書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

作・雁屋哲 画・花咲アキラ 『美味しんぼ』 16 「五十年目の味覚」

2012年05月30日 | コミック
 これも相当初期のものだが、予想に反して(なにせ長寿漫画だから憶えていない)、基本的にはいまと変わらない。山岡のコミカルな面(食べ物以外役に立たない、グータラ社員、上司や“お局さま”たちにこづき回される)、単なるグルメ漫画ではなく、その背景にある社会政治、とくに環境問題にかなりの比重がかかっている点など。海原雄山も、すでに初期の「傲慢無礼で人間としては最低だが芸術家としては超一流」から、「気難しいが筋の通った人格者」(『ウィキペディア』)への変貌を了えている(「対決!! 野菜編」)。要するに、物語としては意外に変化していないという感想。画は、個人的にはいまのほうが好きだ。一番好きなのは40-80巻くらい。

(小学館 1988年9月初版 2006年12月第36版)

作・雁屋哲 画・花咲アキラ 『美味しんぼ』 101 「食の安全」

2012年05月29日 | コミック
 内容に批判がある巻の一つだが、とりあえずは措く。それより初期や中期と比べての画風の変化に関心がいった。山岡の顔が丸くなったから始まって、画が雑になった、果ては下手になったと嘆く声まであるらしいが、私には、中期以降(70-80巻以後?)の登場人物の表情が、みな「半音階」になっていると思える。表情が、定型(漫画的なきまりきったお約束のパターンと言い換えてもいい)から、微妙にずれている。動きもまるで意図してかのようにどんどんなくなってきている。これは主人公をはじめ昔からのキャラクターにおいてとくに著しい。なぜそうなっているのかはわからない。

(小学館 2008年3月)

ヴラジーミル・ルダコフ 『13-15世紀古代ロシアの文書資料にみるモンゴル・タタール人』

2012年05月24日 | 西洋史
ロシア語原書名:Рудаков В. - Монголо-татары глазами древнерусских книжников середины 13-15 вв.

 モンゴル帝国に対し、敗者から勝者となった同時代のロシア人(ルーシの民)の目に映るモンゴル人とテュルク人(=タタール人)は、終始一貫、異教徒であり、野蛮であり、邪悪であり、悪魔であり、というものだった。著者もその“ダイナミズムのなさ”に呆れている(「Введение〔序論〕」)。
 しかし文献はリアルタイムからやや遅れて書かれるものだから、これは“認識”というより“記憶”ではないのか。整理され、潤色された、記憶あるいは“物語”。

(Москва: Квадрига, 2009)

Акимбеков С. 『История степей』

2012年05月23日 | 世界史
 副題「Феномен государства Чингисхан в истории Евразии」
 (日本語訳:スルタン・アキムベコフ 『ステップの歴史 ユーラシア史におけるチンギス・ハーン国家という現象』)

 世界史ではないにせよ「ユーラシア史はモンゴル帝国より始まる」というどこかで聞いた主張。
 ちょっと毛色が違うのは、チンギス・ハーンは中国の中央集権制度を取り入れ、彼の息子たちはそれをユーラシアに広めたという点。著者によれば、ジョチ・ウルス崩壊後に出現したその継承国家たるロシア帝国(モスクワ大公国・モスクワ・ツァーリ国を含め)の専制体制は、正にモンゴル帝国を経由した中国の専制体制の影響というより輸入だという。そして17世紀に成立する清朝も、もちろんモンゴル帝国(元)の後継者であるとともに伝統中国の専制の正当な後継者であり、つまりユーラシアは中国とモンゴル帝国双方二重の意味での継承国家によって二分されたというのが、著者のとなえる雄大な構図である。
 そのなかでカザフスタンは両者の中間で独特の自立した地位を保ったというのが、カザフスタン国民である著者の主張である。大・中・小ジュズの存在がその根拠らしいが、このあたりにくるとよくわからない。モンゴル帝国の影響を最後に受けて成立したからだというのだが、それはつまりは歴史が浅いということである。歴史が浅いということが自慢になるのかしらん。

(Алматы: Центр Азии, 2011)

きょう(龍+共)蔭  『中国土司制度』 

2012年05月23日 | 地域研究
 本書は、四川(重慶市を含む)・雲南・貴州・広西・広東・海南・湖南・湖北・甘粛・青海・チベット東部、すなわち伝統中国の西部および西南部に歴史上存在した少数民族の自治制度とその民族の首長に与えられた中国王朝の官職である土司・土官の例について網羅的に収録し、その存在した場所、また役職を世襲する家とその系譜、およびその家とその土司・土官の沿革(誕生から消滅まで)を、概述している。
 ありがたいのはそれぞれの家の民族区分が明記されていることで、たとえそれがこんにちにおける区分(正確には中華人民共和国の民族識別工作の結果)であったとしても、手がかりにはなる。さらにはこの巨冊が(1470頁ある)が、平板な文字と情報の羅列だけにおわらず、内容に具体的なイメージをもたらすことにもなっている。
 巻頭に置かれた「土司制度概論」と併せて、土司(土官をふくめた制度の総称としての)が、他民族の混住する――多数派の支配者である漢民族からみれば少数民族が多くその力も強い――地域に置かれたのだという事実を、あらためて納得できる。

(龚荫『中国土司制度』 昆明 云南民族出版社 1992年6月)

茂木健一郎 『脳と心の整理術 忘れるだけでうまくいく』

2012年05月20日 | 自然科学
 ツイッターを見ていても思うことだが、この人はたぶん文章を書くのがものすごく早い。それは思考もそうだがそれを表すための言葉の選びが早いということだろう。思考についてはまだよくわからないが、言葉選びについては、この人の性格――思い切りのよさ、果断さ――が大いに関係しているのではないかと見る。

(PHP研究所 2012年2月)

与那覇潤 『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』

2012年05月17日 | 
 表紙折り返し裏に「ポップで真摯、(略)ライブ感あふれる『役に立つ日本史』」とある。編集者のつけたのであろうこの軽薄極まるコピーは、筆者に責任はないはずだが、軽い喋り言葉でやたら太字の多い、まるで太田出版のようなノリの文章は、「この人は学会のトリックスターを狙っているのかな?」と思わせるに十分であった。それから、「役に立つ」かどうかは別として、「日本史」と断ってあるのに感心。日本史なら、出版されてから著者の中国史についての見方が一向深化もしなければ進展もしないのは、当然ではある。

(文藝春秋 2011年11月)

安田浩一 『ネットと愛国』

2012年05月11日 | 政治
 著者の型どおりの結論はべつとして、著者の取材とそこから浮かび上がってくる材料から判断するに、彼らは幕末なら足利将軍の木像を梟首して気勢を揚げてみたり、京都守護職本陣となっていた黒谷金戒光明寺の門前で会津藩の名前が記された看板を見て、「クァイヅ?クァイヅとはどこの藩じゃ」などと徳川家の親藩御家門に向かって騒いでいた草莽の志士になっていただろうという感想。あるいは司馬遼太郎『花神』に出てくる大楽源太郎や神代直人の類。彼らに会いに行った安田氏はさしづめ村田蔵六であろう。だから氏の判断とはべつに、私の感想は蔵六と同じ。ざっとあんなものか。

(講談社 2012年4月)