ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

台湾は確かに自由民主主義国家である

2014-04-17 08:52:24 | 国際関係
 台湾では、中台協定に反発する学生らが、3月18日から立法院(国会に相当)議場を占拠していたが、4月10日夜、議場から退去した。約3週間の混乱だったが、この間、学生らによる実力行動、警察による強制排除等が行われる一方、馬英九総統、王金平立法院長(国会議長)らは学生らと対話する姿勢を示し、概ね民主的な意志表示のやりとりが繰り返された。このことは、台湾が自由民主主義国家として成熟してきていることを示していると思う。
 私が考えるのは、中国における天安門事件との違いである。1989年(平成元年)、民主化を求めて北京の天安門広場に集まった学生・青年に対し、中国共産党は戦車部隊まで繰り出して鎮圧し、虐殺した。どれだけ殺されたか不明であり、いつ明るみに出るかも分からない。これに比べ、現在の台湾は、全く対照的な国家として発展している。
 3月30日には学生らが全土に呼びかけた大規模抗議デモが、台北の総統府前で行われた。警察当局によると11万人以上、主催側発表では35万人以上が参加した。参加者は、台湾学生運動の伝統となった黒シャツ姿で臨み、反対運動の象徴・ヒマワリの花を手に「民主主義を守れ」「サービス貿易協定反対」と連呼した。台湾では、こうした集会の自由、表現の自由が保障されている。こういう国家が、全体主義の共産中国に併合されることがあってはならない。
 台湾の学生らは、王立法院長が6日に、「両岸(中台)協議を監視する法案が成立するまで協定を再審議しない」と譲歩したことで、「一定の成果が得られた」とし、議場退去を決めた。退去に当たっては、議場内で今後の中台協議に関し、「国家の安全や民主と自由は必ず守られるべきだ」「台湾は主権国家。地位の矮小(わいしょう)化は認められない」などと求める意見書を発表した。今後も、中台協定を「非民主的な手続きで決まった台湾に不利な協定」として警戒を続ける姿勢である。
 王立法院長は、11日に本会議を開き、学生らが法制化を訴えた中台間の協定を監視する新法案などを委員会に送付した。今後、議会における議論が期待される。馬総統は、学生らの案は「一つの中国」を前提としない「両国論であり、執行できない」と拒否し、協定の議会承認を実現し協定発効をめざす意欲を表明しており、激しい駆け引きが予想される。長期的に見たとき、自由民主主義のさらなる発展と台湾は一個の独立国家であるというナショナリズムの高揚以外には、中国による台湾併合を防ぐことはできない。
 以下は関連する報道記事。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成26年4月11日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140411/chn14041108490003-n1.htm
台湾学生ら議場退去 対中協定監視法の先行約束
2014.4.11 08:49

 【台北=吉村剛史】台湾が中国と調印したサービス貿易協定に反発して立法院(国会に相当)議場を占拠していた台湾の学生らが10日夜、議場から退去した。王金平立法院長(国会議長)が6日、「両岸(中台)協議を監視する法案が成立するまで協定を再審議しない」と譲歩したことで、「一定の成果が得られた」としている。
 3月18日から続いていた混乱は発生から3週間余りで収束したが、学生らは今後も、中国との協定を「非民主的な手続きで決まった台湾に不利な協定」として警戒を続けていく構えだ。
 学生らは10日夜、議場内で今後の中台協議に関し、「国家の安全や民主と自由は必ず守られるべきだ」「台湾は主権国家。地位の矮小(わいしょう)化は認められない」などと求める意見書を発表して、議場を後にした。
 ただ、馬英九総統が、中台協定監視法の制定前に協定審議を再開させるとの警戒感は強く、学生らの間には「次は総統府を包囲する」との強硬論もある。
 学生らは馬総統が主席の与党、中国国民党が協定審議を打ち切り、強行採決の構えを見せたことに反発して議場を占拠。統一を目指す中国への警戒感から、政権を強く批判してきた。
 馬総統は10日、学生らの議場占拠について「正常な民主国家では受け入れられないことだ」と述べた。9日の米シンクタンクとのテレビ会議では、協定の議会承認を実現するため「全力を尽くす」と語り、協定発効への意欲を表明した。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140407/chn14040712370001-n1.htm 【環球異見】
台湾 学生らによる立法院占拠 中台のデタントは終焉か(米紙)
2014.4.7 12:32

 中国と台湾が一層の市場開放を目指して昨年6月に調印した「サービス貿易協定」の承認を阻止するため、台湾の学生らが立法院(国会に相当)の議場占拠を続けてきた。台湾では学生らの主張や行動への賛否が相半ばしているが、警戒の対象と位置づけられた中国では無論、学生らに否定的な論調が支配的だ。米国からは、学生らの主張に一定の理解を示しつつ、この事態が中台の将来に及ぼす影を危惧する見方も提示されている。

□ウォールストリート・ジャーナル・アジア版(米国)

■中台のデタントは終焉か
 米紙ウォールストリート・ジャーナル(アジア版)は3月28日付の論評記事で、台湾の学生らによる立法院の占拠は「中台間のサービス貿易協定の問題にとどまらない」とし、今回の政治的危機は中台間の緊張緩和(デタント)がまもなく終焉(しゅうえん)するシグナルかもしれないと指摘した。
 デモの背景にある、中国への経済的依存が進むことへの懸念について、記事は「学生らと対立する馬英九総統ですら共有している」と分析。例証として、馬総統がここ数カ月にわたって米国主導の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加など中国以外の国との貿易関係を拡大する必要性を強調していることを挙げる。
では、デモ勢力と馬総統の相違点は何か。記事はこう解説する。「馬総統は、中国側の黙認があって初めて、台湾が新たな国際貿易関係を構築できると考えている。そのためには両岸(中台)のデタントが、サービス貿易協定などを通じて継続されなければならない」
 現在の政治的混乱については、台湾の各勢力に厳しい見方を示した。馬総統と与党の中国国民党は「民衆に十分な説明をしなかった」と指摘し、学生らの行為についても「不法な占拠」と批判。最大野党の民主進歩党についても「機に乗じた」とし、「すべての勢力がまずい対応をした」と断じた。
 ただ、現在の混乱は中国への警戒感や恐れという「台湾の政治的潮流」を象徴しているとも分析する。「台湾人は、中国の自国民に対する抑圧や、香港の自治権を認める約束を反故(ほご)にしたことなどを見てきた」と指摘する。
 こうした潮流は、馬総統の任期満了より早く台湾の対中政策に影響する可能性があるとし、こう警鐘を鳴らす。「その際、中国の指導者たちは両岸関係を以前のあしき日々に逆戻りさせる決断をして、いっそう危険な状態にするかもしれない」(西見由章)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

昭憲皇太后の祈り~平川祐弘氏

2014-04-15 08:50:13 | 皇室
 3回にわたり、昭憲皇太后に関する拙稿を掲載したが、最後に東京大学名誉教授で比較文化史家の平川祐弘(すけひろ)氏の玉稿を転載させていただく。「いま伝えたい昭憲皇太后の祈り」と題して、産経新聞4月4日号に掲載されたものである。私が触れたものを含めて、さまざまな御歌が紹介されており、昭憲皇太后の祈りの深さ、気高さへの感銘を新たにすることができるだろう。
 以下は、平川氏の記事。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成26年4月4日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140404/imp14040403150001-n1.htm
【正論】
いま伝えたい昭憲皇太后の祈り 比較文化史家 東京大学名誉教授・平川祐弘
2014.4.4 03:12

 昭憲皇太后が崩御されて4月11日で百年になる。明治天皇のお后(きさき)美子(はるこ)は大正3年に亡くなられた。

≪百年祭でお歌をひもとく≫
 『昭憲皇太后御集』をひもとくと、生前最後の歌会始に皇太后は伊勢神宮の杉に託して末永き世代交代を祈られた。
 《あらたまの今年を千代のはじめにていやさかゆらむ伊勢の神杉》
 明治天皇が天照大神に祈られた御製(ぎょせい)は昔は小学校の教科書に載っていた。
 《とこしへに民やすかれといのるなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ》
 式年遷宮の昨年、私たちは日本の宗教文化を改めて有り難いものに感じた。今年の三が日、内宮外宮の参拝は60万人を超えた。
 《わが國は神のすゑなり神祭る昔の手ぶり忘るなよゆめ》
 この歌は明治天皇の御子孫や国民への御訓戒と拝察する。新宮に皇祖神がうつります際に皇后は明治の御代を言祝(ことほ)がれた。
 《天の戸のひらくる御代をことさらにまもりますらむ伊勢の神垣》
 若き日の皇后は西洋の新知識に憧れた。明治22年、宮中に電燈がともる。
 《いなづまの光をかりしともしびによるもさやけき宮のうちかな》
 稲妻への言及はフランクリンが凧(たこ)を用いて稲妻と電気の同一性を証明した実験をご存じだったからだろう。聡明な美子皇后がフランクリンの十二徳をよみかえると、プロテスタントの徳目は次の教訓歌となる。
 《みがかずば玉の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし》
 明治8年女子に高等教育の門が開かれたとき、皇后は開校式に臨まれ、先の歌に手を入れ「東京女子師範学校にくだしたまふ」た。
 《みがかずば玉も鏡も何かせむまなびの道もかくこそありけれ》
 今その後身のお茶の水女子大学の校歌で、付属小学校の秋篠宮のお子様もご一緒に歌っている。歌はさらに『金剛石もみがかずば』となる。「金剛石もみがかずば 珠のひかりはそはざらむ 人もまなびてのちにこそ まことの徳はあらはるれ」

