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「夜回り先生」

  
 「夜回り先生」という題名の漫画があります。小学館の漫画誌「月刊IKKI」にて好評連載中。漫画は土田世紀さん。この漫画家の作品で僕が知っていたのは、お笑いタレントトリオネプチューンのタイゾーが主演してTVドラマ化された「編集王」だけです。漫画を読んだ事もTVドラマを見た事もないのですけど。他の代表作では2000年の作品「同じ月を見ている」が、文化庁メディア芸術祭優秀賞を受賞したそうで、劇場映画化もされています。これも恥ずかしながら読んだ事ありません。「夜回り先生」はコミックスが第1巻が好評発売中で、近く第2巻が出る予定だそうです。で、原作は水谷修さんです。
 原作者の水谷修さんはこの漫画のタイトルの「夜回り先生」です。この漫画「夜回り先生」の主人公は実は原作者そのものです。いや、ひょっとすると本当は主人公というのは、夜の闇の世界に生きる子供達なのかも知れません。「太陽のある昼の世界から、心無い大人達によって、夜の世界へと排除された犠牲者」である子供達と、それを救済しようとひたすら夜の街を歩き続ける、夜回り先生。でも、水谷修さんの著書を読むと、救済しているという意識はなくて、救済しているというよりも、夜の世界を生きる子供達と共に生きているように感じられる。しかし、実際は夜中の汚れた街々を深夜パトロールをひたすら続けて、世の中の犠牲者である子供達の救済活動を行っているのに、他ならない。


 「夜回り先生、夜回り水谷、夜の街の子供達や暴力団は、私の事をそう呼ぶ」‥‥。僕が「夜回り先生」を知ったのは、昨年か一昨年で、家に帰って来て入れてあるTVを見ると、ドキュメンタリー番組で「夜回り先生」が紹介されており、水谷修さんの講演中心の番組作りで、僕は遅い夕飯でも食いながら何気なく見ていました。しかし新聞や読みかけの雑誌を見ながらで、番組にはたいした興味も持ちませんでした。民放でよくやっている特集番組の、都会の繁華街の深夜歓楽街の犯罪レポートの類みたいなものを、連想しました。また昔、空手道場などに通っていた頃の道場仲間の中学教師に、道場での稽古帰り飯に誘われて着いて行き、食堂にもう一人剣道と合気道をやっている小学教師が参加して、二人が生徒補導の苦労話を熱っぽく語り合い、脇で聞いている僕は、ああ学校の先生も教科を教えるだけでなく、いろいろと大変なんだな、と他人事で思っていた事を、番組を見て思い出したりしました。昨年暮れあたりからか、本屋で並べられている「夜回り先生」の本を何度も見かけても、手に取る事もありませんでした。「夜回り先生」は、多分、教師の補導業務を他の教員よりも少しばかり熱心にやっている先生なのだろう、くらいに思っていました。

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 この間何気なく入れたNHK放送で、「夜回り先生」のドキュメント特集の2をやってました。昨年か一昨年に見た番組の続編「2」です。前回が夜中の都会の歓楽街に生きる子供達の事ばかりだったのに対し、今回のは「夜眠れない子供達」と題して、自分の部屋に籠もり夜眠らずに悩み続けリストカットなどの行為に及ぶ犠牲者の子供達、に重きを置いた番組作りでした。この番組を僕は夜中、最後まで見続けて、今度はつい熱心に見て、水谷修さんの出会ってきた犠牲者の子供達の数々のエピソードに、僕は涙を流していました。
 しかし疑り深く出来ている僕は「夜回り先生」に、まだ売名という事を思ってしまいました。翌日本屋で、今まで手に取る事も無かった「夜回り先生」の本を買いました。帰って来て大部分を一気に読みました。何度も涙しました。そして、思いました。この人は本物なんだ、と。


