最近の中国哲学の一論考をある方面から教えられる。読後、宋代の数学にたいする明代の数学にも比すべきかとの感想をいだく。指向と広がりの次元がそもそもに異なる。
『蘭学のころ』(弘文社 1950年10月収録、同書253-300頁。もと『鉄門』第3号、1926年12月掲載の注記あり。
副題「蘭学者の語学力について」。
緒方洪庵と杉田成卿両訳の比較検討からその優れた点また欠点の指摘へとおよび、それらの背景と原因を、当時の蘭学者が生きていた社会の状況と、ひいては日本国家の存在していた環境に宛てて、その答えを求めようとするものである。
著者の緒方富雄氏(洪庵の曾孫に当たられる)は、日本人のそれも一般人にもわかる翻訳を眼目として、その訳は自然平易を旨とし、ときに意訳・省略も辞さない(現にその訳名も「扶氏医戒之略」である)、一方の杉田成卿のそれは原文の内容と文体をいやしくも忽せにしない謹厳にして厳格な訳風とそれぞれを形容したがいに対置したうえで、それぞれにそのゆえの長所と短所があることを、実例を引き、そのいちいちにフーフェランドの原文を提示し、著者本人の現代日本語訳を添えた上で分析してみせる。(ちなみに両訳の関係は後者が前者に先行し、前者は後者を参照したという関係にある。)
洪庵・成卿両者の訳の長所は今述べたとおりで、あるが欠点もまた、その裏返しとしてある。すなわち洪庵訳は明快であるが反対にいえば日本人にとってなじみのない、あるいは読者としてまずだいいちにその対象となる医者・蘭学者には不必要(と洪庵が判断した)部分は内容が改変もしくは省略されていることである。それとはまさに対照的になるが、成卿の訳は、あくまで全訳を目指した結果(題名はたんに「医戒」)、これらの、日本人読者には不可解あるいは無用な部分がそのまま訳出されて読解の妨げとなっているということである。さらに云えば、後者は訳文が蘭語に引きずられて日本語としても難解となっている。
そのうえで著者は、両者に共通する欠点ありとしてそれを指摘する(296頁)。それは、主として二点から語られる。
つまり、
1、異国の風俗・文明に対する知識の欠乏。
2、熟語・成語の誤解。
である。
1は原文の文化的・社会的文脈の無知による誤訳あるいは訳出不能(と結果としての省略)を意味し、2は語学力の不足による誤訳であり、そしてこれは1と問題の根本において関連するが、両人のオランダひいては西洋事情についての知識の不足あるいは欠乏からする原文への無理解によるものである。1・2の両点とも、オランダ語の熟語・成語の誤解が、やはり実例をもって指摘される。
その議論と例証のなかで、私にとりとりわけ興味深かったのは以下の2例である。
まずひとつ目は、
成卿の訳を踏まえた洪庵訳にしてやはり成卿訳とおなじく、"mensch"を「病者」と訳している事実である。著者によればこれは病人もしくは患者と限定的具体的に捉える(訳す)べきではなく、「人」もしくは「人間」と、概括的な意味として理解し訳出すべき語であるという(200頁)。
同様な指摘はもうひとつあり、成卿訳は原文のbeschouwing der zakenを「診察の法」としているが〔注〕、この語はもっと一般的な「物の見解、意見」というくらいの意味だと緒方氏は言う(286頁)。
注。このあたりの原文個所は洪庵訳では省略と意訳がはなはだしいが「扶氏医戒之略」では「自得の法」に当たるらしい。
この両者の例に共通する特徴は、「これらの名辞のもつ一般的・抽象的なカテゴリーを訳者が理解していないか、していても日本語として訳出しなかった」ということである。
余論。
1.mensch=病者の翻訳について。杉本つとむ氏が解説を付けられた杉田訳『医戒』(社会思想社 1972年1月)では、杉本氏は、このmenschを御自身の解釈および現代語訳においては「人」と訳したうえで、杉田がそうしなかったのは、杉田の日本語では――杉本自身もそうであるが――、意味が抽象的で訳しづらかったのではないかという、すぐれて文体論的見地からの洞察を加えられている。同書152-153頁。
2.beschouwing der zaken=診察の法の翻訳について。同じく杉本氏は「診察の方法」とされている。同書、88頁。
副題「蘭学者の語学力について」。
緒方洪庵と杉田成卿両訳の比較検討からその優れた点また欠点の指摘へとおよび、それらの背景と原因を、当時の蘭学者が生きていた社会の状況と、ひいては日本国家の存在していた環境に宛てて、その答えを求めようとするものである。
著者の緒方富雄氏(洪庵の曾孫に当たられる)は、日本人のそれも一般人にもわかる翻訳を眼目として、その訳は自然平易を旨とし、ときに意訳・省略も辞さない(現にその訳名も「扶氏医戒之略」である)、一方の杉田成卿のそれは原文の内容と文体をいやしくも忽せにしない謹厳にして厳格な訳風とそれぞれを形容したがいに対置したうえで、それぞれにそのゆえの長所と短所があることを、実例を引き、そのいちいちにフーフェランドの原文を提示し、著者本人の現代日本語訳を添えた上で分析してみせる。(ちなみに両訳の関係は後者が前者に先行し、前者は後者を参照したという関係にある。)
