書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

「池田信夫 blog」2008-06-24 、「『近代の超克』とは何か」から

2008年06月28日 | 抜き書き
〈http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/45ee673d415d4c376f3121c245418db5〉

朝鮮や満州の植民地支配も、欧米諸国のように徹底的に搾取するものではなく、むしろインフラを建設してその収益を回収する前に戦争に負けたので、収支は赤字だった。中国や朝鮮が「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」などをいまだに針小棒大に語るのは、ナショナリズムを鼓舞して政権を安定させるための国内向けの宣伝にすぎない。こうした政治的事情のない台湾では、日本を敵視する議論はない。

 この視点では、たとえばいまだに台湾に残る「国民党」「中華民国」的要素や、それを担う人的集団を、いずれは消滅する要素でコンマ以下の意義しか持たない存在として捨象するわけである。この態度を、あるいは俯瞰、あるいは大局的見地と言い換えても良いだろう。事態をこのように大局的に見て評するとするなら、つまり簡単に言えば、こうなるのであり、そしてこれだけなのだろう。すくなくとも国家や政府の次元では。

史学会編 『2007年の歴史学界 回顧と展望』

2008年06月27日 | 日本史
 本欄2008年06月15日、「『池田信夫 blog』2008-06-15、『福澤諭吉―文明の政治には六つの要訣あり』から」の続き。
 2007年版も状況に変化なし(「日本 近現代史」部分)。というより、今年は平山氏の名前どころか、福沢諭吉の名すら出て来ない。
 本欄2005年05月31日、井田進也『歴史とテクスト 西鶴から諭吉まで』で紹介した『史学雑誌 2001年の歴史学界 回顧と展望』の一節を、いまいちど引く。

“『中江兆民全集』編修に携わった井田進也氏が兆民研究と史料論を次々に出版した。『兆民をひらく』『二〇〇一年の中江兆民』『歴史とテクスト』(いずれも光芒社)である。なかでも『歴史とテクスト』は『全集』編纂の過程で培った(溝口雄三氏の発案による)「テクスト認定法」によって、「時事新報」所載の論説を分析し、これまで福澤のそれと信じられてきた諸論説(脱亜論発表前後、日清戦争前後)が弟子達の執筆であることを明らかにし、史料批判の重要性(恐ろしさ)をいやというほど教えた。これによって立論の根拠を失う福澤研究は数知れず、(活字)文献史学を生業とする研究者には最も深刻な問題を突きつけた書である。評者も又、暫くの間寝汗にまみれそうである” (「日本 近現代 三 政治史関係 1」、川口暁弘執筆、同書155頁)

 やはり汗は疾うの昔に退いたらしい。
 これ以上、何を言う気も起こらぬ。

(吉川弘文館 2008年5月)

「『ハンセン病入国禁止』に批判 北京五輪委が指針 (共同通信)」から

2008年06月26日 | 抜き書き
 「Infoseek楽天ニュース」2008年6月26日8時00分。
〈http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_2008olympic3__20080626_2/story/26kyodo2008062601000049/)

北京五輪組織委員会が先に公表した五輪期間中の中国への出入国などに関する指針に「ハンセン病患者の入国禁止」が含まれていることが明らかになり、日本の関係者から「医学的根拠がなく、病気への誤解や差別を助長する」と批判が強まっている。「全国ハンセン病療養所入所者協議会」は、「明らかな偏見と差別だ。中国では誤った認識がまかり通っていたのか」と驚き、厚生労働省に「何らかの措置を」と申し入れた。

 エボシ御前の爪の垢でも煎じて飲め。

Andy Chang 「[AC論説]No. 239 馬英九の真骨頂」から

2008年06月18日 | 抜き書き
 「AC通信:No.239」(2008/06/17)から。
 〈http://www.melma.com/backnumber_53999〉

馬英九や国民党連中が望んでいるのは単なる中国接近ではなく、中国の後押しで「香港方式:国民党50年の台湾統治」を考えているのだと思う。この50年の間に蒋系中国人は掠奪の限りを尽して家族は外国に移住して「食べ滓」を中国に渡すのではないか。

