書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

井上浩一/栗生沢猛夫 『世界の歴史』 11 「ビザンツとスラヴ」 から ②

2009年09月29日 | 抜き書き
 2009年09月22日「井上浩一/栗生沢猛夫 『世界の歴史』 11 『ビザンツとスラヴ』 から」より続き。

 今度はビザンツ帝国部分から内容要約メモ。

 ・ビザンツ帝国の最盛期は10世紀前後である。
 ・皇帝(ローマの、あるいはローマ人の)は、世界の支配者だった。ゆえにカール大帝のローマ皇帝の称号に対して「フランク人の皇帝」と名乗ることしか許さなかった。ただしイスラーム帝国のカリフだけは自分と同格の存在であり、いまひとりの世界の支配者だと見なしていた。
 ・ビザンツ帝国の官位体系には「カイサル」という位があった(第一等)。財政難のアレクシオス一世(在位1081-1118)の時代には、金で売り買いされていた。
 ・ビザンツ帝国には国境の概念がなかった。
 ・ビザンツ人は、トルコ人やモンゴル人といった彼らの時代の“夷狄”を、古典になぞらえて「ペルシア人」「スキタイ人」などと呼んだりした。
 ・ビザンツ帝国の官僚は、「皇帝の奴隷」と自称した。
 ・ビザンツの宮廷には宦官がいた。奥向きだけでなく、表でも活躍した。宦官でも宰相になれた。
 ・ビザンツ帝国1,000年(395-1453)の歴史のなかでしばしば簒奪が起こったが、簒奪後、新皇帝が前皇帝の妃と結婚することがよくあった。

(中央公論社 1998年2月)

The political opportunist

2009年09月29日 | 思考の断片
▲「中華人民共和国中央人民政府門戸網站」2009年09月29日 来源:新华社、「胡锦涛等与首都群众观看音乐舞蹈史诗《复兴之路》」 (部分)
 〈http://www.gov.cn/ldhd/2009-09/29/content_1429118.htm

  9月28日晚,党和国家领导人胡锦涛、江泽民、吴邦国、温家宝、贾庆林、李长春、习近平、李克强、贺国强、周永康,与首都各界群众一起观看大型音乐舞蹈史诗《复兴之路》,共同庆祝中华人民共和国成立60周年。  

 江沢民氏健在

 →「Wikipedia」(日本語)「江沢民」項から。〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B2%A2%E6%B0%91

 2006年8月に発売された江澤民文選によると、1998年8月「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない(=プレッシャーをかけ続けなければいけない)」と外国に駐在する特命全権大使など外交当局者を集めた会議で指示を出していた。同年11月に中国国家主席として初めて日本を訪れた際は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と発言をして、日本の歴史教育を激しく非難した一方1979年に中華人民共和国がベトナムを侵攻した中越戦争について江沢民は、ベトナムを訪問したときに謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と言って正当化し中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。

 →「Wikipedia」(中国語)「江泽民」項から。〈http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%B3%BD%E6%B0%91

  中国激进的民族主义者在北约轰炸驻南使馆、加入世贸组织和钓鱼岛以及98印尼排华等事件上对江评价不高,认为他过于软弱,甚至以牺牲民族利益来换取西方国家的青睐。但也有人认为江泽民的外交政策只是对邓小平提出的“韬光养晦,以待时机”的一种延续。1999年又与俄国总统叶利钦秘密签订了《中俄全面勘分边界条约》,其有关瞎子岛的分属问题遭到了国内的质疑。

 私はこの人物が大嫌いだ。

王之春著/趙春晨點校 『清朝柔遠記』 から

2009年09月28日 | 抜き書き
 清朝末期の海防派の一人・沈保の部下であった王之春のいまひとつの著作。光緒五(1879)年執筆、光緒六(1880年)出版。本書は光緒十七(1891)年広雅書局本を底本に、北京図書館蔵抄本や光緒二十二(1896)年湖北書局刻本などによって校勘したもの(東方書店の解題より)

