goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

マリアス・B・ジャンセン著 浜田亀吉/平尾道雄訳 『坂本龍馬と明治維新』

2011年03月31日 | 日本史
 いうまでもない坂本龍馬研究のみならず維新史研究の古典的名著。原書1961年刊。
 土佐勤王党について、階級的また地域的利害の存在をみとめつつも、それ以上に国家的利害や立場にたったものだっだ――とくに坂本や中岡慎太郎のような上級指導者は――と結論している。
 龍馬の思想を考える上で、『藩論』の持つ重要性にあらためて気づかされる。
 
(時事通信社 1965年4月)

「日本教科書妄称中国釣魚島為日本領土」 を読んで

2011年03月31日 | 思考の断片
▲「新華網」2011年03月30日 21:05:37 来源: 新华网「日本教科书妄称中国钓鱼岛为日本领土」
 〈http://news.xinhuanet.com/world/2011-03/30/c_121250228.htm

 いつも思うのは、中国語(普通話)は、相手(自分以外の他者)に説明する気のまったくない言語だなということである。 
 対話する気がないと言い換えてもいい。平たくいって言いっぱなし、小難しくいえば相手に100%の受け入れと服従(あるいは100%の拒否)を求めるだけの言葉である。
 早い話が形容詞で、いきなり何かの名詞(事物)にかぶせられる。良し悪しの価値判断にかかわる形容詞はとくにそうである。形容詞が名詞に係る言葉であるなら、其れ以外のたとえば動詞、つまり対象となっている事物の動作に係るのは副詞だが、副詞も同様である。今回の「妄称」――妄りに称する、妄言する――の“妄”だ。なぜ妄りなのか、妄言なのか、理由の説明があらかじめなされずに結論だけ示される。そして理由付けはあとでもなされることはない。

  针对日本此类教科书问题,中国外交部曾多次强调,钓鱼岛及其附属岛屿自古以来就是中国的固有领土,中国对此拥有无可争辩的主权。
  (日本のこの種類の教科書の問題について、中国外務省は、釣魚島とその付属の島嶼はいにしえからの中国固有の領土である、中国はこれら地域にたいして争うことのできない主権を有していると、過去幾度も明確に言明している)


 というのは、別の結論であって、理由でもなんでもない。
 「釣魚島とその付属の島嶼はいにしえからの中国固有の領土である」「中国はこれら地域にたいして争うことのできない主権を有している」に「から」をつけて強いて理由としてみる。
 なぜこれが理由になるのか。それは政府がそう言っているからである。これは「権威に訴える論証」といえるが、今回の発言は政府自身のそれであるから、「『AはBである』という命題は正しい、なぜならそれは権威ある自分が言っていることだから正しいからである。」と主張していることになる。
 普通語は、この種の、聴者読者との共有知識を積み上げることなしに結論だけの言説(ディスクール)が多くて、自然な日本語への翻訳に苦しむことが多い。(自問自答の修辞的疑問が多いのにも閉口する。思うに基本的に独り言だからだろうか。)
 台湾の国語はどうなのだろう。語彙・発音、さらには文法レベルにおいて違いがあるのはよく指摘されるところである。こういう観点からの研究はあるのだろうか。ディスクールというのはその言語の話される文化や社会、体制の違いが反映されるはずだから、違っていて当然だとは思うのだが。

「China 'to overtake US on science' in two years」 を読んで

2011年03月31日 | 思考の断片

▲「BBC NEWS」28 March 2011 Last updated at 21:28 GMT, by David Shukman. (部分)
 〈http://www.bbc.co.uk/news/science-environment-12885271

  Dr Cong Cao, associate professor at Nottingham University's School of Contemporary Chinese Studies, agrees with the assessment that the quantity of China's science is yet not matched by its quality. 〔中略〕 "It will take many years for some of the research to catch up to Western standards."
 
 末尾のこの下りで、タイトルの to overtake US on science が ’ ’で括られている意味が分かった。

 〔Professor Sir Chris Llewellyn Smith says〕 "But the potential for China to match American output in terms of sheer numbers in the near to medium term is clear."

 両国の人口比を考えれば不思議でもなんでもない。
 
 A sociologist originally from Shanghai, Dr Cao told the BBC: "There are many millions of graduates but they are mandated to publish so the numbers are high.

石河幹明 『福澤諭吉傳』 全4巻 

2011年03月30日 | 伝記
 石河という人は、あまり頭が鋭くなかったひとのようだ。福澤自身の著書・書簡あるいは関連する諸文献を引き写しただけの部分が多い。それにテキスト・クリティークというものをまったくしない。徳富蘇峰も生の史料を長々と引用するので閉口することが多いが(『近世日本国民史』)、蘇峰の場合、複数の史料を付き合わせて内容を吟味する。決してそのまま鵜呑みにすることはない。
 これならこれら原典を集めて読んで、自分の頭で考えればそれで済むことである。
 だが致命的なのは、文中引用したものをのぞき、それ以外の――つまり著者の文章による福澤の一生についての叙述部分――について、その際に依拠した史料が一覧として付けられていないことだ。これでは書かれている内容を検証する術がない。
 さらにいえば、福澤自身の文章の読み方についても、解釈に疑義がある。

(岩波書店 1932年7月)