≪津々浦々で歌われた唱歌に≫
 そしてフランクリンの「時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし」(Lose notime; be always employ’d insomething useful)の教えは「時計のはりのたえまなく めぐるがごとく時のまの 日かげをしみてはげみなば いかなるわざかならざらむ」と訳されて津々浦々で歌われた。小学生の私もその唱歌を歌った。
 明治天皇、皇后が第一に心掛けられたのは何か。日露戦争の翌年、天皇は詠まれた。
 《かみかぜの伊勢の宮居を拝みての後こそきかめ朝まつりごと》
 天皇家にとって「まつりごと」とは「祭事(まつりごと)」が第一であり、天皇は国民にとってまず神道の大祭司(プリースト)である。それだから「伊勢の宮居を拝みて」の後に「まつりごと」の第二である「政事(まつりごと)」の仕事に国王(キング)として耳を傾けるのである。

≪真心を神前に手向ける≫
 では神道の倫理とは何か。それは罪の文化でも恥の文化でもない。人に知られようが知られまいが恥ずべき事をしてはお天道様やご先祖様に相済まぬ、という内面の倫理である。神道は心の清らかさを尊ぶ。皇后はこう歌われた。
 《人しれず思ふこころのよしあしも照し分くらむ天地のかみ》
 《まごころをぬさと手向(たむ)けて神がきにいのるは國のさかえなりけり》
 幣帛(へいはく)として真心を神前に手向けると皇后は述べた。その社頭に霰(あられ)が散る。
 《ささげもつ玉串の葉にたばしりてあられふるなり賀茂の瑞垣(みずがき)》
 明治19年は新嘗祭の11月23日に雪が積もった。
 《こむとしもゆたけかるらむ新なめのまつりの庭にふれる白ゆき》
 日露戦争後の明治39年、皇后は、靖国神社に詣でた。
 《みいくさのみちにつくししまこともてなほ國まもれ千萬の神》
 《神がきに涙たむけてをがむらしかへるをまちし親も妻子(つまこ)も》
 国のために殉じた人のために私たちは祈らねばならない。勝ち戦であれ負け戦であれ、兵士の霊も遺族も、陛下のご参拝によって安らぎを覚える。
 皇后は明治天皇の御代(みよ)ながかれと社頭に祈る。日本民族の命ながかれと祈るのである。
 《二見がたのぼる朝日ののどかなる御代まもりませ伊勢の神垣》
 昭憲皇太后も祈られたように、そして美智子皇后もいわれるように、皇室の大切なお勤めは民のために祈ることである。思うに宮中祭祀(さいし)はただ単に天皇家の為の儀式ではない。陛下は国民のために祈るのである。民族の永生を祈るこの伝統の儀式がとこしえに続くよう、皇室の末永い繁栄を祈らずにいられない。(ひらかわ すけひろ)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

唱歌にこめた愛と願い~昭憲皇太后3

2014-04-14 08:48:08 | 皇室
 昭憲皇太后の御歌は2万7千余首、明治天皇と琴瑟相和(きんしつあいわ)し、歌聖としても仰がれています。明治天皇は「教育勅語」を発するとともに、和歌の内に人の道を詠み、国民に人としての在り方を諭しました。昭憲皇太后もこれに和して、多くの道徳的な歌を詠んで、国民の心の向上を促したのです。

 朝ごとに むかふ鏡の くもりなく
   あらまほしきは 心なりけり
(大意:毎朝見る鏡が曇りなく、ものを映すように、曇りのない状態でありたいものが、心です)

 日に三度 身をかへりみし いにしへの
   人のこころに ならひてしがな
(大意:一日に三度、自分を反省したという古人の心を、見習いたいものです)

 人ごとの よきもあしきも 心して
   きけばわが身の 為とこそなれ
(大意:人の話は良いことも悪いことも、注意して聞かせてもらえば、なんでも自分のためになるものです)

 このような御歌で人の道を諭した昭憲皇太后は、女子教育の奨励にも力を入れました。女性教師を養成する東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の設立の際には、多額の手許金を出し、開校式にも行啓しました。そして、次の御歌を下賜しました。

 みがかずば 玉も鏡も 何かせむ
   まなびの道も かくこそありけれ
(大意:宝玉も鏡も磨かなければ、何の値も出てきません。学業の道も同じことで、自分を磨く努力が大切です)

 この歌は、同学の校歌となっています。また、戦前、唱歌として広く歌われた「金剛石・水は器」は、昭憲皇太后が自ら作詩し、華族女学校(女子学習院)に下賜したものです。

◆金剛石
 金剛石も みがかずば 珠のひかりは そはざらむ
 人もまなびて のちにこそ まことの徳は あらはるれ
 時計のはりの たえまなく めぐるがごとく 時のまの 
 日かげをしみて 励みなば いかなるわざか ならざらむ
(大意:ダイヤモンドも磨かなければ、宝石としての光は出てきません。人もまた、学問をしてこそ、真の徳が表れてくるのです。時計の針が絶え間なく回るように、時を惜しんで励むならば、どんなことでも成し遂げられないことがあるでしょうか)

◆水は器
 水はうつはに したがひて そのさまざまに なりぬなり
 人はまじはる 友により よきにあしきに うつるなり 
 おのれにまさる よき友を えらびもとめて もろともに
 こころの駒に むちうちて まなびの道に すすめかし
(大意:水は器の形に従って、さまざまな形に変わります。それと同様に、人は交際する友人によって、良いようにも悪いようにも影響を受けるものです。ですから、自分より優れた、良い友を選び求めて、その友と一緒に、自分の心にむち打って、学びの道に進んでいきましょう)

 昭憲皇太后の御歌や唱歌には、人を信じ、愛し、助け合うという心があふれています。こうした精神は「昭憲皇太后基金」として実践され、現在も世界の多くの国々の人々に、博愛の手が差し延べられているのです。(了)

関連掲示
・拙稿「世界の福祉に貢献~昭憲皇太后1」
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/88e1af3a934cb3451fe72444b355171a