 康煕十五(1676年)年条にロシア初出。

 俄羅斯人来る。其の国の察罕汗に書を貽(おく)る。 (「巻二」 本書30頁)

 とある。1676年のロシアはモスクワ・ツァーリ国の時代(ロマノフ朝第二代のアレクセイ帝の即位第2年目)である。
 ツァーリを察罕汗(チャガン・ハーン)と呼んでいる。ロシア人について、このくだりの後に、「俄羅斯(オロス)人はいにしえは匈奴に属していた。唐代のキルギスである。人体は大体において紅毛碧眼だが目が黒い者もいる。それは李陵の子孫だと言われている。元の臣下だったがその滅んだのに乗じて族長が自立して汗となった」云々という注釈が続く。完全にモンゴル族やトルコ族の一派扱いである。
 以降、勿論朝貢国扱いで、たとえば康煕三十三年(1694)では「俄羅斯、使を遣わして入貢す」(「巻三」本書43頁)といった調子である。
 さらに、同治十年(1871年)条では、「夏五月、俄羅斯、伊犁に入寇す」と、まるで『春秋』に出てくるような古典的な夷狄の描かれ方をされている(「巻十七」本書329頁)。
 しかし当時の伊犁(イリ)は、それどころか新疆(東トルキスタン)全域は、ヤークーブ・ベクの乱の真最中で、新疆は清の支配から離脱して独立国状態になっていた。ロシアは混乱に乗じてイリ地方を軍事占領し、既成事実を作りあげてあわよくば併合するつもりで軍隊を侵入させてきていたのである。とうてい「入寇」などという、遊牧民の小集団が略奪目的で来襲してきたような語彙で形容できるものではなかったのだが。

(中華書局 2008年4月)

「民族融和と団結、中国が白書で強調」 を読んで

2009年09月28日 | 思考の断片
▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2009年9月27日23時00分。 (部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090927-OYT1T00791.htm

 【北京=佐伯聡士】中国政府は27日、「中国の民族政策と各民族の共同繁栄発展」と題する白書を発表した。〔略〕白書は「国家はいかなる形式の民族差別にも断固反対する」「民族の平等団結を破壊する言行は違法だ」と強調。少数民族地域の貧困人口の減少や少数民族の幹部の増加などを例に挙げて、民族政策を自賛した。

 原文を読んでみたが、文化大革命の起こっていないパラレルワールドの中国の話だった。
 もっとも御伽噺でも参考になるところはあった。

  中国少数民族聚居区大都地广人稀,资源富集。民族地区的草原面积,森林和水力资源蕴藏量,以及天然气等基础储量,均超过或接近全国的一半。全国2.2万多公里陆地边界线中的1.9万公里在民族地区。 (「一、统一的多民族国家和中华民族的多元一体」)

 少数民族居住地域は天然資源の宝庫であるという、前後の文脈から見てやや唐突な記述(このあとの、さらにとってつけたような、少数民族地域における自然保護区の存在を述べる文章とあわせての一段落)は、だから絶対に手放すわけにはいかないのだという中国政府の本音の、意図的な開示であろうか。

  中国各民族形成和发展的情况虽然各不相同,但总的方向是发展成为统一的多民族国家,汇聚成为统一稳固的中华民族。今天中国的疆域和版图,是中华大家庭中各民族在长期的历史发展中共同开发形成的。汉族的祖先最先开发了黄河流域和中原地区,藏、羌族最先开发了青藏高原,彝、白等民族最先开发了西南地区,满、锡伯、鄂温克、鄂伦春等民族的祖先最先开发了东北地区,匈奴、突厥、蒙古等民族先后开发了蒙古草原,黎族最先开发了海南岛,台湾少数民族的先民最先开发了台湾岛…… (「一、统一的多民族国家和中华民族的多元一体」)

 「中華民族は黄帝の子孫、黄河流域は中華文明発祥の地」といった、ひところの、少数民族への配慮も何もない無神経な言説がここでは影を潜めている。これだけでも“巨大な成就”であろう。皮肉ではなく。

