2017年6月9日(金) 7:00pm コンサートホール、東京オペラシティ
岸野末利加 シェイズ・オブ・オーカー (世界初演) 21′
ターネイジ ピアノ協奏曲(2013) (日本初演) 5-9-7′
ピアノ、反田恭平
Int
一柳慧 交響曲第10番(2016) 14′
池辺晋一郎 シンフォニーⅩ(2015) 16′
ローレンス・レネス 指揮 NHK交響楽団
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岸野末利加 シェイズ・オブ・オーカー。
ご本人による日本語訳は、オークルの陰影。
オーカーは黄土や赤土。顔料や絵の具で、顔料が周波数を反射・吸収した結果のスペクトラムがひとの目に色彩を感じさせてくれる。同じように、音の周波数成分は音色として耳に伝わると。
シェイズ陰影というのは色の陰影の事なのか音色の陰影の事なのかはたまたオーカーの色彩が音楽に陰影として作用したといった事を言いたいのか、プログラム解説を読んでもいまひとつわからない。音で土のこと、顔料の飛び散らせ、塗りつけ、垂らすことによる絵画を描くことをしたいとあるので、音による模写なのかイメージの標題音楽のようにも思える。
高音クラスターの幅の中でグリサンドするように聴こえてくる。金切声のような耳障りな音、束で何かにぶつかるようなしこりのような音。パーカッションの強烈な叩き。なんだか1970年代に戻ったようなその頃の流行の作品がもう一個追加されたような感じです。
オークルのインスパイアものかもしれませんが、枠がある自由度を感じる、閃きは全てを突き抜けていくものだろうと思う。
ターネイジ ピアノ協奏曲
今、大活躍の反田さん、お初で聴きます。
この作品については語法というか表現手段については割とはっきりと書いてあって、スウイング、ストライドピアノ奏法の活用、超絶技巧で挑発的と。その辺、明快ですね。ある種の素材はフル活用という感じは見ていてもわかる。
1,3楽章は急・急で音がせわしなく目まぐるしく動きまくる。ピアノの反田はオケ伴だけのところでは手で拍子をとっている。ああしないと次の入りのタイミングが簡単にはとれそうもない。ただ、叩きまくるという感じは無くて弱音からメゾフォルテあたりまでの音量変化が何階層かあって、実際のところ余裕弾きのように見える。オーケストラはコントロールされていてピアノはよく聴こえてくる。厚みより流れを感じさせるオケ、ピアノの乗り具合が小気味良い。語法のシャッフルのような音楽が冴える。
2楽章は緩。急と急の間に挟まれるようにウェットで緩やかでロマンティックな緩徐楽章。
この楽章には副題がついている。「ハンスのための最後の子守歌」。ハンス・ウェルナー・ヘンツェの訃報に接して書いた作品をオーケストラ化したもの。そう解説にはあるがデディケートされたものではないように見えるので、そこにウエイトを置いた聴き方はしなくていいと思う。落ち着いたいい音楽です。反田ピアノも冷静で響きに余韻や艶がある。隙がない演奏です。
反田は淡々としているというよりもむしろ、あっさりとしたもんで、マイウエーの世界観を感じさせてくれる。いいピアノでした。
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後半2曲。
一柳のシンフォニー10には長い副題がついている。「さまざまな想い出の中に―岩城宏之の追憶に」
岩城宏之没後10年に合わせたシンフォニー10番なのだろうか。それはないだろうとは思うのだが。
打楽器奏者岩城宏之のイメージも組み込んでいるとの事。打楽器奏者だったからこのシンフォニーにも打楽器要要素で岩城宏之のイメージ感をだそうとしているのか。おかしいとは言えないが、それだけだと、シンフォニーとしての限界もありそうだ。
大時代的な作品は10番でも同じと思う。
池辺のシンフォニーⅩ、エックスではなく10です。なぜこのような表記なのかは不明。この作品にも副題がついている。「次の時代のために」、武満の言葉にインスパイアされた作品のようです。解説通り進む音楽。自作の引用のことを書いてあるが、自作の引用と言われても、引用された音楽を聴く機会もないし、説得力あるものではない。こうゆう言葉は無い方が雄弁である。
大時代的な作品と思う。
以上、一柳、池辺の作品は第65回尾高賞受賞作との事です。
おわり