 馬英九は決して馬鹿ではなく、陰険狡猾であるという論。

「曹長青網站」2008-06-16、「馬英九和『憤青』」から

2008年06月18日 | 抜き書き
〈http://caochangqing.com/big5/newsdisp.php?News_ID=1722〉

每當有涉外事件時,中國就有不少被稱為「憤青」的青年人,以愛國的名義,毫無理智地發瘋,渲泄仇外的暴民情緒。人們厭惡地把這些愛國惡棍和當年的義和團、紅衛兵視為一路貨色。沒想到台灣也有「憤青」,而且不是年輕人,竟是政府的高官權貴。剛上任的行政院長劉兆玄,還有些藍營的立委,就「釣魚台事件」高喊對日本「不惜一戰」,就是典型一例。

台海兩岸的憤青有同樣的精明算計。中國憤青反美、反日(前段還反法,包圍法資商店),但絕不反共,絕不敢對共產黨「發瘋」。台灣的憤青也如此,因為按照馬英九們的邏輯,既然中華民國的「固有疆土」還包括「中國大陸」(領土面積相當釣魚台多少萬倍),而那裡早被共產黨佔領(不是撞了台灣漁船,而是殺害了成千上萬的國民黨眷屬等,還用飛彈威脅台灣的主權和生存),馬英九們怎麼不敢對中共政權說一點點硬話(更別說採取任何行動)?不僅自我作踐地百般討好共產黨,馬英九甚至在「六四」這個週年日,撰文讚美那個政府的「成就」,前天還在參加出版活動時歌頌共產黨的「進步」。這就是憤青們的性﹕永遠是對紳士撒野,對惡霸下跪。

 腹の中の魂胆は別として外見だけ見れば、台湾の“憤老”が与える印象は、大陸の“憤青”と同じく、「愚昧」「軽薄」「無責任」である。

▲「Infoseek楽天ニュース」2008年6月18日8時14分、「馬総統、謝罪と賠償を要求 尖閣の衝突事故で日本に (共同通信)」
 〈http://news.www.infoseek.co.jp/world/story/18kyodo2008061701000928/〉

【台北17日共同】台湾の馬英九総統は17日、尖閣諸島(中国名・釣魚島)沖で起きた日本の巡視船と台湾の遊漁船の衝突事故について、日本側の遺憾表明は不十分だとの認識を示し、あらためて明確な謝罪と賠償を求めた。尖閣諸島は「中華民国の領土、台湾の属島」だと述べ、台湾の抗議船など計10隻が16日、日本領海内に一時侵入したのは「問題がない」と語った。

 「領海等における外国船舶の航行に関する法律」(領海外国船舶航行法)が施行される7月1日以降も自国の巡視船(あるいは軍艦?)で我が国の領海を侵犯する覚悟があってやっているのなら、さきほどの私の言葉は取り消す。

「中央日報」2008.06.16 10:09:50、「日本-台湾、領土紛争地で船舶衝突」から

2008年06月17日 | 抜き書き
〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=101338&servcode=A00§code=A00)

台湾と日本の関係が険悪になっている。/中国と台湾の対話が再開し、和解ムードに向かっているのとは正反対だ。そのため台湾が中国との関係改善のために、これまで良好な関係だった日本と一定の距離を置こうとするのではないかという分析が出てきている。

 「中国との関係改善のため」とは、具体的にはこのことだろうか?

▲「Economist.com」Jun 12th 2008, 「China and Taiwan: Strait talking again」
〈http://www.economist.com/world/asia/displayStory.cfm?source=hptextfeature&story_id=11554243〉

At their first formal negotiations in nearly a decade, which began in Beijing on June 12th, the two sides are ignoring political differences and focusing on air services and tourism.