「『最後のオスマン帝国人』E・オスマン氏が死去、97歳」 から

2009年09月27日 | 抜き書き
▲「ロイター.co.jp」2009年09月27日13:48JST。 (部分)
 〈http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-11668920090927

 オスマン氏は23日にイスタンブールの病院で腎不全のため死去。97歳だった。祖父はオスマン帝国最後の皇帝、アブデュルメジト2世で、国内メディアは同氏を「最後のオスマン帝国人」と称していた。

 1453年に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を滅ぼした後、オスマン帝国のスルタンは、ある時期まで、「ローマ帝国皇帝(ルーム・カイセリ)」と称していたと聞く。
 ローマ帝国の後継者を自認したのはモスクワ大公国(およびその後身のロシア帝国)だけではなかったということだ。
 ローマ帝国の後を継ぐとは、一体なにを意味するのか?

「中国網民複雑看待日本取消駐軍与那国島」 から

2009年09月27日 | 抜き書き
▲「環球網」2009-09-27 07:30、「中国网民复杂看待日本取消驻军与那国岛」 (部分)
 〈http://world.huanqiu.com/roll/2009-09/588752.html

  与那国岛距离冲绳本岛约520公里,距台湾岛仅110公里,与中国的钓鱼岛相距约150公里,战略地位极其重要。向与那国岛派驻自卫队是日本前首相麻生执政时作出的决定,当时的防卫大臣浜田靖一积极推进该计划,并称此举是为了“对抗中国海军在东海的军事活动。”

 中国人にとっての友好とは相手国の内政問題に自由に干渉できることである。従わなければ「敵」であり、「懲罰」する。「懲罰」であるから侵略ではないし、中国は「覇権」を求めないのだから、それは軍事行動ですらないのである。見え透いた、ひどい詭弁だが、「民族問題は階級問題である」が通るなら、もちろんのこと大手を振って通るだろう。そもそも彼ら自身がこれを詭弁と認識しているかどうかもあやしい。
 しかし風が吹けば桶屋が儲かる式の“中国の特色ある”論理、あるいは「おかしな推論」(J.K.フェアバンク)には、良い処もある。「戦略的互恵関係」なら、「友好国」ではないかわりいまだ「敵国」でもないということで、だからいきなり「懲罰」はできない。したら「戦争」になるからだ。

「Surrogates: The Zen Machismo of Bruce Willis」 から

2009年09月27日 | 抜き書き
▲「Time.com」Thursday, Sep. 24, 2009, By Richard Corliss. (部分)
 〈http://www.time.com/time/arts/article/0,8599,1926092,00.html

  At 54, Willis is the one star from the Bronzed Age of '80s action movies who still can persuasively embody a haunted, implacable stud. Chuck Norris went into TV, as a Texas Ranger and a cheerleader for Glenn Beck. Jean-Claude Van Damme is mostly reduced to made-for-video cheapies. Schwarzenegger's in the public sector. Jackie Chan still makes movies on both sides of the Pacific, but a lifetime of martial-arts exertions has rendered him creaky. Only Willis remains ― the last action hero. (Clint Eastwood doesn't count; he came two decades before these guys and, besides, he's, like, immortal.)  (太字は引用者)

 ブルース・ウィリス評として優れているのはもちろん、最後の括弧内はクリント・イーストウッド評としても秀逸。

阿部治平 『もうひとつのチベット現代史 プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』 から

2009年09月26日 | 抜き書き
 内部に醗酵する社会変動の要因を直視できないのは中共の宿痾である。 (「第6章 飢餓から狂気へ」 本書360頁)

 ところで、それにしても「Wikipedia」日本語版の「大漢民族主義」項はひどい。書き方がおざなりで、読んでいて涙が出そうになるほどだ。

 彼ら〔大漢民族主義者〕は現在にだけ都合のいい歴史観を心配し、行き過ぎた民族融合政策は中国人の道徳と国家の求心力を削り取ると主張する。一つの例で元や清の漢民族でない統治者に投降するのも、旧日本軍に投降するのも彼らにとって何の区別もない。なぜなら侵略者はみな異民族で、漢民族に虐殺を行ったり、奴隷化政策に近いことを行ったからだ。

