書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

宮脇俊三 『台湾鉄路千公里』

2008年11月28日 | その他
 文中、「自強号」の名の由来をたずねると、どの台湾人も表情が硬くなり、ことばが途切れた、とある。著者はそれ以上踏み込んでおらず、背景の事情を自分で調べてみる。

★「Wikipedia」(日本語)「自強号」項
 〈http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%BC%B7%E5%8F%B7

 自強とは、1971年に台湾の中華民国国民政府が国際連合を離脱した際のスローガンである、「莊敬自強 處變不驚」(恭しく自らを強め、状況の変化に驚くことなかれ)に由来する。

 この旅は1980年に行われた(6月2日~8日)。本書の中でも幾度となく言及があるが、当時の台湾は戦時体制であり、戒厳令下にあった。「大陸反攻」が真剣に――すくなくとも家の外では――、唱えられていた時代である。
 著者が見た当時の台湾人の逡巡の理由は、おそらくこのあたりにあろう。
 念のため、中国語(北京語)版のほうも見てみる。

★「Wikipedia」(中文)「自強號」項
 〈http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%BC%B7%E8%99%9F

 自強之名得自1971年10月26日,中華民國總統蔣中正面對《聯合國2758號決議》所發表的〈告全國軍民同胞書〉一文中的「莊敬自強,處變不驚」。

 項目名が既にそうであるように、本文も繁体字である。つまりこれは、台湾(中華民国)側によるエントリーである。
 おもしろいのは英語版で、まだ書きかけらしく英語と北京語がごっちゃになっているのだが、使われている漢字は大陸(中華人民共和国)の簡体字である(だが見出しのアルファベット表記 “Tzu-Chiang Train” はピンインではなく、ウェード・ジャイルズ式)。そして「自強」の由来については、いっさい言及がない。
 概してあまり評判の芳しくない Wikipedia だが、その不完全さや不整合を、こうしてある意味、楽しむこともできる。
 以上、仕事の合間の息抜きとして。

(角川書店 1985年8月)

付記。
 Wikipedia には「宮脇俊三」のエントリーもあった。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E8%84%87%E4%BF%8A%E4%B8%89
 1926 - 2003。「年譜」欄を眺めていて、この人が中央公論社の編集者として宮崎市定(1901- 1995)と交渉があったことを知る。

 1951年(昭和26年) 東京大学文学部西洋史学科卒業。中央公論社(現在の中央公論新社)に入社。以後編集者として活躍し、『中央公論』編集長に就任。当時の国鉄総裁石田禮助に自らインタビューをしたこともある。その後『婦人公論』編集長、開発室長、編集局長、常務取締役などを歴任。「世界の歴史」シリーズ、「日本の歴史」シリーズ、「中公新書」など出版史に残る企画にたずさわり、名編集者と謳われる。作家北杜夫を世に出したのも功績の一つである。
 「世界の歴史」シリーズでは専門的過ぎて分かりづらい学者の文章は衝き返して再度執筆させた。東洋史学者宮崎市定に『科挙』『大唐帝国』執筆を依頼し、一般読書人に宮崎の名を知らしめてもいる。宮崎は名文で知られており、世界の歴史シリーズでも間然するところの無い文章を執筆したため、宮脇も衝き返さず、そのままとした。

 と、今度は「宮崎市定」の項を見ると、「関連人物」の欄に、「宮脇俊三 - 中央公論社の担当編集者。全集の月報に執筆している。後に紀行作家となる。」とあった。
 道理で文章がうまいわけだ。

なんだか知らないが言い訳にしか聞こえない

2008年11月27日 | 思考の断片
▲「AC論説」No. 257(2008/11/25)、Andy Chang 「アイデンティティの混沌」
 〈http://www.melma.com/backnumber_53999

 東京新聞の佐々木理臣さんから「海外の有志はなぜ台湾に帰って運動をしないのか?」とハッパをかけられて一ヶ月になる。まことに耳が痛い話だが、こちらの有志たちと相談してもやはり無理だと言う結論しか出なかった。海外の有志は台湾に「草の根」を持たない、そしてアイデンティティの混乱で台湾の有志たちとは連携が取れていない、一般民衆は頼るべき指導者がいないのが実情である。

 我が身を挺するまでは御免ということかしらん。そして「一般民衆は・・・・・・」という最後の一句、結局は他人事か?

ホッブズからやり直せ

2008年11月27日 | 思考の断片
▲「Searchina 中国情報局」2008/11/27(木) 10:08、高井潔司(北海道大学教授)「改革の遅れの口実にならない―『国情』理解の落とし穴」
 〈http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=1127&f=column_1127_003.shtml

 ともかく“模範生”たちは「中国には、中国の国情があるから」と繰り返すのみで自分の頭を使って、その先を考えようとしない。せいぜい、広い国土と13億の人口程度である。そのような思考停止現象は、異論を吐くと批判を浴びるといった恐れからではなく、単に自分で考えるということに慣れていないところから生じている。

 これは著者が大学で教えている中国からの留学生だが、よくこんな馬鹿が海外に留学できたものである。もしかして、親の金に飽かせて遊学中の太子党か?