The two teams appeared on track to sign an agreement on June 14th that would allow Chinese tourists to visit Taiwan without, as at present, having to go through third countries (visitors to the Taiwan-controlled outlying islands of Kinmen and Matsu can already go directly). The new tourism arrangement is expected to start in July, along with the launch of weekend charter passenger flights. On their first day of talks, the two sides agreed to set up representative offices to handle visas in each other's territories.

Mr Ma is calculating that the economic benefits of a flood of Chinese tourists to the island will help allay such fears. He aims to receive 3,000 a day, which would be a useful boost to Taiwan's lacklustre economy.

兪碩在 「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」(上)(下)から

2008年06月16日 | 抜き書き
●「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」(上)
  「朝鮮日報」2008/06/15 10:28:58
 〈http://www.chosunonline.com/article/20080615000009〉
●「朝鮮戦争、真の勝者はユーゴスラビア」(下)
  「朝鮮日報」008/06/15 10:29:02
 〈http://www.chosunonline.com/article/20080615000010〉

「今朝未明、北朝鮮人民民主主義共和国の軍隊が、日本軍の武装解除のために米ソ間で樹立した北緯38度の全境界線を越え、韓国侵攻に突入した」。1950 年6月25日、東ヨーロッパのある社会主義国家の国営新聞ボルバはこのように報じた。北朝鮮とソ連が、戦争勃発の状況を「韓国軍の先制攻撃を撃退し、反撃を試みた」と歪曲(わいきょく)して宣伝していたそのときに、この国は「北朝鮮の南侵で戦争が起こった」という事実を冷静に見抜いていた。その唯一の社会主義国家とは、ユーゴスラビアだった。 (上)

独自の路線を進もうとしたユーゴのチトーとユーゴを統制したかったソ連のスターリンとの間の対立は、1948年のコミンフォルムで表面化した。ユーゴは周辺の社会主義国家から孤立し、親西欧路線を歩まなければならなかった。ソ連がいつ侵攻してくるか分からない、一触即発の状況だった。キム教授は「秘密が解除されたユーゴ側の文書を調査してみると、ソ連はユーゴの周辺国家に武器と軍需物資を提供し、1950年夏以降、大々的なユーゴ侵攻を準備していた」と語った。 (上)

ところが、砲声が轟いたのは、意外にも全く別な場所だった。1950年6月、ユーゴのメディアは「バルカンの代わりに韓国で戦争が起こった」と報じた。自らの運命と密接に関っている戦争だと判断したわけだ。実際、米国は6・25戦争を契機としてユーゴの戦略的重要性を一層深く認識するようになり、韓国軍の強い抵抗により洛東江での戦いが長引いたことで、ソ連のユーゴ侵攻計画は実現しなかったという。/こうした状況から、ユーゴは韓半島(朝鮮半島)での戦争を最大限「客観的」に見なければならず、その結果「南侵説」を支持するようになった、というのがキム教授の分析だ。 (下)

「人民網日本語版」2008年06月15日、「中国、アジア問題で日本との協力を強化」から

2008年06月15日 | 抜き書き
 〈http://j1.peopledaily.com.cn/2008/06/15/jp20080615_89692.html〉

“外交部の姜瑜報道官は14日、記者の質問に答える時、「中国は、アジア太平洋地域の発展に共に力を尽くすという中日首脳の共通認識に基づき、アジア問題における両国の協調と協力を強化し、災害対策協力を含め、両国およびアジア諸国民に幸福をもたらしていきたい」と表明した。 ”

 日中“良好”で、結構である。

「池田信夫 blog」2008-06-15、「福澤諭吉―文明の政治には六つの要訣あり」から

2008年06月15日 | 抜き書き
“いずれにせよ思想家を評価するには、彼に帰せられているテキストがどこまで彼の書いたものかという文献考証が第一歩であり、そんな基本的な作業もしないで福沢が論じられてきたのは驚きだ。本書の論証は不十分で、『真実』を参照せよとのみ書かれていたりして、わかりにくい。しかしこれまで、ともすれば左翼的な歴史家によって、日本近代のナショナリズムがウルトラナショナリズムに変質した典型として批判されてきた福沢の後期の言説が彼のものではないとすれば、近代史を書き換える可能性もある。「福沢先生」の後輩諸氏には、まず福沢全集の見直しからやってもらいたい。”
 〈http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d2c535a39522975b633aa0d6ab594f1f)