人権91~マグナカルタの伝統

2014-04-13 08:27:42 | 人権
●マグナ・カルタの伝統と絶対王政

 1215年、イングランドの貴族や僧侶及び一部の市民は、封建契約や古来の自由を破ったジョン王に要求をつきつけ、これを受け入れさせた。そのときの確認文書がマグナ・カルタである。支配階級がフランス語を話す時代に書かれたラテン語の文書である。この時、貴族等は、国王は彼らの封建的な既得権を侵害してはならぬと、全63カ条の要求を勝ち取った。
 マグナ・カルタは、慣習的に確立してきた既得権を守ることを明記したものだった。権利保障の要点は、封臣に対する不可侵の領域の保障、封臣の権利・利益を侵害する場合の一定の適正な手続きの保障、「代表なければ課税なし」の原則の承認、法による王権の規制である。
 マグナ・カルタにおいて、権利は「古来の自由と権利」と呼ばれた。この権利は、歴史の中で形成された「臣民の権利」であり、封建的な身分・階級と結びついた「特権」(privilege)であって、いわゆる人権(human rights)とは異なる。しかし、マグナ・カルタの中の諸要素は、近代になって人権を擁護したものと拡大解釈されるようになった。
 13世紀のヨ-ロッパでは、法の支配という考え方が一般的だった。国王といえども神の法や国の法に従わねばならないという考え方である。教会が権威を持ち、教皇権が皇帝権より上位にあった。イギリスでは、法の優位の考え方は、国王は各裁判所の判令の蓄積である普通法(common law)に基づいて統治すべきという思想に発展した。国王が従うべき法の中で、慣習法の存在が大きくなっていった。また法以外に国王の悪政を防ぐものとして機能したのが、議会だった。
 中世の西欧各地では、身分制議会が行われていた。議会は、主に聖職者と貴族で構成された。身分的な集団間の意思の合成の場だった。主たる議題は、皇帝や王侯、諸侯の提案する課税が是か非かであった。多くの場合、課税は一方的でなく、議会の承認を要した。議会の参加者は、課税承認権を持っていたということができる。イングランドでは、マグナ・カルタから50年後の1265年に、身分制議会が制定された。議会の起源は、封建領土の国王の家臣の会議だった。議会の主な機能は、国王の課税に関する合議だった。14~15世紀には、議会、特に庶民院(下院)の地位が次第に拡大強化された。そして、普通法による王権の抑制から、議会が制定する制定法(statute law)による王権の抑制という考え方に変化し、議会が国王の専制的な権力を抑制する砦と考えられるようになった。
 国王に権力が集中し、王権が絶対的となると、議会参加者には一人の王の臣下としての共通意識が生まれた。議会は、共通の中心を持つ集団が形成される場所となった。国王を中心とする臣民の集団という意識が発達した。このエスニックな集団意識がやがてネイションの意識へと発達していった。また、この封建的な身分制議会が市民革命を経て、近代的な国民の議会に変化していくのである。
 この過程で、自由の確保・拡大を求めるリベラリズムと、民衆の政治参加を求めるデモクラシーが結合し、またそれによるリベラル・デモクラシーと、ネイションの形成・発展を目指すナショナリズムが、相互作用的に発達していった。
 イングランドは、1339年から1453年にかけて、フランスの間で百年戦争と呼ばれる戦争を戦った。フランス国内のイングランド領の帰属とフランドルの羊毛工業地帯を巡る戦いだった。領域内に外国の領主も混在する封建国家フランスに対し、イングランド軍が領域深く攻め入った。これに対し、ジャンヌ・ダルクが登場し、フランスでエスニックな集団としての意識が高揚した。イングランド軍に捕えられたジャンヌは、イギリス主導の宗教裁判にかけられ、火刑に処された。戦争の終局面では、ヘンリー5世がイングランド軍を率いて勝利に導いた。ヘンリー5世は、公文書に英語(イングリッシュ)を使用することを奨励し、ノルマン・コンクェスト以来、王として初めて個人書簡に英語を使用した。こうした対外戦争と精神的または英雄的な指導者がエスニックな集団意識を形成していった。その一方、百年戦争を通じて、英仏とも封建貴族の勢力が衰退し、国王による中央集権化が進んだ。
 百年戦争の終結後間もなく、イギリスでは、1455年封建貴族のランカスター家とヨーク家の争いが始まった。前者が赤ばら、後者が白ばらを紋章としたので、ばら戦争と呼ばれる。85年前者が勝ってヘンリー7世がチューダー朝を開き、ヨーク家のエリザベスと結婚して両家の和解を図った。この戦いで貴族が共倒れになり、絶対王政への道が開けた。
 ヘンリー8世は、イギリスにおける絶対主義国家の確立に寄与した。とはいえ、愛人との結婚問題で、離婚を認めないカトリック教会の教皇と対立し、国教会を作ったのがきっかけである。1534年国王至上法を発して自ら英国国教会の首長となり、ローマ教会を離脱した。国教会の成立はルターが1517年に宗教改革を開始したわずか17年後だった。当時、大陸からプロテスタンティズムがイギリスに伝播し、特にカルヴァン派が広がった。彼らをピューリタンと呼ぶ。
 ヘンリー8世の娘エリザベス1世は国教会を確立し、カトリックとピューリタンの両方を弾圧した。彼女の死後、1603年にジェームズ1世が即位し、スチュアート朝を開いた。ジェームズ1世は王権神授説を唱えて、絶対王政を強化した。また新旧両教徒を弾圧した。彼の治世下の1620年に、信教の自由を求めるピューリタンを載せたメイフラワー号が北米にわたった。ヨーロッパ大陸では、ドイツ30年戦争が行われていた。ジェームズ1世は自ら王権神授説を主張し、重課税等で議会と対立した。その子チャールズ1世も増税政策を取り、議会が反対するとこれを解散し、専制政治を行った。これに反発した議会は、1628年に権利請願を提出した。国債の強制、勝手な課税、不法な逮捕・投獄等を、国民の歴史的権利に反するものとし、これらに反対する請願を国王に出したのである。歴史的権利は、人権の観念が想定する普遍的・生得的権利とは違う。歴史的に承認され、確立してきた権利である。権利請願は、人権の観念の発達に関係する出来事である。
 先に書いたようにイギリスでは、1215年にマグナ・カルタが発布された。国王の専制に貴族や新興階級が抵抗し、権力の行使を制御する約束を取り付けた文書だった。その発布の約400年後に出された権利請願は、マグナ・カルタ以来の伝統に基づいて、議会が国王に出した請願書だった。権利請願に対し、チャールズ1世は議会を解散して対応した。その圧政への反抗から、ピューリタン革命が起こることになる。

 次回に続く。

和歌に表わす人の道~昭憲皇太后2

2014-04-11 08:54:17 | 皇室
 昭憲皇太后は、明治天皇とともに、わが国民の道徳の向上に、大きな感化を与えました。明治天皇には、自己修養に努めていることが伺われる御製が多数あります。昭憲皇太后にもまた、高い精神性が表れた御歌が多く残されています。
 ある時、昭憲皇太后は、侍講(教育係)の元田永孚(ながざね)から、ベンジャミン・フランクリンについてのご進講を受けました。フランクリンは、アメリカの立志伝中の人物です。彼は十二の徳目を壁に掲げて自分を戒め、常に自分を磨き、品性を高めるよう努力しました。そして、この道義的精神を基にして、アメリカ独立宣言の起草にかかわりました。近代のデモクラシーと資本主義の精神を象徴する人物としても知られています。
 そのフランクリンの十二徳とは、「節制・清潔・勤労・沈黙・確志・誠実・温和・謙遜・順序・節約・寧静・公義」です。皇太后は、フランクリンの志に感動し、十二徳を和歌に詠みました。それは、次のような御歌です。

一、節制
 花の春 もみぢの秋の さかづきも
    ほどほどにこそ くままほしけれ
(大意:春の花見、秋のもみじ狩りの時などは、お酒を酌む量をほどほどにしたいものです)

二、清潔
 しろたへの 衣のちりは はらへども
   うきは心の くもりなりけり
(大意:白い衣についたチリは掃えば落ちますが、思うように祓えないのは、心の曇りです)

三、勤労
 みがかずば 玉の光は いでざらむ
   人のこころも かくこそあるらし
(大意:磨かなければ宝玉も光を発しませんが、人の心も全く同じであるようです)

四、沈黙
 すぎたるは 及ばざりけり かりそめの
   言葉もあだに ちらさざらなむ
(大意:過ぎたるは及ばざるが如しというように、ちょっとした言葉使いにも注意し、言い過ぎることのないようにしましょう)

五、確志
 人ごころ かからましかば 白玉の
   またまは火にも やかれざりけり
(大意:白い宝玉は火によっても、焼けることがありません。人も、それくらいに確固とした志を持ちたいものです)

六、誠実
 とりどりに つくるかざしの 花もあれど
   にほふこころの うるはしきかな
(大意:色とりどりにつくった造花も美しいですが、誠実な心を持つ人は匂い立つようにうるわしいものです)

七、温和
 みだるべき をりをばおきて 花桜
   まづゑむほどを ならひてしがな
(大意:散り乱れる前の桜は、微笑をたたえたように穏やかです。人もそれにならって、どのような時でも微笑をたやさない温和な心を持ちたいものです)

八、謙遜
 高山の かげをうつして ゆく水の
   低きにつくを 心ともがな
(大意:高い山の姿を面に映す川の水は、低い方へと流れていきます。人もまた高い目標を胸に抱きながらも、どこまでも謙虚であるとよいなあと思います)

九、順序
 おくふかき 道をきはめむ ものごとの
   本末をだに たがへざりせば
(大意:物事の本末を間違わなければ、奥深い道理を窮めることができるでしょう)

十、節約
 呉竹の ほどよきふしを たがへずば
   末葉の露も みだれざらまし
(大意:節約を心がけほどほどの生活をしていると、子孫にいたるまで堅実な生き方をするでしょう)

十一、寧静
 いかさまに 身はくだくとも むらぎもの
   心はゆたに あるべかりけり
(大意:どれほど懸命に力を尽くしている大変な時でも、心の中はゆったりと静かでありたいものです)

十二、公義
 国民を すくはむ道も 近きより
   おしおよばさむ 遠きさかひに
(大意:国民を救う公義の道も、まず自分を修め、家をととのえて、近くから始め、遠くへと及ぼして参りましょう)

