書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

外間守善/西郷信綱校注 『日本思想大系』 18 「おもろさうし」

2014年04月30日 | 地域研究
 『おもろさうし』の各巻の冒頭には編集された年月もしくは年月日が記されているが、それらには中国の年号が用いられている。たとえば巻一は「嘉靖十年」、巻二は「万暦四十一年五月廿八日」というように。巻三から最終第廿二巻まで、中国年号と干支の併用となる。途中日付そのものを欠く巻が数本ある。
 巻二以降は薩摩による琉球征服(1609年)以後に編まれたものである(1621・天啓三年)。このことと、中国の年号+干支による年表記へのスタイル変更のあいだには、何らかの関わりはあるか。

(岩波書店 1972年12月)

梶谷懐 「第4章 日本と中国のあいだ――「近代性」をめぐる考察(1)――」 

2014年04月30日 | 地域研究
 朝日出版社第二編集部ブログ

 じつに興味深い。たとえば與那覇潤氏の所説に対する評価ほかの諸点など。
 なお「若衆宿」の概念とタームは、幕末の長州藩、西郷一党と島津藩上層部の関係、さらには近代日本の参謀本部や学生運動を理解するさいのツールとして(あるいはそれらの比喩として)、1970年代から司馬遼太郎氏が使用されていたと記憶する。たとえば『街道をゆく』『花神』『翔ぶがごとく』『菜の花の沖』そのほかの著作において。

ウィキペディア 「自然主義文学」項

2014年04月30日 | 文学
 〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E6%96%87%E5%AD%A6
 チャールズ・ダーウィンの進化論やクロード・ベルナール著『実験医学序説』の影響を受け、実験的展開を持つ小説のなかに、自然とその法則の作用、遺伝と社会環境の因果律の影響下にある人間を描き(略)

 ゾラは、人間の行動を、遺伝、環境から科学的、客観的に把握しようとした。

 倫理と物理は違うのだ。前者が後者を包摂する朱子学も駄目だが、その反対の後者が前者を包摂する(と信じる)科学万能主義も駄目だ。中国で康有為や梁啓超が陥ったのと同じ弊だ。“科学的”“客観的”をはき違えている。

 爰ニハ同ジ道理々々ト一様ニ口デハ言ヘド其実ハ理ニ二タ通リアツテ、其理ガ互ニ少シモ関渉シテ居ナイト云フコトヲ知ラネバナラヌノデゴザル、今此区別ヲ示ス為ニ其一ツヲ心理ト云ヒ、其一ツヲ物理ト名ツクルデゴザル、其物理トハ天然自然ノ理ニシテ、其大ヲ語レバ寰宇ノ大ナルモ、星辰ノ遠キモ、其小ヲ語レバ一滴ノ水一撮ノ土モ、禽獣ヨリ人間ニ至ル生物デモ、草木ナド植物デモ、何デモ箇デモ此性ヲ備ヘ此理ニ外ナルコトハ出来ズ、仮初ニモ此理ニ戻ルコトハ毫頭モ出来ナイモノデゴザル、然レドモ心理ト云フハ斯(カク)広イモノデハナクテ、唯人間上バカリニ行ハレル理デ、人間デナクテハ此理ヲ会スルコト能ハズ、亦人間ナラデハ此理ヲ遵奉スルコトモ出来ズ、是モ矢張天然ニ本ヅクトハイヘドモ、是レニ違ハント欲スレバ違フコトモ出来ル故ニ、浅見膚識デ考ヘルト人間ガ擅ママニ作リ、人間ガ善イ加減ニ拵ヘ、仕替ヘル事モ肩デ已メルコトモ出来ルト様ニ思ハレルデゴザル、夫物理ハア、プリオリ〔原文傍線〕ト云ツテ先天ノ理トシ、心理ハア、ポステリオリ〔原文傍線〕ト云ツテ後天ノ理ナレバ、(略)併シ此理ハ先天ノ物理ノ一定動カス可ラザルモノトハ違ヒ、一事ニ就テモ千差万別ト色々ガゴザル、(略)先ヅ物理トイフハ物質一般ノ理、分性硬性真性固保性引力等ヨリ、避心吸心ノ両力、方ヲ変ジ円ヲナスノ理、光射ノ理、熱伝ノ理、光線色ヲ現ズルノ理、流体動ヲ伝ヘ音ヲ起スノ理、電磁ノ陰陽相和スルノ理等ヨリ、舎密上親和ノ理、原量ノ理等ニ至リ、無機性体金石灰土ノ質ヨリ、有機性体ノ草木人獣ヲ生ズルノ理、機性体中ニ動静二体ヲ分ツノ理、此大地ヲ生ジタル地膚地皮ノ理、衆行星ト共ニ太陽ヲ円転スルノ理、星辰天ニ森羅スルノ理、風ガ吹キ、雨ガ降リ、虹ガ見ハレ、雪ガ降ル等ニ至ルマデ総テ百般ノ道理ヲ物理ト云フデゴザルガ、是バカリハ人間ノ力デドウスルコトモ出来ズ、イヤデモ応デモ成ル通リノ外ハナラヌモノナリ(略)平常唯理ガアルコトビノミ心得テ其区別ヲ知ラズ、物理ト心理トヲ混同シテ果(ハテ)々ハ人間ノ心力デ天然物理上ノ力ヲモ変化セラレル様ニ心得ルハ大ナル誤デハゴザルマイカ
 (西周「百一新論」(明治3・1870年?)。太字は引用者)