 「中国には国情があるから……」という“言い訳”を鸚鵡返しに唱えている愛国青年たちの議論は、彼らが最も嫌う、日本の右翼論客の「中国異形論」「中国特異論」と一脈通じている。いずれも中国の国情、民族性は変わらないという議論から出発しているのである。そもそも、相対立しながら、自国の「愛国」は認めるが、相手の「愛国」は認めないという点でも共通しているが、国情論も一致している。それは感情的な思考に陥りがちという点でも似ている。その結果として、感情的な対立に発展するのである。

 冗談はさておき、こんな簡単な道理も見えないのが、私が彼らを馬鹿呼ばわりするのに躊躇しない所以である(ここで具体的な“彼ら”の顔が目に浮かぶ)。

 “模範学生”やその教師たちには、改革・開放という大きな転換の中で、自分の頭で物事を捉えるという思考に慣れていない。しかし、転換の中では、何がどう変化するか、模範回答は用意されていない。したがって、自らの調査、分析、思考で、予測し、行動していかねばならない。自立思考がなければ不可能なことである。

 できないものは仕方がないだろう。彼らにはその能力がないのだから。“意志”や“やる気”も、その人の能力のうち。

おそらくは日本人読者を挑発するための釣り記事だろうが、よろしい乗ってやろう「中央日報」

2008年11月27日 | 思考の断片
▲「中央日報 Joins.com」2008.11.12 18:57、「<グローバルアイ>尋常でない日本の国連安保理入りへの動き」
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=107218&servcode=100§code=140
 
 掲示板が例によって盛り上がっていて、かなり酷いコメントも多いが、これはいくら貶されても文句は言えない程度の低さ。私が言いたいことは掲示板のあちこちにほぼ書かれているので、ここでは省略に従う。
 と思ったが、一言だけ。

 私たちが注目しなければならないのは、こうした日本が国連安保理常任理事国になろうと力を注いでいる点だ。

 “こうした日本”とはどうした日本か。答えろ。

あるのは黴の生えた歴史自慢と未来永劫に続く党争だけというわけでもあるまいに

2008年11月26日 | 抜き書き
▲「中央日報 Joins.com」2008.11.25 17:05、チョン・ガンヒョン政治部門記者 「<取材日記>1590年朝鮮通信使vs2008年訪米議員団」 (部分)
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=107800&servcode=100§code=120

 訪米団は一日平均8-10人の米政界関係者に会った。しかしハンナラ党は「韓国がまず批准すれば米国にも助けになるのか」という質問を、民主党は「再交渉の可能性があるのでは」という質問を集中的にしたという。自由先進党の朴宣映(パク・ソンヨン)議員は「両党ともに有利な返答を得ようとしていた」と伝えた。訪米団は出国前から‘先批准論’をめぐって対立していた。このため米国側の人たちとの約束にも混乱が生じ、面談時間が十分でなかったという自評が出ている。ある議員は「政権引継ぎチームの核心関係者は一人も接触できなかった」と明らかにした。
 外交的に敏感な懸案について国会が動く姿は正当だ。 しかし準備なく党派の利益だけを狙った議員外交は世論の混乱を招く可能性がある。われわれにはもう400年前の黄允吉と金成一の論争は必要でない。「自由貿易」を前にして大韓民国が‘捨てられた島’になってはならないではないか。

 皆さん好きでやっているんならそれでいいんじゃないの?としか言いようがない。よその国に尻を持ち込んでこられたって知るものか。

アンナ・ポリトコフスカヤ殺人事件裁判(2)

2008年11月26日 | 抜き書き
▲「Al Jazeera English」Tuesday, November 25, 2008 20:04 Mecca time, 17:04 GMT、Agencies 「Politkovskaya case 'suspect' mooted」 (部分)
 〈http://english.aljazeera.net/news/europe/2008/11/20081125145638273945.html

 The three men are charged with being involved in the murder, but not with either ordering it or carrying it out.
 Hull (Jonah, Al Jazeera's correspondent in Moscow) said: "It's been described by supporters of Anna Politkovskaya as a farce. In the dock sits neither the alleged killer, nor the person who ordered her murder, merely three men accused of involvement in the crime."

