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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

C.サイクス著 新田潤訳 『ペルシャのワスムス』

2017年12月22日 | 地域研究
 復刊リクエストでの紹介

 図書館相互貸借で某県の図書館から借りて読んだ。ここにも指摘してあるように、歳月のせいもあってたしかにぼろぼろで(はっきり言って一冊の本として崩壊の危機にある)、特に入れられてきたビニール袋に、「取扱注意」のメモが貼ってあった。よく貸し出してくださったものだ。ただ、文章もまた、いかにも蒼古としたもので、私にはちょっと読みにくかった。原書で読むのもいいかもしれない

(協力出版社 1943年7月)

齋藤茂ほか訳 『夷堅志訳注 甲志上』

2017年12月20日 | 東洋史
 出版社による紹介

 出版されたときにも冊を開いたが、昨日大学図書館の目立つ展示場所に展示されていたので借りて帰る。原文・校勘・現代日本語訳・訳注というスタイルは、『韓愈詩訳注』とほぼ同じ形式である。その『韓愈詩訳注』では気づかなかったことに1つ、気がついた。訓読を示さぬ場合、訳注が、ものすごい分量にならざるをえない。なぜなら、従来は訓読でいったん不完全ながら日本語に転換された(正確には変体漢文という文言文と中古日本語の中間形態にだが)された段階を抜きにしているので、現代日本語と意味やニュアンスの異なる漢字・漢語はすべて訳注をつけて、その旨を指摘・説明せねばならなくなるからだ。そうでないと、この『夷堅志訳注 甲志上』のように、現代日本語訳が、これは直訳なのか意訳なのか誤訳なのかがわからぬまま、もとの文言文の直解と現代日本語で表された訳解の差異落差の大きさを怪しむことになる。

(汲古書院 2014年7月)

内山俊彦 『中国古代思想史における自然認識』

2017年12月20日 | 東洋史
 2017年2月20日「内山俊彦 「王安石思想初探」」より続き。

 先秦から漢初の中国の思想状況を語るのに「マルクスの言葉」「階級性の刻印」また「旧い支配階級を打倒しそれに代わって出現してくる新しい支配階級」といった語彙表現から成る「基本的視座」をまず設置する思考的必然性は何であろう。

(創文社 1987年1月)

『週刊金曜日』12/15号を読む

2017年12月20日 | 
 『週刊金曜日』12/15号を読む。水谷尚子氏のレポートが目的だったが、特集「櫻井よしこ様の頭の中」も読んでみた。特集名のセンスも表紙の似顔絵とあわせて興味深いが、その中の「哲学者 文藝評論家の山崎行太郎氏に聞く 保守が憂う「保守論壇」の劣化」など、私的には人選が雑誌側の思惑をおそらくは超えての時宜を得ていて、強く印象に残った。

 「一帯一路」の大号令の裏側で、郷里を追われる人々に、筆者は思いをはせたい。そして日本政府には、ウイグル人難民の受け入れと、トルコ在住ウイグル人難民の支援を強く求めたい。
 (水谷尚子「トルコ・カイセリのウイグル人亡命者たち(下)」同誌41頁)

ある所で「中国は崩壊する」と言われたと聞く方が、・・・

2017年12月20日 | 
 ある所で「中国は崩壊する」と言われたと聞く方が、その後べつの場所で「中国は崩壊しない」と仰っているのを、これはたしかに見た。両者同時に言ったら矛盾になるが、これは時間が間に挟まっている。だから『韓非子』の楚人は、「それはやってみないとわからない」と答えればよかったのである。

内山俊彦 「王安石思想初探」

2017年12月20日 | 東洋史
 『日本中国学会報』19、1967年11月掲載、同誌159~177頁

 昨晩読んだ10年ほど前に書かれた某論文で依拠されていたので遡って見る。一篇の肝となる史料について、筆者による読解が唯一の正解という確信は、少なくとも私は持たされなかった。
 『史学雑誌 1967年度歴史学界の回顧と展望』を開いて見るに、「五代・宋・元」(千葉焈執筆)で取り上げられている。

 自然と人為とを本と末という形式のもとに区分し、自然にはたらきかける人間の主体的能動性に注目するのが王安石の基本的発想であるとし、ここから彼の性情論(人間論)・政治論・歴史論を分析する。 (227頁)

 と紹介される。以下その評価が続くのだが、それらはこの基本分析もしくは理解が正しいとすればの話であるからここでは省略する。
 ここに書かれなかった内容を補足すれば、内山氏は王安石の思想においては「自然」と「人間」の対立(氏の言葉を借りれば対置、また自然の客観視、また後者は前者の従属物であることを止めたという言い方)が起こっているとする。しかし、それイコール伝統的な中国における自然・人間観、すなわち後者は前者の一部であるという見方を王安石が完全に否定したものと理解してよいのかどうか(私の言葉で言い換えれば王安石のなかで両者の間に切断が起こっているのかどうか)だが、それは必ずしもその根拠となる史料の読みからは十分な説得力をもって私に迫っては来ない。
 ただ、「本」と「末」というのは本来主要部分と枝葉の部分、あるいは原因と結果という意味の語である。つまり自然・人間一体観の上に立つ概念と用語のはずで、上記の王安石の思惟像が正しいとすれば、彼は新しい意味でこの「本」と「末」とを用いたことになるのだが、筆者はこの点については、その他の実例を添えての注釈を加えてはおられない。
 包含されていても、その一部(枝葉)として人間が主体的能動性をもって自然にはたらきかけることは理論上できるであろう。しかし結果が原因にはたらきかけることは不可能である。すくなくともこの点にかんしては王安石の「主と末」観は従来のものと異なっている。