 以上がフランクリンの十二徳と、それを和歌で詠んだものです。
 昭憲皇太后の御歌には、欧米の道徳からも広く学んで、伝統的道徳を発展させようという姿勢が表われています。その御歌は、明治の日本人が、古くてしかも新しい精神をもって近代化を進めたことを示す、一つの徴(しるし)といえましょう。

 次回に続く。

世界の福祉に貢献~昭憲皇太后1

2014-04-10 06:32:08 | 皇室
 明治天皇の美子(はるこ)妃殿下は、昭憲皇太后と呼ばれています。
 昭憲皇太后が大正3年に崩御されて4月11日で百年になります。
 10年ほど前に書いたものですが、昭憲皇太后に関する拙稿を再掲し、その御遺徳をおたたえ申し上げたいと思います。

 昭憲皇太后は、幼少の頃より聡明で心優しい女性でした。明治天皇の妃となるや、天皇とともに、わが国の要として近代国家建設に尽くしました。なにより「昭憲皇太后基金」(The Empress Shoken Fund)を通じ、多くの人々の福祉に貢献したことによって、世界的に知られています。
 明治45年(1912)4月20日、ワシントンで、第9回赤十字国際会議が開かれました。この時、昭憲皇太后は、万国赤十字連合に対して、「平時救護事業奨励基金」として10万円を寄贈しました。現在の貨幣価値で約3億5千万~4億円にあたります。これが、昭憲皇太后基金の始まりです。
 皇太后は寄贈にあたり、次のような言葉をそえました。「赤十字事業の根本が仁愛であって、仁愛の精神は戦時、傷病兵士に対するだけでなく、平時の不幸な被災者をも救済しなければならぬことだと考えます。また、仁愛的事業には国境はありません。平時の救護事業において各国赤十字社が助け合う時は必ず、世界の国民がみな互いに仲良くするようになるでしょう。その心が赤十字の本来の目的を達成することを確信します」。
 「仁愛」は、古代よりわが皇室に伝わる精神です。当時の世界では、バルカン半島に戦雲がうずまき、第1次大戦のきざしが現れていました。こうした情勢のため、平時事業の推進は、赤十字の国際会議の議題にのせることすら難しい状態でした。しかし、昭憲皇太后は、わが国の仁愛の精神をもって、人類の幸せと平和を図ることこそが赤十字社の本命という信念で、基金を寄贈したのです。それはまだ貧しい東洋の一国から、世界に向けて差し出した愛の手でした。
 昭憲皇太后基金は、赤十字国際委員会と赤十字社連盟から指名された人々が共同管理する形で、創設されました。基金の収益は、大正10年(1921)から、世界の発展途上国の平和目的に限って活用されることになりました。これは、今日の開発協力を先取りするもので、極めて画期的なことでした。それ以来、今日まで、世界の多くの国に援助が続けられています。
 国際的な救護事業を始めた昭憲皇太后は、国内でライ病(ハンセン病)に苦しむ人々にも、仁愛の心を注いだ方でした。ライ病は当時、不治の業病とされていました。伝染し進行すると、体中が朽ち、目も見えず息もできないようになる、これ以上恐ろしい病気はないと考えられ、家族からさえ縁切りされた病気でした。そのライ病に苦しむ人々に、援助の手を差し伸べたのが、昭憲皇太后だったのです。
 昭憲皇太后は、明治天皇の後を追うように、大正3年に亡くなりましたが、その遺志は、皇室に継承されました。皇太后の精神を受け継いだ貞明皇后(大正天皇妃)は、ライ病患者への支援を続けました。当時、ライ病の歌人・明石海人は、次の歌を詠みました。

 みめぐみは 言はまくかしこ 日の本の
    癩者(らいしゃ)に生れて われ悔ゆるなし

 国際的な平時救護の事業も、皇室に受け継がれました。昭和9年(1934)、東京で開かれた第15回赤十字国際会議に際し、大正天皇妃・貞明皇后、昭和天皇妃・香淳皇后が、昭憲皇太后の遺志をついで、基金に10万円を加えました。基金の利益収入は、昭和19年だけを除いて、大戦中も続行されました。このことは、わが国の「八紘一宇」(はっこういちう)の精神が、海外諸国への福祉という形で、戦時にも保持されていたことの証です。(註1)
 赤十字社社則に天災時救護をはっきり打ち出し、平時活動の先例を世界に示したのも、昭憲皇太后でした。チリの大地震の時、昭憲皇太后基金による生命維持装置は、多くのけが人の生命を救うのに役立ちました。アフリカ諸国やアジアの国々では、車体に “The Empress Shoken Fund”と書かれたミニバスや救急車、血液運搬車が活躍しています。基金によって、大勢の人々が救われ、感謝されています。
 基金の毎年の利子の配分は、合同管理委員会が各国赤十字社からの申請を審査し、昭憲皇太后の命日である4月11日に配分先を発表しています。収益配分は、平成14年で81回を数え、通算 9,497,010 スイスフラン(約7億5千万~8億円)となります。そして、延べ541カ国の国々の福祉に貢献しています。
 昭憲皇太后基金が今なお、世界中を愛で潤し続けているのは、わが皇室が折にふれて基金を増額しているからです。世界の平和と人類すべての幸せを願う、日本の皇室の心が、目に見える形で示されているのが、昭憲皇太后基金なのです。昭憲皇太后基金は日本人として最高の誇りにできることであり、その精神を国民みなが分かちもちたいと思うのです。

 次回に続く。


(1)「八紘一宇」は、「世界は一家、人類みな兄弟」という意味であり、英語ではuniversal brotherhood と訳されます。日本人の「道徳上の目標」を表す言葉であって侵略主義とは無縁のものであることは、東京裁判においてすら認められています。

中国は歴史問題で反日姿勢を一段と強化している

2014-04-08 10:42:23 | 国際関係
 中国は、習近平国家主席のもと、今年に入って反日姿勢を一段と強化している。特にねつ造と誇張に満ちた歴史カードを使って、徹底的に日本を攻撃してきていることをしっかり理解し、有効な対抗策を打つ必要がある。

 まず、本年1月に中国のハルビン駅に安重根記念館が開設されたことである。安重根の顕彰物は単なる石像ではなく記念館に格上げされた。このことは、中国政府が韓国との連携を深めていることを示す。
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/074b55afaf79d1196e75cf5e2682c48e
 この件につき、習近平主席は、3月23日オランダのハーグで韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領と会談した際、「私が記念館建設を指示した。両国国民の(安重根への)思いを強め、(中韓の)重要な結び付きとなる」と切り出し、朴氏が「両国国民から尊敬される安重根義士をしのぶ記念館は、友好協力の象徴になる」と応じたと伝えられる。
 この会談は、25日に安倍首相・オバマ大統領・パク大統領によって行われた日米韓首脳会談の前に中国の主導で開催されたもの。中国は日本に対し、韓国と歴史問題で共闘することを強化し、日米韓の連携を崩そうとする狙ったものだろう。
 日米韓首脳会談は、米国政府の要請で、慰安婦問題を焦点とする歴史問題について、日韓双方が触れないという条件で開催された。だが、わが国が歴史問題について反論を控えるならば、歴史問題を利用した中韓の反日攻勢は、強まる一方となる。譲歩・妥協は敗退であり、名誉と国益を損なうことを、わが国政府はよく認識すべきである。

 次に、2月27日、全国人民代表大会常務委員会は、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」、12月13日を南京事件の「国家哀悼日」にそれぞれ定める議案を採択した。9月3日は日本の降伏文書調印式があった昭和20年9月2日の翌日を抗日戦争勝利の日とするものであり、12月13日は昭和12年のその日、旧日本軍が南京を占領した際の犠牲者の追悼日にするというものである。
 中国は、こうした反日的な意味づけのされた日を、法律で国家記念日と定めたわけである。今後、これらの日に、中国政府は記念行事・追悼行事を大々的に行うだろう。また、江沢民時代のように、愛国主義教育という名の反日教育が再び強化されるだろう。

 次に、大きな問題は、中国人元労働者らが、大東亜戦争期に「強制連行」されたとして日本企業2社に損害賠償などを求めた訴えを、3月18日北京市の裁判所が受理したことである。賠償問題は、昭和47年(1972)の日中共同声明で決着済みである。これまでは中国の裁判所へ提訴はされても受理されなかった。だが、今回初めて訴状が受理されたことは、事実上中国政府が賠償請求を容認したことを意味する。
 中国の司法は、共産党の指導下にあり、司法の独立は存在しない。それゆえ、原告の勝訴となる可能性が高い。日本企業相手の訴訟が広がるだろう。被告の企業は、目先の利害のために、、和解に応じてはならない。関係企業は団結して対応すべきである。また日本政府は国際法を踏まえ、毅然として日本企業を支援しなければならない。
 
