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地下鉄にのって

 

 ♪地下鉄にのって という曲は作詞は岡本おさみさんだったんだな。70年代は吉田拓郎の曲で作詞·岡本おさみの黄金コンビだった。「地下鉄にのって」は70年代の人気フォークグループ「猫」の一番ヒットした曲だった。吉田拓郎·作曲の曲で後にアルバムで自身がセルフカバーしている。
 
 
 「猫」の曲はその前にヒットした、同じく吉田拓郎が作った曲♪雪 で、「猫」というフォークグループを知った。「雪」は吉田拓郎の最初期のアルバムに入ってたんで知ってたけど、印象的に覚えたのは「猫」が歌ったバージョンだ。
 
 
 「猫」は吉田拓郎の作った曲ばっかり歌う印象だったので、多分音楽仲間なんだろうなと思っていたが、拓郎初期ライブのバックバンドだった。吉田拓郎のライブアルバム「LIVE 73」の録音の中で拓郎が喋ってる「田口なんか手だけ動かしてギター弾いてませんが」というセリフの“田口”は、「猫」のメンバーの田口清だ。
 
 
 ♪雪 も♪地下鉄にのって も好きな曲だったなぁ。70年代後半も聴いたけど、この二曲を特によく聴いたのは90年代かな。どっちかというと吉田拓郎版でよく聴いたかな。猫バージョンも良いんだけど。
 
 
 「地下鉄にのって」を聴くと東京で生活していた若き時代を思い出すなぁ。文字どおり、毎日国鉄や地下鉄の電車に乗ってたからなんだけど。毎日の通勤で乗り換えて国鉄と地下鉄と羽田空港勤務時代はモノレールも利用してた。特に保谷駅前徒歩5分のアパートで暮らしてたときは、私鉄·西武線で池袋に出てから、勤務地によって山手線か丸ノ内線か有楽町線を利用してた。
 
 
 「地下鉄にのって」の歌詞を改めて読み返すと、一人称で語る自分に取っての“君”は、僕はずっと電車の中で近くで見掛けた、知らない女の娘、だと思ってたんだが、車内で向かい合ってる付き合ってる女の娘、とも取れる歌詞だな。どっちなんだろう?付き合ってる娘だったら別れ話でも出てるのかな?やっぱり知らない女の娘に対しての一人称自分の妄想かな?妄想というか甘い空想(?)。
 
 
 僕も、勿論個々の詳しいエピソードなんて覚えてないし、ないけど、東京勤務の若き時代、都内の電車や地下鉄の中で、自分の近くに可愛いとか綺麗な女の娘が立っていたら、無論話し掛けるとかはしないけど、その娘をチラ見しながらも、イロイロ空想したりしてたんだろうな。妄想っちゃ妄想だけど。何か懐かしいね。朝の通勤ラッシュのギュウギュウ詰め満員電車も。疲れて乗る帰路の夜も9時10時の電車も。酔っ払って乗る終電も。
 
 
 「地下鉄にのって」の歌詞に出て来る駅から、この路線は地下鉄·丸ノ内線ですね。僕の若かりし頃、旧保谷市に住んでいて、当時の勤務地が羽田·新橋·芝浦·築地と変わって行き、よく丸ノ内線を利用していたので、「地下鉄にのって」を聴くと当時を思い出して懐かしいです。
 
 
 まぁ今の時代、電車の中で自分ら女性をチラチラ見ながら妄想してる男なんて、電車利用してる女側からしたら、気持ち悪い存在だろうけどなぁ。
 
 
 直木賞他数々の文学賞を受賞している紫綬褒章巨匠小説家、浅田次郎氏に同名の小説作品があり映画化もされてますが、あちらはタイトル「地下鉄に乗って」で地下鉄を“メトロ”と読ませて“メトロに乗って”ですね。
 
 
 僕自身は浅田次郎さんの小説は一編も読んだことがなく、浅田次郎さんの作品を原作とした「地下鉄に乗って」や「鉄道員-ぽっぽや-」とかの映画やTV ドラマ化された映像作品も一つも見たことはありません。“メトロに乗って”は設定がタイムスリップものなんですね。
 