 読み終えて僕が思った事で一番大きかった事なんですけど、昔々僕は正義の味方に憧れていました。子供の頃、TVや漫画の世界の「正義の味方」にもう憧れて、なりたくて仕様がなかった。物事の実際がよく解らない子供時代になりたかった職業は、当時毎日描いていたヘタクソな漫画からの漫画家ではなくて、実は探偵でした。そして正義の味方には当然なれなかった。今、この「夜回り先生」というのを知って、解ったような気がします。本当は、現実社会の実際の「正義の味方」というのは、この「夜回り先生」のような人の事ではないかという事を。水谷さんのエピソードで、夜の街の行き着く果てのヤクザ社会に溺れそうになった少年を救うために、水谷さんは自分の利き手の小指を失っています。実際の「正義の味方」とは、TVや漫画のヒーローみたいに華やかなものでは決してなく、本当は、得るものなんて無く損な役回りばかりでリスクが大きくて地味で全く割が合わず怖くて心労が多くてストレスが溜まり保障も無くて報われない、そういう商売なのだという事の事実が解る。無論、水谷さんは言うでしょう。更生した子供達の姿に報われる、と。でも世間一般的に考えると、十数年間の補導業務的な深夜パトロールを続けて来て、夜も寝ないで、不良少年とレッテル貼られて昼間の世界から排除された子供達に、ひたすら関わり続けて、その見返りというものは何も無い。今でこそ、結果、有名になりTVに出て、書いた本が売れて漫画の主人公になったりしてますが、本人にはこの半生で考えもしなかった事々でしょう。


 僕も含め、小さな頃、正義の味方に憧れた人達みんな、絶対にこんな正義の味方になる事は御免こうむるでしょう。こういうのでもいいから正義の味方になってもいい、という人が居ても、実際にこれを続けて行ける人は居ないでしょう。水谷さんの書かれたものを読むと、何か、神様の巧妙な罠に掛かり、神様の決めた世の中のこんな役回りにされてしまった人のようにも思える。生まれついての境遇に気質に性格、そして偶然の転機やきっかけ。神の配慮がこの人をこんな過酷な仕事に導いた、と言ったら大袈裟だろうか。香山リカさんは今は教授職でもともと精神科医ですが、決して自分の思った通りに進路が開けて来た訳ではなくて、偶然偶然で何度か転がるように来た結果が今なのだ、というような事を本のインタビュー記事で書かれていました。水谷さんもそうですね。予期せぬ事できっかけが出来、その時の売り言葉に買い言葉が、水谷さんを夜の世界に転がし送り、「夜回り先生」へと変えてしまった。そして「夜回り先生」を抜け出る事が出来なくなり、本人も積極的に「夜回り先生」の過酷な道を歩き続けて来た。
 神々の愛でし人、とか、神の選びし人、などとよくいいますけど、たいていそう呼ばれる人は、壮絶な人生、凄絶な人生を送った人だ。「夜回り先生」とはそんな人のような気がする、と言ったら大袈裟だろうか。でも僕等フツーの平々凡々人にとっては、こんな人生送るなら、神様に愛でてもらわなくとも、選んでもらわなくとも、絶対イイッ!と思います。正直。

 「まじめな子ほど、まじめにドラッグを使い、まじめに壊れていく。心に傷を持った子ほど、その心の傷を埋めるために必死でドラッグを使う。そして死んでいく」
 「警察は私の事を、日本で一番死に近い教師、と呼ぶ。子供達を守るために、たとえ暴力団の事務所でも暴走族の集会でも突入して行くからだろう」
 「魚は勝手に腐るが、子供は絶対に腐らない。それは誰かに腐らされてるんだ。そういう子供達を救うのが教育じゃないか」
 「ドラッグの魔の手につかまる若者はどんどん増えるでしょう。でも教育関係者でこの問題に取り組んでいる人はほとんど居ない。一緒にやって行きませんか。‥‥これが私とドラッグとの闘いの出発点だった」
 「彼等は昼の世界の心無い大人達によって、夜の世界へと沈められた。彼等は想像を絶するほど傷つき哀しんでいる。私が引いたり逃げたりすれば彼等は、一生私を信用してくれなくなるだろう。教員である私にとってそれほど恐ろしいことはない」 
 「でも私は逃げる訳にはいかない。私を信じ、私を慕ってくれる子供達を裏切る訳にはいかない」
 「私はいつも子供達との出会いを求めている。私も寂しいからだ」
 「夜回りによって救われたのは私自身だ。夜の街で苦しんでいる子供達から、私は生きている事のすばらしさ、誰かのために何か出来る事の喜びを教わった」
 等等の珠玉と言ってもいいほどのセリフがいっぱい散りばめられた書物ですよ、「夜回り先生」の本は。中でもやっぱり水谷修さんの書いた本に一貫しているひとつのテーマみたいなものは、この短いセリフ。「いいんだよ」。
 許す、という事ですね。過去を責めない。少年少女に対しての、これは大切な事だと説いているようです。過去の過ちは、「いいんだよ」。明日からなのだと。生きてくれてさえすればそれで「いいんだよ」。明日が来るのだから。


