同じ著者の
『春秋学 公羊伝と穀梁伝』と合わせて、これで野間氏の春秋三伝すべてに関するご高見を伺うことができたことになる。
『左氏伝』が他の二伝に比べ決してわかりやすい存在ではないということがわかった。
まず、伝としての成立の立脚点がわからない。野間氏が注意されるように、公羊伝は「尊王」であり、穀梁伝は「尊周」である。換言すれば、前者はあるべき“天王”と封建制度を別の空間もしくは未来に希求し、後者は過去に存在した周という王朝と体制とを擁護する(そして延いて恐らくは現在の漢という国家を)という、根本精神の違いがある。
だが『左氏伝』ではそこが明瞭でない。ただ明らかなのは「『左伝』においては、何よりも周王を頂点とする礼制を守ることが強く要請されている」ことのみである(「第三章 覇者の時代(一)晋文公」本書124頁)。
これは裏返せば何のために『左氏伝』は書かれたのかということになる。『春秋』は経(典)だから、そのより良い理解のために伝=注(釈)を付けねばならぬという必要、もしくは願望が基礎になっているのは言うまでもない。しかし、それにしても、「どのような注釈をどこに、そしてどれだけ付けるか」という編纂作業下での実際的な選択において、何らかの、明確な拠るべき基準が需められるだろう。『左氏伝』の場合、それは何だったのか。
(研文出版 2010年3月)