12月20日追記
 同年の『史学雑誌 回顧と展望』を読んだら「五代・宋・元」項(千葉焈氏執筆)で、該論文とともに寺地遵氏の「天人相関説より見たる司馬光と王安石」が並んで書評されていた。また同項の別の個所では、山根三芳氏の「張横渠の天人合一思想」も見える。どうやら、中国宋代における自然と人間の切断の有無(=近代(西洋)的客観的・合理的自然観の成立、ひいては(西洋)科学の中国における萌芽成長の可能性を探る)といった問題意識が、当時の研究者の一部にはあったのかもしれない。
 この作業の結果にしたがい、上掲本文の論旨をやや変更し、文章も書き換えた。

信念の学問

2017年12月19日 | 思考の断片
 「この文献史料を先行研究者の誰某は斯く斯くと読むが私はそうは思わなくて然々と読む」という、中国文学あるいは中国哲学に分類される、ある論文を読んだ。それは、もともと両方の読み方ができるのか、彼方が間違っていて此方が正しいのか、それとも自身が前人未踏の新機軸をうち出しているのか。それすらわからない。ただ信念だけが吐露されている。私にはテクスト軽視も甚だしいと思える。しかしこれで良い分野らしい。筆者は高名な研究者である。
 ただ島田虔次先生ならどうご覧になるだろうとは畑違いにして素人ながら個人的に思う。吉川幸次郎・小川環樹の両先生についても。
 素人としてさらに騎虎の勢いで言わせてもらうとすれば、これは論文ではなく、見事なほどの情意文である。自身の対象に対する内在的な理解(と主張するもの)を以て論拠とする以外、論文としての装いも施されてない。そのことになんの不都合も感じてはいないらしいとはそのことについて何の釈明もないところから察した。いかにも人文科学らしく、情意文を論文と称ぶ世界らしい。あるいはすこしく客観性をともなう主観唯心論(文)か。

「合法、合理、合情」

2017年12月19日 | 地域研究
 『世界之声』、艾米「中国战机首穿对马海峡训练遭日韩拦截干扰」发表时间 18-12-2017 更改时间 18-12-2017 发表时间 21:3。

  通报提到,日本海不是日本的海,对马海峡属于非领海海峡。依照「联合国海洋法公约」,所有国家均享有航行和飞越的自由。因此“中国空军飞越对马海峡赴日本海国际空域远洋训练,合法、合理、合情。” (下線は引用者)

 どうしてここで、「合法、合理、」は解るとして、「合情」が入るのだろう。中国人の「情理」専門家たる林語堂にたずねてみたいところだ。ただし、「合情合理」とあとの2つをひとかたまりの表現として取るなら、その林語堂の卓説を踏まえて、一応の理解は通る


磯貝淳一 「『東山往来』の文章構造 : 書簡文体と注釈文体とを繋ぐ問答形式」

2017年12月18日 | 日本史
 『人文科学研究』135、2014年10月掲載、同誌49-76頁

 冒頭の研究史整理のところで思ったが、変体漢文の文体論をするときは、筆者が何語を書いているつもりだったかの吟味も必要ではなかろうかと。漢文(中国語)の積りだったのか、漢字を使って変体漢文の文体で日本語を記している積りだったのか。あるいはすでに読み下しの形で日本語が筆者の頭のなかに構想されており、それをいわば元にもどして漢文の語順で書いているのか。この三択は過去の変体漢文研究においてすでに提起されているが、さらに私は、可能性として、「変体漢文(漢文でも和文でも漢文訓読体あるいは和漢混淆文でもなく)」を書いている積りだったといういまひとつの選択肢を追加したい。

『日本教科書大系』1-4『古往来』編

2017年12月18日 | 日本史
 石川謙(奥付にはこの名だけだが扉には石川松太郎のいう名も見える)編纂。

 「道理」というものを、その名を挙げたうえ、さらに「それはこれこれこういうものである。銘記せよ」で終わらず、「ではこういう状況において道理はいかにあるべきか」を、論理の道筋を示しながら同時に読者にもその当否を含め自分で考えさせようとするのは、『東山往来』と『賢済往来』だけだった。後者は、著者は自覚してのことかどうかはわからないながら、結果として、「道理」が導き出される材料を各種並べることで、「道理」とはなにかの本質的な問いにまで、読者がその気があれば誘う作りになっている。

(講談社 1967年2月)