ストレスフリーの資産運用 by 林敬一(債券投資の専門家)

新刊「投資は米国債が一番」幻冬舎刊
「証券会社が売りたがらない米国債を買え」ダイヤモンド社刊
電子版も販売中

107年目の優勝

2023年08月24日 | ニュース・コメント

「おめでとう、慶応義塾高等学校!」

 やりましたね、107年目の優勝。はっきり言って、まさかの優勝でした。優勝候補の中に慶応の名前はもちろん全くありませんでした。平成30年以来、出場すらなかった中での優勝ですから、当たり前です。

 しかし今回、甲子園の応援団だけでなく、卒業生たちの盛り上がりはすごいものがありました。同窓生のメーリングリストなどで準々決勝くらいからさまざまな激励メールが飛び交い、ちょっとしたにわか応援団ができていました。私も娘が慶応なので、LINEで娘とさかんにやりとりしました。彼女は野球部が平成時代の最後に出場した時、わざわざ甲子園まで応援に行っていました。しかし今回は松本市にいてそれはかないませんでした。ここ数年夏の間は「小澤征爾・松本フェスティバル」の手伝いをしているためです。

 

 高校野球の歴史をひも解くと1915年(大正4年)に大阪の豊中球場で第1回が開催され、慶応高校は第2回目の大会に初出場しその年に初優勝しているそうです。

 もうすぐ関東大震災100年の節目が来ますが、震災は1923年(大正12年)ですから、それよりも早い時代の優勝でした。その後も出場はしていますが、優勝はなし。

 私は大学だけ慶応なのですが、私の時代は甲子園に出場すらできない時代で、特に昭和37年から平成16年まではかすりもしない(笑)不毛の時代でした。当時の神奈川県の代表校は巨人の原監督を有した東海大相模や、平成の怪物・松坂大輔のいた横浜高校の2校に独占され、2校とも優勝が多く、慶応はおよびでない時代が続いていました。

 なのになんでこのところ突然強くなったのか、ご存知の方がいらしたら是非教えてください。全国から精鋭を集めるということをしたのでしょうか?監督はじめみんなで「野球を楽しむ」だけで優勝できたとはとても思えないのです。

 私の大学時代、6大学野球では慶応はとても強く、春・秋・春の3連覇を遂げた時代でした。それでも野球入学などの特待生はいなかったと記憶しています。昭和の怪物江川卓も慶応大学は受験で不合格にしているくらいですので。

 それが平成17年になるとしばらくぶりで甲子園に出場しましたが、それでも優勝候補などに名前が挙がったことは記憶にありません。平成も30年が最後の出場で、それ以来令和5年の今年は久しぶりの出場なのです。

 

 どうして強くなれたのかをネットを検索してみると以下の慶応高校野球部のサイトを見つけましたが、それでは秘密はわかりませんでした。

 

「慶應義塾高校での野球を目指す皆様へ」

慶應義塾高校野球部に関心をもっていただき、ありがとうござます。まずはこのページと「慶應義塾高校で野球をするために」、そして「よくある質問(FAQ)」をゆっくりご覧ください。また、ご質問がありましたら、下記の連絡先までご連絡ください。

入試制度

本校には一般入試、帰国子女入試、推薦入試の3つの入試制度があります(詳しくは本校HPをご覧ください)。もちろん、どれも簡単な試験ではありませんが、自分に合った入試を選び、準備や対策を早めに進めればチャンスは充分あるはずです。不安は先輩たちにもありました。一番大切なのは本人の「やる気」です。是非、チャレンジしてください!

 

 このあとは最近の野球部の戦績が記載されていました。これだけではなんとも言えませんが、野球一本やりで入学できるとは思えません。

 

なお、最初の行にタイポ発見、

>ありがとうござます。

 

ここで指摘されるなんて、みっともないよ!

早く訂正してね。

 

 今回の優勝を卒業生たちは本当に喜んでいるのですが、一方で「しらけた」という指摘をする人たちが多いことも発見しました。それらのほとんどは応援に対するクレームです。例えば「応援がうるさ過ぎる!」、「あれじゃ、仙台育英がかわいそうだ」、「育英の外野手二人がフライを取り合って落球したのは、応援がうるさくて声掛けが聞こえなかったからだ」とか、「球場全体の3分の2が慶応の応援団になっていて、フェアーじゃない」というような声です。

 この応援については、球場に足を運んだ娘も指摘していました。「関西地区には慶応OBがものすごくいて、みんなが応援に来ていたため、相手チームの応援席以外、ほぼ全員が慶応の応援団だった。ちょっと相手チームが可哀そうだった」と言っていました。

 私も含め大学時代には毎年春・秋の早慶戦で応援合戦を繰り広げます。学生たちはプレーボールのはるか前から入場していて、応援団の指導のもと応援の仕方をリハーサルで叩き込まれるのです。例の応援歌「若き血」はもとより、各バッターに送る声援の仕方、メガホンを使って声を出し叩くタイミングなど徹底的に仕込まれ、試合開始頃には声がかすれるほどでした。卒業後の同窓会などでも応援歌は必ず歌い、エールを交換します。なので、会場にいる卒業生たちはファンファーレが始まりを告げると、全員が条件反射で自然に応援を行ってしまうのです。

ごめんなさいね、仙台育英のみなさん。

以上、107年目の優勝でした。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする