書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

レベッカ・ポズナー著 風間喜代三/長神悟訳 『ロマンス語入門』

2015年03月29日 | 人文科学
 「第二部第3章 なぜロマンス語は分裂したのか」に、伝統中国の文言文と方言ないし地域言語の関係を考える際に興味ある仮説が。

 ロマンス語地域では二言語併用に2つの型があったものと推定される: 
  A) ローマ人が来る以前に行われていた言語(基層substrat)の話し手が,征服者の言語たるラテン語を学んだ。  
  B) 自分達の言語(上層superstrat)を話していた侵入者が,被征服者の言語たるラテン語を採用した。
 (78頁)

(大修館書店 1982年12月)

東京大学史料編纂所編『描かれた倭寇 「倭寇図巻」と「抗倭図巻」』

2015年03月29日 | 東洋史
 出版社による紹介

 一言でいって、むさ苦しい。頭はひろびろと月代を剃っているものの髷は結わずざんばら、そのうえ縮れていたりして、まるで斎藤道三のよう。そして態はと言えばどういうわけかこれもそろいも揃って裾短の単衣きりで、褌もしていないから後向きは尻丸出しである(前向きの姿ではさすがに股間は隠して描いてない)。どいつもこいつも、もうこれは賽の河原の餓鬼ではないのかと我が目を疑う有様である。

(吉川弘文館 2015年1月)

牧野信也 『アラブ的思考様式』

2015年03月21日 | 人文科学
 文化論へと及ぶ結論には必ずしも同意しないが、「思考そのものを言葉が(ある程度)形成してゆく」という観点からのアラビア語(標準アラビア語・フスハー)の構造分析に基づく立論とアラブ式思考様式についての主張については、これほど面白いものはない。

(講談社 1979年6月)

Bruno Snell, "The Discovery of the Mind in Greek philosophy and litetature

2015年03月16日 | 人文科学
  Greek is the only language which allows us to trace the true relation between speech and the rise of science; for in no other tongue did the concepts of science grow straight from the body of the language.  ('The Origin of Scientific Thought', p. 227)

  All other languages are derivative; they have borrowed or translated or got their terms by some other devious route from the Greeks. ('The Origin of Scientific Thought', p. 227)

 こんな事を言っていいのだろうか。論者は古今東西のすべての言語を精査したのか。そのうえ、not grow straightなら、歪みを取り除けばconceptsは抽出できるということで、それはとりもなおさずギリシャ語以外の言語でもtraceできるということを論者自らが認めていることになる。言葉遣いがちょっと綿密でない。

(NY: Dover Publicatons, Inc., 1982, originally in 1953 as https://archive.org/details/discoveryofmindg00sneluoft

王安石 「杜甫畫像」

2015年03月16日 | 文学
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 吾觀少陵詩,為與元氣。
 力能排天斡九地,壯顏毅色不可求。
 浩蕩八極中,生物豈不稠。
 醜妍巨細千萬殊,竟莫見以何雕鎪。
 惜哉命之窮,顛倒不見收。
 青衫老更斥,餓走半九州。
 瘦妻僵前子仆後,攘攘盜賊森戈矛。
 吟哦當此時,不廢朝廷憂。
 常願天子聖,大臣各伊周。
 寧令吾廬獨破受凍死,不忍四海寒颼颼。
 傷屯悼屈止一身,嗟時之人死所羞。
 所以見公像,再拜涕泗流。
 惟公之心古亦少,願起公死從之遊。


 王安石はなぜあそこまで杜甫に私淑したのか。
 そして、「寧令吾廬獨破受凍死,不忍四海寒颼颼。傷屯悼屈止一身,嗟時之人死所羞。」の句は、いかなる角度から解するべきか。

王安石 「彎奇」

2015年03月16日 | 文学
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 残暑安所逃,
 弯奇北窗北。
 伐翳作清旷,
 培芳卫岑寂。
 投衣挂青枝,
 敷簟取一息。
 凉风过碧水,
 俯见游鱼食。
 永怀少陵诗,(永く少陵の詩を懐い)
 菱叶净如拭。
 谁当共新甘,
 紫角方可摘。


 ※少陵=杜甫。

范仲淹 「岳陽樓記」

2015年03月16日 | 東洋史
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 嗟夫!予嘗求古仁人之心,或異二者之為,何哉?不以物喜,不以己悲,居廟堂之高,則憂其民;處江湖之遠,則憂其君。是進亦憂,退亦憂;然則何時而樂耶?其必曰:『先天下之憂而憂,後天下之樂而樂』(歟!) 噫!微斯人,吾誰與歸!

 “不以物喜,不以己悲,居廟堂之高,則憂其民;處江湖之遠,則憂其君。”これはすなわち、“環境や状況に心を惑わすことなく、自身の私の事情に患わされることもなく、当路に在っては民のことを思い、僻遠の地に在っては我が君のことを思う”のが公であり、民と君が天下であるのか。

岡本隆司 『袁世凱 現代中国の出発』

2015年03月16日 | 伝記
 岡本氏の著作研究にはこれまでも学ばせて頂いてきた。

 康有為なる人物を一言で表現するなら、思想家というべきだろう。しかも重厚深奥な思索者ではなく、既成理論をあてはめるタイプの知識人に属し、性格はむしろ軽薄とみたほうがよい。 (本書79頁)

 ひどい(笑)。しかし此処に限らず、この書は最初から最後まで、いや章立ての名からして既に、自分一個の見識のみに拠ってものを言うという筆者の気概が充ち満ちている。「嫌いだけど書きました。書き終わってもやはり嫌いです」(要旨・「あとがき」)などとは、生半な心構で公に口できるものではなかろう。

(岩波書店 2015年2月)