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 漫画家土田世紀さんの熱筆による力作となっている漫画版「夜回り先生」も、とてもいいんですが、逼迫感やリアリティーでいえばやはり原作である、水谷修さんの著書の方が、何か迫力があり、泣ける。都会の夜の街の中にたむろする不良の少年少女達には誰も、関わりたくは無いものだろうけど、この「夜回り先生」の書物でもって、この夜の世界に追いやられた犠牲者としての子供達を知る事、だけでもとても意味がある事だと思う。活字が苦手で読書が嫌いな人は是非、漫画版で、「夜回り先生」のやって来た事事を知ってもらいたい、と思います。はい。
 で、追伸のように、最後にひとつ。僕のちょっとした素朴な疑問。水谷修さんも自分の孤独を抱えている。ように思える。ひょっとしたら、「夜回り先生」というのは、相互依存の関係もあるのではないかと。とても失礼なことを考えて申し訳ないのだが。ふと何かそう思ってしまった。どうもごめんなさい。

※(2012-04/27記)
○マンガ家・土田世紀が肝硬変のため死去「編集王」「ギラギラ」

  「同じ月を見ている」や「編集王」「ギラギラ」などの作品で人気のマンガ家・土田世紀が4月24日(2012年)に肝硬変で亡くなっていたことが4月27日に明らかになった。享年43。月刊IKKI(小学館)のツイッターアカウントでは、「本誌IKKIで『夜回り先生』を連載されていた土田世紀氏が24日、ご病気により自宅にて亡くなられました。昨年はIKKI執筆陣の一人として福島や石巻でのチャリティイベントにも参加していただいた土田氏。43歳という若さでの急逝、残念でなりません。編集部一同、ご冥福をお祈りいたします。」と伝えている。

○土田世紀氏死去(漫画家)

 土田 世紀氏(つちだ・せいき=漫画家)24日午後、肝硬変のため滋賀県栗東市の自宅で死去、43歳。秋田県出身。葬儀は近親者で行う。
 骨太な泥臭い人間ドラマで知られる。映画化もされた「同じ月を見ている」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞。他に「俺節」「編集王」など。「週刊漫画ゴラク」に「かぞく」を連載中だった。

・・・ 土田は1986年、投稿作「残暑」でコミックオープン・ちばてつや賞一般部門に入選。これが「未成年」と題したシリーズ連載の第1話となり、デビュー作となった。1991年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)で連載開始した、津軽の高校生が上京して演歌歌手を目指す「俺節」でブレイク。続いて1994年にはマンガ編集者に転身した元ボクサーの成長を描く「編集王」でヒットを飛ばした。

またヤングサンデー(小学館)にて連載された「同じ月を見ている」は、第3回文化庁メディア芸術祭優秀賞を1999年に受賞。同作は2005年に窪塚洋介主演で映画化もされた。その他の代表作に「俺のマイボール」「ギラギラ」「競馬狂走伝ありゃ馬こりゃ馬」「夜回り先生」など。

近年は週刊漫画ゴラク(日本文芸社)にてシリーズ連載「かぞく」を発表していた。本日4月27日発売の同誌5月11日・18日合併号には「かぞく」の最新話が掲載されている

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