河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2431- ハイドン受難、マーラー亡き子、小野美咲、シュベ5、未完成、プレトニョフ、東フィル、2017.10.18

2017-10-18 23:45:45 | コンサート

2017年10月18日(水) 7:00-9:30pm コンサートホール、オペラシティ

ハイドン 交響曲第49番ヘ短調 受難  9-7-4-3

マーラー 亡き子をしのぶ歌  6-5-6-3-7
 メッゾ、小野美咲

Int

シューベルト 交響曲第5番変ロ長調  7-11-5-7

シューベルト 交響曲第7番ロ短調 未完成  16-14

ミハイル・プレトニョフ 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


鮮烈な演奏会でした。最後30分におよんだ未完成の奇跡的な演奏は神棚に置くとしても、全て指揮者プレトニョフの美意識の在り方、それ以前に美意識の存在を実感させるもの。音楽の使徒。知性に裏打ちされた丹念な表情、張りつめた演奏は透徹した眼と耳が全てを隈なくコントロール出来ているから。オーケストラの必死のプレイはコントロールとは自己の最高のものを出すことと知り最善の力を出し切った。極限のコンセントレーションを課しそれを喜びとして究める。たぐいまれなる演奏会となりました。

プレトニョフがこのオケにもたらす緊張感というのはミュン・フン・チュンのそれとは随分と違うと思うし、その距離があればこそ、切り替えの集中も出来るというものですね。両指揮者を得ている東フィルさんは幸せ者ですよ。

当夜の演奏会、最初の音はいきなりダーク模様のハイドン受難シンフォニー。ダークといいますか、ソナタシンフォニーらしくない第1楽章のストイックなまでの塗りこめられた悲しみが全てを覆い尽す異色のシンフォニー。まず劈頭のこの演奏に吸い込まれた。
緊張感に溢れた演奏、何よりもアンサンブルの呼吸が素晴らしく良い。プレイヤーの息が一つになっている。フレーズの閉め具合も引き延ばしを排したものできっちりと揃って閉まる。これだけきまると何やら一つ一つのフレーズに有り難みを感じる。悲しみの表現と静謐さに満ちた演奏でした。
このアダージョ楽章で満ちて次のモルトアレグロ2楽章がまた申し分なく凄まじい。アレグロとはまるで思えない。第1楽章に迫るタイミングとなった超スローな第2楽章。音楽の表情とは凄いもんだ。プレトニョフのインスピレーションが乗り移ったかのような演奏は第1楽章と、思いが相似形。なんという音楽の形。あり得ないと逆説言葉が似合うのよ。
もはや、ここまでで全てが済んでいる気もするのだが、音楽は進む。次の楽章メヌエットはスケルツォ的でトリオでようやくこの曲、初めての長調、明るい響きが少しく感じさせてくれる。音楽の色模様。素晴らしいオケの緊張感と多彩な表現。
終楽章の律動はそれほどでもないはずなのに、何か突き抜けるようだ。ストリングの活力ある立体的な刻み、オーボエ、バスーン、それにホルンという管族の主張も心地よい。弾力性に富むもの。しかし短調に支配された旋律は最後まで変わらない。プレトニョフのボディーブロー、いきなり堪えますな。

2曲目はマーラー。ハイドンとの距離を感じる間もなく、おお、同じモードだと。
マーラーチックに流れるような演奏とは一線を画するもの。歌唱と伴奏オケだけのところのテンポ感が一致していて、コクのある歌に伴奏越えで寄り添う。ハイドン受難第1楽章の色がここでも塗り込められる。光はどこにあるのだろうか。
メッゾの小野さんの歌はとても素敵で魅力的。ツルツルではなくザラリとしたものでハードリカーのようなドライさも感じられる。歌詞との一体感の歌い口には情感がとてもこもっている。すらりとした体躯、2曲目では大きな声量でびっくりするところも。振幅が大きい。ドラマチックな歌い口になるところもあるけれども知性が覆っている感じ。プレトニョフと同じ空気を感じる。
ゆっくり目のこくのある3曲目、それに5節全て「こんな天気」から始まる終曲5曲目、宝石のよう、精緻な歌唱とドラマ、オーケストラの綿密なアンサンブル。クライマックス。
歌い終えて舞台から去りプレトニョフに急かされるもしばらく出て来なかった小野さん。おかげでこちらは感動の余韻に長く浸ることが出来ましたが。

長い演奏会の気配、濃厚。と、プログラム冊子をあらためて見てみると、なんだやっぱり、終演予定21:20と書いてある。こんなに充実した演奏会なら何時間かかってもいいわ。

ハイドンとマーラーの距離、そしてシューベルト、と。なんだか雑多だが、聴くと同じようなモードに襲われる。

シュベ5と未完成。まさか同じほどの時間がかかるとは思ってもいなかった。
5番の配置はコンパクト。ウィンド4管からクラを除いてホルンが入る。あとは弦。と、配置はコンパクトなんだが、それよりも前半の湿り具合がここまで連続している気配が濃厚で編成の小ささは感じない。むしろ大きな作品だなと実感。手応え十分です。
フレーズの頭に殊更にアタックを入れることなくむしろ曲想の変化を浮き彫りにしていく。練られたアンサンブルが各パッセージの最後の一音まできっちりとプレイ。丁寧な演奏で柔らかなニュアンス、生きたアンサンブル。緊張感張りつめた演奏会ではあるのだが、聴くほうとしては味わい尽くすだけの価値のあるものがここにはある。緊張が良い方向に作用している理由はプレトニョフに拠るものであることは明白。秋の夜長に食べつくすシューベルト。

最後の曲は未完成。
破格の演奏となりました。管が5番に比べ巨大編成となるのだが圧力は感じない今日の演奏会。ブラスセクションによるアタックはダイナミック、かつ、精緻。ウィンド、弦は入念。シューベルトの神経細胞を垣間見るような演奏だった。
第1楽章は提示部リピートあり、16分をかけたコクがあり過ぎまくりのプレトニョフのマジカル棒に悶絶。なんという深い闇。そこから現れる最初の音でテンポが決まる。最後までこれで行く。闇の第1主題。やや明るくなったか副主題。揺れるベース。鋭さを増すブラス。神経細胞の中心ウィンドセクション。弦が艶やかに艶めかしく歌う。これらが一体となった呼吸。あきれ果てるようなアンサンブルの極意。あまりの鮮やかさにぐうの音も出ない。もはや、タップ。たっぷり浸るしかないのだよね。

アタックは強くないのだが引きが見事で流れとしては立体的な音響を聴くことになる。ふわっと引く感じ。プレトニョフの指揮ぶりと似てなくもない。

神経細胞になるウィンド4人衆それにホルンには厳しい世界の第2楽章。何事にもかき消されずこの傑作を吹き尽さなければならない。再現部第2主題は名状し難いもので、フシを追えなくなった。弦の刻みに浮き上がるオーボエとクラリネット、厳しくも別世界。ゆっくりと美しく奏される。
第1楽章と同じテンポで進めているためか、この楽章14分。ロングな経過時間となりましたけれども、ピシッと張りつめた空気が心地よい。ひとつずつ入念に音を重ねていく。シューベルトの色あいが浮かび上がる。絶妙なニュアンス。指揮者が示したバランス感覚を見事に表現した東フィル。このテンポであれだけの緊張を保持するのは至難の技。いや、あれだけの時間が必要だったのかもしれぬとも思う。深い思考の30分に浸ることが出来た。
申し分ない大きさの未完成、秋の夜長に全貌を現したシンフォニー、食べ尽しました。ごちそうさまでした。
巨大な名演でしたね。
おわり


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