 もう一点、習近主席は3月29日、ドイツ・ベルリンでの講演で、「日本の侵略戦争の死傷者は3500万人」「南京大虐殺の死者は30万人以上」と誇大な数字を挙げ、執拗な日本批判を行った。これらは、愛国主義的な反日教育を開始した江沢民元主席が、日本を批判する際に繰り返し使った数字である。国際協調を重んじていた胡錦濤政権の約10年間は、中国の要人はこれらの数字を言及することは少なかった。だが、習政権は、江沢民時代の姿勢に完全に戻っている。習主席がドイツ訪問の際に、こうした対日批判発言をしたのは、第二次世界大戦の敗戦国のうち、「ドイツは罪を認め深く反省しているのに、日本には誠意がない」という印象を国際社会に浸透させようとするものだろう。わが国政府は、明確にこれらの数字を否定しなければならない。特に南京事件に対する反論がポイントである。

 中国外務省筋から伝えられるところでは、習政権は日清戦争の開戦120周年に当たる今年を「日本の軍国主義勢力と闘争する1年」と位置付けているという。上記の安重根記念館の開設、反日的な国家記念日の制定、対日賠償訴訟の事実上の公認、首脳外交における日本批判――これらは歴史カードを使って国際社会で日本を貶め、対日政治戦略を強力に進めようとする計画的かつ総合的な動きと見ることができる。
 こうしたなかで、私が中国の反日政治戦略の要として浮上してきたと見ているのが、慰安婦問題である。中国は韓国との反日共闘を進めているが、韓国はパク・クネ大統領のもと慰安婦問題に力を入れている。中国がこれに加担する。
 今月に入り、南京市が旧日本軍の慰安所とされる廃屋の保存を決定し、地元の研究家らが隣接地に「慰安婦記念館」の建設を計画していることがわかった。完成後は中国共産党指定の「愛国主義教育基地」として「南京大虐殺記念館」の傘下に置くことを目指しているという。南京市がこの時期に慰安所保存を決定したのは、昨年6月に習主席とパク大統領が北京での首脳会談で、歴史問題を重視することで合意したことを受けたものである。
 わが国政府は、国連で慰安婦問題に関して性奴隷説を否定する報告書を準備していながら、撤回した。安倍政権は、河野談話について、首相が「安倍政権では見直しはしない」と明言し、後日、政府として「見直しをせず、新談話も出さない」と表明した。この姿勢では、慰安婦問題でも共闘姿勢を示す中韓の反日連携に有効に対抗できない。安倍首相は方針を改めるべきである。
 わが国政府は中国の反日謀略宣伝の動きを総合的にとらえ、断固として押し返す決意をし、具体的に行動しなければならない。いま有効な対策を立てて、決然と実行しなければ、わが国の名誉と国益はますます損なわれ、日本は永遠にぬぐえない汚名を着せられて、中国の属国にされていくことになる。日本のシナ化は、日本国の滅亡であり、日本人の顔をした奴隷集団への堕落である。
 以下は関連する報道記事。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140324/kor14032411420001-n1.htm
安重根記念館、習主席「私が建設指示した」朴大統領に 中国主導で日韓にくさび 
2014.3.24 11:41

 【ハーグ=内藤泰朗】核安全保障サミットに出席するためオランダ・ハーグ入りした韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は23日夜(日本時間24日未明)、中国の習近平国家主席と会談し、初代韓国統監を務めた伊藤博文を暗殺した安重根の記念館が1月に中国のハルビン駅に開設されたことを評価した。韓国大統領府が明らかにした。
 朴氏は25日に日米韓首脳会談に臨み、オバマ米大統領を交えて安倍晋三首相と初めて会談する予定。これを前に歴史問題で中韓首脳が「対日共闘」を確認した形だ。会談は中国が開催を主導したと伝えられ、日米韓の連携強化にくさびを打ち込む思惑もうかがえる。
 習氏は会談で「私が記念館建設を指示した。両国国民の(安重根への)思いを強め、(中韓の)重要な結び付きとなる」と切り出し、朴氏が「両国国民から尊敬される安重根義士をしのぶ記念館は、友好協力の象徴になる」と応じた。
 さらに習氏は、日本統治に抵抗した朝鮮人部隊「光復軍」を記念する石碑が近く、部隊の拠点があった中国・西安に完成すると説明した。朴氏は「意義深く思う」と述べたという。
 会談で両首脳は、北朝鮮の非核化を目指す方針も再確認した。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140226/chn14022601240000-n1.htm
「南京事件」追悼日を法で確定へ 中国全人代が審議
2014.2.26 01:21

 中国国営新華社通信によると、全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は25日、抗日戦争勝利の記念日と、旧日本軍によるとされる南京事件の犠牲者追悼日を法律で確定する決定草案を審議した。近く正式に可決する見通し。
 安倍晋三首相の靖国神社参拝などを念頭に、歴史認識で対立する日本を牽制(けんせい)する狙い。全人代当局者は「立法の形で(記念日を)確定し、中国人民の意思を集中的に反映させ、歴史を忘れないようにすることが必要だ」と主張している。
 草案では、日本の降伏文書調印式があった(1945年)9月2日の翌日の同月3日を抗日戦争勝利記念日とし、旧日本軍による南京占領があった(37年)12月13日を南京事件の犠牲者の追悼日にするとしている。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140227/chn14022720110006-n1.htm
中国、「対日戦勝」「南京事件」記念日を正式採択
2014.2.27 20:08 [中国]

 【北京=矢板明夫】中国国営新華社通信によると、全国人民代表大会(全人代=国会に相当)常務委員会は27日、9月3日を「抗日戦争勝利記念日」、12月13日を南京事件の「国家哀悼日」にそれぞれ定める議案を採択した。特定の外国がかかわる歴史を、法律で国家記念日と定めるのは中国では異例だ。
 9月3日を「抗日戦争記念日」としたのは、日本政府が降伏文書に調印した1945年9月2日の翌日で、当時の国民党政権が各地で祝賀行事を挙行したため。共産党政権も、51年に同日を対日戦勝記念日と定めており、今回もこれを踏まえた形だ。
 また、「国家哀悼日」に定められた12月13日は、37年に旧日本軍が南京を占領した日で、中国側では「約40日にわたる大虐殺が始まった日で、30万人以上の中国人が殺された」と主張している。
 半世紀以上も前の出来事が起きた日を今となって記念日にしたのは、2012年に発足した習近平政権が主導する対日強硬路線の一環とみられる。日本に対し再び歴史カードを使いはじめたことから、「江沢民時代のように、小中学校で愛国主義教育という名の反日教育が再び強化されるのではないか」とみる日中関係者もいる。
 今後、2つの記念日にあわせて、中国は記念、追悼行事を行うとみられる。反日感情を増幅しかねない記念日だけに、中国での日本企業の経済活動や在留邦人への影響が懸念される。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140329/chn14032908260000-n1.htm
強制連行提訴広がる 中国 河北省でも遺族ら44人
2014.3.29 08:25

 【北京=矢板明夫】第二次大戦中に日本に「強制連行」され、過酷な労働を強いられたとして、河北省出身の中国人の元労働者とその遺族計44人が28日、日本企業、三菱マテリアルに損害賠償などを求める訴状を同省滄州市と衡水市の人民法院(地裁)にそれぞれ提出した。訴訟を支援する活動家によると、滄州市の裁判所に提訴した原告団は25人、衡水市の原告団は19人で構成される。
 被害者1人当たり120万元(約1970万円)の損害賠償と中国主要紙への謝罪広告掲載を求めている。同省唐山市の裁判所は26日、19人で構成される原告団から同内容の訴状を受け取っている。
 強制連行をめぐっては、北京市の裁判所が今月18日、日本企業を相手取った訴状を初めて受理した。中国国内で強制連行された元労働者は4万人いるとされ、対象企業の35社のうち、20社以上が現在も存続しているという。今後も各地で提訴の動きが広がりそうだ。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140329/chn14032922280003-n1.htm
江沢民流「反日路線」の復活 中国・習主席 第三国で一方的主張展開
2014.3.29 22:26

