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ピカドンくん

 「ピカドンくん」を僕が読んでたのって、雑誌連載リアルタイムでは、当時の秋田書店発行の月刊誌「冒険王」1963年3月号までです。多分そうだと思います。多分、ムロタニツネ象先生のギャグ漫画「ピカドンくん」は「冒険王」の63年3月号で連載が終了したと思う。僕が漫画を読み始めたのは62年の暮れくらいから63年初頭で、僕が雑誌掲載分で「ピカドンくん」を読んだのは、「冒険王」62年12月号か63年1月号から63年3月号までの、わずか3、4ヶ月分の3、4回分だけだ。

 でも「ピカドンくん」は印象深く憶えている。それは多分、当時、僕が毎日通っていた貸本屋さんに、「ピカドンくん」のハードカバーの単行本が置いていて、それを借りて単行本で読んでるんだと思う。その単行本が秋田書店が出したものか、貸本出版社のきんらん社などが出した貸本向けハードカバーだったのか、そこまでは記憶していない。でも多分、きんらん社などの貸本出版社の発刊本だったと思うけど。

 「ピカドンくん」と同時期に秋田書店の「冒険王」の兄弟誌「まんが王」に連載されていた、同じくムロタニツネ象先生のギャグ漫画「わんぱくター坊」などは月刊誌「まんが王」連載が62年7月号までで終了している。でも僕は「わんぱくター坊」をよく憶えているから、「わんぱくター坊」も連載分をまとめた単行本を貸本屋で借りて読んでるからだと思う。大人になってからでも、「わんぱくター坊」の中に“おトラさん”という名前の巨大な猫が登場していたのをよく憶えてたくらいだし。

 「ピカドンくん」が雑誌「冒険王」のいつ頃から連載が始まったかよく解らないのですが、多分1958年頃からだと思います。ムロタニツネ象先生のギャグ漫画(当時はこのジャンルは総じて『ゆかい漫画』と呼ばれてました)「ピカドンくん」と「わんぱくター坊」が兄弟誌に同時代、だいたい同じ期間連載されていた。

 何年か前に僕がネットを回っていて、今の若い人が「冒険王」の別冊ふろくの「ピカドンくん」の表紙画像を揚げて、その漫画タイトルのネーミングに驚き、「今だったら絶対に使えないネーミング」だと書き込んでました。特に漫画の感想などは書き込んでなかったのですが、このタイトルへの驚きの一文を、僕は「2011年の後は特にそうかもな」と印象的に思いました。

 “ピカドン”とは即ち、原子爆弾の空中爆発を表す擬音ですからね。原子爆弾がアメリカ軍の飛行機から広島·長崎の上空で地上目掛けて落とされ、地上何十メートルかで爆発して、最初にピカッて光ってその後にドン!って大きな音がする。実際はもの凄い閃光と凄まじく大きな轟音だったんでしょうが、多分、爆心地からかなり離れたところで目撃した人が、後に「ピカドン」と擬音で表現したのでしょう。実際に爆心地近くに居た人は、最初の光で両目が焼けて潰れただろうし、身体ごと溶けてしまったか全身重度の大火傷を負ったでしょう。

 「ピカドンくん」が雑誌掲載されてた当時、僕は子供だったから、解らなかったといえばそうなんだけど、あの時代、誰も特に「ピカドンくん」というネーミングに反応しなかったな、と思う。大人でも漫画のタイトルに「ピカドン」などという言葉を使うのはけしからん!とか不謹慎だというふうに反応する人は居なかったと思う。勿論、あの時代の人は「ピカドン」という言葉が何を意味するか、みんな知ってたし、子供だってある程度の年齢の子は解ってたろう。

