産物件が25%程度の値下げとなった。21日には江蘇省の常州市、23日には無錫市で値下げ以前に不動産を買った人びとが販売センターを襲う「打ち壊し事件」が起きた。
 石氏は、今後の展開を大意次のように予想している。今後広がる不動産開発企業の破産あるいは債務不履行は、そのまま信託投資の破綻を意味する。それはやがて、信託投資をコアとする「影の銀行」全体の破綻を招く。金融規模が中国の国内総生産の4割以上にも相当する「影の銀行」が破綻すれば、経済全体が破滅の道をたどる以外にない、と。
 石氏は、「生きるか死ぬか、中国経済は今、文字通りの崖っぷちに立たされているのである」と記事を結んでいる。
 シナ大陸は、広大である。それゆえに、バブルの崩壊は一気には進まない。地方都市から各地域の主要都市に波及し、徐々にしかし確実に全土に広がっていくだろう。そして、全土の規模でバブルが崩壊した時、中国経済はどん底に落ちる。 わが国及び日本人は、その時が近いことを警戒し、しっかり備えをしておくべきである。
 以下は、石氏の記事。

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●産経新聞 平成26年4月3日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140403/chn14040312210001-n1.htm
【石平のChina Watch】
経済破滅を予感させる「3月異変」
2014.4.3 12:33

 先月26日、中国新華通信社傘下の『経済参考報』が中国の金融事情に関する記事を掲載した。金融市場で大きなシェアを占める「信託商品」が今年返済期のピークに達し、約5兆元(約82兆円)程度の貸し出しが返済期限を迎えることになるという。
 ここでいう「信託商品」とは、正規の金融機関以外の信託会社が個人から資金を預かって企業や開発プロジェクトに投資するものである。高い利回りと引き換えに元金の保証がまったくない、リスクの高い金融商品だ。中国の悪名高いシャドーバンキング(影の銀行)の中核的存在がまさにこれである。
 問題は、返済期を迎えるこの5兆元規模の信託投資がちゃんと返ってくるかどうかである。申銀万国証券研究所という国内大手研究機関が出した数字では、全国の信託投資の約52%が不動産開発業に投じられているという。実はそれこそが、信託投資自体だけでなく、中国経済全体にとっての致命傷となる問題なのである。
 というのも、まさに今年の2月あたりから、中国における不動産バブルの崩壊が本格化しているからだ。
 不動産価格の暴落は2月半ばから浙江省の中心都市の杭州で始まった。同18日、「北海公園」という新築分譲物件が当初の予定価格より3割近く値下げして売り出された。翌19日、前月から分譲中の「天鴻香謝里」と名付けられた不動産物件も突如、当初の販売価格よりも1平方メートルあたり4千元の値下げを敢行した。
 そして3月10日、大都会の南京で2つの不動産物件が25%程度の値下げとなった。同21日、江蘇省常州市のある分譲物件が販売の途中で大幅に値下げした結果、値下げ以前に購入した人々が販売センターに乱入して打ち壊しを行った。同23日には同じ江蘇省の無錫市で同じ理由による「打ち壊し事件」が起きた。
 こうした中、『21世紀経済報道』という新聞が3月12日、中国の不動産市場について「滅亡の兆しが表れている」との警告を発した。今年1月9日掲載の本欄も指摘したように、バブル崩壊という名の「狼」は今度こそやってきたようである。
 問題は、不動産バブルが崩壊した後に中国経済がどうなるのかである。現在、全国不動産投資のGDPに対する貢献度は16%にも達しているから、バブル崩壊に伴う不動産投資の激減は当然、GDPの大いなる損失、すなわち経済成長のさらなる減速につながるに違いない。
 しかも、バブル崩壊の中で多くの裕福層・中産階級が財産を失った結果、成長を支える内需はますます冷え込み、経済の凋落(ちょうらく)にいっそうの拍車をかけることとなろう。
 被害はこの程度のものに済まない。バブルが崩壊して多くの不動産開発業者が倒産に追い込まれたり、深刻な資金難に陥ったりすると、信託会社が彼らに貸し出している超大規模の信託投資が返ってこなくなる。それこそが最大の問題だ。先月、浙江省寧波市の「興潤不動産投資」という大手開発業者が35億元(約570億円)の負債を抱えて債務超過に陥って事実上破綻したが、こうしたことは今後、毎日のように起きてこよう。
 そして前述のように、信託投資の不動産業への貸し出しが融資総額の約半分に達しているから、今後広がる不動産開発企業の破産あるいは債務不履行はそのまま信託投資の破綻を意味する。それはやがて、信託投資をコアとする「影の銀行」全体の破綻を招くこととなるに違いない。
 しかし、金融規模が中国の国内総生産の4割以上にも相当する「影の銀行」が破綻でもすれば、経済全体は破滅の道をたどる以外にない。生きるか死ぬか、中国経済は今、文字通りの崖っぷちに立たされているのである。
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