書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

思考の断片の断片(69)

2008年08月30日 | 思考の断片
 「数日間で激痩せ」「顔の毛穴が見えなくなる」「足がツルツルになる」「いくら食べても太らない」「まつげが長くなる」等々、同じ女性モデルが同じ服、同じ場所で、多分同じ日に撮った、ポーズだけ異なる写真。
 「多重債務者やめます」と、男性モデルが浮かべる満面の笑み。

 ある人の曰く、日本のネット言論は壊滅状態だそうだが、もし、日本のネットユーザーがこういった広告を必要とし、あるいは良しとする人たちばかりであるとするならば、それは当然すぎるほど当然の結果だろう。この場合、匿名言論の無責任さとか、日常生活のルサンチマンの発散の場としてのインターネットとかと問題を立てる前に、彼らは“言論”という言葉で表される種類の言語活動を伴わない生活様式の人々であるという認識を、すべての議論の前提にすべきだと考える。

思考の断片の断片(68)

2008年08月30日 | 思考の断片
▲「時事ドットコム」2008/08/29-16:42、「『架空経費なかった』=太田農水相の説明で町村官房長官」
 〈http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2008082900744

 町村信孝官房長官は29日午後の記者会見で、事務所費などに関して太田誠一農水相が同日行った説明について、「架空経費があったのではないかといろいろ批判はあったが、そういうものはなかったと言えるだろう。かなりきちんと説明できている」と述べ、問題視しないことを明らかにした。

▲「池田信夫 blog」2008-08-29、「太田誠一氏の『釈明会見』の疑問点」
 〈http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4f233a599d2d906d81579be860f5ab09

 町村官房長官は、午後の記者会見で「架空経費はなかった。何ら問題はない」とコメントしたので、官邸はこれで収めるつもりかもしれないが、後援会の経費を二重計上するのは架空経費である。民主党は、政治倫理審査会の秘密会で、この非常勤職員の氏名を明らかにするよう太田氏に要求し、その職員の所得税の申告記録を(国政調査権で)閲覧すべきだ。税務署の記録には雇用主が記載されているので、それが「育てる会」でなければ、収支報告書の虚偽記載として刑事告発に持ち込める。有罪となれば、閣僚辞任ぐらいではすまないだろう。

 太田誠一氏が閣僚を辞任した暁には、町村官房長官も、必ずや必ずや辞めていただきたい。

 本質的な問題は、このようないい加減な会計処理を認める政治資金規正法だ。町村長官は「改正政治資金規正法でも人件費の内訳は求められておらず、何ら問題はない」と太田氏を弁護したが、それなら幽霊職員をつくれば経費はいくらでも水増しできる。民間企業については、ライブドアのように匿名組合で費目を変更しただけで「粉飾決算」として逮捕したり、J-SOX法ですべての社内手続きの文書化を義務づけたり、過剰規制が進められているのに、政界では幽霊事務所も幽霊職員も自由自在で、事務所経費はごまかし放題だ。

 ふざけるな、馬鹿!

思考の断片の断片(67)

2008年08月30日 | 思考の断片
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2008/08/29 15:00、李吉星「米国産牛肉:デモ現場で塩酸瓶、7人を逮捕・起訴 6人に前科、仕事を持っているのは二人だけ」
 〈http://www.chosunonline.com/article/20080829000052

 警察によると、逮捕されたキム容疑者らは、警察に捕まった場合に備え、「ハンナラ党とニューライトが金を与えてやらせた、と言おう。そうすれば事件が話題になり、進歩団体が黙っていないだろう」と共謀したという。実際にキム容疑者は、警察に捕まってから「ハンナラ党のチョン○○議員の補佐官という人から金をもらった」と供述した。しかし一味の別のメンバーとの対質尋問で、うそであることが判明した。また容疑者らは、塩酸瓶を投げた理由について、「デモに出れば時々小遣いがもらえて食事もできたのに、キャンドル集会が沈静化してきたため、何か強力な方法はないかと考えた末に思い付いた」と供述している。

 ネットカフェならぬデモ難民。

▲「Sea Shepherd News」08/18/2008、「Operation Musashi Heats Up Over Antarctic Whaling」
 〈http://www.seashepherd.org/news/media_080818_1.html

 As captain, all Sea Shepherd crewmembers act in accordance with my orders.

 リーダーの命令のもと、団体ぐるみで同様の犯罪行為を行うシーシェパードは、正真正銘ならず者の集まり。

天罰が下ったというわけではないのだが

2008年08月29日 | 思考の断片
▲「Infoseek楽天ニュース」2008年8月28日16時55分、「中国、ギョーザ事件担当更迭か 公安省、日中協議にも出席せず (共同通信)」
 〈http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_gyouza_tyudoku2__20080829_2/story/28kyodo2008082801000520/

 中国公安省の余新民副局長は会見で、「人為的な個別事件」との見立てを表明。「日本で混入したと言っているわけではない」としながらも、中国国内でメタミドホスが混入した可能性を再三否定してみせた。 (「MSN産経ニュース」2008.3.2 13:54、「【衝撃事件の核心】毒ギョーザ事件 中国から“コケ”にされた日本警察『大激怒』」)

 上の権力闘争の結果、側杖を食って詰め腹を切らされた要はトカゲの尻尾、将棋の駒だろうけれど、それでもざまを見ろと溜飲は下がる。

「Time.com」、 「The New (Old) Russian Imperialism」

2008年08月29日 | 抜き書き
 〈http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1836234,00.html

 Aug. 27, 2008。"YURI ZARAKHOVICH"の署名入り。

One Soviet-era joke went like this: the worker Ivanov "borrows" a set of spare parts from the stroller factory to make a buggy for his kid. After hours of work he turns in frustration to his wife. "It's no go," he says. "I tried putting them together in every possible way, but I always end up with a machine gun."

For almost 20 years, Russia has been borrowing spare parts to build a democracy but somehow, the country's rulers have ended up with the same policy the Soviets and the Tsars used: force.

 記事自体はどうといったことはないが(ほかのメディアでも見ることができるような内容だという意味)、この言い回しは面白い。それによって言わんとするところがあまりに見えすいていて(「ソ連の昔もロシアの今もあの国は同じ」)、ちょっと野暮だけれども。この生真面目な野暮さが「タイム」の身上だと、私などは思っている。

「仏高力 鬼作左 どちへんなしの三郎兵衛」

2008年08月29日 | 思考の断片
 徳川家康の三河時代に岡崎を治めた三人の奉行の評である。

 仏高力 高力清長(与左衛門) 1530年-1608年
 鬼作左 本多重次(作左衛門) 1529年-1596年
 どちへんなしの三郎兵衛 天野康景(三郎兵衛) 1537年-1613年

 「どちへんなし」は、どっちにもかたよらない、つまり公平なという意味だそうだ。最近知ったのだが、漢字では“何方偏無し”と書くらしい。
 以前から、「仏高力――」の唄は知っていて、「どちへんなし」も意味は知ってはいたのだが、“何方偏無し”(あるいは“彼是偏無し”とも)の漢字を見て、ようやく納得がいった。なるほどそれでそういう意味かと。
 徳川家康と三河武士団の関わりを描いた司馬遼太郎『覇王の家』で、忠義無類ではあるが己の思案を常に優先して、かならずしも上に――家康その人にさえ――従順ではない安藤直次(彦四郎・帯刀。1555年?-1635年)を、宿老(おとな)たちが、

 「どちへんなしめが」 (新潮社文庫版、1994年3月第40刷、422頁)

 と、非難する場面がある。わがままというほどの意味であるようだったが、いまひとつニュアンスがよく掴めなかった。これについては、ひらがなで表記された字面からは意味をしのばせる手がかりが見いだせなかったせいもあった。だが今回、漢字表記を知って、ああそういう意味なのかと、納得が行ったわけである。
 しかしながら今度は、新たな疑問が湧いてきた。“どちへんなし”が「公平な」という意味であるのなら、『覇王の家』の使い方は、ちょっと違うのではなかろうか。
 もっとも、この作品で、主人からある程度距離を置き、一種醒めた目で自分の主を眺める、自立した思考、“勝手料簡”の持ち主として描かれる安藤直次は、主君べったりで忠義一辺倒、独立した自己というものがない、大久保忠教(彦左衛門)がいみじくも喝破したところの“御家の犬”と比較してみた場合、確かにかたよっていないと言えよう。この意味では彼を「どちへんなし」と評するのは間違いではない。またこう考えることで、おとなたちが直次をなじった理由もより解るような気がする。あるべき三河武士の姿からはずれているおのれを恥じもせず、平然として矯める素振りも見せぬと、伝統を守る立場にある彼らにすれば、直次のいわば頭の高さが、大いに勘に障ったのであろう。やれこやつ奴は人のつもりでおるわ、と。

近隣諸国メディアの日本特派員はやりようによっては気楽な商売ときたもんだ

2008年08月28日 | 思考の断片
▲「中央日報 Joins.com」2008.08.27 15:32、朴素ヨン「<グローバルアイ>良い映画、そして日本の現実」
 〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=103929&servcode=100§code=140

 ステレオタイプの日本観と定型の日本批判フォームに沿って仕立てただけの“現地発”記事。

 ――日本の現実社会は、映画が描き出した戦争と人間に対する真摯な回顧に目を向けない(略)。

 ――周辺国の侵略や植民地化、戦争を起こした過ちに対する反省はほとんど見られない。

 ――日本の幼い学生たちは戦争挑発や民族性を抹殺した植民統治の歴史を正しく学ぶ機会がない。

 ――歴史を眺める正しい視線は消えていき、知覚のない一部の指導者が出す無理な主張や歴史歪曲が勢力を振るう日本。その隣国の事態を憂慮の視線で眺めるしかないのが韓国の立場だ。

