松本三之介/山室信一校注 『日本近代思想体系』 10 「学問と知識人」(岩波書店 1988年6月)所収。
明治19(1886)年3月13日 東京学士学院に於ける講演(山室信一氏の注より)。
古来亜細亜の学科に欠けたるものは宇宙間至要の物理学なり。物理学は現在耳目に触るゝもの(の)原因を探るの学にて、火の燃ること、水の流るゝこと、雨の降ること、風の吹くこと、雷電の閃動することは如何なる訳か、日月は如何なるものか、世界は如何なるものかと云ふことを研究し、事実を挙げて証拠となし、人間朝夕の実益を進むる学にて、今日万国富強の本は唯〔ただ〕此学の原理より発〔おこ〕ると云ふも不可なきなり。本邦にては今日已に先哲の所見あり、大小の学校に於て之を教授し、少年輩の惑を解くこととはなれり。而して支那にては未だ此〔この〕無比緊要の実学を講習する人希〔まれ〕にして、古伝の空文に心酔して曽て暁る所なく、通俗一般の唯陰陽五行の説を唱へ、山川に祷り、日月を拝し、鬼神を恐れ、風水方位を卜し、立派なる宿儒も之に昏迷して毫も発明する所なく、天地人に通ずるを儒といひながら其寸分も弁へざるは気の毒千万なり。 (上掲書、90-91頁。原文カタカナ。太字は引用者)
福澤諭吉と同じことを言っている(→「
物理学の要用」)。というか、「東洋になきものは、有形において数理学」(『福翁自伝』)という認識は当時においては常識に類するものだったのかもしれない。「物理学の要用」は、明治15(1882)年3月22日の『時事新報』に掲載された社説である。
それにしても、“惑”という語を使うところまで(福澤は同じことを“惑溺”と呼んだ)そっくりであり、その酷似していることに驚く。