河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2439- 作曲家の個展Ⅱ、一柳慧、湯浅譲二、都響、杉山洋一、2017.10.30

2017-10-30 23:40:33 | コンサート

2017年10月30日(月) 7:00-9:15pm サントリー

一柳慧 ピアノ協奏曲第3番 分水嶺 (1991)  4-7-6
 ピアノ、木村かをり

湯浅譲二 ピアノ・コンチェルティーノ (1994)  14
 ピアノ、児玉桃

Int

湯浅譲二 オーケストラのための軌跡(2017部分のみ)world premiere   2

湯浅譲二 クロノプラスティクⅡ ―エドガー・ヴァレーズ讃― (1999/2000)  16

一柳慧 ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 world premiere  8-25
 ヴァイオリン、成田達輝
 チェロ、堤剛

杉山洋一 指揮 東京都交響楽団


1981年から続くシリーズもの「作曲家の個展」、昨年2016年から刷新スタートの「作曲家の個展Ⅱ」、今日のコンサートはその一環。
二大巨匠作曲家、そして豪華4ソリスト、現音オーソリティスペシャリストコンダクター、現音にグッ・フィーリングなオーケストラ。最高峰のイヴェントですね。圧巻な揃い踏みの中にあって、フレッシュ・ナイス・ガイのヴァイオリン成田さんはお初で聴きます。

拝聴席はLCかぶりつき、鍵盤側。
P席クローズ、LARAも奥の方はクローズと見えました。そこそこの入り。聴衆には現音もので著名人な方々はこのての演奏会ではだいたい見慣れているものの、日フィル1代目渡邊巨匠の息子さんとか、今を走る鈴木両巨匠兄の息子さんとか、色々とおりましたのでちょっと雰囲気がいつもと違うようなところがありましたね。個展作曲家ご両名も1階中央横通路後ろ1列目に陣取り。

湯浅の軌跡は未完のため完成部分2分のみ。軌跡のかわりにクロノプラスティクⅡが演奏されたという状況。(これはこれで僥倖、ホントはこうしたかったんではと勘繰るの、神のみぞ知る)
お二方の他作品は演奏会では比較的有るもの、とはいえこのようにクローズアップされた演奏会にいつも出掛けているかというとそうでもなくて、まぁ、そこそこ聴いていて、さりとて、その良さは分かるものの、二人の作風の違いなどと大それた話はまるでわからない。


プログラム前半は14型で概ね2管。後半は16型概ね3管でパーカス類も増える。最後のダブルコンチェルトは14型だが3管を保持と見えました。コンチェルト系は14型、オケ物は16型といったところ。後半はひな壇下げてフラットな床配置vln1-2-vc-va-cb


最初の作品は一柳の分水嶺。
ふわっと浮くような感じ、コンパクトなサウンドでピアノがよく聴こえてくる。中間楽章は世界の惨状に対するレクイエム。終楽章はピアノとオケが律動を繰り返す。オーケストラの際立ったプレイがソロを凌駕する。
サブタイトルからは、分れていくものをイメージする。分かれていったものではなくて、分かれ際のことだろうか。アンダンテ-アダージョ-アレグレット、終楽章での弾みはその際での動きを表しているのかもしれない。聴後感としてはつまり分水嶺に至るまでの事と認識。
全体として浮遊感があって、暗さや重さは殊更感じるところはない。レクイエムの深刻さもほどほどといったところか。一柳流タッチの感触を味わえました。いい作品ですね。若いピアニストに鳴らさせるのもありかなと思いました、是非。


2曲目は湯浅の作品。
湯浅の作品を初めて聴いたのはこれ。
849- オーケストラの時の時 ギーレンN響 1977.4.22

もはや忘れていることの方が多いわけであるが、その後も相応な数聴いてきた。理系的な光のようなものを感じる作品が多いと思う。物理的な解決に全てを任せているわけでもないといったところもあるかと。

ピアノ・コンチェルティーノ、既存フォルムの選択の中に新しい表現の可能性を探す。
オーケストラの息の長い静かな流れが伴奏となりながら、ピアノは細かくせわしなく動き回る。両方の音符ともに明らかな作為であって、それら要素から何が見えてくるかということ。
オケの流れは非常にスタティックなものであり単なる伴奏とは違った自己主張が垣間見える。児玉ピアノは生き生きとしたタッチでみずみずしい。一見バラバラなオケとピアノだが頭はきっちりと合わさっている。既存フォルムから何か出てきたような気がしないでもないのは、一柳の一曲目と同様、ふわっと浮く様な感じの手触りながらこちらは、鋭角的な光がちらちらと見えてきて、それは摩擦感のようなものからかもしれないといったあたり。
融合はしなくてもいいのではないのか、このままで。ぶつかり合うその先にあるものが見えてくれば。
12音、ショパンへのオマージュ、バッハ的音像軌跡、オーケストラとの非同化、等々。興味深く聴かせてもらいました。

