書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

読まされる側も時間と労力の無駄である

2009年08月31日 | 思考の断片
▲「中華人民共和国中央人民政府門戸網站」2009年08月30日、来源:新华社「在党的阳光照耀下――党中央、国务院大力扶持少数民族地区发展综述」 (部分)
 〈http://www.gov.cn/jrzg/2009-08/30/content_1404766.htm

  新华社北京8月30日电(记者赵超、李菲、贾楠)56个民族56朵花。中国是一个由56个民族组成的中华民族大家庭,56个民族情同手足,互助友爱,共同团结奋斗,共同繁荣发展。
  党中央、国务院历来重视扶持少数民族地区发展,从确立区域自治到明确发展方向,从巩固民族团结到培养民族干部,党和政府的民族工作历程波澜壮阔,成就举世瞩目,经验弥足珍贵。
  吹响新号角,奏响新凯歌。经过岁月的洗礼,经过时代的检验,少数民族地区快速发展,经济社会面貌发生巨大变化,中华民族的凝聚力空前强,得以巍然屹立于世界先进民族之林。

 最初から結論たるべき“事実”が決まっているのなら、あとの部分は必要なかろう。冒頭この三行だけでいい。

滋賀秀三 『中国家族法の原理』 から

2009年08月30日 | 抜き書き
 2009年08月18日「上田信 『伝統中国 〈盆地〉〈宗族〉にみる明清時代』 から ②」から続き。

 要するに、同姓不婚と異性不養とは、同一の根本思想から生ずる帰結であり、あたかも表と裏とのように密接に結び合った事柄である。その根本思想とは、〔略〕人の血すじは父からむすこへと伝わるものであり、これを幾世代繰返しても、血すじの同一性を失わないという考え方、しかもかような血すじこそ生命の本源ないし生命自体であり、各人の本性はこれによって規定せられると見る見方である。かような意味の血すじを中国語では「血」というよりもむしろ「気」という言葉で表現する。「父子は至親なり、形を分けて気を同じうす(父子至親、分形同気)」〔原注。『通典』巻167〕といわれるように、父と子は現象的には二つの個体であるけれども(分形)、両者のうちに生きる生命そのものは同一である(同気)、すなわち子は父の生命の延長にほかならないと観念せられるのである。「父子は一気なり、子は父の身を分けて身と為す(父子一気、子分父之身為身)」〔原注。黄宗羲『明夷待訪録』「原臣」〕といい、「三世(原注。祖・父・子)と云うと雖も、これを合して一体、分ある者に非ざるなり(雖云三世、合之一体、非有分者也)」〔原注。『通典』巻167〕という場合の「一気」「一体」の語も同じ思想の表現である〔原注。「骨」の字も「気」と同じような意味に用いられる〕。己のうちに親の生命の延長を認め、親のうちに己の生命の本源を認め、かくて両者を分けへだてなき一つの生命の連続と認めることは、中国人の人生観の基本ともいうべきものであったのであり、古来倫理体系の核心をなす至高の徳目とされて来た「孝」という概念も、もとをただせば右のような認識から出発するものであり、この認識を常に新たにしかつそれにふさわしく行為することを要求するものに外ならない。 (「第一章 基本的諸概念 第一節 親族について」 本書35頁。太字は引用者)

 何事も先達はあらまほしきものなり。

(創文社 1967年3月)

内モンゴル自治区は農業地域である

2009年08月30日 | 抜き書き
▲「中華人民共和国中央人民政府門戸網站」2009年08月29日、来源:国务院办公厅「温家宝:扎实做好各项工作 努力夺取今年农业丰收」 (部分)
 〈http://www.gov.cn/ldhd/2009-08/29/content_1404380.htm

温家宝在内蒙古检查指导抗旱减灾工作时指出
扎实做好各项工作 努力夺取今年农业丰收

  中共中央政治局常委、国务院总理温家宝近日在内蒙古检查指导抗旱减灾工作时指出,近一段时间我国部分地区出现较严重的旱情,对农业生产和群众生活造成较大的影响。党中央、国务院高度重视旱情和抗旱工作,各受灾地区及时启动抗旱应急响应,积极采取有效措施,抗旱减灾取得了初步成效。但是,目前北方旱情还在发展,南方部分地区又有新的旱象。全国农作物受灾面积还在扩大,人畜饮水困难的数量还在加。受灾地区的各级党委和政府必须充分认识做好抗旱减灾工作的极端重要性,切实把抗旱减灾作为当前“三农”工作中最紧迫、最重要的任务,扎实做好各项工作,努力争取今年农业有个好收成。我国粮食连续五年丰收,储备充足,国家经济实力提升,完全有能力战胜这场灾害,保障粮食供给,维护经济发展和社会稳定的大局。