洪庵・成卿両者の訳の長所は今述べたとおりで、あるが欠点もまた、その裏返しとしてある。すなわち洪庵訳は明快であるが反対にいえば日本人にとってなじみのない、あるいは読者としてまずだいいちにその対象となる医者・蘭学者には不必要(と洪庵が判断した)部分は内容が改変もしくは省略されていることである。それとはまさに対照的になるが、成卿の訳は、あくまで全訳を目指した結果(題名はたんに「医戒」)、これらの、日本人読者には不可解あるいは無用な部分がそのまま訳出されて読解の妨げとなっているということである。さらに云えば、後者は訳文が蘭語に引きずられて日本語としても難解となっている。
そのうえで著者は、両者に共通する欠点ありとしてそれを指摘する(296頁)。それは、主として二点から語られる。
つまり、
1、異国の風俗・文明に対する知識の欠乏。
2、熟語・成語の誤解。
である。
1は原文の文化的・社会的文脈の無知による誤訳あるいは訳出不能(と結果としての省略)を意味し、2は語学力の不足による誤訳であり、そしてこれは1と問題の根本において関連するが、両人のオランダひいては西洋事情についての知識の不足あるいは欠乏からする原文への無理解によるものである。1・2の両点とも、オランダ語の熟語・成語の誤解が、やはり実例をもって指摘される。
その議論と例証のなかで、私にとりとりわけ興味深かったのは以下の2例である。
まずひとつ目は、
成卿の訳を踏まえた洪庵訳にしてやはり成卿訳とおなじく、"mensch"を「病者」と訳している事実である。著者によればこれは病人もしくは患者と限定的具体的に捉える(訳す)べきではなく、「人」もしくは「人間」と、概括的な意味として理解し訳出すべき語であるという(200頁)。
同様な指摘はもうひとつあり、成卿訳は原文のbeschouwing der zakenを「診察の法」としているが〔注〕、この語はもっと一般的な「物の見解、意見」というくらいの意味だと緒方氏は言う(286頁)。
注。このあたりの原文個所は洪庵訳では省略と意訳がはなはだしいが「扶氏医戒之略」では「自得の法」に当たるらしい。
この両者の例に共通する特徴は、「これらの名辞のもつ一般的・抽象的なカテゴリーを訳者が理解していないか、していても日本語として訳出しなかった」ということである。
余論。
1.mensch=病者の翻訳について。杉本つとむ氏が解説を付けられた杉田訳『医戒』(社会思想社 1972年1月)では、杉本氏は、このmenschを御自身の解釈および現代語訳においては「人」と訳したうえで、杉田がそうしなかったのは、杉田の日本語では――杉本自身もそうであるが――、意味が抽象的で訳しづらかったのではないかという、すぐれて文体論的見地からの洞察を加えられている。同書152-153頁。
2.beschouwing der zaken=診察の法の翻訳について。同じく杉本氏は「診察の方法」とされている。同書、88頁。
『文学』9-3、2008年5・6号掲載、同誌109-126頁。
概要。
私にとってはたいへんな問題について重大な議論を提起しておられるのだが、まだそれを自分の角度と言葉で整頓できない。当座の宿題とする。
12月20日追記。
前田氏は、『和秘抄』における兼良の注釈方法の前例のない独自性を、一、和語をまず漢語で解釈しない。ぶっつけの和語(=仮名)でそのまま説明する。二、その和語がしばしば単なる言い換え、トートロジーに陥っている、の2点に挙げられる。
一から氏は、兼良は仮名=漢字、漢語=和語という認識があったと主張されるがこれについてはいまだよくその論理を理解しない。
そのほか、氏は「文脈の意味を一つの命題から演繹法的に展開していく理解」(132頁)をここ『和秘抄』に見出すとして、それを「朱熹の『論語集注』から始まる」(同)、「宋学あるいは宋学的思考が〔三教一致論・三才一致と合致しているように見える〕兼良の思考のベースを提供していたと思われる」(同)と指摘されるのも現状同断。
12月24日追記。
『(源氏)和秘抄』の注は内容から凡そ3種に分けることができる。
①兼良の時代には使われない古語を兼良当時の現代語で解釈し言い直す
②同じく古代の事物を現代語で説明する
③同じく古代の事物を相当する当時の事物に言い換えることで説明に替える。
拠ったテクストは中野幸一編『源氏物語古註釈叢刊』2(武蔵野書院1978/12)収録のそれ。
概要。
私にとってはたいへんな問題について重大な議論を提起しておられるのだが、まだそれを自分の角度と言葉で整頓できない。当座の宿題とする。
12月20日追記。
前田氏は、『和秘抄』における兼良の注釈方法の前例のない独自性を、一、和語をまず漢語で解釈しない。ぶっつけの和語(=仮名)でそのまま説明する。二、その和語がしばしば単なる言い換え、トートロジーに陥っている、の2点に挙げられる。
一から氏は、兼良は仮名=漢字、漢語=和語という認識があったと主張されるがこれについてはいまだよくその論理を理解しない。
そのほか、氏は「文脈の意味を一つの命題から演繹法的に展開していく理解」(132頁)をここ『和秘抄』に見出すとして、それを「朱熹の『論語集注』から始まる」(同)、「宋学あるいは宋学的思考が〔三教一致論・三才一致と合致しているように見える〕兼良の思考のベースを提供していたと思われる」(同)と指摘されるのも現状同断。
12月24日追記。
『(源氏)和秘抄』の注は内容から凡そ3種に分けることができる。
①兼良の時代には使われない古語を兼良当時の現代語で解釈し言い直す
②同じく古代の事物を現代語で説明する
③同じく古代の事物を相当する当時の事物に言い換えることで説明に替える。
拠ったテクストは中野幸一編『源氏物語古註釈叢刊』2(武蔵野書院1978/12)収録のそれ。