書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

神崎清 『革命伝説』 第1―3巻

2011年04月30日 | 日本史
 大逆事件をあつかったノンフィクション。もとの中央公論社版(1・2巻、1960年3月・7月)ともども、府立図書館に所蔵してある冊すべてを読む。著者のスタンスは異なるが、スタイルは大宅壮一『炎は流れる』に近いというのが第一の感想。

 明治40・1907年11月3日の天長節の日に米国サンフランシスコ総領事館の入口に何者かによって貼られた「暗殺主義」なるビラがあった。冒頭に写真(ビラは複数刷られて日本にも送られた。その中の一枚)が載せられているが、その内容は、明治天皇を「睦仁君足下」と呼び、堂々その暗殺を宣言するというすさまじいものであった。

 暗殺主義は今や露国に於て最も成功しつつあり、仏に於てまた成功したり、余等の暗殺主義はこれ等の先進者の成敗に鑑みて一層秘細なる研究をつみて生まれたるもの也。〔中略〕睦仁君足下、憐れなる睦仁君足下、足下の命や旦夕(たんせき)に迫れり。爆裂弾は足下の周囲にありて将に破裂せんとしつつあり、さらば足下よ、/1907年11月3日、足下の誕生日/無政府党・暗殺主義者  (末尾部分。前文をこちらで読める)

 神崎氏は、この文書の作者を竹内鉄五郎と小成田恒郎であろうとしている。
 この文面がただちに日本へ通電され、外務省、ひいては日本政府全体が騒然となったであろうことは想像に難くない。
 明治も末になるとすでに昭和のような精神の持ち主が現れてきているのだなという驚き。

(芳賀書店 1968年6月・8月、1969年7月) 

あな恐ろし(昔も今も)

2011年04月30日 | 思考の断片
その①「“天宫一号”和神舟八号计划下半年发射」を読んで

▲「中華人民共和国国防部」2011-04-30 04:02:32,来源:解放军报 作者:特约记者张利文、记者王瑶,责任编辑:郑文达。
 〈http://news.mod.gov.cn/headlines/2011-04/30/content_4239264.htm

  中国载人航天工程办公室副主任杨利伟今天向记者介绍,我国计划于今年下半年发射“天宫一号”目标飞行器和神舟八号飞船,进行第一次无人交会对接试验。
  杨利伟介绍说,“天宫一号”目标飞行器研制、神舟飞船及长征2F运载火箭改进研制中的一些关键技术均已突破。我国还计划于2012年发射神舟九号、神舟十号飞船,以进一步掌握飞行器空间交会对接技术。


 そのうち風水理論でロケットを作れという“愛国者”が必ず現れる。そして恐ろしいのは、中国の党と政府は、民族と国家の面子(ミェンツ)のために、莫大な費用をかけてそれを実行しかねないことだ。

その②「中国の高速鉄道、汚職問題発覚で『安全性』への疑問が噴出―米紙」を読んで

▲「レコードチャイナ」2011-04-30 06:30:18、翻訳・編集/NN。
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50956

 中国の高官はかつて「中国の高速列車は世界最速」と自慢していたが、ついに先週、欧州や日本と同じ水準に引き下げる意向を示した。中国鉄道部は13日、国内を走行する高速鉄道列車の最高時速を現行の350kmから300km以下に抑えると表明したが、その理由は「安全性が増すため」だった。

 従来技術をそのままに安全装置をはずして我が国の新幹線は世界最速などと、国威発揚のために平気で言いもし実行もしてしまうのを見ると、恐ろしくてたまらない。関係者は実情を知っていて絶対に乗らないから大丈夫ということだろう(有害食品もこのでんだ)。
 ある種の中国人にとって他人とは、どう思われるかはおろか、嘘や裏切りは平気、それどころか自分に累がおよばないかぎりおのれの行為のせいで生きようが死のうがどうでもいい存在のようである。私にも多少経験がある。赤の他人はその人間の“世間”には入らないから信義の対象にはならないのだろうと思った。
 さらにいえば、人間のうちにさえ入らないのかもしれない。
 中国人(都市住民)の農村部の住民や他民族(国内の少数民族を含む)に対する態度・言動を見ていると、どうもそんな気がする。西晋の郭欽と江統は、国内の異民族を“異類”と呼んで人間以外の存在であるとし、そのうえで中国国内から即刻その異類どもを追いだせと主張した(「徙戎論」)。この異類という言葉は現代中国語でも生きている。日本語の“畜生”に近いが、“畜生”に当たる言葉は現代中国語にもちゃんとあって、“畜獣”という。“異類”というのは、英語でいう alien、エイリアン(そうあのエイリアン)、畜生や畜獣が単なる形容・罵り言葉であるのとは違い、これは撲滅すべき対象という、ある意味積極的な意味合いを持った語である。2000年代前半は、しばしば日本人がそう呼ばれた。殺せ、殺し尽くせともよく言われたが、これは異類とはエイリアン、化物だから、迫害はもとより殺しても罪になるどころか正義なのである。中国文明の継続性というのは、こういうところにも見られると私は思う。そういえば2005年反日デモの時の暴れる中国人憤青たちは、プレデターの面影があったな。これは冗談だが、彼らにゲームというか、狩猟感覚があったことは確かだ。
 それより、曲がりなりにもあの国に法律というものがなかったら(あるいはあっても党政府から許可もしくは黙認を得ていたら)、彼らは、必ず日本人を殺していただろう。橘樸云うところの「義和団的亢奮」である。恐ろしい。

