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リーマンショック後10年に寄せて、その3

2018年10月17日 | リーマンショック後10年に寄せて

  「FRBはクレージーだ」と言ったトランプは、今度は「FRBは最大の脅威だ」と言っています。おなじように返してあげます。

  「世界にとって最大の脅威はトランプ、おまえだ!」

  最近世界のニュースを賑わしているのは、トルコのサウジ領事館におけるカショギというジャーナリストの結末ですが、つい数日前は同じくトルコに拘束されていたアメリカ人牧師が釈放されアメリカに帰ってきたというニュースでした。いずれもが中間選挙での共和党の劣勢に対して、わずかながら追い風を送っています。それでもいまのところ下院の共和党の劣勢は逆転するところまで行っていません。

  それをしり目にトランプは、

  「選挙で負けたとしてもオレ様の責任じゃない。オレ様は応援演説してやっただけだ。今回の選挙は大統領の信任投票などではない」と言ってのけました。

    なんという無責任かつ負けず嫌いの言い草でしょう。ここまで言われても共和党の候補者は情けないことにトランプに応援演説を頼み、トランプ支持を前面に打ち出して戦っています。

 

  ついでにトランプは中国を引き合いに出して別の予防線も張っています。「中国が中間選挙にハッキングして介入している。とんでもないやつらだ」。その次の予防線が何か、みんなであてっこでもしますか(笑)。

 

  さて本題の「リーマンショック後10年に寄せて」に入ります。

  「その1」ではリーマンショック後10年で、以下の3点の大きな変化が起こったと指摘しました。

第一は、震源地のはずのアメリカが10年後までに先進国諸国では一人勝ちした

第二は、危機後に報道やエコノミストなど誰もが言っていた「アメリカにも失われた10年が来る」というようなことは全くなかった

第三は、金融危機を作り出した側の投資銀行のほとんどが消えてなくなった。

  そして「その2」で指摘したのは、「バブルは渦中にいると膨張しているのがわからないが、ごく少数の人たちはそれに気づき、崩壊により大きな利益を上げていた」、ということでした。

  今回は、そもそもリーマンショックとは何だったのか、その内容を確認しておきましょう。そうすることでふたたび同様なことが起こるような事態に備えられるからです。

  9月に日経新聞でリーマンショック後10年というシリーズが掲載されました。その1回目はリーマンの当時の副会長にインタビューをしていました。彼の言い分を一言に要約しますと、

  「リーマンには十分に担保があったのに救済しなかった政府はおかしい。AIGなどは救済したではないか」というものでした。リーマンの東京の責任者も後で著書において同様なことを書いていました。しかし十分な担保があるならそれを売って資金を得れば倒産などしないはずです。

  リーマンショックの直接のきっかけは、信用力のない個人に住宅ローンを組ませ、その債権をリーマンがローン会社からまとめ買いをして証券化。証券化とは小口に分けて投資家に販売する手法で、リーマンと限らず従来から行われていた手法です。それが信用力のある個人へのローンなら問題ありませんが、ローン会社はろくに収入もないような個人にまで貸し出し、その債権をリーマンに売ることで自分は身軽になれることから、やみくもにローンを出しました。信用力のないローン、それがプライム以下、つまりサブプライムローンです。そして買い取ったリーマンを巻き込み、無間地獄に陥ったのです。

  サブプライムローンの証券化商品は債券の形をとり、金利が高いため国内・海外の投資家が飛びついたのです。この住宅ローンの借り手は当初の4年は金利を極端に低くしてもらえ、金利が上がる5年目になる前に住宅価格が上昇基調にあったため売却し、次の物件に乗り換え低利ローンで借り換える。このような4年サイクルが永久に可能だろうという甘い見通しの下に住宅の買い手とローン会社がはしゃぎ、投資銀行が煽ってその証券化商品を世界に売りまくったのです。