 なるほどね。

「人民日報:『中国の自信』の5つの根拠」から

2008年11月25日 | 抜き書き
▲「人民網日本語版」16:46 Nov 25 2008。
 〈http://j1.peopledaily.com.cn/94476/94637/6540394.html

 (5)文化的な要素も言及に値する。中国人は大きな災難を特に多く経験しており、こうした災難を前にした時、特に皆が心を1つにして踏みこたえることができる。これも困難を克服する上での文化的・精神的な強みだ。

 「人民日報」はあいかわらず阿呆やのう。優れて技術的なテーマに雲をつかむような話をするな。

死に至る

2008年11月25日 | 思考の断片
▲「池田信夫 blog」2008-11-24 、「『意味づけ』の病」
 〈http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a95ecf70c70c69888be3d34b551df7da

 犯罪に過剰な意味づけを行なう傾向は、私の印象ではオウム事件のころから顕著になってきたと思う。(中略)こういう過剰報道は読者からは理解しにくいが、供給側からはごく自然な現象だ。個々の記者や編集者にとっては、社内で陣取りするとき、意味づけが不可欠だからである。(中略)メディアの社内競争は激しい。特に記者のランクは、どれだけ大きいニュースを出したかで決まるので、編集会議でなるべく社会性のある意味をつける必要がある。単なる交通事故が、「激増する飲酒運転」という意味がつけば(実際には増えていなくても)トップニュースになる。暖かい日が続いたという程度の話も「地球温暖化」と結びつければニュースになる。

 組織(あるいは業界一般)が劣化すると、それを構成する個々人もまた、その本来の素質にかかわらず、役割として劣化するらしい。 

「殉教者188人『福者』に、長崎で日本初の列福式」他2件から

2008年11月25日 | 抜き書き
▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2008年11月25日、「殉教者188人『福者』に、長崎で日本初の列福式」 (部分)
 〈http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20081125-OYS1T00179.htm

 江戸初期のキリスト教殉教者の日本人188人にローマ法王庁が「福者」の敬称を与える「列福式」が24日、長崎市の長崎県営野球場で行われた。日本では初めての開催で、国内外から約3万人の信者らが参加し、殉教者の遺徳をたたえた。(中略)福者は、殉教や徳のある行為によって信者の模範となった故人に与えられる敬称。

 この出来事について、実は、海外メディアの報道によって最初に知った。

▲「Al Jazeera English」Monday, November 24, 2008 11:25 Mecca time, 08:25 GMT、Agencies 「Vatican beatifies Japan Christians」 (部分)
 〈http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2008/11/200811248849388659.html

 It was the first ceremony of its kind ever to be held in Japan.
 The 188 Christians included samurai warriors, housewives and children who were crucified and tortured, but refused to renounce their faith.
 Although records show 4,000-5,000 Japanese were killed for refusing to give up their religion, the Japanese Catholic Church says the true number could be much higher.
 Christianity was introduced to Japan by the Portuguese Jesuit priest Francis Xavier in 1549 but banned by the government for 250 years.

 全編事実のみ。

▲「BBC NEWS」09:59 GMT, Monday, 24 November 2008、By Duncan Bartlett 「Japan looks back on 17th-Century persecutions」 (部分)
 〈http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7745455.stm

 (Father Paul Miki Murakami, a Roman Catholic priest in Tokyo, says:) "Japan remains a spiritual country in some ways, but during the economic boom period of the 1960s and 1970s, many people turned from religion and began to focus more on money and secular matters. They believed a strong economy would make them happy and turned into economic animals."
 Father Murakami believes this is one reason why membership of the Catholic Church has declined among native Japanese in recent decades, although it has been strengthened by an influx of foreigners from Korea and the Philippines.  (太字は引用者)

 "believes"の1語がなければ、ただの偏向記事。キリスト教徒の、とまでは言わぬが。

「Dalai Lama rules out retirement」 他1件から

2008年11月24日 | 抜き書き
▲「Al Jazeera English」Sunday, November 23, 2008 16:34 Mecca time, 13:34 GMT、Al Jazeera and agencies .
 〈http://english.aljazeera.net/news/asia-pacific/2008/11/2008112372040503476.html

 A majority of the delegates supported the Middle Way but also said they will push for independence if China refuses to grant Tibet autonomy within reasonable time. The Dalai Lama urged them to be careful.
 "In the next 20 years, if we are not careful in our actions and planning, then there is great danger to the Tibetan community," he said after the meeting. (太字は引用者)

 What is it supposed to mean?

▲「Time.com」Sunday, Nov. 23, 2008, By JYOTI THOTTAM 「Dalai Lama Signals a Tougher Line on China」
 〈http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1861391,00.html

 Whatever steps the Tibetan movement takes over the next few months, they are likely to be the just beginning of a long process of slowly shifting strategy. The Dalai Lama tried to reassure his followers about his health (he recently had his gallbladder removed, and says he is feeling better than ever) and talked about preparing for a long road ahead: "In 10 years, I will be 83, In another 10 years, I will be 93. In the next 20 years, if we are not careful in our planning, then there is a great danger."  (太字は引用者)

 Now I know what it means in context.