 のところなんて、中国語版のほとんど引き写しじゃないか。

  大漢族主义者通常会为某些为当代服务的历史观感到担心,认为过分强调民族融合论会消磨国人的道,使国人缺乏族群认同,进而使国家缺乏向心力。他们认为国家政权必须为汉族所掌握才能成为中国,他们害怕当国家的居民中大部分否认其民族认同,那国家的合理性就成了问题。一个例子是:在大漢族主义者看来,向元或清的征服者投降并提供帮助和向日本的征服者投降没有任何区别,因为侵略者都来自异族文化并且对汉族人进行屠杀,同时实行一定程度上的奴化政策。

(明石書店 2006年4月)

「Probes confirm water on the moon」 から

2009年09月25日 | 抜き書き
▲「Aljazeera.net」Thursday, September 24, 2009 14:22 Mecca time, 11:22 GMT, Source: Al Jazeera and agencies.  (部分)
 〈http://english.aljazeera.net/news/americas/2009/09/20099244534862703.html

  In a statement, 〔Carle〕Pieters said: "When we say 'water on the moon,' we are not talking about lakes, oceans or even puddles.
  "Water on the moon means molecules of water and hydroxyl (hydrogen and oxygen) that interact with molecules of rock and dust specifically in the top millimetres of the moon's surface."

  既成概念をひっくり返されるのは楽しい。

「イチローと崔京周」 から

2009年09月25日 | 抜き書き
▲「中央日報 Joins.com」2009.09.24 15:21:00。 (部分)
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=120832&servcode=600§code=600

 鈴木一朗(=イチロー、36)。 メジャーリーグのシアトル・マリナーズで大活躍している日本人選手だ。俊足を生かしてメジャーで9年連続200安打の大記録を達したのだから、‘好打俊足’の代名詞と言える。 鋭い目と堂々とした姿も目を引く。打席に入る度に投手を見つめるその眼差しに多くの選手が委縮するほどだ。
 ゴルフでは崔京周(チェ・キョンジュ、39)がまさにこうした存在だ。身長172センチと小柄だが、彼のカリスマとパワーは米国でも定評がある。体格のよい選手と対決しても崔京周は負けない。 むしろ気持ちで相手を圧倒するという表現がふさわしい。 2004年のマスターズ当時、アーニー・エルスとの同伴ラウンドに先立ち、頭一つ大きいエルスの肩をたたいた崔京周の堂々たる姿を筆者は忘れない。

 結局自慢ですか。誰が書いたのか知らないが、虚心坦懐に他人を認めて誉めるということはできんのかね。

 アジア男性の躍進は彼らだけでない。先月PGAチャンピオンシップで優勝した梁容銀(ヤン・ヨンウン=Y・E・ヤン、37)も、先月30日にUSアマチュア選手権で優勝したアン・ビョンフン(18)もそうだ。 ‘力のない’アジア男性がメジャー大会の最終日、それもチャンピオン組で‘ゴルフ皇帝’タイガー・ウッズと勝負し、‘逆転勝ち’をするとは誰が予想しただろうか。身長186センチ・体重96キロのアジア出身の少年が米国のアマチュアナショナルタイトル大会で最年少優勝記録を更新するなど誰が想像しただろうか。
 これまで「女子ゴルフは通用しても男子は通用しない」というのが私たちの考えだった。女子に比べて選手層がはるかに厚いため、韓国の男子選手がPGAツアーのメジャー大会で優勝するのは不可能だと考えてきた。ところが崔京周が道を開き、梁容銀が頂点に立ったことで、こうした通念は崩れた。ペ・サンムン、ダニー・リー、石川遼、アン・ビョンフンらの鋭いショットからは‘アジア人のプライド’がにじみ出る。コリア、ファイト! アジア、万歳だ。

 都合のいいときだけ「アジア」を使うな。