書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

塚本学編 『日本の近世』 8 「村の生活文化」

2006年06月30日 | 日本史
 近世における“仕事”は、「時間で量ったり、決めたりするのではなく、達成する数量で決めていた」。つまり能率あるいは効率ではなく、絶対量で評価していたということである。本書54-55頁(福田アジオ「屋敷と家」)、参照。
 全編おもしろい。

(中央公論社 1992年9月)

井上雄彦 『バガボンド』 23

2006年06月29日 | コミック
 好きなあまり、「天才バガボンド」などと口走って、わけのわからぬ反発をしてみる。

(講談社 2006年6月)

▲「MSN毎日インタラクティブ」2006年6月29日、「拉致問題:金英男さん会見内容 不自然さも浮き彫り」
 →http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060630k0000m030122000c.html
 「MSN毎日インタラクティブ」2006年6月29日、「拉致問題:金英男さん会見 北朝鮮のしたたかな戦略」
→http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20060630k0000m030115000c.html

 阿呆らしい。自国民保護の責任を果たさない南の政府がである。

リチャード・ニクソン著 松尾文夫/斉田一路訳 『ニクソン回顧録』 全3巻

2006年06月28日 | 政治
 都合の悪いことを書かず、自らに都合のいいことしか書かない、しかもどこまで本当かわからない、典型的な政治家の回顧録。

(小学館 1978年12月―1979年3月) 

J. K. ローリング著 松岡佑子訳 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』

2006年06月25日 | 文学
 2000年9月の発売から3か月間で74刷(!)。
 最新作の『ハリー・ポッターと謎のプリンス』は、図書館で貸し出しの予約をしてある。私の待ち順位は677、つまり676人が借りて、読んで、返却したら、私の番が来るということである。少しばかり時間がかかりそうである。
 というわけで、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』ともども、映画だけ観て原作を読んでいない以前の巻を読むことにしたのである。DVDで映画「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」を観て、それまでの話をもう一度おさらいしたくなったこともある。たとえばこの『ハリー・ポッターと秘密の部屋』では、トム・リドル、すなわちヴォルデモート卿の過去について。

(静山社 2000年12月初版第74刷)

 ▲ところでこの映画版「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」(2005年)だが、映画ではストーリーがかなりはしょられている感は否めない。しかし原作は上下二巻、量的にこれまでの二倍だから、これは仕方ないだろう。それより心配なのは、リチャード・ハリスの後を承けてマイケル・ガンボンの扮するダンブルドア校長の立居振舞が、少しおたおたしすぎていることだ。これで「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」のクライマックス、ヴォルデモート卿との魔法の闘いで、激しい攻防の中にも悠然として余裕を失わないダンブルドアが演じられるのかと、思ってしまうのである。(ちなみにもう一つの心配は、マクゴナガル先生役のマギー・スミスが、ひどく老けこんできていることだ。マイケル・ガンボンより年上のこの人に何かあったらと不安である。万が一の場合、代役を務めるのはスーザン・サランドンか?)

▲「Taipei Times」2006年6月25日、"Chen seeks divine inspiration"
 →http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2006/06/25/2003315541

 寺院へ参詣して祈る台湾の陳水扁大統領。この記事を読む限り、べつに公人としてか私人としてかは問題になっていない。参ること自体についても同様。

今週のコメントしない本

2006年06月24日 | 
 ちかごろ、大部でしかも精読しなければならない本が多いです。しかし困ったと言うつもりはありません。
 現在第二巻まで読了した三宅雪嶺の『同時代史』(→③)で、雪嶺の福沢諭吉に対する評価がかなり厳しいことを知りました。根拠となる福沢の行状や、ときには心事までがいろいろ記されているのですが、真偽を確かめようにも、おおむね出典が示されていません。これは困る。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  加地伸行 『中国人の論理学 諸子百家から毛沢東まで』 (中央公論社 1985年1月4版) (再読)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  鶴見俊輔 『鶴見俊輔集』 4 「転向研究」 (筑摩書房 1991年11月)
  司馬遼太郎著者代表 『司馬遼太郎対話選集』 3 「日本文明のかたち」 (文藝春秋 2003年1月)
  嘉納昌吉/C・ダグラス・ラミス 『反戦平和の手帖 あなたしかできない新しいこと』 (集英社 2006年3月)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  三宅雪嶺 『同時代史』 第二巻 「明治十一年より明治二十六年迄」 (岩波書店 1967年11月第3刷)

