出版社による紹介。
出版されたときにも冊を開いたが、昨日大学図書館の目立つ展示場所に展示されていたので借りて帰る。原文・校勘・現代日本語訳・訳注というスタイルは、『韓愈詩訳注』とほぼ同じ形式である。その『韓愈詩訳注』では気づかなかったことに1つ、気がついた。訓読を示さぬ場合、訳注が、ものすごい分量にならざるをえない。なぜなら、従来は訓読でいったん不完全ながら日本語に転換された(正確には変体漢文という文言文と中古日本語の中間形態にだが)された段階を抜きにしているので、現代日本語と意味やニュアンスの異なる漢字・漢語はすべて訳注をつけて、その旨を指摘・説明せねばならなくなるからだ。そうでないと、この『夷堅志訳注 甲志上』のように、現代日本語訳が、これは直訳なのか意訳なのか誤訳なのかがわからぬまま、もとの文言文の直解と現代日本語で表された訳解の差異落差の大きさを怪しむことになる。
(汲古書院 2014年7月)
出版されたときにも冊を開いたが、昨日大学図書館の目立つ展示場所に展示されていたので借りて帰る。原文・校勘・現代日本語訳・訳注というスタイルは、『韓愈詩訳注』とほぼ同じ形式である。その『韓愈詩訳注』では気づかなかったことに1つ、気がついた。訓読を示さぬ場合、訳注が、ものすごい分量にならざるをえない。なぜなら、従来は訓読でいったん不完全ながら日本語に転換された(正確には変体漢文という文言文と中古日本語の中間形態にだが)された段階を抜きにしているので、現代日本語と意味やニュアンスの異なる漢字・漢語はすべて訳注をつけて、その旨を指摘・説明せねばならなくなるからだ。そうでないと、この『夷堅志訳注 甲志上』のように、現代日本語訳が、これは直訳なのか意訳なのか誤訳なのかがわからぬまま、もとの文言文の直解と現代日本語で表された訳解の差異落差の大きさを怪しむことになる。
(汲古書院 2014年7月)