桂米朝 『特選!! 米朝落語全集』 第29集 「始末の極意 厄払い」

2011年03月30日 | 芸術
始末の極意」(平成4・1992年5月11日 大阪コスモ証券ホール)

 マクラと本筋の区別が定かでない、変わった構成の咄である。見立て(仕草)オチ。CDで声だけ聴いてもぜんぜんおもしろくないだろう。それ以前になんのことかわかるまい。

厄払い」(平成4・1992年1月17日 大阪コスモ証券ホール)

 主人公がはけたあともしばらく咄は続くという、これもちょっと変わった構成。

(東芝EMI 2002年12月)

鈴木かほる 『史料が語る坂本龍馬の妻お龍』

2011年03月29日 | 伝記
 龍馬の死後、心底から自分の身を案じてくれたのは寺田屋お登勢、西郷隆盛、勝海舟の三人だけだったと、晩年の回顧録『反魂香』でお龍は語っている(四、本書194-195頁)。
 龍馬死後、いったん坂本の実家に身を寄せたお龍は、彼女によれば龍馬宛の褒賞金を奪い取ろうとする長兄の権平夫妻と衝突して土佐を去り、やはり生まれ故郷であり龍馬の死んだ土地でもある京都で亡き夫の墓守をするべく京都へともどる。だがしばらくして彼女に関係のない種々の事情で京都にも居づらくなったお龍は、明治6年に東京へ出る。そこで旧知の西郷と面会し、西郷からの同情と援助の約束を得るが、折悪しく西郷は征韓論に破れて薩摩へ帰国する直前だった。身寄りもなく、収入の目処もなく、東京で孤立していた彼女に、神奈川の料亭での仲居の職を世話してともかくも生計の立つようにしたのは勝海舟だったらしいと、著者は推測している。

(新人物往来社 2007年12月)

「被災地へ届け…ジブリのメッセージ」 から

2011年03月29日 | 抜き書き
▲「デイリースポーツオンライン」2011年3月29日。(部分)
 〈http://www.daily.co.jp/gossip/article/2011/03/29/0003902705.shtml

 7月16日公開の新作映画「コクリコ坂から」の企画・脚本を務めたスタジオジブリの宮崎駿監督(70)、メガホンを取った長男の宮崎吾朗監督(44)が28日、東京・小金井市の同社で行われた手嶌葵が歌う主題歌「さよならの夏~コクリコ坂から~」の発表会見に出席した。駿監督は「僕らには映画をつくるしかないんだ」と涙ぐみながら、完成を楽しみにする東日本大震災被災地の映画ファンに作品を届ける思いを語った。
「今でも埋葬することのできない多くの遺体が、がれきに埋もれている。それでもアニメをつくっている自覚を持って、停電しても仕事を続けようと思う。鉛筆と紙があれば窓の明かりで絵は描ける」


 どういうわけか報道ごとに紹介に当たっての重心のかけかたがかなり異なっていて、発言の全貌が掴みづらい。かろうじての共通項は、「僕らには映画をつくるしかないんだ」であろうか。本当は、被災地や原発で自らの安危を省みることなく作業にあたる人々に対し監督が憚ることなく示した畏敬と感謝についても、各社共通して取り上げるべきだろうと私個人は思うのだが、どういうわけかそこが報じられたり報じられなかったりして、その取捨の基準のブレがよく解からない。

徳富蘇峰 『近世日本国民史 西南の役』 6 「西南役両面戦闘篇」

2011年03月29日 | 日本史
 宮崎八郎の死の状況を原史料に就いて知ろうと思ったが、「邊見〔十郎太〕らと共に官軍の衝背軍を襲うべく、八代附近における戦いにて戦死した」と、蘇峰自身の筆で簡単に伝えられるのみである(「第十七章 薩軍、人吉に向かう」「二 木山以後の協同隊」、本書320頁)。
 いつも思うが、この講談社学術文庫版はおそらくは軽便化のためであろう、底本の時事通信社版にあった「索引」および「年表」「人物概覧」を割愛してあるので、少々使いにくい。

(講談社学術文庫版 1980年9月)

「向精神薬使い自爆強要 露空港テロで武装勢力」 から

2011年03月29日 | 抜き書き
▲「msn 産経ニュース」2011.3.1 20:44、共同。(全)
 〈http://sankei.jp.msn.com/world/news/110301/erp11030120440005-n1.htm
 
 2011年02月11日「『Bombing Motive Could Be Revenge』 から」より続き。本日「空港テロの共犯者拘束 ロシア」を見て。

 1日付のロシア紙コメルサントは、1月24日にモスクワ郊外のドモジェドボ国際空港で起き、37人が死亡した爆弾テロを直接指揮した容疑者は、チェチェン独立派武装勢力のアスラン・ビュトゥカエフ司令官(37)だとロシア治安当局が断定したと伝えた。実行犯に向精神薬を服用させ、自爆を強要したとみられている。
 調べによるとビュトゥカエフ司令官は、犯行声明を出した同武装勢力指導者ドク・ウマロフ司令官の部下で、現在はロシア南部チェチェン、イングーシ両共和国の境界付近に潜伏している。
 目撃情報などによると、ビュトゥカエフ司令官は、テロ現場で死亡した実行犯マゴメド・エブロエフ容疑者にイスラム過激主義の思想を教え込むと同時に向精神薬を与えて服従させ、モスクワに送ったという。


 それにしても毎回実行犯の名が変わるのはわけがわからない。