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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ガザーリー著 中村廣治郎訳注 『哲学者の自己矛盾』

2016年01月21日 | 抜き書き
 確かに、論理学に習熟することは不可欠である、という彼ら〔引用者注・哲学者〕の主張は正しい。しかし、論理学は彼らに固有のものではなく、それは神学において「論証の部」〔アラビア語の原語略。以下同じ〕とわれわれが称している原則のことで、彼らがそれを厳めしく「論理学」〔略〕といい換えたにすぎない。われわれはまたそれを「論争の部」〔略〕とも、また時に「理性の認識能力」〔略〕ともいう。知性の弱い賢者ぶっている人が論理学の名を聞くと、それは神学者の知らない外来の学問で、哲学者しか知らないものと信じてしまう。 (「〔はじめに〕第四序」、本書9-10頁)

(平凡社 2015年12月)

万国公法 - Wikipedia

2016年01月21日 | 抜き書き
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E5%9B%BD%E5%85%AC%E6%B3%95

 『万国公法』の自然法への傾斜は、法が何に由来するのかといった法源についての説明箇所で著しい。国際法の用語には、「性」・「義」といった儒教的なことばが法と接続して使用され、中国人が国際法をより自然法に近づけて理解しやすい構造となっている。たとえば“Natural law”とは現代語では「自然法」と訳すが、マーティンは「性法」という訳語を与えた。この「性」とは、儒教の根本原理「理」のことであって、万物の根元であり法則とされる「理」が、個々の事物に宿るものが「性」であり、人の場合、それは「五常」(仁・義・礼・智・信)という徳目を意味する〔略〕。したがって、当時の人々が「性法」ということばを眼にした時、近代国際法とは(儒教的)道徳と法とが渾然一体ものとして理解され受容されていくことになった。すなわち本来、『万国公法』をはじめとする近代国際法は、国家間の権利や義務を規定するものであるのに、まるで全世界の国々が遵守すべき普遍的・形而上的な規範として理解されるようになったのである。
 (「4.3.2 翻訳について」)

後藤俊瑞 『朱子の実践哲学 哲学篇』

2016年01月21日 | 哲学
 「第三篇第二章 心論」、同書388-407頁。同篇の結論として著者は「意は心の発であり、志は心の之く所であるから、友に心の作用であり、従つて亦性の発動を予想するものであるが、果して性中の何の理から発するものと為すのであるか、此の点については朱子は未だ嘗て何も述べて居らぬのである」(407頁、原文旧漢字)とまでしか言っていないが、そこに至るまでの議論において「心は性情を統ぶ」であり(390頁)、「性」が「太極の理」であり(同頁)「情」が「一切の意識現象」であり(同頁)そして「知覚作用は性中の智の理が動いて起るもの」とある(402頁)。そうであるとすれば、朱子学においては人間に理性は存在しない。ただ同時に、「先知先覚」を「真理の認識(理の存在の認識=道徳的認識)」(401頁)としているところ、人間独自の思考、就中推論能力を、その位置付けは不明確・不十分ながら、有るものとして認めていることになる。先があれば後がある。後知後覚は人間のはからいということになる。

(目黒書店 1937年10月)

佐藤全敏 「宇多天皇の文体」

2016年01月21日 | 日本史
 倉本一宏編『日記・古記録の世界』(思文閣出版 2015年3月)所収、同書227-269頁。

 いわゆる「記録体」の研究であり、その面からみた宇多天皇の日記の分析である。本書は国文学および日本史の論集であって文献学のそれではないだろう。この論考もあきらかに歴史学の見地もしくは文脈に立って書かれている。

 宇多のなかで、『倭』と『漢』はどのように位置づけられていたのか――。〔略〕それは、彼が天皇として再編を推し進め、十世紀に入って定着した新しい国制の性格や意味を考える上でも、あるいは貴重な手がかりを与えるものになるかもしれない。本稿は元はといえば、彼の文体を分析することを通じて、こうした問題をいくぶんなりとも考えてみようとするものであった。だが存外にも、日記からは彼の『漢』への傾倒ぶりだけが際立つ結果が導かれることとなった。これをどう捉え、どう位置づけたらよいのか。引き続き考えていきたい。 (「おわりに」同書260-261頁)

梁建国著 関俊史訳 「北宋東京外巷の時代特性と公共性質」

2016年01月19日 | 東洋史
 『中国史の時代区分の現在』(汲古書院 2015年8月)所収、同書339-354頁。
 同書の出版社による紹介

 この論文のおかげで、公共空間が開封のどこで、どう機能していたかがわかった。表題の「公共(性質)」および文中「公共空間」の概念は、とくに断りがないので、今日のそれで理解してよいらしい。


上原善広 『被差別のグルメ』

2016年01月17日 | 料理
 出版社による紹介

 沖縄の島差別についての言及がある。「はじめに」と「第四章 沖縄の島々」。先島地域だけでなく、奄美地域の住民に対するそれにも触れられている。奄美は薩摩の琉球征服後薩摩領となって、首里王府によるノロの任命と派遣以外琉球とは交流や関係がなくなったはずだから、文書上はともかく以後実地には消滅したと思っていたが、沖縄の人々の奄美群島への差別意識は江戸時代を生き続け、明治後、国民に移動の自由が与えられると、差別行動は復活したらしい。

(新潮社 2015年10月)

丸山眞男 『丸山眞男集』 第四巻 「一九四九―一九五〇」

2016年01月16日 | 社会科学
 「近代日本思想史における国家理性の問題」(もと『展望』1949年1月号掲載、本書3-24頁)より抜き書き。

 日本における国際法の輸入の過程についてはすでに吉野・尾佐竹博士以来の研究が明らかにしており、ここに反覆を控えるが、その際、丁韙良(ウィリアム・マーティン〔原文ルビ〕)の漢訳によって紹介されたホイートンの『万国公法』が、やがて「天地の公道」とか「万国普通の法」とかあるいは「宇内の大道」とかいう言葉で通用しはじめたとき、そこにはほとんどつねに儒教の「天道」が連想されていた。そうして、人間の先天的に保有する理性のなかに法の基礎を求めるフーゴー・グロチゥス以来の自然法思想――ホイートンはじめ当時国際法学はまだ実定法学としての明確な自覚を持っていなかったから、その基底は直接自然法に連なっていた――は、聖人の道を一方、宇宙の「天理」に、他方、人間の「本然の性」(性理)に基礎づける宋学と、あたかも照応したのである。(11-12頁)

(岩波書店 1995年10月)

Sinicization - Wikipedia

2016年01月13日 | 東洋史
 https://en.wikipedia.org/wiki/Sinicization

 Sinicization, sinicisation, sinofication, or sinification, (Chinese: 汉化; pinyin: Hànhuà), also called chinalization[dubious – discuss] (Chinese: 中国化; pinyin: Zhōngguóhuà), is a process whereby non-Han Chinese societies come under the influence of Han Chinese state and society.

 'come under the influence of Han Chinese state and society'とは何ぞや。これならば王朝時代・近現代を問わず、中国の領土・版図内に居住あるいはその外から移動してきた異民族は、すべて漢化した(された)ことになる。民族としての「漢化」と被支配民・被治者もしくは国民としての「中国化」とを区別しない弊害がここにこうして現れる。