「池田信夫ikedanob」から

2011年04月30日 | 抜き書き
▲「池田信夫 blog part.2」
 〈http://ikedanobuo.livedoor.biz/

 常識的な議論は、誰でもできる。一貫性をもって系統的に非常識なことをいうのが、学者の仕事。地球は丸い、すべての物体が相互に重力を及ぼす、光速度は不変である、エネルギーは離散量である、原子核が崩壊することがある、質量とエネルギーは相互に変換可能である、、、

 名言だなあ、これも。
 私的には、シャーロック・ホームズの、

 完全にありえないことを取り除けば、残ったものが、いかにありそうにないことでも、真実に違いない。(Once you eliminate the impossible, whatever remains, no matter how improbable, must be the truth.)

 と同じくらい重要な言葉。

昇曙夢 『大奄美史』

2011年04月30日 | 東洋史
 ロシア・ソ連文学研究者としてのこの人は昔から知っており、その作業(さくぎょう)も知らぬではなかった(『ロシア・ソヴェト文学史』)が、波長があわなかったのか、あまり印象にのこっていない。大学の夏休みを利用して東京へ出かけニコライ堂でロシア語を学んだこともあるというのに、この人がかつてここで学んだ正教徒であることにも無知だった。まったく迂愚としかいいようがない。
 この人が奄美出身であること、晩年米軍施政下にあった奄美の本土復帰運動に尽力したことも、今回初めて知った次第である。
 1949年初版のこの本はいまも奄美史研究の古典としての価値を失ってはいないらしい。内容は、史書というより地誌である。『大奄美誌』と名付くべき、多方面に渉る広さがある。生家跡のほか、墓所に碑が建っているという。いずれ奄美群島にも行かねばならない。

(原書房版 1975年8月)

赤木攻 『復刻版 タイの政治文化 剛と柔』

2011年04月30日 | 東洋史
 東北タイ(イサーン地方)は「伝統性を保ち、タイ族社会の原像を最もよく現在に伝えているのは、タイ全土の中では東北地方と考えられる」(21頁)。そういうとらえ方もあるのか。言語的親近性(イサーン語はタイ標準語《シャム語》よりもラーオ語に近い)と文化的親近性は別ということか。

(もと勁草書房 1989年8月、エヌ・エヌ・エー 2008年1月復刻版第1刷)

中村元 『決定版 中村元選集』 2 「シナ人の思惟方法 東洋人の思惟方法Ⅱ」 その2

2011年04月30日 | 人文科学
 2011年04月25日同名項より続き。
 読み返してみて、抜き書きを追加。
 
 註解を重んじるという思惟方法は決して過去のことではなくて、現在に生きているものである。ひとたびマルクス・レーニン主義が国是として採用されると、指導者が解説し、末端の指導者がそれをまた解説する。つづいて毛沢東が神格化されると、みなが彼の思想の祖述を行なう。史的唯物論というわく〔原文傍点〕をはめられると、そこから脱出できないのである。いくどかの革命をへても、なおつづいている根強いものがある。〔略〕 (「第五章 尚古的保守性」本書126頁。太字は引用者)

 著者のいう「尚古的保守性」を、私は「自立性を欠いた集団的・権威主義的な思考様式」と形容した(注)。

 注。『新日本学』第20号(拓殖大学日本文化研究所、2011年3月)所収の拙論「ガリレオ以前の中国人の思考形式 演繹の不在、帰納の不全」。

 使用した材料もアプローチも違うが結論はほぼ同じ。
 末尾に、中村氏は決定版収録に際して但し書きを付け加えている。
 
 「尚古的保守性」に関するこの論考をわたくしがまとめたのは、毛沢東による革命以前のことである。現在においてどれだけ変化したかということは、あらためて検討さるべきであろう。しかし現在の中華人民共和国において孔子の再認識が唱えられていることを考えると、以上の所論は全然誤っていないと思う。〔略〕  (同上)
 
 文中の“現在”とはこの決定版が刊行された1988年のことである。21世紀に入り、孔子の復権はさらに顕著になっている。
 私は、中国人の思考形式の古代帰りはますます速度を上げていると見ている。
 中国文明は発生以来、断絶していない。この点、中国文明はほかの古代文明と決定的に異なっている。この文明が本来もつ尚古主義(昔のほうが今より優れていたという考え方)とあいまって、伝統回帰とはとりもなおさず、精神的、そしてできれば物質的水準においても、戻るべき輝かしい古代のそれへの退行を意味するであろう。

(春秋社 1988年12月)

ジョン・アヴネット監督 『88ミニッツ』(2008年)

2011年04月29日 | 映画
 アル・パチーノはこの映画の時点で60歳も半ばを超えているのに、そしてへんな若作りをしようとはせず、自分の年齢を顔や雰囲気に隠そうとはしないのに、動くべきときには動くその身ごなしの軽いこと! 老いではなく、齢(よわい)を重ねているという感じ。惹かれる若い女性がいてもそれも自然に思える。タイプはちょっと違うが『ギャルソン』のイブ・モンタン。
 ストーリーも、ダレ場のない進行で、とても楽しめた。脇を私の好きな渋くてアクの強いウィリアム・フォーサイスが固めているのもいい。これまで観たパチーノ主演の映画でベスト5に入るか?

