テキストは『日本現代文学全集』68「青野季吉・小林秀雄集」(講談社 1963年12月)収録のもの。原文旧漢字・旧仮名遣い。
小林大人は宋学の「天下ノ理、暁然トシテ洞徹シ、疑惑スル所ナキヲ以テ解トナス」の“天下ノ理”を、「合理主義的世界観と訳せば、この文の現代語訳は易しいであろう」(433頁)と記すのだが、それは違うだろう。合理主義的世界観と訳すから現代語訳が容易になるだけの話だ。宋学の理は倫理的規範もしくは命令で、人間はそれを理解し、受容し、遵守するだけのもので、そこに人間が主体的に思索し探究する、rationalな要素はまったくない。朱子はじつはそれを行って居たのだが、自分ではそうと自覚していなかったらしい。すくなくとも人間独自の知的活動は当然の前提とされているがそれ自体を意識した言説は見られぬようである。そのおかしさ(人間存在の軽視)に気がついて叛旗を翻したのが王陽明ではなかったかと思える。そしてこの点から言うと、のちの陽明学の左派右派ともに、さらには李贅でさえ、みな陽明の嫡出の弟子であったと言えると思う。
小林大人は宋学の「天下ノ理、暁然トシテ洞徹シ、疑惑スル所ナキヲ以テ解トナス」の“天下ノ理”を、「合理主義的世界観と訳せば、この文の現代語訳は易しいであろう」(433頁)と記すのだが、それは違うだろう。合理主義的世界観と訳すから現代語訳が容易になるだけの話だ。宋学の理は倫理的規範もしくは命令で、人間はそれを理解し、受容し、遵守するだけのもので、そこに人間が主体的に思索し探究する、rationalな要素はまったくない。朱子はじつはそれを行って居たのだが、自分ではそうと自覚していなかったらしい。すくなくとも人間独自の知的活動は当然の前提とされているがそれ自体を意識した言説は見られぬようである。そのおかしさ(人間存在の軽視)に気がついて叛旗を翻したのが王陽明ではなかったかと思える。そしてこの点から言うと、のちの陽明学の左派右派ともに、さらには李贅でさえ、みな陽明の嫡出の弟子であったと言えると思う。