書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

桐本東太 「書評 冨谷至著『文書行政の漢帝国』」

2013年04月25日 | 東洋史
 冨谷氏によれば、漢代木簡に記された「如律令」「以急為故」といった表現は、「しかるべく実行せよ」「任務をなおざりにしてはならない」というくらいの意味しかない、「決まり文句」だそうである。あと、「有書」(~について)、「有数」(しかるべく処理せよ)など。
 ただし、このことについては、評者の桐本氏も、注意するように、「どこまでが意味のない慣用表現で、どこまでが実質的意味を有する語句か、その境目に決め手を欠くのである」(桐本110頁に引く冨谷著215頁)。書いた当人においてすでに曖昧だった可能性もあろう。
 なお、これに関して、近世の「照例」もこの類ではないかとふと思った。「例」という何か実体(具体的な先例とか慣習法とか条文化された法令とか)がとくに存在していたわけではなく、「これまでどおりに」というくらいの意味しかない、決まり文句。

(『史林』96-2、2013年3月、108-113頁)

小平 「当面の情勢と任務」

2013年04月25日 | 現代史
 1980年1月16日、幹部会議における講話。竹内実/吉田富夫監訳『全訳・日本語版「小平文選」 小平は語る』下巻(風媒社 1983年11月)所収。小島朋之訳。

 この三年の期間に、毛沢東思想について正しい解釈をつくり、毛沢東思想の本来のすがたを回復した。〔略〕実践は真理を検証する基準であるという問題の討論をつうじて、わが党の思想路線を確立し、あるいはマルクス・レーニン主義、毛沢東思想の思想路線を回復したといってもよい。 (同書15-16頁)

 「実践は真理を検証する唯一の基準である」の「真理」とは「わが党の思想路線」であり、「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想の思想路線」にほかならない。結論は最初からきまっているのであって、その正しさを「実践」において証明することだけが「検証」なのである。

 人物と歴史を評価するさいには、全面的、科学的な観点を提唱し、一面的で感情的になることを防ぐ。そうしなければ、マルクス主義に合致せず、全国人民の利益と願望にも合致しない。おそらく年内にも、若干の歴史的問題について正式の決議をつくることになるであろう。 (同書15頁)

 しかもその“正しさ”の基準は小平と彼の支配する共産党が決めるのであった。何が「全面的」「科学的」であるか、また何をもって「一面的」「感情的」であるとするのか。というわけで、中国では現代史そしてただいま現在のすべて、さらに未来に至るまで、「若干の歴史的問題(正式名称・建国以来の党の若干の歴史問題についての決議)」において、予め党によって起こるべき事実とその解釈は定められているのであった。


桑田佳祐 『桑田佳祐言の葉大全集 やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん』

2013年04月25日 | 音楽
 桑田さんが87年のソロの活動をとても新鮮に感じ、一種開放された気分になったこと――そしてその裏返しとして、その後サザンオールスターズの活動に戻るのがあまり望むことではなかったらしいこと――が、かなり率直に語られている。

(新潮社 2012年9月)

李重煥著 平木實訳 『択里志』

2013年04月24日 | 東洋史
 18世紀初頭朝鮮の地誌。「李重煥の30年にわたる放浪生活で得た知識が反映されており」(『世界大百科事典 第2版』)というのだが、描写が全然具体的でない。ほとんどの現地には行ったことがないのではないか。それとも行っても目が節穴だったか。『徐霞客遊記』のような旅行記に比べるのは酷としても、行文の精密さからいって(量ではなく)、『読史方輿紀要』ほどの情報の密度もない。書き方も平板である。風水を本気で信じ込んでいるらしいところは彼が蔑視している琉球で同時代を生きていた実学者蔡温にも及ばぬ。ずいぶん緩い著作であり著者の知性である。

(平凡社 2006年6月)

ウィリアム・ヒントン著 田口佐紀子訳 『大逆転 小平・農業政策の失敗』

2013年04月20日 | 現代史
 原題:The Great Reversal: The Privatization of China, 1978-1989, Monthly Review Press, 1989.

 After the death of Edgar Snow, Hinton became the most famous American sympathetic to the People's Republic of China, and he served as the first national chairman of the US China Peoples Friendship Association from 1974-1976. The association published his controversial interviews with Chinese premier Zhou Enlai. Hinton cooled toward official policy as market reforms under Deng Xiaoping moved away from the type of socialism originally associated with Mao Zedong. Eventually he wrote Shenfan (read as the opposite of Fanshen) and The Great Reversal, and became an outspoken opponent of the socialist market economy ("socialism with Chinese characteristics") and Chinese economic reform that the CPC continues today. (Wikipedia, "William H. Hinton", 'Return to the United States') (下線は引用者)

 一九八九年六月四日は、中国の現代史における完全な分岐点である。人民解放軍が天安門広場への道すがら発砲し、非武装の市民を虐殺したことは、他のなによりもよく“改革”の時代を明らかにした。それは稲妻のごとく中国の現政権の反動的な実体を照らしだしたのである。 (「原著はしがき」本書i頁)

 これを裏切られた外国人のマルクス主義者、中国支持者の怨みの声と看るべきか。私はそうは思わない。自身を純粋に――この純粋には純真という意味も多少籠もるであろうが――抽象化していき、毛沢東主義者としてのみの存在となった著者が、結果その思想を徹底した挙げ句、おそらくは毛沢東本人よりも純粋・純真な毛思想の徒となった、その徒の目から見ての誠実にして真摯な弾劾であろう。そしてそれは、この著が書かれてから更に20年を経たこんにちの中国が抱える国家の興廃に関わる大問題(農村の疲弊、格差拡大、腐敗などをはじめとする)についての、正確無比な予言となっている。著者の言葉を借りれば、「経済的混乱、基本施設〔引用者注・インフラストラクチャーの意か〕の衰退、環境の悪化、社会分化、文化的頽廃、そして中国の社会組織を脅かすエスカレートする階級間の反目」(同上)。

(亜紀書房 1991年5月)

ウィリアム・ヒントン著 春名徹訳 『百日戦争 清華大学の文化大革命』

2013年04月19日 | 現代史
 原題:Hundred Day War: The Cultural Revolution at Tsinghua University, Monthly Review Press, 1972.

 この時期になるとヒントンは自分の責任において考えることも自己を主体として感じることもやめたらしい。彼は国籍・文化など己れの属性を全て捨象して、単色のマルクス主義者、毛沢東主義者になったようである。中国のマルクス主義者、体制盲従の毛沢東主義者なら誰でも書けるような内容である。

(平凡社 1976年11月)

ロドリク・ブレースウェート著 河野純治訳 『アフガン侵攻1979-89 ソ連の軍事介入と撤退』 

2013年04月19日 | 現代史
 内容についてはこちらに核心を衝いた紹介がある。ソ連も普通の国だったという感想。イデオロギーに思惟をがんじがらめに縛られて客観的現実を見る目がひずんだりはしていないという意味。思惟において形式論理を踏み外すことはなく、心性において倫理と物理の区別がついている。中国とは違うようだ。ヴィッテの李鴻章と清に対する感想を思いだす。

(白水社 2013年1月)