(Nikkatsu =dvd= 2008年7月)

「『これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫』主演 浅野忠信」 を見て

2011年04月29日 | 芸術
▲「msn 産経ニュース」2011.4.29 07:42。
 〈http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110429/ent11042907440004-n1.htm

 そういえば似てるよね。しかしチンギス・ハーンまで演った人がこの役をやるかと。

 初日の撮影は「ニャロメの歌」に合わせ、激しく踊るシーン。普通ならば、振付師が踊りを考えるのだが、佐藤監督は「浅野さんならアドリブで踊れる」と一言。真剣な表情のスタッフの前で、浅野は自分で考えた「おもしろおかしい踊り」を披露させられた。2/2
 
 こういう話を聞くと、DVDが出るのを待たずに映画館へと観に行きたくなります。

「『自然エネルギー』の幻想」 を読んで

2011年04月29日 | 思考の断片
▲「池田信夫 blog part.2」2011年04月29日 12:20。
 〈http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51703016.html

 順序が逆になるが、二カ所引く。

 かつて水俣病や四日市喘息が問題になったときの「公害問題」は生命の脅威だったが、そういう深刻なリスクは80年代までにほぼ除去された。

 自然を掠奪して人間が豊かになることは西洋近代の「業」であり、われわれの文明は本質的に反自然なのだ。

 平野久美子女史は、『坂の上のヤポーニア』(産経新聞出版 2010年12月)で、帝政ロシア時代のリトアニア独立の志士ステポナス・カイリースが、1906年の時点で、この昭和日本の「公害問題」を予見していた、というより理の当然として見通していたことに言及している。

 工業の発達を妨げる障害が取り除かれれば、百年もしないうちに日本は極東のイギリスとなり、工場の煙が天皇の臣民から明るい太陽を覆い隠すだろう。今はまだ群青色に波打ち、遠くまで広がる明るい海原も覆い隠してしまうことになるだろう。(本書86頁)

 彼が日本を論じたその著書のなかで、同時期すでに問題となっていた足尾銅山(田中正造の直訴は1901年)のことに触れていないのは奇異の思いもするが、それはカイリースが日本に行くことなく、手許で入手可能な文献や資料(新聞など)に基づいて書いたことを考慮すれば、無理もないかもしれない。日本の国内でもその惨状と問題の深刻さは基本的に地域一帯で知られるにとどまり、全国津々浦々で知悉されていたわけではないのだから。東京で天皇に直訴しようとした田中正造が狂人扱いされて、その直訴の内容が黙殺されたことは、よく知られた事実である。
 カイリースは。この書を、単なる学術研究やエキゾチックな遠い異国紹介のためではなく、帝政ロシアの桎梏に苦しむ同胞に、極東に、その強大なロシアに果敢に立ち向かい、そして勝利した生まれたばかりの小さな島国があるということを知らせ、同胞を奮い立たせるために書いた。だからこの「公害問題」についての警鐘は、日本だけのことではなく、近代資本主義国家すべてに通じる(カイリースは社会主義者だった)問題として論じていると見るのが自然である。その慧眼に驚かざるをえない。
 しかしひるがえって考えてみると、彼は、日本を「極東のイギリス」と呼んだ。19世紀の産業革命時代に大躍進を遂げたイギリスが、その同時にというか代償に、ひどい公害(たとえば大気汚染)に苦しんだのは、少しでも関心をもってイギリスを観る者にとっては自明のことであったろう。こう考えてみると、カイリースは予言ところではなく当たり前の事実(まだ顕現していないだけ)を言っているにすぎないと言える。だが当の日本人は総体としては、その後数十年たたないとその当たり前の事実にきづかなかった。資本主義、というよりも近代化は、自然破壊の謂いでもあるということを。

岩城之徳著 近藤典彦編 『石川啄木と幸徳秋水事件』

2011年04月29日 | 日本史
 啄木は大逆事件に共鳴したから偉い、無政府主義者、社会主義者、いやとにかく反体制だったから偉い、彼は最後まで反体制だったのだ、それを最後に後悔して転向したと啄木が言ったというような証言をなす金田一京助はけしからん、おそらく本当のことを言っていないにちがいないという論旨。それは息子さんの春彦氏は怒るだろう。確たる根拠もなく父親を嘘つきよばわりされては。直接証拠がないのはお前も同じだろうと。

(吉川弘文館 1996年10月)