エミール・ゾラ著 川口篤/古賀照一訳 『ナナ』

2014年04月29日 | 文学
 ゾラは、自然主義の代表的作家とされている。彼の理論は『実験小説論』につぶさに説かれているが、当時の科学万能的風潮を反映して、科学的芸術批評家テーヌや実験医学の提唱者ベルナールの思想を多分に取り入れている。 (「あとがき」本書715頁)

 『実験小説論』は読んだことがない(これから読むつもり)が、『居酒屋』もそうだが、この作品を読んで、梁啓超の「中国は多君の世であるのに、国家はすでに民主政治が行われているとか、すでに民主政治が行われているのに突然君主政治にもどるとかいうことは、公理に合っていない。幾何学に通じたものならきっとこの道理がわかるだろう」という言葉を読んだときと同じくらいのあほくささを感じた。
 ゾラは1840年生、1902年没。梁啓超は1873年生、1929年没。自然主義思想が西から東へ伝播する時間を考えにいれれば、ほぼ同時代人といっていい。梁の師匠の康有為(1858年生、1927年没)にもこの傾向は認められるし、これはやはり、訳者子の言うように時代の風潮だったのだろうか。

(新潮社 2006年12月)

仲新城誠 『国境の島の「反日」教科書キャンペーン 沖縄と八重山の無法イデオロギー』

2014年04月29日 | 政治
 正式な著者名は、「八重山日報教科書問題取材班・仲新城誠」。仲新城氏は同紙の編集長。

 育鵬社版採択の反対派の顔ぶれを見ると、「反自衛隊」を訴える人たちと同じなのである。 (「はじめに」本書7頁)

 県紙で報じられた調査員の報告書を読んでいて、妙なことに気づいた。反対派が配っていたパンフレットとそっくりそのままの文章が報告書に盛り込まれているのである。 
(「第3章 暴走する県教委」本書95頁)

 「県紙」とは、文脈から『沖縄タイムス』と『琉球新報』のどちらか、あるいは両方を指すと思われる。「反対派が配っていたパンフレット」は、「子どもを教科書全国ネット21」(東京)が発行した「子どもに渡せない教科書」。

(産経新聞出版 2013年3月)

柳原望 『高杉さん家のおべんとう』 8

2014年04月26日 | コミック
 ある人に教えられて読んでみるとすこぶる面白いので既刊を大人買いしたシリーズ。最新刊。
 香山なつ希ちゃん、やはり白人とのハーフだったのか。外見からの後付設定かもしれない。だが“後付け”とは作者が当初意識下ではそれと認識していなかった“大設定”かもしれない。なぜあの造形にしたのか。

(KADOKAWA/メディアファクトリー 2014年4月)

徳齢著 実藤恵秀訳 『西太后絵巻』 上

2014年04月23日 | 文学
 原題"Imperial Incense"、1933年刊。

 訳者の「はしがき」。

  本書は、かつて西太后に侍してゐた徳齢姫が書いた自叙伝体の長篇小説の一つである。 (原文旧漢字)

 同じ訳者による『西太后秘話』は"Old Buddha"、1928年刊。上記「徳齢姫」の「姫」は、「徳齢公主」の「公主」、また英語での著者名 Princess Der Ling の "Princess"の訳であろうか。この称号の真否もしくは可否については、訳者は言及するところがない。

(大東出版社 1941年10月)

岡田英弘『岡田英弘著作集』 3 「日本とは何か」より

2014年04月23日 | 抜き書き
 国民の統合には君主の人格が最適であり、君主を失った国民の統合はつねに不安定を免れない。一人の君主の人格を、その死後も存続させるもの、それが世襲制であり、人間の考えうるもっとも安定した制度である。世襲されるものは権力ではない。人格が世襲されるのである。 (「第Ⅲ部 日本の誕生」「大嘗祭は冬至祭である」本書381頁)。

 たとえば広東語の新聞を見ると、妙な字が入っている。古文で書いてあるあいだに、広東語の助字がはさまっている。そういうところだけ飛ばして読んでも意味はわかる。つまり、吏読や〔略〕『訓民正音』の読み下し文は、それと同じようなものなのだ。広東語が漢語なら、吏読も漢語ということになる (「第Ⅴ部 発言集」「吏読から考える日本語の成立」本書521頁)

 現代日本語の成立に重要な役割を果たしたものの一つは、江戸時代に普及した漢文の訓読であろう。〔略〕その訓読の普及によって、漢語と日本語の中間的な言語がすでにできていたのだと思う。それがどうやら、現代日本語の基礎になっている。
 (「第Ⅴ部 発言集」「江戸時代の漢文の訓読が現代日本語の基礎」本書522頁)

 ところが、ここで問題になるのは、日本語の下敷きに使われたのが、言語ではなく漢文であったという点である。漢文は漢字でつづられている文章であり、漢字には品詞の区別や文法、語順というものが存在しない。このことは、漢文には論理を表現する方法がないことを意味している。 (「第Ⅴ部 発言集」「日本語が持つ歴史的弱点」本書528頁)

等々。

(藤原書店 2014年1月)