 【北京=矢板明夫】中国の習近平国家主席はドイツ・ベルリンでの講演で執拗(しつよう)な日本批判を展開した。今年初め、世界各国に駐在する外交官を総動員して安倍晋三首相の靖国参拝を批判したのと同様に、第三国を巻き込んで日本の孤立を図る狙いとみられる。外交の最優先課題を「日本叩(たた)き」とする習氏の姿は、かつての江沢民元国家主席を思い起こさせる。
 習主席が講演で言及した「日本の侵略戦争の死傷者3500万人」と「南京大虐殺の死者30万人以上」は、いずれも江氏が日本を批判する際によく取り上げた数字だった。裏付ける根拠は乏しく、一方的な主張に過ぎない。中国の改革派の歴史学者の間でも信用されていない数字で、国際社会との協調を重視した胡錦濤政権(2002-12)の間、中国の要人はこれらの数字を口にすることは少なかった。
 習氏の訪独の目的は中独親善にあったはずなのに、関係のない日本批判を展開した背景には、同じ第二次世界大戦の敗戦国でありながら、「ドイツは罪を認め深く反省しているのに、日本には誠意がない」と安倍首相の歴史認識を批判する狙いがあるとみられる。
 しかし、日本との関係も重視するドイツには、日中の対立に巻き込まれたくないとの思いがある。ロイター通信などによると、習氏はベルリンのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念碑を訪問して記者会見を開きたいと希望したが、ドイツ側に拒否されたという。
 中国外務省関係者によれば、習政権は日清戦争の開戦120周年に当たる今年を「日本の軍国主義勢力と闘争する1年」と位置付けている。1月にはハルビン駅前に反日活動家、安重根の記念館をオープンさせ、2月末には12月13日を南京事件の「国家哀悼日」に定める法律を採択。さらに、民間の反日活動家らも動員して戦時中、日本で使役された元中国人労働者に日本企業を訴えさせたのも、その延長線上にあるという。
 ドイツでの講演はその一環といえ、反日キャンペーンは今後も続きそうだ。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140404/chn14040407180000-n1.htm
南京市が旧日本軍の「慰安所」保存 記念館計画で中国、韓国と共闘
2014.4.4 07:14

 今月に入り、南京市が旧日本軍の慰安所とされる廃屋の保存を決定し、地元の研究家らが隣接地に「慰安婦記念館」の建設を計画していることがわかった。完成後は中国共産党指定の「愛国主義教育基地」として「南京大虐殺記念館」の傘下に置くことを目指しているという。中国はこれまで慰安婦問題を対日外交カードとして積極的には使ってこなかったが方針転換し韓国と足並みをあわせる姿勢を明確にしたものとみられる。南京市がこのタイミングで決定したのは、韓国の朴槿恵(パククネ)大統領が昨年6月に訪中した際、習近平国家主席との首脳会談で、歴史問題を重視することで合意したからだという。
 経氏によると、「慰安所」は敷地面積4800平方メートル上に7棟の木造家屋が現存。1937年末の旧日本軍の南京入り後、順次建設されたようだ。駐車場になっているエリアも含めれば、当時の敷地面積は8千平方メートルに上ることから、経氏は「アジアで最大の慰安所」と主張する。最大で100人前後の女性が居住していたとしている。
 経氏らは現存する建物を保存し、隣接地に「慰安婦記念館」をつくり、慰安婦にまつわるさまざまな陳列物を展示する計画をたてている。
 南京市は産経新聞の取材に「保存するという方針は決まったが、管理主体が市、江蘇省、国家のどれになるかの議論はこれからだ」と説明した。
 中国政府が昨年末、慰安婦問題に関する研究費として、「慰安婦問題研究センター」を持つ上海師範大に2016年末まで80万元(約1320万円)の拠出を決めたことも判明した。慰安婦問題の研究に中国政府が予算をつけるのは初めてという。予算は同センター関係者らが吉林省長春市にある関東軍司令部旧跡から発見したという資料10万点の調査・研究にも使われる見通し。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「北の人権」に中韓は責任果たせ~西岡力氏

2014-04-07 08:57:24 | 国際関係
 本年2月に公表された北朝鮮の人権侵害を非難する国連北朝鮮人権調査委員会の報告書について、朝鮮問題専門家の西岡力氏は「拉致被害者の一日も早い救出に報告書を最大限生かさなければならない」と産経新聞2月20日の記事で訴えた。
 西岡氏は、報告書の拉致に関する内容について、「私たちが韓国、タイ、ルーマニア、レバノン、米国などの被害家族や関係者とともに全世界に訴えてきた内容とほぼ同一である」と高く評価している。
 特に報告書が「国際社会が北朝鮮住民を人道に対する罪から保護する責任がある」と主張していることに、西岡氏は注目している。
 「保護する責任」は国際法上の新しい概念であり、「人道的介入」を推し進めた概念である。「人道的介入」とは、「人道に対する罪」に当たるような人権侵害については、内政不干渉の原則を破ってでも軍事介入できる、という考えである。1990年代に旧ユーゴスラビア紛争で「民族浄化」が行われた際、北大西洋条約機構(NATO)は、「人道的介入」として軍事行動を行った。
 その後、国連の国内避難民担当事務総長代表であるフランシス・デンは、国家主権に関して、「責任ある主権」という概念を提唱した。デンは、国家主権には二つの責任があるとする。一つは、対外的に他国の主権を尊重する責任であり、もう一つは、対内的に国内にいるすべての人の尊厳と基本的権利を尊重する責任である。デンによると、政府は、国内にいる人々を保護する第1次的な責任を負うが、ある国の政府がその責任を果たす意思がないか能力がない場合、または政府自身が犯罪や残虐行為の行為者であった場合には、国際社会が有する第2次的責任が行使されることになると説く。すなわち、国際社会が、その国民を「保護する責任」を果たさねばならないと主張するのである。
 2005年9月の「世界サミット合意文書」は、「各国家は、ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化、人道に対する罪から人々を守る責任がある」として、「保護する責任」という概念を取り入れた。国連安全保障理事会は、2006年4月と2009年11月の決議で「保護する責任」を確認している。
「保護する責任」の概念は、「人間の安全保障」という観点からも注目されるものである。安全保障は、第一義的に「国家の安全保障」を意味し、主に軍事的なものである。これに比 し、「人間の安全保障」は、個々の人間の生活に重点を置き、人間がより安全に暮らせるようにするうえで、社会及び社会的取り決めの果たす役割を重視し、全般的な自由の拡大よりも、人間の生活が「不利益をこうむるリスク」に焦点を絞り、人権全般ではなく「不利益」に特に関心を向けるものである。国連開発計画による1994年版の「人間開発報告書」で、アマルティア・センが打ち出した概念で、今では国連における基本的な考え方になっている。 「保護する責任」は「人間の安全保障」の強化に関して、各国政府の主体性を求め、道義的な責任を確立するものである。ただし、独立主権国家の主権と他国の主権、また国家の主権と人民の人権との関係があり、特に軍事力の行使については、国際社会のしっかりした合意が必要となる。
 西岡氏は、国連北朝鮮人権調査委員会の報告書が、北朝鮮住民を人道に対する罪から「保護する責任」があるとしていることを重視する。報告書は安保理常任理事国として「保護する責任」を担うべき中国の非協力的な姿勢を批判しているが、西岡氏は、中国以上に「保護する責任」を負うべきなのは韓国だと主張する。西岡氏は「韓国は憲法で北朝鮮を含む半島全域を領土とし全住民を国民と定めている。北朝鮮が住民に重大な人権侵害をしていることは取りも直さず、国民に対する重大な人権侵害なのだ」と述べている。この点は、重要な指摘である。朴槿恵(パク・クネ)大統領は、反日的な言動に過熱する一方、自己民族の惨状に対して真剣に取り組もうとしていない。だが、韓国にとっての最大の課題は、南北に分断された北朝鮮でごく基本的な人権さえも侵害されている同胞を救出することでなければならない。中国との協力を強化するのも、反日包囲網を築くためではなく、北朝鮮人民の解放をめざして中国の協力を得るものでなければならない。
 西岡氏はこの記事で「拉致被害者の一日も早い救出に報告書を最大限生かさなければならない」と訴えたが、3月28日の採択された国連人権理事会の対北非難決議は、まずその報告書による成果である。中国は調査委に一貫して批判的だったし、決議に反対した。安保理ではこの問題に対して拒否権を行使する可能性もある。わが国は、中韓に「保護する責任」の履行を求めるために、国連北朝鮮人権調査委員会の報告書及び国連人権理事会の決議を最大限に生かしたいものである。
 以下は、西岡氏の記事。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●産経新聞 平成26年2月20日

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140220/kor14022003360000-n1.htm
【正論】
中韓は「北の人権」へ責任果たせ 東京基督教大学教授・西岡力
2014.2.20 03:35

 北朝鮮の人権に関する国連人権理事会の調査委員会が、最終報告書を発表した。調査委は昨年3月に理事会決議で設置され、日本、韓国、英国、米国で公聴会を開いて各国の拉致被害者の家族や脱北者など240人にインタビューするなど精力的に活動してきた。