 たぶんしないでしょう。みなさん「第二現実」の電波的社会主義者でなければ福沢を御本尊に祀り上げて飯の種にしているだけの売僧ばかりだから。全部が全部とはいいませんが。

 →本欄2005年06月24日「桑原三郎『福沢諭吉の教育観』」
 〈http://blog.goo.ne.jp/joseph_blog/d/20050624〉

 →本欄2005年05月31日「井田進也『歴史とテクスト 西鶴から諭吉まで』」
 〈http://blog.goo.ne.jp/joseph_blog/d/20050531〉

 →本欄2006年06月24日「今週のコメントしない本」
 〈http://blog.goo.ne.jp/joseph_blog/d/20060624〉

 上記最後の「今週のコメントしない本」から引用。

 “最近出版されたばかりの史学会編『2005年の歴史学界 回顧と展望』(吉川弘文館、2006年5月)を読むと、現行『福澤諭吉全集』の内容を検証した研究は全く名が挙がっていない(「日本 近現代 三 社会・文化 1」、中村崇高執筆、同書168頁)。昨年1年間を通じ、日本史学界でまったく発表されなかったということらしい。
 単なる取りこぼしかもしれない。しかし、昨年出た『2004年の歴史学界 回顧と展望』で、出版年度の関係から言って当然収録されるはずの平山氏のこの書籍がそもそも収録されていないところを見ると、どうもそうではないようでもある(→2005年7月4日、「史学会編『2004年の歴史学界 回顧と展望』」)。
 どこかの真面目な――真理を愛するという意味で――学者が、平山氏の問題提起を真摯に受け止めて、論文なり学術発表なり何らかの反応を示していたとしても、福沢を飯の種にしているだけの一群の教官方は、存在しないはずの書籍が巻き起こした風波などもちろん存在せずとして黙殺を決め込んでいるのではないか。”

 ちなみに『2006年の歴史学界 回顧と展望』(昨年出版)も、事情は同じだった。だから私の感想も同じである(2007年版がもうすぐ出る筈だ)。いまのところ、強いて付け加えるとすれば、恥を知れ恥を、というくらいか。

竹山道雄 「人間は世界を幻のように見る」(「正論」昭和57・1982年10月号掲載)から

2008年06月15日 | 抜き書き
“私は戦後十年に次のように記した。
 ――人間はナマの現実の中に生きているのではなくて、彼が思い浮べた現実像の中に生きている。もし彼がはげしい要求をもっていると、彼はこの現実像をただ要求にしたがって構成して、それをナマの現実とつき合わせて検討することを忘れてしまう。かくて、いわば「第二現実」とでもいったようなものが成立する。これは映画に似ている。すなわち、ある特定の立場から材料を取捨選択してモンタージュしてでき上がったものであり、現実を写しながら現実とは別なものである。この映画は、それ自身の中に因果の法則をもち、筋書をもち、昂奮させ陶酔させる・・・・・・進歩主義的世界像も「第二現実」というタイトルをもった映画である(「昭和の精神史――主観をもった主体」の章)。
 (中略)
 人間は思い浮べた世界像――第二現実――を経験している。人間は世界を幻のように見る。そして、これはただ日本人だけの性向ではなく、人間そのものに共通である。” (引用は竹山道雄『歴史的意識について』(講談社、1983年12月)から。同書82-83頁)

 たとえば昨日欄で言及した狭間直樹氏などは「第二現実」に生きる人なのであろうが、しかしながら、人間がおしなべて世界を幻のように見る存在であるのなら、著者も認めるように、「第二現実」は進歩主義者だけのものではないだろう。「第二現実」とは、現代語でいえば、電波ということだから。