『日本思想史研究』1、1967年3月、同誌1-22頁。
要するに『梅松論』においては、「天下」思想の立場から「天道」によって特定の為政者としての院(天皇)を批判することがあっても、王威の尊厳を否定しようとする意図は認めらめられず、「王土」思想の立場から臣下(武家)の「勅命」への服従を「天命」として重視しているのである。 (「三 『梅松論』における天の思想」13頁)
そしてその天命の正統性を位置づけるのは「天照大神ノ御計」(18頁)であり、
皇位系統はすべて「天照大神ノ御計」によるものであり、それに裏打された「天命」が本来「倫理」的正統性をも保証するものであるから、実は余計の観念を介さなくても、「シカルベキ天命」される〔ママ〕。 (18頁)
という。
では、南朝北朝両方ともに?
要するに『梅松論』においては、「天下」思想の立場から「天道」によって特定の為政者としての院(天皇)を批判することがあっても、王威の尊厳を否定しようとする意図は認めらめられず、「王土」思想の立場から臣下(武家)の「勅命」への服従を「天命」として重視しているのである。 (「三 『梅松論』における天の思想」13頁)
そしてその天命の正統性を位置づけるのは「天照大神ノ御計」(18頁)であり、
皇位系統はすべて「天照大神ノ御計」によるものであり、それに裏打された「天命」が本来「倫理」的正統性をも保証するものであるから、実は余計の観念を介さなくても、「シカルベキ天命」される〔ママ〕。 (18頁)
という。
では、南朝北朝両方ともに?