 内モンゴル自治区で全国の農業政策に関する重要政策を発表する。

「衆院選:日本に『脱米入亜』の動き」 から

2009年08月28日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2009/08/28 09:00:16、東京=辛貞録(シン・ジョンロク)特派員。 (部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20090828000020〉 (上)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20090828000021〉 (下)

 鳩山代表の安保分野の最高アドバイザーである日本総合研究所の寺島実郎会長は27日、毎日新聞への寄稿で、「日本に求められているのは、軍事面に傾斜した形での対米関係の強化ではなく、自らの立場を明快に主張しながら、米国、中国と適切な距離を取ることだ」と指摘した。 (上)

 このどこが「脱米入亜」か。

 いわゆる「脱米入亜」の出発点と見ることもできる。 (下)

 逃げンな。

「【コラム】鳩山由紀夫の友愛論」

2009年08月28日 | 思考の断片
▲「中央日報 Joins.com」2009.08.27 17:14:57、明福(ペ・ミョンボク)論説委員。
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119769&servcode=100§code=140

 東アジア共同体なんぞ糞食らえ。中国と結ぶとこうなる。韓国と結ぶと疲れる。中国とは戦略的互恵関係、韓国とは友好協力関係、いまの枠組みの強化で十分だと思う。ただ地域や国際社会における多国間協力を推進し、米国とは同盟関係を継続しつつ、もうすこし距離をおくべきだという意見(民主党のマニフェストにある“緊密で対等な日米同盟関係を築く”)は、そのとおりだと思う。

岡田英弘 『チンギス・ハーン』 から

2009年08月28日 | 抜き書き
 この成功〔1552年のカザン・ハーン国の都カザン、1556年のアストラハン・ハーン国の都アストラハンの奪取〕を機に、イヴァン四世は、これまでの「全ルーシの大公」の称号に加えて、「カザンおよびアストラハンのツァーリ」と称することにした。ロシア語のツァーリは、モンゴル語やトルコ語の「ハーン」の翻訳である。 (「【五】 チンギス・ハーンの子孫たち」、本書275頁。太字は引用者)

 ありゃま、バッサリ

 こうしてモスクワ大公はモンゴル帝国のなかで、モンゴル人のハーンたちと肩を並べようとしたのである〔略〕。 (「【五】 チンギス・ハーンの子孫たち」、本書275頁)

 明快である。だがイヴァン4世は、祖父イヴァン3世以来の、ビザンツ帝国の後継者を主張する「第3のローマ」路線も継承している。
 いずれにせよ、ロシア・ツァーリ国の性格を考え直す必要がある。

(朝日新聞社版 1994年1月)

「米司法省、CIAの過酷尋問示す文書を公開 『子ども殺す』と脅迫も」 から

2009年08月27日 | 抜き書き
▲「AFPBB News」2009年08月25日 11:35 発信地:ワシントンD.C./米国。 (部分)
 〈http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2633897/4492629

 【8月25日 AFP】米司法省は24日、中央情報局(Central Intelligence Agency、CIA)が海外の秘密拘束施設で行った重要テロ容疑者への過酷な尋問について、CIAのジョン・ヘルガーソン(John Helgerson)統括監察官(当時)が2004年にまとめた機密文書の一部を公開した。この文書によると、CIAの尋問官は容疑者に対し、「母親をレイプする」「子どもを殺す」などと脅迫したほか、電気ドリルを体のそばに近づけるなどの行為を行ったという。文書は連邦判事の命令で公開された。

 尋問ではなく拷問。理由はどうあれまったく弁護できない行為。

「中国、チベットの遊牧民5万人を定住させる 新華社通信」 から

2009年08月27日 | 抜き書き
▲「AFPBB News」2009年08月25日 11:05 発信地:北京/中国。
 〈http://www.afpbb.com/article/politics/2633890/4492528

