河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

2357- ジークフリート、飯守泰次郎、東響、2017.6.4

2017-06-04 22:24:49 | オペラ

2017年6月4日(日) 2:00-7:50pm オペラパレス、新国立劇場、初台

新国立劇場 プレゼンツ
ワーグナー 作曲
ゲッツ・フリードリッヒ プロダクション
New production for opera-palace originally based on Finnish National Opera 1996

ジークフリート  80、77、84

キャスト(in order of appearance, also voices’ appearance)
1. ミーメ、アンドレアス・コンラッド (T)
2. ジークフリート、ステファン・グールド (T)
3. さすらい人、グリア・グリムスレイ (BsBr)

4. アルベリヒ、トーマス・ガゼリ (Br)
5. ファフナー、クリスティアン・ヒューブナー (Bs)
6. 森の小鳥、
6-1. (黄) 鵜木絵里 (S)
6-2. (白) 吉原圭子 (S)
6-3. (赤) 安井陽子 (S)
6-4. (緑) 九嶋香奈枝 (S)
6-5. (青) 奥田花純 (ダンサー)

7. エルダ、クリスタ・マイヤー (A)
8. ブリュンヒルデ、リカルダ・メルベート (S)

飯守泰次郎 指揮 東京交響楽団

(duration approx.)
ActⅠ 30+24+26
ActⅡ 25+30+22
ActⅢ 19+14+51


初台ジークフリート2日目。
初日公演感想はこちら

終幕終場二重唱、大団円。
オペラ始まってほぼ歌いっぱなしのジークフリート、かたや5時間待ちのブリュンヒルデ。精力果てそうな男と眠りから覚めて回復力めざましい女のぶつかり合いの歌は、歌詞を追うとどうもやにっこくてすっきりしない。ワーグナーらしいといえるのかもしれないが、急がば回れ、でも廻って予定調和になるものだろうか。破滅への道を描いたようなものだ。
「愛こそは光り輝き、死さえも笑っている!」
「光り輝く愛、哄笑する死!」
わからなくもないが、なにもフィニッシュで使う語でも無いような気もする。屈折、言葉の選び、ストーリーテラーとしての作曲家は言葉一つで次のカミタソへの興味をつなぐことが出来る、この操りにやられてしまうんだよね。
一見、大団円。実は真逆。

グールドは初日同様、日本式に1幕2幕、エネルギー温存を画策。なるべく小出しにしてこの最後に備える。1幕より2幕のほうがエネルギー発散上昇気味に思えるのは喉の滑り具合がよくなったからだろう。あのはらなので動きで極力息があがらないようにしているところもある。
メルベートはこの場だけ。初日同様めざましい歌。口よりも目のほうの開き具合が大きいのではないかと思わせるような鬼形相。
両者それぞれのスタイルで歌う駆け引き、そしてデュエット。オペラを観る醍醐味、ここに極まれり!

屈折した歌詞、壁をかきむしる、怖れを認識したジークフリート、そこにレーザー光線。たぶん初演当時は斬新なものだったろうと思う。1点光源は下のほうの席でないと見えない。上では縦の光の平面的な広がりが見えるだけと思う。演出のインパクトはなるべく多くの聴衆が見えるようにしなければならない。ゲッツの演出は古いものだがそれよりもセッティングの偏りが目立つ。1幕1場の小屋がカミテに寄り過ぎてる。前のラインの黄金でも神様ダンスがカミテ過ぎた。この終幕ではなにやら上方を隠しているような気配があるので構造的に何か問題があるのかもしれない。いずれにしてもポイントになるところでの配置の悪さは演出というよりもここのスタッフの推敲がたりないせいではないか。
まぁ、興ざめになるところまではいかないが、この演出でもう一度、前2オペラみたいかというとそうでもない。

歌はお二方の全力投球。渾身の歌唱。色々と変化していく歌詞とともに揺れ動く心の微ニュアンス、動き。大胆で圧倒的な歌唱。シームレスでエナメルのような光り具合。何層もありそうな強靭な声。そしてコントロール。
メルベートはやや硬めでホールを抱擁するような鳴りというよりはストレートな声で、声量の加減がそのままホールでの響きの強さに比例するような感じ。オーケストラの音量に負けない馬力には恐れ入る。
グールドは初シーズンのラインの黄金でのローゲのインパクトが今でもありありと思い浮かべる、というかずっと残っていてそれを払しょくするのは簡単ではない。ジークムントを経てジークフリートへ。なめし皮のような光沢、黒光りするヘルデン、もげない吊り橋のようなしなり具合。素晴らしい。
終場、二重唱、堪能しました。

指揮の飯守の弁。
この終幕終場大詰め、指環全体の一つの頂点をこれまで実感してきた。しかし、二重唱に含まれる半音階の動き、双方の歌詞内容にあるすれ違い意味の陰りを看過すべきでない。と感じるようになった。最高潮という印象になりがちな幕切れを、より深い意味を孕んだドラマとして演奏したい。

といったあたりのことをプログラムノートに書いてある。演奏はまさにその実践だったように思います。
3幕の1場2場はあわせて30分ほど。そのあと長大な二重唱となるわけですが、初日より5分ほど長くなった演奏。初日は力感が勝っていたと思う。今日はほぐれた感じで余裕のある響きのなか、歌唱の流れは自然になり、歌詞に合った屈折、半音階のあたりの味わいもまことに深いものがありました。そんな中、ダイナミクスの振幅の大きさ、ピット内最大限のパースペクティヴ感。圧倒的。濃い棒でした。
このオーケストラの反応の速さ、そして全体性能の良さ、飯守は安心して自分の解釈をオーケストラにゆだねている。その分、左手を中心としたソリストたちへの指示はそうは多くは無いものの増して雄弁になり、それが生きて功を奏しまことに味わい深い、かみしめて聴く様なコクのある表現となりました。
ピクリと動く手に圧倒的なサウンドを奏でる東響のプレイの凄さは筆舌に尽くし難い。驚嘆のオーケストラ伴奏。これがあってこその7人衆の見事な歌唱が出来上がる。

1幕でのミーメ、それにヴォータンとの掛け合い。
2幕でのアルベリヒのきまりキャラ。ミーメとのやりあい。ファフナー最期歌唱。
3幕エルダの強靭でホールを席巻する声。
オールスターキャストの凄さを全部堪能しました。よかったよかった。
おわり