こういうテーマを訴えたいと言うんだったら、そのテーマは自分の中で消化されてる訳ですから、楽ですけどね。プロパガンダ映画っていうのは、政治的なことだけじゃなくてね、植物を大事にしましょうという映画だって、くだらないですよね、同じように。もう分かってるんですから、そんなことは。そういうもの作っても仕様がない。 (宮崎駿、「第二章 企画構想、遙かな道のり」 本書51頁。太字は引用者)
興奮と不安。それは表現する者の栄光でもある。自分でもワケが分からなくなって、そこから映画作りが始まると、宮崎さんはしばしば言ってきた。確かに、自分が知っているものを伝えるのは伝達であって表現ではない。表現とは、自分でもよく分からないものと格闘し、自分を搾り出すようにして、掴み取るものなのである。 (浦谷年良、「第三章 宮崎駿の創造回路が見えてくる」 本書130-131頁。太字は引用者)
文章を書くということも、同じであろう。あるべき線を探るとは、あるべき文体を探ることであり、言い留めることばを探すことだ。
(徳間書店 1998年10月)
興奮と不安。それは表現する者の栄光でもある。自分でもワケが分からなくなって、そこから映画作りが始まると、宮崎さんはしばしば言ってきた。確かに、自分が知っているものを伝えるのは伝達であって表現ではない。表現とは、自分でもよく分からないものと格闘し、自分を搾り出すようにして、掴み取るものなのである。 (浦谷年良、「第三章 宮崎駿の創造回路が見えてくる」 本書130-131頁。太字は引用者)
文章を書くということも、同じであろう。あるべき線を探るとは、あるべき文体を探ることであり、言い留めることばを探すことだ。
(徳間書店 1998年10月)