書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Chinese character classification - Wikipedia

2017年08月23日 | 思考の断片
 https://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_character_classification#Simple_ideograms

 「指事」の説明。

  Ideograms (指事 zhǐ shì, "indication") express an abstract idea through an iconic form, including iconic modification of pictographic characters. In the examples below, low numerals are represented by the appropriate number of strokes, directions by an iconic indication above and below a line, and the parts of a tree by marking the appropriate part of a pictogram of a tree. ('1.2 Simple ideograms')

 なるほど。日本語でも「『指事』文字は抽象的な概念を示す」という説明をときに目にするが、例えば「上」と「下」は方向もしくは位置関係で、そのものを指でさせるから、まだ具体的な実体がある。完全な抽象とはいえない。生乾きiconicの抽象である。さらに言えば「本」は木の幹あるいは根、「末」は木の秀つ枝が原義だというが、それなら抽象名詞ではなく、すくなくとももともとは「本体」「末端・表層部分」を示すための比喩ではないか。表現する対象は抽象的概念であるかもしれないが、表現に用いた語自体の意味は具象的である。

『孟子』の「告子篇」に「凡て類を同じくする者は挙げて相い似たり」とあるが・・・

2017年08月08日 | 思考の断片
 『孟子』の「告子篇」に「凡て類を同じくする者は挙げて相い似たり」とあるが、これは今の観念でいえばトートロジーで、相い似た者を類を同じくすると称するのだから当たり前である。それにしても同篇には詭弁強弁にしか思えない論法が目立つが、これらは当時の人にはどう受け取られていたのだろう。

新沖縄北方担当相称将念公文以避免答弁出錯遭批  共同網 

2017年08月08日 | 人文科学
 原題:新冲绳北方担当相称将念公文以避免答辩出错遭批 共同網 

  首相安倍晋三刚刚撤换了前防卫相稻田朋美和前法相金田胜年等失言和国会答辩不稳定的阁僚,也存在新任阁僚不慎言论成为打击的可能性。

 漢語のジャーナリズム文では「可能性」という語彙を用いるが、それによって筆者の観測を書くことができるという一例。ただこの文にはわずかに“和習”がする。それは、それが筆者の個人的な希望もすこし混じり込んでいるようであるところである。中国の同種の文体の「可能性」には、国家の立国の基盤となっている思想的見地に基づく「予測」や「当為」が、そして/もしくは、その“公”の“原則”に寄生しての筆者個人の“私”的な「好悪」が、封入されるのであって、そこが異なるようだ。

小松謙 『「現実」の浮上 「せりふ」 と 「描写」 の中国文学史』

2017年08月08日 | 地域研究
 出版社による紹介

 漢語における書記言語――文言文、その可能不可能を双方含意しつつ象徴的に「描写」と呼ばれる――と、口語文学――同じく象徴的に「せりふ」――の、それぞれ本来の性質とその変遷のダイナミクスとメカニズムのとらえ方は、当然のこととして私とは異なる。だがそれ以上に教えられる部分が大きい。非常に参考になった。

(汲古書院 2007年1月)

(社説)甲子園の夏 白球追う選手にエール:朝日新聞デジタル

2017年08月08日 | 思考の断片
 2017年8月7日05時00分

 はつらつと白球を追う球児の姿は、全国どこであっても、人々を勇気づける。高校野球のもつそんな不思議な力を、大会を通じてかみしめたい。

 社会のいろいろな局面で、建前と本音(実際の言動)が異なるどころか、場面によって、ことによったら同一人物(自然人・法人どちらも)においてさえ、それぞれ言と言、動と動とが、たがいに平気で矛盾しはじめしているように見える。decompositionと名づくべきか。
 たしかカレル・チャペックの短編に、人は状況や局面によって性格(人格)が変化し(入れ替わり)、それが人間の常態であるさまを描いてゆく作品があった。そうかもしれず、だとすれば私の感じる情況は、人々がそれを隠そうとしなくなったというだけのことかもしれない。人格の統一こそが建前だと。

文字が語りかける民族意識:カラホトと西夏文字 | 貴重書で綴るシルクロード

2017年08月08日 | 東洋史
 http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/08/

 西田龍雄「西夏語訳『論語』について」(注)によれば、同訳の西夏語は“漢文調”だそうである。文法構造はごく稀な場合をのぞいて正しく西夏語の文法通りだそうなので、これは語彙と表現レベルについての指摘であろう。

 。吉川教授退官記念事業会編『吉川博士退休記念 中国文学論集』(筑摩書房 1968年3月)所収、同書75-106頁。

特集ワイド:「私」が消えてゆく プライバシーは時代遅れ? - 毎日新聞

2017年08月08日 | 
 2017年8月4日 東京夕刊

 冒頭の岡嶋さんによると、若い世代の場合、誰も批判しない、似たような価値観の者同士だけで交流できる狭い『ネットワーク』で、いくつものキャラクターを演じるのがは普通のため、そこでひどく傷つくことは少ないという。あるいは、ネット上に解き放たれたプライバシーがどれだけ侵害されても、ひたすら慣れていく。そんなふうに、私たちは変わり始めているのだろうか。内面から離れた『自己』を遠目に見ながら。

 文学的である。ジャーナリズムの文章とはとても思えない。論旨の輪郭がぼやけて理解しがたい。右顧左眄のようにすらみえる。語り口も、「という」などとおちょぼ口で、なにか躊躇いがちな印象を受ける。というより、印象しかない。田中美知太郎師がいまに生きていたらどう評するか。いったい、プライバシーは時代遅れなのか、そうでないのか、「私(自己)」はこれからの人間存在にとって不要なのか、そうでないのか。