書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

和田春樹 『米朝戦争をふせぐ 平和国家日本の責任』

2018年08月24日 | 政治
「拉致問題を解決するために北朝鮮とまず国交正常化せよ」という主張。同書45頁をはじめとする関連数個所。対手の言う過去の清算はどうするのだろう。

(青灯社 2017年10月)

Andy Chang 「AC通信 No.698 (2018年06月26日発行) サヨクの横行するアメリカ」

2018年06月30日 | 政治
 http://melma.com/backnumber_53999_6701101/

 副題:「(他人の自由を妨害する自由はない)」

 サヨクのアメリカは二極化して、暴力を容認、正当化する言論がメディアを賑わしている。アメリカは野蛮国家になりつつある。サヨクは人間社会の最低限度の礼儀さえ守らず、お互いの自由を尊重せず、自由を叫びながら他人の自由を妨害するような国になり下がったのである。

 それは我が国のリアルあるいはネット世界のように(左右一方に限らぬところは違うようだが)、「暇潰し」「憂さ晴らし」「八つ当たり」「面白半分」「内輪受け」、そして「問題になったらしらばっくれつづければそのうち逃げられる」からかどうか。
 魯迅が憤懣を籠めて言うところの、請求書を突きつけられても「これが、私の請求書かね?」と言ってただまじまじと相手を見返しているだけの人々。


田中良紹 『メディア裏支配』

2017年02月19日 | 政治
 某氏の奨めにより読む。個人的には読むのが遅きに失した感が強い。読んで、おそらくは著者の意図を超えてだが、該書が直接に問題とするメディアだけではなく、そのメディアをかくしからしめる、著者を含めた周囲の情況と世界、ひいては日本の社会そのものに、「つまりこういうものだ」という、見極めの“感じ”がようやくにして持てた。もっと早くにこの著を知っていればよかったと思う。
 これがあくまで当事者の一人によるその立場からの証言と発信であって、内容の公平性や信憑性はその儘では担保されないのは言うまでもない。しかし指摘と見地にはいろいろ触発された。

(講談社 2005年3月)

鈴木亘『経済学者 日本の最貧困地域に挑む あいりん改革 3年8カ月の全記録』

2017年01月16日 | 政治
 誰もが自分のことで手一杯、それ以上は勘弁、全体や社会のことなど考える余裕などない、できれば自分のやるべきこともやらずしかし代金だけはもらいたいというのが普通の人の普通のあり方だということを、いまさらながらに想わされる内容。だがそのような、閉塞し凝滞した情況のなかで、事態を改善せんと現実に執着(としか形容のしようのない)し、絶えずあれこれの方法を見いだしてはそれをてこに少しでも動かそうとする著者の言動の壮絶な軌跡は、まさに“志のある人”のそれと評するべきであろうか。

(東洋経済新報社 2016年10月)

井上清 『新版 尖閣列島 釣魚諸島の史的解明』

2015年11月15日 | 政治
 釣魚諸島略奪反対は反軍国主義闘争の当面の焦点である。 (136頁)

 約言すれば、こういう体の本である。
 さらには、出版社を代表しての北川明氏「新版『「尖閣」列島』のあとがき」が非常に興味深い。

 1972年に刊行されていた井上清著『「尖閣」列島』が絶版状態なので、新たに第三書館版を作った。

 何故今?という疑問が当然ながら湧くが、北川氏は自ら懇切に答えて下さる。
 復刊の背景として、2010年にこの書を推薦する中国外交部の発言があったこと、そしてそれ以降の日中間の尖閣をめぐる外交的緊張の結果、世間の本書への再度の注目が集まったという事態の進展をにらんだものであることが、しるされている。また、同年(2012)の末までに――ということはこの復刊の出版とほとんど時を同じくして――、中国で新しい日本語訳が出ることも告知されている。
 この「あとがき」を読んで、その翌年か翌々年に「尖閣は中国の領土だ。井上さんは正しい」と言う中国研究者に出会ったことが腑に落ちた。それはどうやら大状況における必然の邂逅だったらしいと。