 【8月25日 AFP】中国当局は、チベット山岳地帯の生態系を保護する目的で、約5万人の遊牧民を定住させたと、国営新華社(Xinhua)通信が24日報じた。
 過去4年間で、チベット高原で遊牧する4万9631人が、定住者の集落に編入されたという。アジアの主要河川である黄河(Yellow Rivers)、長江(揚子江、Yangtze)、メコン川(Mekong)の源流ともなっている同地域の生態系を過放牧から保護するための措置だという。
 これについて亡命チベット人の活動家らは、古代から続くチベットの放牧文化を破壊するものだと強く非難している。
 国営新華社通信は、地元政府役人の話として、定住した遊牧民には職業訓練などが提供され、起業を促進するための基金も創設されていると報じている。

 傲慢、乱暴、無神経、独善。そこまで環境を破壊したのはいったい誰だ。 

「『人民日報』論評、民族地区自治制度が強大な生命力を持つ」 から

2009年08月27日 | 抜き書き
▲「CRI Online(日本語)」2009-08-26 14:40:27、翻訳:huangjing。(部分)
 〈http://jp1.chinabroadcast.cn/881/2009/08/26/1s145920.htm

 『人民日報』は26日の評論で、「この展示会を通じて、新中国成立60年間、少数民族地区が経済、政治、文化、社会などの面で大きな進歩を遂げ、民族自治制度という中国モデルは強大な生命力を持つことがわかった」としました。

 2009年05月24日「津田左右吉 『支那思想と日本』 から①」における指摘の好例。またか。
 「としました」という日本語、意図してなら、なかなかおもしろい。

Owen Lattimore 『Manchuria: Cradle of Conflict』

2009年08月27日 | 東洋史
 2009年07月09日「護雅夫/神田信夫編 『北アジア史(新版)』 から」で述べた実例の報告あり(もっとも内モンゴルではなくそれに隣接する満洲の Jehol=熱河地方だが)。
 ラティモアは、同地方の雑居地帯におけるモンゴル人の漢化とその反対の漢人のモンゴル化の現象を、ともに "going native"(あるいは過去形で "went native")という言葉で表現している。

 These Mongols are very much mixed in physical type. They are almost all bilingual from Chindhood, but the women are less fluent in Chinese than the men. Their clothes are a mixture of Mongol and Chinese, but those of the men are more Chinese, and those of the women are Mongol. Their family shrines are also a mixture of Mongol and Chinese, with Chinese elements predominating, as is natural to people living in the houses; but they are as hospitable to lamas as are other Mongols. Most significant of all, they frequently have a Chinese family name as well as Mongol clan name and personal names. All of these indications point to the fact that many of them must be descended from Chinese frontiersmen who "went native"; and whose descendants elected to migrate with the Mongols rather than remain in the land permanently occupied by the Chinese advance.(1)  ("Conquest and compromise," p. 57)

 ラティモアは、これらのモンゴル人を、漢化したモンゴル人ではなく、古い時代にこの地に入植した漢人がモンゴル化したものと見なす。
 ラティモアはさらに、この箇所に付けた脚注で、興味深い洞察を提示する。彼は、最近の30年間――19世紀末乃至20世紀初頭以来――の、あらたな大量の漢人による入植の結果、これら久しくモンゴル人化していた漢人がふたたび漢人へと戻りつつあると言う。つまり、ラティモアは、清末以来のモンゴル地域におけるいわゆる漢化の現象を、単純なモンゴル人の漢人への文化的・人種的な同化としてみるのではなく、すくなくとも部分的には、いったんはモンゴル人に同化されていた漢人が本卦がえりしつつある過程として見るべきだと主張するのである。

 (1) There are instances, however, of the reversal of this process of "going native." Thus in the Jehol region numbers of families can be found which were originally Chinese, but "turned Mongol" after penetrating well into Mongol territory. Since the overwhelming advance of the Chinese in that region in the last thirty years, these "Mongol" families are now "turning Chinese."  ("Conquest and compromise," p. 57) 

 こういう双方向の同化現象、つまり融合は、はたして新疆やチベットでも見られたのか、あるいは見られつつあるのか。見られるとして、その質と量は如何なるものか。
 
(New York: Macmillan, 1932)