ビートたけし 『間抜けの構造』 2018年08月30日 | 雑 出版社による紹介。 これも『バカ論』と同じく題名は釣りで、中身は漫才をはじめとする日本社会のさまざまな“間”についての話。通底する原則を取り出せば翻訳技法に応用できる考察や指摘がある。 (新潮社 2012年10月)
某中国古典小説の邦訳を読む。・・・ 2018年07月03日 | 雑 某中国古典小説の邦訳を読む。舞台は宋代、ただし白話(=口語)だから現代日本語で訳すのは納得。ただ「桌兒」を「テーブル」とカタカナ英語にまでして翻訳したのなら、「銅盆撞了鐵刷帚」を、「銅の盥と鉄のたわしの取っ組み合いってところね」とそのまま単語だけ置き換えるのは如何なものか(しかも「たわし」としながら片えは「たらい」ではなく「盥」と漢字に!)。意味もよくわからない。これは、「銅盆鐵帚」(お似合いの二人の意)という成語を踏まえた表現だ(しかもいま調べたら『水滸伝』が出典だそうだ)。「割れ鍋に綴じ蓋ね」と、私ならするところだが、「テーブル」と同じ文章では両者語彙または表現としての位相が違っていて使いづらい。平たく「お似合いの二人ね」とすべきか。それとも、「テーブル」を「桌兒」に戻し、「テーブル」はルビか割注にするか。いずれにせよもっとこなれた訳しようがあったろう。
『鳴門秘帖』が山本耕史さんの法月弦之丞でリメイクされていたとは・・・ 2018年06月28日 | 雑 『鳴門秘帖』が山本耕史さんの法月弦之丞でリメイクされていたとは知らなかった。田村正和さんの時に少し覧ている。原作も読んだがあまり憶えていない。三田村鳶魚翁には、生半可に江戸の知識を仕入れているのがかえっていけない、嘘がより目立つと酷い謂われ様である。 …
ヘッセ『荒野の狼』を里村和秋氏の日本語訳で読む。・・・ 2018年06月28日 | 雑 ヘッセ『荒野の狼』を里村和秋氏の日本語訳で読む。「それは彼らではなく時代の誤り」と言いながら、ワーグナーとブラームスを「あまりの過剰」「あまりに浪費」と、とどのつまりは似たもの扱いして、大笑いしながら小馬鹿にしまくるモーツァルトのパートは、三ツ矢雄二氏に朗読して貰いたい。ドイツ語はわからないながら、はたしてそれは翻訳だけの印象かどうかと想像してみるのは楽しくもある。
谷沢永一 『人間の見分け方』 2018年06月13日 | 雑 藤村作を褒める一方で池田亀鑑の悪口が書いてある。弟子に下調べをさせ、できたものを全部取り上げ、弟子を潰したと。61-62頁。 付記。中村幸彦氏のことも褒めてある。司馬遼太郎氏についても、氏の常のことながら、同断。どちらも頁数は、もう本を図書館に返してしまったので、判らない。 (PHP研究所版 2009年2月)
お悔やみ 2018年02月19日 | 雑 土居晴夫氏が亡くなった由。祖父君の坂本直寛は、血縁的には千鶴の子、系譜的には権平の養嗣子である。氏からは、龍馬の千葉道場の皆伝が長刀すなわち薙刀のそれであること、唯一遺る姉お栄の歌、そしてその墓石の発見にまつわる奇妙な話など、御著書を通じていろいろ教えていただいた。合掌。
和久希『六朝言語思想史研究 』(2017年9月29日) - 尚書省 三國志部 2018年01月12日 | 雑 http://d.hatena.ne.jp/kyoudan/20171006/1507260178 該書、書名だけ見て昨日図書館で借りてきたのだが、内容は、私が思っていた『六朝(の)言語(と)思想(の歴)史(の)研究』ではなく、『六朝(の)言語(に関する/で書き表された、あるいは書き表されないというかたちで書き表された)思想(の歴)史(の)研究』だった。出版社による紹介を見なかった私が悪い。 …
山本七平 『日本的革命の哲学』 2018年01月07日 | 雑 『貞永式目』が一書のテーマを構成する重要要素としてあげられているので読んでみたが、私の視角とはあまり関係がなかった。私は此処にべつに革命思想を見出そうとしているわけではない。北条泰時や『式目』と明恵の思惟との関わりもよく分らない。 (PHP文庫版 1992年4月)
朱子学の理を西洋の理性と勝手に・・・ 2017年12月27日 | 雑 朱子学の「理」を西洋の「理性」と勝手に――あるいは怠惰に――同一視して朱子学は合理主義的だったと主張するためしと同様に、王朝国家、それも西洋でない中国(清)の「版図」や「藩部」を、現代日本語の(すなわち西洋近代の思惟に則る)“領域”と頭から同一視して省みない愚見をインターネット上で紹介さる。知識不足以前に不注意無注意。
Wikipedia, "Garden" 2017年12月23日 | 雑 https://en.wikipedia.org/wiki/Garden#Etymology A garden is a planned space, usually outdoors, set aside for the display, cultivation and enjoyment of plants and other forms of nature. なるほどこれなら文化・地域差を超えての定義たりえる。逆にいえばその差異を捨象しているという事だ。 現在やっている一段階の作業である。庭園について。さてこれから、中国庭園(園林)の沿革と展開について、仕事でむかしやったが、忘れているところもありそうなのでお浚いする。