④参考文献なのでとくに感想はない本
  井波律子 『中国人の機智』 (中央公論社 1983年5月)
  中村元 『東洋のこころ』 (講談社学術文庫版 2005年12月)

  南博 『日本人論 明治から今日まで』 (岩波書店岩波現代文庫版 2006年4月)

  沢木耕太郎 『危機の宰相』 (魁星出版 2006年4月)

  岡留安則 『「噂の真相」25年戦記』 (集英社 2005年1月) (再読)
  岡留安則 『武器としてのスキャンダル』 (筑摩書房版 2004年5月) 

⑤ただただ楽しんで読んだ本
  谷沢永一 『執筆論 私はこうして本を書いてきた』 (東洋経済新報社 2006年5月)  

▲ある人から、以下のウェブサイトで2005年06月24日欄の「桑原三郎『福沢諭吉の教育観』」がリンクされていると、教えてもらいました。
  「『福沢諭吉の真実』について」
   →http://blechmusik.xrea.jp/labs/fukuzawa/f06.html  
 なるほど拙文の名が、本欄でもかつて取り上げた平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(2004年12月14日)関連書評の一つとして、挙がっています(同サイト、「書評等」項)。
 以下は、それに関連して思ったこと。

 最近出版されたばかりの史学会編『2005年の歴史学界 回顧と展望』(吉川弘文館、2006年5月)を読むと、現行『福澤諭吉全集』の内容を検証した研究は全く名が挙がっていない(「日本 近現代 三 社会・文化 1」、中村崇高執筆、同書168頁)。昨年1年間を通じ、日本史学界でまったく発表されなかったということらしい。
 単なる取りこぼしかもしれない。しかし、昨年出た『2004年の歴史学界 回顧と展望』で、出版年度の関係から言って当然収録されるはずの平山氏のこの書籍がそもそも収録されていないところを見ると、どうもそうではないようでもある(→2005年7月4日、「史学会編『2004年の歴史学界 回顧と展望』」)。
 どこかの真面目な――真理を愛するという意味で――学者が、平山氏の問題提起を真摯に受け止めて、論文なり学術発表なり何らかの反応を示していたとしても、福沢を飯の種にしているだけの一群の教官方は、存在しないはずの書籍が巻き起こした風波などもちろん存在せずとして黙殺を決め込んでいるのではないか。

 以上です。
 それではまた来週。

井波律子 『中国的レトリックの伝統』

2006年06月23日 | 東洋史
 J.K. フェアバンクが『中国』上(市古宙三訳、東京大学出版会、1979年12月第7刷)で行った以下の指摘に対する何らかの回答がないかと読み返してみたが、残念ながらなかった。

“科学の発展はまた、より完全な論理の体系を中国人が完成できなかったことによって阻まれた。論理学を用いれば、思想を思想によって、一説を他説と体系的に対決させることによって、吟味することができたはずである。ところが中国の哲学者は、かれらの原理はすでにそれが述べられたとき自明であると考えた。かれらはギリシャ人のように、文法と修辞法とを区別せず、したがって抽象と具体、もしくは一般と特殊とを区別しなかった。中国の著作家は、均整、反対のものとの均衡、自然秩序との調和、という一般的な考えに強く頼っていた。有名な連鎖論法は、二十世紀の中国学者にとっては、反駁の余地ない論法ではあるが、ギリシャ人の観点からすれば、それは前提とは関係なく生まれてくるおかしな推論でしかなかった” (前掲書、第3章「儒教の典型」、83頁。→本欄2005年07月28日)