  リーマンはその商品を作るためにローン会社からどんどんローンを買い取り、それを短期資金の調達で賄っていました。ところが住宅価格が頭を打つと、すべてが逆回転し始めます。ローンの借り手は住宅を高く売却できないため5年目から高い金利に苦しめられ、支払い不能に陥る。するとそれを束ねて作った証券化商品にもデフォルトが起こり、それをしこたま仕込んでいたリーマンも在庫が不良化し、短期資金を再調達しようにも誰も貸してくれなくなる。

  政府もそんな甘い見通しの投資銀行は救えないためリーマンを救済せず倒産させました。リーマンの幹部連中が「担保はあった」と言うのなら、売って資金を返済すればいいのですが、そうはいかない。サブプライムの欠陥商品などに買い手はつかず、ローンの担保の住宅も暴落が始まっていて買い手など付きませんでした。

  リーマンの倒産は次の連鎖を呼びました。大手の投資銀行株が軒並み暴落し、金融界全体が次はどこかという疑心暗鬼状態に陥りました。リーマンショックの本質は、このあたりにあります。彼らの保有していた資産は一瞬にして流動性のない商品となり、不良化したのです。

  日本のバブル期も同様で、株の暴落に続き不動産価格の下落が始まったとたん、すべての不動産に買い手がつかなくなる、すると資金を借りて買っていた不動産の保有者は資金繰りがつかずに倒産する。そこに貸していた銀行も危機に陥る。

 資産価格の下落が保有者の資金繰りを悪化させる、それが金融機関全般に拡がると、金融用語では「流動性の枯渇」とか「流動性危機」と呼びます。

 私が自分のいた会社で経験した倒産の危機をここで紹介します。それはまさに倒産のニアミスまで行きました。

  私が89年にJALを辞めることを決め、ソロモン・ブラザーズに入社したのは90年初めです。そして1年半後91年の秋、突然ソロモンの社内に激震が走りました。ソロモン本社の国債トレーダーが米国債の入札で不正を働き、「米国財務省から国債の引き受け業務を停止する」という処分が下ったのです。ソロモンの資産は15兆円と極めて巨大で、それを短期の借入やCPで賄っていました。ところが資金の出し手はそのニュースに驚き、借り換えに応じなくなり流動性の枯渇に陥りました。

  あと数日でデフォルトになるという時点でソロモンが取った手は資産の売却でした。リーマンと違い15兆円の資産の中身の大半が米国債だったのです。何度も申し上げている通り、米国債は世界で最も流動性の高い資産、つまり売りたい時にいつでも、いくらでも売却できる資産のため、資金の借り換えが出来なくても米国債を売って資金を得ることで、資金ショートを乗り切ることができたのです。

  私は入社してまだ1年半しかたっていなかったため、このまま倒産したら路頭に迷うことになるだろうと覚悟を決めていました。しかしその危機をソロモンは難なく乗り切りました。それを可能にしたのは、資産の流動性の高さです。巨額の売却でも米国債の取引高は常に非常に大きいため、価格を暴落させることもなく、市場が吸収してくれました。その時の売却額は5兆円を上回ったといわれていますが、市場へのインパクトはほとんどないに等しいものでした。

  そしてもう一人の大きな救世主はウォーレンバフェットじいさんでした。彼は当時ソロモンに数億ドルの出資をしていました。そして不正行為により監督責任を取らされ首になった会長の代わりに、年収1ドルで会長を引き受けてくれたのです。不正はたった一人の仕業だとして救済を決断。オマハの賢人と呼ばれるバフェット爺さんの信用力に加え、米国債の信用力と流動性の高さがソロモンを救いました。

  米国債の強さは、リーマンショックの時にも発揮されました。それは世界の投資家が株式や証券化商品を売却し市場が暴落した中にあって、同じく金融資産である米国債だけは買われ、史上最高の高値までいくほどでした。

  ソロモンの倒産の危機とリーマンショック、大激震の走る金融市場で力を発揮したのは米国債でした。このことは今後どのような金融・経済危機が起ころうとも変わりません。教訓として頭に入れておきましょう。

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