河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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2355- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.1

2017-06-01 23:25:08 | オペラ

2017年6月1日(木) 4:00-9:45pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ジークフリート  80、74、79

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1. ミーメ、アンドレアス・コンラッド (T)
2. ジークフリート、ステファン・グールド (T)
3. さすらい人、グリア・グリムスレイ (BsBr)

4. アルベリヒ、トーマス・ガゼリ (Br)
5. ファフナー、クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
6. 森の小鳥
6-1. (黄) 鵜木絵里 (S)
6-2. (白) 吉原圭子 (S)
6-3. (緑) 九嶋香奈枝 (S)
6-4. (赤) 安井陽子 (S)
6-5. (青) 五月女遥 (ダンサー)

7. エルダ、クリスタ・マイヤー (A)
8. ブリュンヒルデ、リカルダ・メルベート (S)

飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団

(duration approx.)
ActⅠ 30+23+27
ActⅡ 23+28+23
ActⅢ 18+14+47


初台ジークフリート。
7人衆、オールスターキャストによる6回公演の初日。

第1幕の舞台は森の中、カミテ手前四分の一ほどをノートゥングの鍛え小屋。ちょっと窮屈な舞台。グールド扮するタイトルロールはこの幕の3場を中心にこの小屋の中で歌うことが多くて、屋根があることからポジション的には声が通りにくくなる。会場に声が相応に聴こえる範囲が、この制約が無ければ聴こえていたはずの位置の人たちにおよんでしまい、あまりいい舞台配置とはいえない。
グールドはおなかのあたり、肥え過ぎ。身動きがとれない。ロールの動きとはかけ離れたもので、声もあまりでていない。特に長いフレーズはこなれていない。長丁場なので抑えているのかもしれない。
この幕は3人だけしか出なくて、2場のコンラッドのミーメ、グリムスレイのさすらい人、この二人による掛け合いが見事でしたね。
コンラッドは1場から出ずっぱりで独特の芯のある通る声、明るくて気持ちの悪いテノールでキャラクターもきまっている。憎めない悪者イメージでかたまっている。
グリムスレイのさすらい人は風体がきまっている。高低滑らかに一律な声質で前に出てくる。素晴らしい。
この二人のキャラがきまっていて、相違が際立ってよくわかる。キャラのぶつかり具合まことにお見事で聴き応え十分。
3場は最初に書いた通り、グールドのノートゥング鍛えながらの歌唱は、迫力はあるが全力という感じではない。歌う位置がよくないのも影響しているかもしれない。ここでもコンラッドのほうが充実しています。それに東響のカミソリサウンドが気持ちよく響いてくる。
それから、終盤、ミーメが白水玉模様の赤い傘をさして歌い始めるけれども、このてのアクセントはやりつくされている。1996年というから20年以上前のゲッツのプロダクション、古さが否めない。今となってみれば陳腐なもの。

第2幕はアルベリヒから。1幕のミーメのキャラとはがらりと異なる。本当に兄弟なのだろうか。陰と陽。ミーメに無いところを全部アルベリヒが持っているという感じ。シリアスなヒール感満載のガゼリ。1幕の3人衆は初日だからかきれいに髭剃ってましたがガゼリは結構伸びている。
2シーズン前のラインの黄金で同役。色々と思い起こしますね。
ジークフリートでのアルベリヒは地を這いまわっている。彼がいると場が締まる。ミーメから一段下がった声でドスが効いている。滑らかで兄弟の歌唱としては納得できる。凄味のあるバリトン。
ちなみに、ラインの黄金とこのジークフリートは役どころが似ていて、かつキャストは2シーズン前と同じです。違うのはグールドがローゲからジークフリート役になっていること。それにさすらい人。

ラインの黄金を観ていないと、ファフナーの大蛇出現は唐突感ありまくり。ストーリー的には納得できるものだが、舞台上の出来事を視覚的な流れで観るとやっぱり、突然変なものが出てくる感じで多少の違和感あります。まぁ、ここが無いと指環が手に入らないのでポイントになるシーンではあるのでしょうけれど。
ヒューブナーは大蛇的な歌で威厳さえ感じさせてくれる見事なバス歌唱でした。ジークフリートでなくても、ファフナーの死に際にもの思うところがあると感じてしまうような説得力のあるものでした。