 
 食わず嫌いみたいなもので、読めば浅田次郎作品も面白かったり感動したりするのかも知れませんが、何か感じとして何となくだけど、僕の趣味に合わないような気がして、今まで一編も読んでないし映像化作品も見ていない。まぁ、古今東西の小説作品はもの凄い数ある訳だから、誰の作品も読むって不可能ですしね。ましてや僕は遅読マンだし。自分で選んで読んでいるようで本も人生のめぐり合いかな。
 
 
◆地下鉄(メトロ)に乗って THXプレミアム・エディション [DVD] 堤真一 (出演), 岡本綾 (出演), 篠原哲雄 (監督) 形式: DVD
 
◆鉄道員(ぽっぽや) [Blu-ray] 高倉健 (出演), 大竹しのぶ (出演), 降旗康男 (監督) 形式: Blu-ray
 
◆THE BEST Neko 猫 形式: CD
 
◆吉田拓郎 THE BEST PENNY LANE SHM-CD, Double CD 吉田拓郎 形式: CD
 
◆永遠の フォーク ニューミュージック 旅の宿 今日までそして明日から 地下鉄にのって 秋でもないのに 時には母のない子のように 白いブランコ 竹田の子守唄 冷たい雨 酒と泪と男と女 初恋 恋人よ SACHIKO DQCL-2014 Compilation, Special Edition よしだたくろう (アーティスト), & 10 その他 形式: CD
 
 
 僕が上京して会社に就職し独身寮に入ったとき、都内の同じ勤務地配属で同じ寮住まい、同期同年代にK 君という職場仲間が居た。彼は吉田拓郎の熱狂的なファンでギターが得意で、暇さえあれば寮内で吉田拓郎の曲をポロポロやりながら歌っていた。
 
 
 吉田拓郎は高校~大学と郷里の広島でバンドをやってたのだが、大学最終年くらいの頃、広島のアマチュアバンド三つを集結させて、吉田拓郎が東京でプロのポピュラー音楽家デビューする前に、またそのきっかけとなった“広島フォーク村”というのを結成した。この“広島フォーク村”は吉田拓郎がプロになったことで弱体化して少しして解散した。その後も何度か復活して活動したらしいのだが。
 
 
 この“広島フォーク村”のムーブメントは全国的に広がり、各地でフォークソング愛好の若者たちがバンド活動をやって、各地域の「フォーク村」を名乗っていた。K 君も高校生時代、故郷の田舎でフォークソング愛好の友達とバンドをやっていて、自分たちの基地を作り地元の「フォーク村」と名乗っていたらしい。
 
 
 K 君はギターもうまく、吉田拓郎の歌を器用に歌いこなしていた。けどプロになりたいというまでの気持ちはなくて、いつもいつも故郷を思い返して「田舎に帰りたい」と嘆いていた。ホームシックが強くときには故郷への思いで泣いてることもあった。
 
 
 結局、K 君は半年くらい経って会社を辞めて故郷へ帰ってしまった。
 
 
 あの時代は本当に吉田拓郎ブームで当時の若者はみんな、と言ってもいいくらいに吉田拓郎のレコードを持っていた。特に♪結婚しようよ が収録された「人間なんて」、♪旅の宿 が収録された「元気です」、それと「ライブ73 」「伽草子」「人生を語らず」くらいまでのアルバムは持ってたなぁ。「元気です」はあの時代の大ベストセラーアルバムだった。当時の若者はみんな、吉田拓郎の何枚かと井上陽水の「氷の世界」のアルバムは買って持っていた印象。
 
 
 井上陽水の曲は少し難しかったのか、当時のギター趣味の知人でも吉田拓郎のコピーを練習してる若者は多くても、井上陽水の曲をコピーで練習してる人は見掛けなかったなぁ。まぁ、プロを目指していたような若者は別だろうけど。
 
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