ここで一服。

後半は、完成に至っていない軌跡。その完成部分をカップル・ミニッツ、聴かせてくれた。
16型概ね3管のオケ仕様。なにやら前半とは随分と雰囲気が違う。本格的な感じ。おお、オケの醍醐味が始まるのだな、と。
2分のみだがサウンドは圧巻。本格的なオケサウンドにサントリーの空気が揺れる。磨き尽されている、管弦楽の醍醐味、全曲を早く聴きたいものだ。
ここでこちらも一服から湯浅モードに戻り、次の作品へ。

クロノプラスティクⅡ。
ショットの湯浅譲二カタログを見ると一連のクロノプラスティクがわかる。
1972 クロノプラスティク -between Stasis and Kinesis
1999/2000  クロノプラスティクⅡ Hommage a E.Varese
2001  クロノプラスティクⅢ -Between Stasis and Kinesis-
                                         -In memory of Iannis Xenakis-

今日の演奏はこのうちⅡ。
ヴァレーズ讃、といってもヴァレーズのことは演奏会でたまに取り上げられる以外よく知らない。音を聴くだけなんだが、なんだか、ヴァレーズから得たインスピレーションがそのまま作品になったような素晴らしさ。たっぷりと鳴り渡るサウンド、研ぎ澄まされた響き。彫琢美がさえわたる。鋭角的で明るい色彩。オーケストラが艶やかに表現、お見事。音圧がそのまま美になるようで圧巻の演奏。さりげない終止が余裕を感じさせてくれる作品。一聴して考え抜かれた完成度の高い作品だなと思う。インスピレーションから作られていると思うので、後で修理しようと思ってもできないだろう。そんなこと作曲家は考えたことも無いことと。鋭い感性がストレートに出ている、パーフェクトな作品ですね。タイトルも含め色々な事を知りたくなりました。

最後の作品は、一柳に戻って、ダブルコンチェルト。世界初演。
バレンボイムと同い年の堤さんが、半世紀年下の成田さんと共演。終始、中腰に構えた大柄な成田がチェロに寄り添うように弾く。なんだか、微妙な味わいだ。

3つの楽章とあるが1楽章は分かるものの、2,3楽章の境目は分からなかった。序破急の投影ありとの事。30分越えの大規模な作品でした。
ヴァイオリン、チェロともに息をころして出のタイミングを指揮者凝視で。ソロはそれほど長くは続かず、それぞれの楽器が活躍、ときに重奏で。
チェロの堤サウンドは思いの外、しなりがあって前に出てくる。長めの技をあまり考える必要がないせいか、力学的負担からは解放されているように見える。技巧駆使をソリストに殊更に要求しているような作品には見えない。
曲は最初こじんまりと、だんだん大きくなっていく。後半、オーケストラは弦を中心にしてスケールの大きなユニゾン的動きとなる。時に細やかな変化もある。ソリストはその大きな波に乗っていくようで、とてもプレイしやすく見える。
湯浅作品とはだいぶ違う。しなりが前面に出てくる一柳流な風情が心地よい。最新作がダブルコンチェルトとは、そういった出来事がいつかはあるとはいえそれが今日というお話しで、仕掛けは専門家に任せるとして、この大きな作品、特に後半楽章は耳が色々と何かに触発されていくようで、緊張感の中にもエンジョイを実感できた作品。ちょっと興奮もしましたね。

といったことで、興奮、刺激は多分に指揮者の杉山さんがもたらしてくれたところも大きい。細身で明快な棒は新作でも変わらない。譜面台からこぼれ落ちそうになるぐらいデカい譜面を前にオーケストラに的確に、ポイントをついた指揮技、精力的でエネルギッシュ。これだけやってくれれば今日の5品も大喜びだろう。鮮やかなタクトでした。彼の棒は年に何回か観ることがあって、まぁ、作品に愛を感じてなければ出来ないものだろう。熱愛ですな、作品への。
湯浅さんはクロノプラスティクⅡの初演に満足していなかったと述べているが、今日の演奏はそういったことをワイプアウトさせたと思いますよ。
いい演奏会でした。ありがとうございました。
おわり

「コスモロジー」と「空間」 湯浅譲二と一柳慧のしごとから
小沼純一(音楽・文芸批評/早稲田大学教授)

 




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