書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Lawrence Grobel, "Al Pacino: The Authorized Biography"

2018年08月25日 | 伝記
 出版社による紹介
 長年にわたって何度も行われた長時間インタビュー集。

  Unlike Nicholson or Hoffman he has no strong public persona apart from his characters.  ('1996 Looking for Al,' p.105)

 これは本当に思う。映画PRや映画祭等の、いわば演技の延長の場ではないインタビュー映像や番組の類を見ても、ご自分でそう認めているとおり、非常に緊張して神経質になっているのが窺える。基本的に自分からは話を広げない。聞かれた話題に答える。そしてその言葉と表現が返事としての情報伝達には足らなかったり、反対にその場の空気から乖離して自身のなかで空回りして過剰にすぎたり。

坂本太郎 『古代史の道』

2018年08月18日 | 伝記
 池田亀艦氏が“大人の事情”で長らく助教授のまま留め置かれ、やっと教授になった矢先1年で死去したという話の原典であるので開いてみたが(207頁)、津田左右吉の記紀研究を日本史畑の人間はほとんど相手にしなかったという話も興味深かった(114頁)。辻善之助御大の「本はよく読んでいるが、ただ版本だけだね」など、何を言っているのか門外漢にはわからないながら、表面上はそれがだから何なのだろう、読んでないことでどう論旨に欠陥が生じるのか、もしそういう意味なら言挙げした人間がそれを立証しなければならない筈、まさか批判相手に、「欠陥はない」ことを証明せよと二重に間違ったことを言うているのではあるまいなと、あの大先生がまったくの没論理漢にさえ見えてたいそう面白い。

(読売新聞社 1980年6月)

福田千鶴  『後藤又兵衛』

2018年06月09日 | 伝記
 生まれは明石だが中高は高砂(曽根)だったので、郷土の偉人といえばそちらの方を中心にまず連想する。JRでいえば西に、次と次の次の駅の御着と姫路の黒田氏、そして黒田氏に仕えた後藤又兵衛。そして東は加古川の生んだ大コメディエンヌ上野樹里さん。

(中央公論新社 2016年4月)

徳田武 『清河八郎伝 漢詩にみる幕末維新史』

2018年06月07日 | 伝記
 出版社による紹介

 諸史料をほどいて記事本末体に仕立て直した伝記である。それだけでも凄いが、さらに各章が小記事本末体の各章から成る。感嘆措く能わず。

(勉誠出版 2016年3月)

ウォルター・クロンカイト著 浅野輔訳 『クロンカイトの世界』

2018年05月23日 | 伝記
 いつもながら浅野輔氏の訳は原文を彷彿させる――たとえ原文を知らなくてもこうであろうと当否は別として想像できる――、すばらしさである。私の好みをここから抜けば、つまりは訳文くさくない、しかし日本語日本語もしていない、英語のハードとソフトの要素を取り入れた、清新な日本語の文体ということになるのだろう。

(阪急コミュニケーションズ 1999年8月)

松田誠 『脚気をなくした男 高木兼寛伝』

2018年04月25日 | 伝記
 出版社による紹介

 脚気論争を、「麦飯がなぜ脚気に効くのかよくわからないが効くのは事実に徴してたしかだ」vs「なぜ麦飯が脚気に効くのか根拠を示せ。それを示さないうちは当方は納得しないし麦飯を採用することもしない」の図式として呈示する。なお巻末参考文献欄に板倉聖宣『模倣の時代』を挙げてある。

(講談社 1990年4月)

アイニ著 米内哲雄訳 『ブハラ ある革命芸術家の回想』

2018年04月06日 | 伝記
 出版社による紹介

 初めて読む。これは、読まずに中央アジアと中国領トルスキスタンまたジュンガリアのことで論考をものしたり、ブログやツイッターで書いてきた身として、とても恥ずかしいことである。そういう内容である。
 タジク語のロシア語訳からのさらに重訳ということであるが、文中、距離の単位が「ベルスタверста(露里)」になっている。これはタジク語原書においてすでにそうだったのだろうか。

(未来社 1973年7月)

