出版社による紹介。
訳者石川氏の巻末「解説」に、この往来物が朝鮮へと渡って日本学習の教科書(日本語通詞〔通訳官〕の資格を認定するための国家試験の参考書。永享2/1430年頃)の一つにもなったという事実が記されている(343頁)。不思議の感に打たれるとともに、そうなさしめた原因と理由にも興味を掻きたてられる。
12月13日追記。
石川氏は、「解説」で、こう指摘されている。『庭訓往来』の早期の注、いわゆる『旧抄』とよばれるものは、語意や語法、書式については原文に即した手堅い注をつける一方、本文中に出てくる事件・事物・月日・人名にことよせて、「荒唐無稽」な、「さまざまの由来話・縁起譚・民間説話の類い」を、「本文との脈絡などまったく顧慮するところなく、ながながと引用」する、それが同注の特徴であると(347頁)。だが、その「脈絡」――この場合、本文とのそれ、また本文そのもののそれ――とは、何であろう。また何をもって脈略に沿っている、沿っていないと判断するのであろう。石川氏は何に拠られたか。『旧抄』を著した注釈者は、おのれの注の付けかたこそが脈略に沿うものと考えて結果そういった注を著したかも知れないのである。その可能性は吟味せずともよいのだろうか。
(平凡社 1973年11月)
訳者石川氏の巻末「解説」に、この往来物が朝鮮へと渡って日本学習の教科書(日本語通詞〔通訳官〕の資格を認定するための国家試験の参考書。永享2/1430年頃)の一つにもなったという事実が記されている(343頁)。不思議の感に打たれるとともに、そうなさしめた原因と理由にも興味を掻きたてられる。
12月13日追記。
石川氏は、「解説」で、こう指摘されている。『庭訓往来』の早期の注、いわゆる『旧抄』とよばれるものは、語意や語法、書式については原文に即した手堅い注をつける一方、本文中に出てくる事件・事物・月日・人名にことよせて、「荒唐無稽」な、「さまざまの由来話・縁起譚・民間説話の類い」を、「本文との脈絡などまったく顧慮するところなく、ながながと引用」する、それが同注の特徴であると(347頁)。だが、その「脈絡」――この場合、本文とのそれ、また本文そのもののそれ――とは、何であろう。また何をもって脈略に沿っている、沿っていないと判断するのであろう。石川氏は何に拠られたか。『旧抄』を著した注釈者は、おのれの注の付けかたこそが脈略に沿うものと考えて結果そういった注を著したかも知れないのである。その可能性は吟味せずともよいのだろうか。
(平凡社 1973年11月)