と、両腕があって大きな指が舞台に出てきてヤラレタところで風船の空気が抜けるようにしぼむ。ファフナーに戻ったヒューブナーはそこにごろりと転がる。舞台中央。
そのままの状態で、ミーメとジークフリート、毒薬がどうだこうだとやりあってミーメがヤラレテ、彼も舞台上にごろりと転がる。二人ともお陀仏。場がかなりゴチャゴチャしている。舞台が狭い。

最終的に舞台は片付けられたような具合になりジークフリートが第3幕をめざす。
ラインの黄金と違い場面転換の音楽が際立っていないジークフリート。舞台も連続したもの、スタティックなもので動きが無いなか、森の小鳥を4人で歌い分ける。黄白緑赤の鳥衣装、そしてダンサーの青の小鳥とブリュンヒルデをめざす。
グールドの歌唱は2幕になって少し楽になったように見うけられる。

第3幕になって初台の舞台がようやく動く。中央一人でさすらい人の歌唱。進むにつれて床が上に動いていって下からエルダが出現。お互いの立ち位置がまるで見えないポジションながら両者見事な歌唱でした。指揮者を凝視することになると思いますが、なかなか素晴らしいものでした。エルダのクリスタ・マイヤーはいつもながら出番は少なくてもキーポイントになる役で、はずすことはできない。力感溢れるメッゾは自信の塊、幅広の声がホールに響く。ラインの黄金でのエルダそのもの。よかった。

2場のジークフリートとヴォータンのやりとり。ここらへんからグールドがさえてきた。きれいに響くヘルデンテノール、美しい。なめし皮のようなおもむきでブレスさえ美しく。伸びもよくなりハリも出た。これならヴォータンの槍を折るのも時間の問題と。

終幕終場大詰め。舞台が始まって5時間待ちのブリュンヒルデが目覚める時。ここの舞台転換、前シーズンのワルキューレの大詰めでのファイヤーが奥から手前に移動。久しぶりに初台の奥行きを感じる。大きな丸い鉄板のようなものの上に仰向けのブリュンヒルデ。5時間待ったが簡単には歌わせてもらえない。レーザー光線の中、ジークフリートの長い歌唱、不安と自信喪失が綯い交ぜになったようなものでグールドの歌唱が響き渡る。日本式に最後まで力をとっておいたのだろうか。1幕出足はいまひとつであったのがここでは取りあえず全開モード。
初台では主役を色々と歌っているメルベートが、口と同じぐらい目を大きくあけものすごい形相で聴衆を見据えながら圧倒的な歌唱。目と口に飲み込まれそうになる。
やや硬めだと思うのだが強い歌なので突進してくる芯の強さをまず感じる。丸みより鋭角な歌いっぷりでしなるように弧を描いて鮮やかに歌い切る。ジークフリートは手の中で踊らされているようなものなのか。
めでたしめでたしという歌詞ではないものの、一旦、ジーフリートとブリュンヒルデの思いは叶いオーケストラが大きなうなりを上げならフィニッシュ。

飯守の棒は作品のドラマチックな譜面以上の追い込みは特にしていない。濃厚な停滞、スカスカ猛速といった伸縮はそれほどでもなくて、むしろこの雄弁なオーケストラを存分に鳴らし彫りの深い演奏をしている。カミソリサウンドが強烈に鳴る中、ソリストたちの声が全くかき消されることなく前に出てくるのは指揮者の貢献有りますね。左手でソリストへの指示は割と見えるが大きなアクションではない。歌うほうがきっちりと見ているので乱れが無い。3幕の2場あたりでさすがにへばったような響きが感じられたオケでしたけれども、全体的には高レベルのアンサンブルで堪能。雄弁なオーケストラでした。

皇太子殿下臨席。全幕観劇。
取り巻きが多数でその周りも空席にしているため、2階センターはまわりもエンプティーシートだらけ。平日午後公演のため大きな影響なし。
おわり





   

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