 1945年8月に広島·長崎に原爆が落とされ、もの凄い数の日本人が死に、爆心地近くで被爆した数多くの人たちはその後も長年苦しみ続け、原爆症に寄り毎年多数の人が死んで行ってた。「冒険王」に「ピカドンくん」の連載が始まったのは1958年か59年頃だ。原爆投下から13年か14年後。敗戦後直ぐ様アメリカに寄って占領され、日本全体がアメリカの支配下にあり、その後、サンフランシスコ講和条約の発効に寄りGHQ が日本を去るのが1952年。GHQ 撤退後も在日米軍は駐留するが、軍隊の規模はかなり削減されたろう。でも、1950年には朝鮮戦争が勃発するし休戦が53年だから、米軍のベースという役割で、52年のGHQ撤退以降も日本の各地には米軍はかなりの態勢は居たろうな。米軍のベトナム戦争介入が1964年か。52年53年以降、米軍はじょじょに日本から減っては行ってたろうけど、70年代初めくらいまではある程度の態勢は日本各地に駐留してたろうな。

 アメリカの占領下から解かれて、日本人が国内でかなり自由に物が言えるようになったって、1952年以降かなぁ。それまでは日本人は「原爆投下の非道さ」などの原爆否定の悪口は言えなかったろうな。敗戦後しばらくは全日本人は気持ち的にも疲弊しきってたし、アメリカに対しては何も言えず我慢するしかなかったろうな。何よりも「負けたんだ」という落胆感がしばらく続いていたんだろう。原爆に対しても大手を振って否定的なことは言えなかったろう。

 僕らの世代が子供の頃は、漫画の社会的価値がかなり低くて、漫画は子供の読むもので子供しか読んでなかった。だからイイ大人が子供の読むレベルの低い漫画のことなぞ相手にしなかった、というのもあると思う。子供雑誌の馬鹿馬鹿しいギャグ漫画のタイトルに、原爆を示す「ピカドン」という言葉を宛てても「くだらない」と一笑に伏す程度だったんだろう。でも被爆被害者の人たちに取ってはどうだったんだろうか。やっぱり良い気持ちはしなかっただろうが、レベルの低い当時の漫画のことでイチイチ相手にしなかったかな。

 児童漫画雑誌掲載のギャグ漫画「ピカドンくん」の内容には、原爆や原爆投下に関することは何一つ入ってなく、単にネーミングで「ピカドン」が使われただけです。漫画のお話の中には原子爆弾や米軍や太平洋戦争に関する事柄は一切出て来ない。漫画の内容は他愛もないお笑い漫画です。主人公や登場人物たちの馬鹿馬鹿しい騒動や元気良さ、そこから生まれる“笑い”に対して、「爆発的」というような意味を込めて、漫画の主人公の名前に「ピカドンくん」と着けたんでしょう。と、思う。

 50年代後半から60年代前半、児童漫画雑誌のギャグ漫画ジャンルで活躍した、漫画家ムロタニツネ象先生は、67年68年頃、週刊少年サンデーと月刊誌・少年で、怪奇漫画「地獄くん」を連載してから先、70年代以降はコミック雑誌で見掛けなくなったんですが、80年代以降は、学研や小学館、集英社などから発行された、シリーズものなどの漫画解説版の、歴史教養本や偉人解説本などの、主に児童向けに刊行された、漫画で優しく歴史や偉人を解説したシリーズなどを執筆されているようですね。

 それにしても、「ピカドンくん」「わんぱくター坊」のギャグ漫画家のムロタニツネ象先生が、不気味な主人公と異世界を描く怪奇漫画、「地獄くん」を連載されたときは、あまりにも違う作風に驚きました。タッチは似たものがあったのですが、黒ベタの多い画面に気味悪い主人公で、同じ作者がこうも違ったものを描くものかとびっくりしました。「地獄くん」も雑誌掲載リアルタイムで読んでますね。僕は小六から中一くらいかな。「ピカドンくん」雑誌連載時は僕は小一ですからね。

 昭和33年か34年頃から38年春先まで連載されたレトロ漫画、「ピカドンくん」はamazonのキンドル版で、1990年に刊行された「ペップおもしろ漫画ランド」全10巻に収録された1冊分が購入して電子書籍で読めます。あとはネットを回っていて、「マンガ図書館Z」というサイトを見つけ、ここに多くの「ピカドンくん」を見つけました。多分、この分は昭和30年代に刊行された数巻の単行本分でしょうね。マンガ図書館Z-ピカドンくん

※(2010-04/22)漫画・・「わんぱくター坊」

 

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