(第三書館 2012年12月)

池田信夫 blog 「民主政治を食い物にする『沖縄の心』」

2014年12月31日 | 政治
 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51882386.html

 政府債務は将来世代が負担するので、有権者の過半数を占める団塊の世代以上にとっても問題ない。新聞購読者の過半数も60代以上だから、彼らが沖縄を美化するのも合理的だ。

 「合理的」という言葉の使い方。ここでの「理」は「物理(自然法則)」でも「倫理(道徳原則)」でもない。社会科学的法則。こんにちの「道理」?

伊藤正子 「儂智高の語り方 中越国境少数民族の『英雄』と国家」

2014年09月11日 | 政治
 『東京大学東洋文化研究所紀要』142、2003年3月、同誌79-108頁。

 ベトナム・中国ともに、国家のつくる物語というものは徹底して自己本位で御都合主義で我田引水で、ときとして国民に対してさえ冷酷で身勝手なものであるという感想。

池田信夫 「『ハト派』が戦争を誘発する」

2014年09月03日 | 政治
 「アゴラ」掲載。

 韓国や中国は「話せばわかる」国ではない。 

 池田氏とは異なる理由で、私はこの結論に同意する。
 以下がその理由である。
 例えばオグデン/リチャーズ『意味の意味』(床並繁訳述 研究社 1958年11月初版)においては、同一律・矛盾律・排中律・選言律・充足理由律が人間の思考の原理とされる。だがこれらはいずれも中国の伝統的な思惟には存在しない。思考が根本的に異なるから、話が通じないのである。お互いに理解できない。
 だがそれは当然のことで、これらの原則は全て西洋(人)のものだからである。
 それではなぜ同じく非西洋でありながら中国・韓国と日本が話が通じないのかといえば、日本人の伝統的・平均的思考はこれら二国よりもある程度もしくはある部分において西洋に類似しているからだろう。
 同じ事が、程度の差はあろうが、チベットとベトナムについても言えるかもしれない。

仲新城誠 『国境の島の「反日」教科書キャンペーン 沖縄と八重山の無法イデオロギー』

2014年04月29日 | 政治
 正式な著者名は、「八重山日報教科書問題取材班・仲新城誠」。仲新城氏は同紙の編集長。

 育鵬社版採択の反対派の顔ぶれを見ると、「反自衛隊」を訴える人たちと同じなのである。 (「はじめに」本書7頁)

 県紙で報じられた調査員の報告書を読んでいて、妙なことに気づいた。反対派が配っていたパンフレットとそっくりそのままの文章が報告書に盛り込まれているのである。 
(「第3章 暴走する県教委」本書95頁)

 「県紙」とは、文脈から『沖縄タイムス』と『琉球新報』のどちらか、あるいは両方を指すと思われる。「反対派が配っていたパンフレット」は、「子どもを教科書全国ネット21」(東京)が発行した「子どもに渡せない教科書」。

(産経新聞出版 2013年3月)

池田信夫 「ケネディ駐日大使の自民族中心主義」

2014年01月19日 | 政治
 『池田信夫 blog』2014年01月19日11:55

 このようにキリスト教=普遍的真理と信じ、世界にすぐれた文明を伝道すると信じる自民族中心主義が、植民地支配やベトナム戦争(それを始めたのは彼女の父親だ)を生んだのだ。いまだにその罪を自覚していない人物が、日本に内政干渉する資格はない。

 池田氏はまた、ツイッターでこの話題に関連して、「昔は奴隷も殺してOKだったからね。自分がいつも世界の中心だと思っているのがキリスト教のバカなところ」と仰っている。
 確かに、こういう捉え方または言い方では儒教もしくは中華思想と変るところはない。どっちもどっちということになる。しかし私は、両者の間には相対的な差が一つ、絶対的な差異が一つはあると思う。