《全世界の拉致被害者を認定》
 報告書は日本人をはじめとする外国人の拉致はもちろん、▽食糧権の侵害▽政治犯収容所▽拷問と非人間的な待遇▽恣意(しい)的な拘禁処罰▽思想と表現の自由の侵害▽生命権の侵害▽移動の自由の侵害▽組織的な基本的人権の否定と侵害-といった9つの調査分野すべてで、北朝鮮政権が組織的で凄惨(せいさん)な「人道に対する罪」を犯していると断定し、「これほどの人権侵害がまかり通っている国は、現代では類を見ない」と非難した。
 特に拉致問題については、解決ずみとする北朝鮮の主張を明確に退け、横田めぐみさんら8人「死亡」の根拠はなく、北朝鮮が認めた13人以上、少なくとも100人余の日本人が拉致されている可能性があるとする判断を示した。
 さらに、拉致は朝鮮戦争中に始まり、被害国は日本、韓国をはじめアジア、中東、欧州に及び、その命令者は最高権力者だった金日成、金正日だとも明記された。
 私たちが韓国、タイ、ルーマニア、レバノン、米国などの被害家族や関係者とともに全世界に訴えてきた内容とほぼ同一である。北朝鮮の独裁体制による人権侵害、「人道に対する罪」の被害者は、第一に北朝鮮の国民だが、それだけでなく、全世界の人々が拉致によって同じ被害に遭っていることが明確になった点で画期的だ。
 注目すべきは、報告書が、こうした凄(すさ)まじいまでの人権侵害に対しては「国際社会が北朝鮮住民を人道に対する罪から保護する責任がある」と主張している点だ。
 ここでいう「保護する責任」は国際法上の新しい概念である。
 1990年代の旧ユーゴスラビア紛争で吹き荒れた「民族浄化」に対し、北大西洋条約機構(NATO)は「人道的介入」という当時の国際法上の新概念に基づき、軍事行動に出た。「人道に対する罪」に当たるような人権侵害には内政不干渉の原則を破ってでも軍事介入できる、という考えだ。

《「保護する責任」明示は重要》
 「保護する責任(responsibility to protect)」は、それを推し進めたものだ。2005年9月に国連総会首脳会合で「ジェノサイド、戦争犯罪、民族浄化および人道に対する罪から人々を保護する責任を各国が負う」と決議され、国連安全保障理事会も、06年4月と09年11月の決議で確認している。
 今回の報告書は、責任者の処罰を国際刑事裁判所(ICC)に付託し、人権侵害を理由に制裁を実施するよう安保理に求めながらも軍事介入には言及していない。だが、原理的には「保護する責任」という概念の中にその選択肢は含まれている。その概念を報告書がうたった意味は限りなく重い。
 報告書は安保理常任理事国として「保護する責任」を担うべき中国の非協力的な姿勢を批判した。「何度も脱北している人間がいるのを見ても、送還された北朝鮮の住民が拷問に遭うという主張が事実でないのは明らかだ」などと脱北者の強制送還を正当化する回答を含む往復書簡が公開された。
 また、1978年にマカオから孔令●さんと蘇妙珍さんの中国籍女性2人が拉致され、孔さんが大韓機爆破事件実行犯の金賢姫元工作員の中国語教育係だったことも実名入りで示されたものの、中国はそれに回答しなかった。北朝鮮の人権問題は実は中国問題でもあることが改めてはっきりした。

《北人権報告書の最大活用を》
 「保護する責任」を中国以上に負うべきは韓国だ。韓国は憲法で北朝鮮を含む半島全域を領土とし全住民を国民と定めている。北朝鮮が住民に重大な人権侵害をしていることは取りも直さず、国民に対する重大な人権侵害なのだ。
 にもかかわらず、韓国は報告書発表に際し、「北朝鮮人権状況の改善のために国際社会との協力を強化していく」(外務省)、「韓国政府は北朝鮮人権改善のために今後も国際機関や国際社会と継続して協力を拡大していく」(統一省)という通り一遍の反応を政府の低いレベルで出しただけだ。
 韓国政府にとり、北朝鮮住民は「保護する責任」の対象ではないのかと疑わざるを得ない。国会議員、知識人、脱北者らを含む心ある有志は「自由統一フォーラム」を結成し、北朝鮮住民を助けるのは韓国だという姿勢を明確にしている。その主張が韓国内でどれほど拡大していくか注目される。
 日本政府は調査委設置に向け積極的な外交を展開し、調査活動にも全面協力してきた。その成果がこの報告書といえる。ただ、3月の人権理事会で、報告書が求める人権状況監視のための常設機関の設置、拉致を含む北朝鮮人権侵害を根拠にした安保理制裁決議など実現すべき課題は多い。拉致被害者の一日も早い救出に報告書を最大限生かさなければならない。(にしおか つとむ)

 ●=貝貝のしたに言
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

人権90~絶対王政と国王の主権

2014-04-05 08:35:46 | 人権
●絶対王政と国王の主権

 近代主権国家は、国王に権力が集中し、官僚制と常備軍を備えた絶対王政国家として姿を現した。王権の強大化によって形成された政治体制を、絶対王政(absolute monarchism)という。絶対は、英語 absolute 等の訳語として作られた漢字単語である。absolute は「~から完全に自由な」を意味する。そこから「無制限の、無条件の」を意味する。政治的には「専制の、圧政の、独断的な」を意味する語で、必ずしも哲学における絶対―相対の対概念における絶対を意味しない。王政について、絶対と形容されるのは、王が絶対者(the Absolute)すなわち神の代理人を任じ、絶対的すなわち専制的な政治を行って、無制約に権力を振るう様を表すものと言えよう。
 絶対王政は、16~18世紀の西方ヨーロッパに現れた。その政治形態を、絶対主義(absolutism)という。絶対主義は、君主に至上の権利と権力を付与する専制的な政治形態である。絶対主義は、一人の支配者に権力と権威が集中し、独占された状態である。アリストテレスの国家の区分によれば、君主政治に当たる。アリストテレスは、君主政治は堕落すると暴君政治になるとしたが、近代西欧の多くの国では、それが起こった。
 絶対王政では、国王は中央集権的統治のための官僚と直属の常備軍を所有した。国王は、封建制の崩壊で弱体化する貴族階級と資本の本源的蓄積の過程で成長途上の市民階級を押さえ、無制約の権力を振るった。宗教宗派を弾圧したり、信教を押し付けたり、重税を課したりした。王権の強化のため、多くの場合、王権神授説を援用した。経済政策は金銀の取得を目的とする重商主義を採り、富の増大を進めた。
 絶対王政の王権の確立によって、近代的な主権が登場した。同時に、近代的な主権を持つ国家が形成された。近代国家は、国境によって区画された領域、国家に所属する人民、国家を統治する主権という3要素を備えた政治団体である。
 絶対王政は、封建制国家から資本主義的な近代国家への過渡期に位置付けられる政治体制である。封建制国家は、アリストテレスの国家の区分と比較すると、君主政治と貴族政治の中間に位置すると考えられよう。統治権は君主と貴族が分有する。ただし、その上に教皇・皇帝が併存するという複雑で多元的な関係にある。西欧の中世から近代への政治的変化は、まずこの多元的な封建政治から専制的な君主政治へ移行した。そして、教皇の主権、皇帝の主権に替わって、国王の主権が確立したのである。正確に言えば、それらが新たな近代主権国家体制に組み直されたのである。

●イギリスの支配構造と「古来の自由と権利」

 神聖ローマ帝国の領域外にあって、15~16世紀から王権が強大化し、中央集権化が進んでいた英仏では、ますます国王に権力が集中し、絶対主義が確立していた。ウェストファリア条約で生まれた国際社会では、主権国家として勢力を伸長し、また二大植民地帝国として発展した。次にこれら二国における展開を記す。
 イギリスは、大陸から離れた島国だったので、神聖ローマ帝国との関係は深くなかった。その一方、ドーバー海峡の対岸にあるフランスとは歴史的に関わりが深い。フランスとの関係も絡みながら、イギリスでは封建制の崩壊と王権の伸長が進んだ。
 ブリトン島では、15世紀末にイングランドがウェールズを併合し、アイルランドの植民地化を進めた。18世紀初めにスコットランドとの合同が成り、連合王国が完成した。本稿では、便宜上イギリスと呼んでいる。
 さて、近代的な権利発生の起源は、一般に中世のイギリスに求められる。ここで注目すべきは、イギリスにおける民族間の支配構造である。その支配構造が、権利関係に重要な影響を与えてきたからである。
 ブリテン島の初期の住民はイベリア半島から来たようであるが、その後、印欧語族のケルト人が住み着いた。ローマ帝国の支配を受けた後、5世紀半ば、現在の北ドイツからゲルマン民族でバイキング系のアングロ人・サクソン人が侵入した。アーサー王物語は、この時の先住民による抵抗と敗退の物語である。その後、一時、北欧のデーン人が侵入したこともあるが、ブリテン島ではアングロ=サクソン人の支配が続いた。
 1037年コンラッド2世は、封建法によって、封建諸公との間に「古き良き法」「古き良き権利」を確認した。「古き良き法」とは、古来の慣行である。ところが、そこへフランスのノルマンジー地方から、別のバイキング系のノルマン人が侵入した。ノルマン・コンクェスト(1066年)である。その結果、イギリスは、フランス語を話すノルマン人が国王・貴族となり、アングロ=サクソン人・ケルト人を支配する社会となった。征服国家の典型である。英語は約300年間、公式の場では使われなかった。支配階級と被支配階級では、言語も文化も習慣も違っていたのである。ちなみに、コモンウェルスとは、ノルマン人の征服によって、コモン・ピープル(庶民)となったアングロ=サクソン人の側の社会観をいう。
 ノルマン王朝(1066~1154)、プランタジネット朝(1154~1399)と、フランス人の王朝が続いた。イギリスは、外来の王によって統治された。外来の統治者と土着の人民の間に対立があった。その間で、王権と土着の慣習法との均衡が図られた。
 国王と封臣(国王から直接に封土を受けている封建領主)との間で、封建的な権利・義務をめぐって争いがおこると、封臣は「古来の自由と権利」を確認するという形式をとって、国王に封臣の権利・自由を文書で認めさせていた。この制度を決定的なものとしたのは、1215年マグナ・カルタ(大憲章)である。

