和化漢文は日本語を文字表記しようと意図したものであるが、表記の技術が伴わず、漢文的な措辞を取らざるをえない場合も多かった。たとえば日本語の目的格を示そうとしても、格助詞「ヲ」に体操する語が漢語にはない。それゆえ日本語の語法に従って目的語を動詞より前に置けば、意思を正確に伝達できない場合も生じる。そのために、前掲の「薬師像光背銘」でも、「治天下」〔原文返り点付き、以下同じ〕「歳次丙午年」「召於大王天皇与太子」「造寺」など、漢文の語順に従った例も見られるのである。 (森博道「3 日本語と中国語の交流」「② 古代の文章と『日本書紀』の成書過程」「古代の文章」、本書178-179頁。下線は引用者)
当時の日本語が語彙や表現あるいは文型が未発達で漢文を交えていたから書かれた場合に漢文(古代漢語)そのままの語順が交じったのではなく、書き言葉としての漢文が日本語をそのまま表せなかったからしかたなく漢文でできる範囲に日本語の表記を止めたという議論。発想が逆で、非常に教えられる。
(中央公論社 1996年11月)
当時の日本語が語彙や表現あるいは文型が未発達で漢文を交えていたから書かれた場合に漢文(古代漢語)そのままの語順が交じったのではなく、書き言葉としての漢文が日本語をそのまま表せなかったからしかたなく漢文でできる範囲に日本語の表記を止めたという議論。発想が逆で、非常に教えられる。
(中央公論社 1996年11月)