河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2437- グリンカ、ボロディン、リャードフ、R・コルサコフ、プレトニョフ、東フィル、2017.10.23

2017-10-23 22:38:33 | コンサート

2017年10月23日(月) 7:00-9:15pm サントリー

グリンカ 幻想曲カマーリンスカヤ  8
グリンカ 幻想的ワルツ  9
グリンカ 歌劇『皇帝に捧げし命』より第2幕「クラコヴィアク」  5
ボロディン 交響詩『中央アジアの草原にて』  7
リャードフ 交響詩『魔法にかけられた湖』  7
リャードフ 交響詩『バーバ・ヤガー』  4
リャードフ 交響詩『キキーモラ』  7
Int
R=コルサコフ/歌劇『雪娘』組曲  4-3-2-4
R=コルサコフ/歌劇『見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語』組曲  5-3-5-7
R=コルサコフ/歌劇『皇帝サルタンの物語』組曲  5-6-9
(encore)
R=コルサコフ:歌劇『皇帝サルタンの物語』から 熊蜂の飛行  (未聴)

ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


前週の鮮烈な演奏会のほとぼりが冷めぬままこの日を迎えた。
演目はがらりと変わりオール・ロシア物、前半に7ピース。後半は3オペラの抜粋物。
国民学派のエキスを作曲家時代順に並べたもので、こうやって聴き終えると、慎ましくも華麗な良きロシア音楽、珠玉のピース。グリンカ、ボロディン、リャードフ。愛しき佳作たち。溢れる音の玉手箱。愛しむような演奏で、どれもこれも味わいが深すぎて、なんだか、たまらない。

プレトニョフは棒と腕を自分の胸より上でしか振らない。下げるようなアクションでオーケストラに指示することが無い。常に高い位置でのタクトであり、軽く振っているようでありながらプレイヤーたちから見ると棒の視界良好で、大振り不要、指揮者のやりたいことがよく見えているのだろうと、反応の良さを聴くにつけ、そう実感する。
指揮者、プレイヤーが一体となった演奏で、味付けが実に自然に音楽の表情となって表れている。派手に鳴らすことのないロシア物は本当に神髄のエキスを搾ったかのようでこの上なく美しい。

グリンカの3曲は民族色を感じさせながら品のある佳作であることをプレトニョフの知性の棒が鮮やかに示してくれる。跳ねるようなリズムと流動感。落ち着きのある木目のような質感。切れ味の良いオーケストラの演奏は出色。オーケストラがうれしくて、はずんでいる。

平原が目に浮かぶようなボロディンのあとリャードフまとめて3連発。細やかさと水上の光の反射を思わせるようなややウェットな趣きは、プレトニョフにより合っている。
グリンカの3ピースを実演で聴くことは無くてそういったフレッシュさもある。このリャードフは演奏会に並べられることがあるので聴くことが出来るのだが、こうやってプレトニョフの棒で三つ続けて聴ける喜びは格別のものがありました。もはや、絵の具とパレットと筆、といった感じで、情景が色彩豊かに鮮やかに描かれていく。これらピースにこれ以上の長さは無用であり、キャンバスのサイズをわきまえたもので、描かれる美しき絵。情景は動いているようでもあり、聴後感はフレームにおさまっているようでもある。

もうこうなると、知性と美意識の塊ですな、プレトニョフという指揮者は。音楽と絵の違いがよくわからなくなってしまった。
イエローレーベルを中心に彼の音源は割と持っているのだが、随分と前の買い物で、今、こうやって聴くことが出来るのは僥倖以外の何ものでもないとつくづく感じる。


プログラム前半の佳作を愛しむように演奏したプレトニョフは後半でR・コルサコフを並べた。オペラ3作品のスイーツで、それぞれ演奏会でもたまに取り上げられる。
これらのオペラ上演は観たことが無いのでイメージを持っていなくて組曲だけで何かを思い浮かべるというのは難しい。音源は持っているのでたまに聴くことがあって、ワーグナーという余計な引用説明がやっかいで不要と思って聴くキーテジは馴染みのもの。作曲者独特のやにっこい響きからシルヴァーな色あいを感じさせる明るさまで艶やかに響く。2曲目からそのまま3曲目になだれ込む戦いは、肩の力が完全に抜けて心地よくプレイしている東フィルの腕前が聴きもの。リラックスの表情は極上、プレトニョフのマジック棒がさえわたりますなあ。

キーテジの前の雪娘は律動中心の曲で、静かな律動といった感じで、弾むオーケストラの響きがやたらと美しい。マーベラス。

最後に置かれた皇帝サルタン。これは3曲もの。3曲目が長くて盛り上がりを魅せるものなんだが、今日こうやって聴いてくると、全体が静かなざわめきといった印象が支配していて、全くうるさくない。音楽の前進する力は横に置いて、一音一音の切れ味の良いこと。角張ったところがまるで無くてむしろまろやかでさえあるのだが、弾むオケのこのサウンド。まるで力んでいなくて、個人個人のプレイヤーはプレトニョフのモーションと同じレベルの音圧で弾き吹き叩いているのに異常にピッチがあっていて、アンサンブルのサウンドバランス良好、そのほか色々とあって、それほど力入れずとも弾力性のある音が自然に出てくる。音楽が良く整っていると感じる。収録マイクがこういったところをどれだけ録れるものなのかわかりませんけれども、なかなかこういった味は掴み辛いのではないかと思う。力まない佳演をどれだけマイクが拾うことが出来るのだろうかといったあたりの話ですね。まぁ、余計な心配か。


今日の演奏会は小品をたくさん並べた演奏会でしたけれども、演奏会というイヴェントが拡散してしまうことがなくて、佳作が結束してしまった!、結びつきを感じさせてくれたという印象が強い。後半にオペラの組曲を持ってきているので全体が安定、プログラムビルディングの妙も感じさせてくれるもので、プレトニョフこだわりも見える中、演奏行為がとっても知的で美しい。彼の美意識の一端に触れたように思えた一夜でした。
次回はピアノも。

先週、今週、とても充実した演奏会を満喫できました。
プレトニョフさん、ありがとうございました。
おわり