『日本中国学会報』19、1967年11月掲載、同誌
159~177頁。
昨晩読んだ10年ほど前に書かれた某論文で依拠されていたので遡って見る。一篇の肝となる史料について、筆者による読解が唯一の正解という確信は、少なくとも私は持たされなかった。
『史学雑誌 1967年度歴史学界の回顧と展望』を開いて見るに、「五代・宋・元」(千葉焈執筆)で取り上げられている。
自然と人為とを本と末という形式のもとに区分し、自然にはたらきかける人間の主体的能動性に注目するのが王安石の基本的発想であるとし、ここから彼の性情論(人間論)・政治論・歴史論を分析する。 (227頁)
と紹介される。以下その評価が続くのだが、それらはこの基本分析もしくは理解が正しいとすればの話であるからここでは省略する。
ここに書かれなかった内容を補足すれば、内山氏は王安石の思想においては「自然」と「人間」の対立(氏の言葉を借りれば対置、また自然の客観視、また後者は前者の従属物であることを止めたという言い方)が起こっているとする。しかし、それイコール伝統的な中国における自然・人間観、すなわち後者は前者の一部であるという見方を王安石が完全に否定したものと理解してよいのかどうか(私の言葉で言い換えれば王安石のなかで両者の間に切断が起こっているのかどうか)だが、それは必ずしもその根拠となる史料の読みからは十分な説得力をもって私に迫っては来ない。
ただ、「本」と「末」というのは本来主要部分と枝葉の部分、あるいは原因と結果という意味の語である。つまり自然・人間一体観の上に立つ概念と用語のはずで、上記の王安石の思惟像が正しいとすれば、彼は新しい意味でこの「本」と「末」とを用いたことになるのだが、筆者はこの点については、その他の実例を添えての注釈を加えてはおられない。
包含されていても、その一部(枝葉)として人間が主体的能動性をもって自然にはたらきかけることは理論上できるであろう。しかし結果が原因にはたらきかけることは不可能である。すくなくともこの点にかんしては王安石の「主と末」観は従来のものと異なっている。
12月20日追記。
同年の『史学雑誌 回顧と展望』を読んだら「五代・宋・元」項(千葉焈氏執筆)で、該論文とともに寺地遵氏の「天人相関説より見たる司馬光と王安石」が並んで書評されていた。また同項の別の個所では、山根三芳氏の「張横渠の天人合一思想」も見える。どうやら、中国宋代における自然と人間の切断の有無(=近代(西洋)的客観的・合理的自然観の成立、ひいては(西洋)科学の中国における萌芽成長の可能性を探る)といった問題意識が、当時の研究者の一部にはあったのかもしれない。
この作業の結果にしたがい、上掲本文の論旨をやや変更し、文章も書き換えた。