 もっともレトリック(修辞学)の本だからロジック(論理学)について触れていないのは当然ではあった。木に縁って魚を求めたこちらの落ち度である。

(講談社学術文庫版 1996年8月)

▲「asahi.com」2006年6月22日、「竹島問題で盧大統領、『日本の挑発に備えた防衛能力を』」
 →http://www.asahi.com/international/update/0622/016.html 

 テポドン2号発射準備の北朝鮮に対してと同様、「なんという馬鹿なことを」という感想。
 昨年の反日デモの逮捕者を懲役刑に処した中国(「明報新聞網」2006年6月23日、「上海反日遊行4人判囚」)に代わって、今度は韓国が、こちらは完全な官民一体の反日行動で、日本国と内外の日本国民に危害を加えてきかねない雲行きである。得をするのは煽った者だけだというのに。

リチャード・ドーキンス著 日高敏隆/岸由二/羽田節子/垂水雄二訳 『利己的な遺伝子〈増補新装版)』

2006年06月22日 | 自然科学
 『悪魔に仕える牧師』(→2004年7月22日)、『虹の解体』(→2004年9月2日)にひき続いて、著者の代表作を新版で再読(→2005年7月13日)。

(紀伊国屋書店 2006年5月)

スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー著 望月衛訳 『ヤバい経済学』

2006年06月21日 | 経済
 「経済学探偵!ナイトスクープ」の「小ネタ集」とでも評すべきか。

(東洋経済新報社 2006年5月)

▲「MSN毎日インタラクティブ」2006年6月20日、「反日デモ:上海日本総領事館と上海市、原状回復で合意」 →http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060620k0000m030159000c.html
 「Sankei Web」2006年6月21日、「中国当局、『尖閣の日』ネット投票に中止命令」
 →http://www.sankei.co.jp/news/060621/kok036.htm

 これで、中国人大衆の憂さ晴らし反日・八つ当たり反日・リクリエーション反日は終わり。

半藤一利 『昭和史 戦後篇 1945-1989』

2006年06月19日 | 日本史
 『鳩山一郎回顧録』(文藝春秋新社、1957年)は、実は細川隆元が書いたものだそうだ。もと文藝春秋の編集者で、当時この本の出版担当だった著者の証言。

(平凡社 2006年4月)

▲サッカーワールドカップについて、青侍負けるな一茶ここにあり、ほどの興味。

今週のコメントしない本

2006年06月17日 | 
 今回は思い切って、本当にノーコメント。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  該当作なし

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  古海忠之/城野宏 『獄中の人間学』 (竹井出版 1982年3月)

  エドガルド・M・レイエス著 寺見元恵訳 『アジアの現代文学』 4 「〔フィリピン〕マニラ――光る爪」 (めこん 1987年6月第3刷)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  鶴見俊輔 『読んだ本はどこへいったか』 (潮出版社 2002年9月)

  森三樹三郎 『「名」と「恥」の文化』 (講談社学術文庫版 2005年12月)

④参考文献なのでとくに感想はない本
  吉越弘泰 『威風と頽唐 中国文化大革命の政治言語』 (太田出版 2005年8月)   
  朱建栄 『中国 第三の革命 ポスト江沢民時代の読み方』 (中央公論新社 2002年8月)

  塚本勲 『日本語と朝鮮語の起源』 (白帝社 2006年1月)

  朝尾直弘編 『日本の近世』 7 「身分と格式」 (中央公論社 1992年7月)

  徳富猪一郎原著 平泉澄監修 『要約近世日本國民史』 二 「豐臣氏時代」 (時事通信社 1968年2月第2刷)

⑤ただただ楽しんで読んだ本  
  パリティ編集委員会編(大槻義彦責任編集) 『さようならファインマンさん』 (丸善 1990年5月)

  二ノ宮知子 『のだめカンタービレ』 15 (講談社 2006年6月)

 深く静かに潜航せよ。