牧原純 『二人のオリガ・クニッペル チェーホフと「嵐」の時代』

2018年04月04日 | 伝記
 二人目のオリガ――一人目の姪、アントンの甥と結婚してチェーホヴァに、のち離婚――は、ナチス政権下のドイツで映画女優として成功し、1980年に死去するが、彼女はおそらくは1921年の出国のとき以来、ソ連NKVDのスパイだった。

(未知谷 2013年9月)

マリヤ・チェーホワ著 牧原純訳 『兄チェーホフ 遠い過去から』

2018年03月25日 | 伝記
 アントン・チェーホフの妹マリヤは、オリガ・クニッペルと終生仲が良かったと、その最晩年に聞き書きの形で作成された回想録(本書)で述べている。だが同時に、兄が自分を含む家族に告げず、オリガと秘密に結婚式を挙げて事後に報告してきたことにひどく傷ついたとも、正直に書いている。ソ連時代に出たチェーホフ全集は、体制による検閲もむろんあったろうが、たぶん彼女の意向もあって、彼の聖人君子のイメージを損なうような個所は削除もしくは伏せ字にされている。
 1904年のチェーホフの死後、彼女は長く生きた。亡くなったのは1957年である。彼女は、私には鴎外の妹小金井喜美子(1956/昭和31年没)とその印象が重なる。オーリガ・クニッペルはマリーヤよりさらに長く生き、1959年に死去した。マリーヤが遺していたこの回想録はその翌年に出版されている。

 私のロシア語の師(ロシア人)は、「オーリガ・クニッペルは二流の女優」とよく言っていた。「チェーホフの芝居に出たから名声を得た。」「チェーホフがどうして彼女(など)と結婚したのか解らない。彼がとても複雑な人だったという証拠ではあるでしょうけれど」とも。
 その師に貸していただいたチェーホフの伝記(ソ連国外の出版物だったかもしれない)は、たしか、チェーホフのそういう“複雑な”面を伝える史料(売笑婦を買ったことを友人に報告している手紙など)を、部分的にだが、紹介・引用していた。手元のソ連版の全集でどうなっているかいま憶えていない。
 その伝記は、チェーホフは決して聖人君子ではなく、血の熱い、正義感の強い人間であり、そういうチェーホフを、彼自身の作品・書簡や彼を知る人々の証言から描き出すことが眼目だったと記憶する。著者も出版社も忘れていてないものだが、面白かった。それまで抱いていたチェーホフへの見方が変わった。

(筑摩書房 1991年8月)

谷沢永一編 『なにわ町人学者伝』

2018年02月19日 | 伝記
 唯一執筆・出版当時に存命中の人物を扱っているのが「佐古慶三」伝である。
 その佐古伝、筒井之隆氏の描くところによれば、京大系の某大家の論著の内容の間違いと方法論の安易さを指摘して以後、それ系が大部分を占める関西の「研究誌に原稿を送っても取り上げてもらえな」くなった佐古氏は、授業内容の水準に関し学業に無関心な県知事あがりの校長や、氏の能力に脅威を感じていた畑を同じくする研究者の教頭と衝突して高校の講師も辞め、民間企業数社で雑誌編集の仕事に携わりながら、「こっちがだめなら、何か違うことをやりまひょ」と、商業史から郷土史へ転換して十数年間、時期を待った由。
 批判された報復に氏を生き埋めにしようとした京大系の大家は、原文(筒井氏の伝及び佐古氏からの聞き書き)にはちゃんと名が出ていて、本庄栄治郎という。その股肱の臣もしくは眷属と評すべきお弟子さん達も名が挙げられてい、黒羽兵治郎氏などは、「古文書が読めんようですな」と評されている。
 
 ところでこの書は出版時に買って読んだのだが、のち2003年か4年ごろ、中―日翻訳をしているとき、ある種の中国知識人の金と地位と評判に対する余りの浅ましさを描く原文表現を日本語に訳すのに「名聞乞食」という語をすらりと思いついたのはどうも、その20年前にこの本で使われていたためらしい。

(潮出版社 1983年4月)