 次回に続く。

拉致は「人道に対する罪」と国連人権委が報告書

2014-04-04 08:44:43 | 国際関係
 2月17日、国連北朝鮮人権調査委員会が、最終報告書を公表した。報告書は日本人を含む外国人拉致等の人権侵害行為を挙げ、北朝鮮が組織的に「人道に対する罪を犯した」と非難した。北朝鮮の人権侵害に関する包括的な国連報告書は初めてのものだった。
 この報告書を受けて、3月28日国連人権理事会は、北朝鮮による国家ぐるみの人権侵害行為は「人道に対する罪」と非難する決議を賛成多数で採択した。決議は日本とEUが提案し、採決には理事国47カ国が採決に参加した。日米欧や韓国など30カ国が賛成し、中国、ロシア、キューバ、パキスタン、ベネズエラ、ベトナムの6カ国が反対、インドやインドネシアなど11カ国が棄権した。北朝鮮代表は決議に対し、「断固として拒否する」と反発している。
 この国連人権委決議につながった国連北朝鮮人権調査委員会の活動及び最終報告書について、概要を記したい。
 調査委は昨年3月の国連人権理事会決議を受けて設置された。東京、ソウル、ロンドン、ワシントンで公聴会を開き、横田めぐみさんの両親を含む拉致被害者家族らから聞き取り調査した。北は、調査委の入国を拒否して調査も行わせなかった。中国は調査委に対し、一貫して批判的だった。決議でも反対した。
 調査委の最終報告書は、外国人拉致について、大要次のように記している。
 「北朝鮮は国家政策として1950年以降、組織的で大規模な外国人拉致に従事してきた。子供を含む20万人以上が他国から北朝鮮に連れ去られ、強制失踪の犠牲者となった恐れがある。国際法で保証された他国の主権や外国人の権利を無視したこのような行動は、他国との共存を希求する国家には異常だ。1960~80年代には韓国や日本、他国から数百人が拉致され、失踪した。北朝鮮は陸海軍、諜報機関を使い拉致を実行し、最高指導者のレベルで承認されていた。被害者の大半は国家の労働力や技能の獲得のため拉致された。諜報やテロリストの活動に利用された被害者もいる。欧州、中東、アジアから拉致された女性は他国の男性との結婚を強いられた。性的搾取を受けた被害者もいる。拉致被害者は北朝鮮を去ることを拒否され、国内での移動の自由も奪われており、全員厳重な監視下に置かれている」     
 さらに報告書は、多数の餓死を出した飢饉が国家統制目的の結果であること、収容者数が8万~12万人に上る政治収容所では拷問や処刑も行われていること、一般国民に恐怖を植え付けている定期的な公開処刑の実施は現在も続き2013年にはその数が跳ね上がったこと等も列挙している。
 報告書は、こうした人権侵害を「人道に対する罪」と糾弾している。「人道に対する罪」は、 国際刑事裁判所(ICC)を設置した「ローマ規程」によると、「文民たる住民に対する広範または組織的な攻撃の一部として、そのような攻撃であると認識しつつ行われる行為」と定義される。殺人や絶滅、奴隷化、拘禁、拷問、強姦、強制失踪等が含まれる。
 次に、報告書の結論の部分を転載する。
 「組織的かつ広範で重大な人権侵害が北朝鮮とその機関や当局者により行われ、今も続いている。多くの事例は人道に対する罪をなしている。これは国家による行き過ぎた行為ではなく、政治体制を構成する本質的要素となっている。侵害行為の重大さと規模、性質は現代世界において比類ない国家の姿を暴いている。
 政治体制の要は、いかなる異議の表出も阻止するため、監視、抑圧、恐怖、処罰を戦略的に用いる巨大な政治・治安組織だ。外国人の強制失踪はその激しさと規模、性質において無二のものだ。加害者は責任を問われず、その行為が国家政策と合致するため、北朝鮮は加害者を裁く義務を履行する意思がない。国連加盟国の北朝鮮が人の良心に衝撃を与える犯罪を含む政策を続けてきた事実は、国際社会の対応が不十分との問題を提起している。
 国際社会は北朝鮮国民を保護する責任を引き受けねばならない。国連は人道に対する罪の最大の責任者に責任を取らせるよう努める必要がある。選択肢には安全保障理事会による国際刑事裁判所(ICC)への付託、または特別法廷設置がある」
 報告書は、こうした結論をもとに、北朝鮮、中国、国連に対し、勧告をしている。
 「北朝鮮は徹底した政治、制度改革に取り組む。政治犯収容所を含む人権侵害の存在を認め、国際的な人道組織、人権監視員に収容所と、そこに生存する被害者への迅速な接触を認める。拉致されてきた全員の家族や出身国に対し、その行方、所在に関する完全な情報を提供する。生存者とその子孫には迅速に出身国への帰還を認める。死亡者に関しては遺骨を返還する」
 「中国は北朝鮮での(逃亡者らに対する)取り扱いが著しく改善するまで強制送還を自制する。北朝鮮から逃亡し、保護を必要とする者には亡命や永続的な保護のための手段を拡大する」
 「国連安全保障理事会は北朝鮮の事態をICCに付託する。国連人権高等弁務官は北朝鮮の人権侵害、特に人道に対する罪の責任追及を支援する体制を築き、調査委の証拠文書を基礎に情報の集積を拡充する。体制は被害者、証言者と継続的に接触できる地域に十分な要員が配置された『現場ベース』のものとすべきだ」
 最も注目されるのは、北朝鮮が国家として組織的に人権侵害をしていることについて、報告書が「最高指導者が承認していた」として、金日成・金正日が認識していたと指摘していることである。
 調査委は本年1月、金正恩に書簡を送り、国際刑事法における指揮官・上官責任の原則を伝えたという。軍の指揮官と文民の幹部は、事実上の監督下の人物が犯した人道に対する罪に関し、防止・抑止しなかった刑事責任を問われうるとし、金正恩には、国家安全保衛部や人民保安部、朝鮮人民軍、朝鮮労働党が究極的には最高指導者の事実上の監督下で行動し、「人道に対する罪」を犯していると意識させ、さらなる犯罪の防止・抑止のため、必要かつ合理的なあらゆる手段を講じるよう促したと報告書に記している。
 国連人権理事会は、このような報告書を受けて、北朝鮮による国家ぐるみの人権侵害行為は「人道に対する罪」と非難する決議を採択したものである。報告書が理事会に提出された際には、拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんが出席し、被害者の帰国と北の人権状況改善へ「一層の努力をお願いする」と述べた。
 決議は、拉致被害者らの帰国、全政治犯収容所の廃止と政治犯の釈放等、北朝鮮で今も続く深刻な人権侵害行為の即時停止を要求し、犯罪に関与した人物の責任を追及するよう明記した。人権状況を今後も把握するため「実態の監視と記録を強化する組織」の創設を盛り込んだ。また、国連安保理に対し「適切な国際刑事司法機関」への付託の検討を勧告した。
 画期的な内容である。国際社会で多数の国々が、北朝鮮による日本人拉致を含む違法行為を人権侵害行為と認めるようになり、国連人権理事会が上記のような具体的な内容を決議したのである。今後、わが国はこの決議の実行を強く求めていくことが必要である。積極的に国際世論を喚起することが北への圧力の強化となるだろう。