 よく言うよ。

 ――文部科学省は戦犯の位牌がある靖国神社への団体訪問を奨励するような通知文を各地方教育委員会に伝えたという。

 事実報道に「という」などと伝聞体を使うな。それに靖国神社には戦犯どころか誰の位牌もない。靖国神社について、これは初歩の初歩の知識だろう。朴素ヨンとやら、何年日本にいるのか。
 能力もやる気も責任感もない特派員はさっさと故国に帰って、二度と来るな。両国の関係をより悪化させるだけだ。

「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」、「『チベットで140名死亡』という報道に関する声明」から

2008年08月27日 | 抜き書き
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080822_lemonde.html

 2008年8月22日、ダライ・ラマ法王事務所(フランス)。

 このニュースを受けて以降、四川省甘孜(東チベット、カム地方)の地元住民との連絡が途絶えています。

 中国政府によってニュースソースが捕らえられたということだろう。140人というデマの数字を海外に伝えて国家の威信を傷つけた咎(とが)か、あるいは真実を伝えて国家機密を漏洩した科(とが)か。

アーミン・H・マイヤー著 浅尾道子訳 『東京回想』

2008年08月27日 | 政治
 著者は1969年から1972年にかけての駐日米国大使。

 中国の共産主義者たちは、(中略)対日経済関係を支配していたので、日本の中国熱によっていずれにせよ政治的には防戦一方の立場にあった佐藤〔栄作〕首相に対し礼儀を示す理由など持ち合わせなかった。 (「第4章 中国との緊張緩和」、本書113頁)

 こういう見方もある。
 “日本の中国熱”については、著者は別の箇所で、中国に関して日本人が伝統的にかつ近代の歴史的な原因によって抱いている心理的な劣等感や引け目(“中国コンプレックス”)が、当時(1960年代末から1970年代初頭)の状況下において熱病のように昂じたものと説明している(102-105頁)。

 中国で日本が勢力をふるった十四年間に一千万人あまりの中国人が殺されたことに、日本人は一九七一年になっても、なおも深い罪の意識を持っていた。蒋介石政府との間で一九五二年に平和条約が結ばれはしたが、罪悪感はそれだけでは消えなかった。 (103頁)

 “なおも”の三字が、興味深い。
 なお本書に、沖縄返還交渉で佐藤栄作の密使としてヘンリー・キッシンジャーと極秘折衝を重ねた若泉敬の名が、一箇所だけ出てくる。もちろん密使としてではない。

 若泉敬氏のような知識人たちは、アメリカは北京で、日米安保条約は日本の“軍国主義”抑制に効果があるなどと中国側を説得しようとするような誤りを犯すのではないかといった。 (141頁)

 いつ、どこでの発言か、著者が直接に聞いたものかあるいは伝聞なのか、記述がややあいまいで、不明。しかし前後の文脈から、1971年11月末から12月末にかけて、翌1972年1月初めのサンクレメンテにおける佐藤―ニクソン会談の前であることは判る。そしてこれも興味深いことに、著者が“若泉敬のような知識人たち”が発した危惧の言葉として紹介するその内容は、まさに、キッシンジャーが北京で周恩来に対して行った発言ほぼそのままである(1971年10月22日、第4回周恩来・キッシンジャー会談)。

(朝日新聞社 1976年5月)

本欄2001年8月2日、山崎正和 『日本文化と個人主義』(中央公論社)から

2008年08月26日 | 抜き書き
 〈http://toueironsetsu.web.fc2.com/booktoday/bt200108/bt0108.htm

「はたして間人主義はどこまで日本に固有の特性であり、日本人にとって宿命的な社会単位なのか」
「それはいったいこの国の『文明』的な特性なのか、それとも、たんに世界共通の文化の程度の違った現れなのか」

●「共同通信社」2008/08/26 09:23、「青森県警がリンゴ加工業者を捜索 果汁偽装表示の容疑で」
 〈http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008082601000083.html

 県の調査によると、同社は、りんご果汁入り飲料「バーモントリンゴ酢」で、中国などから輸入した濃縮果汁を使いながら「青森県産りんご果汁使用」と表示し、少なくとも昨年7月以降、約5キロリットルを販売した。
 一部のりんごジュースについても、原料に濃縮果汁を使いながら「ストレート」と偽り、約110キロリットル販売した。

 あたりまえのことだが食品偽装は中国の「文明」的な特性ではないし、固有の特性でもない。ただ、日中両国の類似の現象を比べてみると程度が異なることは確かである。また彼我の人口差により、数量的にも異なる。