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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

明治大学現代中国研究所/石井知章/鈴木賢編 『文化大革命 〈造反有理〉の現代的地平』

2017年11月30日 | 現代史
 出版社による紹介

 「座談会 文化大革命と現代世界――矢吹晋氏に聞く」と「文革研究の今日的意義を問う――あとがきに代えて 鈴木賢」がとくに興味深かった。学問は時と共に進んでいくが、それを担う人は世代ごとに、また同じ人でも年代によって、時代とはかならずしも歩みを俱にしないのだなとふかく感じ入る。

(白水社 2017年8月)

雑感

2017年11月30日 | 思考の断片
 中国近現代史研究畑では内藤湖南を読んだことのない人もいるだろうな。偉い先生が「内藤湖南は右だから私は読まずにきた」と公言していれば、後進やとくに教え子はちょっと手は出せないのではないか。それにそれが、自分の視座と研究手法には湖南や旧中国は知る理由と必要性がないという理屈ならば、それは正しいのだし。

森岡健二 『近代語の成立 明治期語彙編』

2017年11月30日 | 人文科学
 「第七章 新約聖書の和訳」「第八章 旧約聖書の和訳」がとくに、かつて(2,3年前)欽定訳、文語訳、各種漢語訳、そして露語訳を比較参照してみたことのある身には、手が震えるほど面白い。同時に、おのれの先行研究への無知とそれを十分に調べなかった自身の怠惰とを、激しく恥じている。

(明治書院 1969年9月)

高橋芳郎 『宋代中国の法制と社会』

2017年11月29日 | 東洋史
 「序言」で、著者は、「おそらく後の研究者は一九八〇年と八一年の研究会とを対比しつつ、わが国の中国史研究における階級闘争史観から地域社会論への転換という総括を行うことになるであろう」と述べたあと、「しかし、抗租闘争を中心とする階級闘争史研究は明確な総括がなされた結果捨て去られたのではなく、いわば時代の流行の中で古着を脱ぎ棄てるように忘れ去られたにすぎないという思いも私にはある」と記している。さらに著者は、「中国史研究に階級分析が不適合なのではなく、中国史の文脈に即して階級分析を行う私たちの方法が未熟だったにすぎないのではなかろうか」と、非常に正直なことを述べておられる。現実の中国史をかならずしも見てはいなかったというのだから。だから時代に合わないとなれば古着のように脱いで棄てた、棄てて忘れることができたと仰るのであろう。実際はそう簡単な経過ではなかったと、80年代半ばから90年代はじめに、ここではこの“転換”が特に大きな影響を与えたと指摘する明清社会経済史界をわりあい子細に眺める場所にいた身としては思うが。同iii頁。

(汲古書院 2002年9月)

平川祐弘 『アーサー・ウェイリー 「源氏物語」の翻訳者』

2017年11月29日 | 抜き書き
 私個人は〔中略〕ウェイリーという学者を通して西欧の偉大さをも学んだという気がする。が、同時に、私はウェイリーやサンソムを物差しとして、その後に来たもろもろの西洋の二流、三流以下の、そしてそれだけに時に横柄で思いあがった、西洋の日本学者の値踏みもしてきたということである。昨今の西洋の日本学界には理論倒れの、不毛な、お悧巧さんの学者が、イデオロギーを振りかざして、大きな顔をしている。なぜこんな政治的に立ちまわる学者が幅を利かせるのだろうか。なぜテクストに密着する学問をきちんとしないのだろうか。論文制作に際しオリジナリティーを求めるあまり理論倒れになり、そのために原典精読を疎(おろそか)にするからであろうか。
 理論で外界を支配しようとする支配欲にとらわれる人よりも、テクストの前に謙虚に頭を垂れる人が私には好ましい。人文学の世界でドグマ一辺倒の学者ほど哀れなものはない。かつての日本ではモスクワ本位のテーゼや北京本位のインターナショナリズムに一部知識人が傾倒した時期があった。幸いにもそうした外国崇拝の時代は遠くに去った。 
(「あとがき」 本書475頁)

(白水社 2008年11月)

洪誠著 森賀一恵/橋本秀美訳 『訓詁学講義 中国古語の読み方』

2017年11月28日 | 抜き書き
 解放後は、マルクスレーニン主義・毛沢東思想の指導の下、訓詁学は漢語の実際から出発して、十分な資料を掌握し、歴史的観点を運用し、具体的な問題を具体的に分析し、ますます精緻になってきており、先人を超える巨大な成果が得られるはずである。 (「第一章 緒論」 本書35頁)

 訳者橋本氏による「あとがき」も、この思考の系譜に立っての紹介である。

(2003年12月)

国語辞典と漢字辞典の違いは?

2017年11月27日 | 思考の断片
 五十音順(イロハ順でもよいが)の国語辞典と漢字辞典は、仮名(およびアルファベット)のみの語彙を含む含まないという以外に、その編纂制作の精神において何がどう違うのだろう。とくに後者が漢字を含む熟語成句まで立項した場合、その垣根はますますぼやけると思うが。
 この漢字辞典には近代以前の、たとえば『節用集』のようなもののも含めている。
 例えば『早引節用集』は漢語をその日本語読み(音訓を問わず)でイロハ順に並べている。「〔同書は〕掲出字の振り仮名の文字数、すなわち仮名で書いた場合の文字数を基準にして分類・排列された節用集」(松井利彦『近代漢語辞書の成立と展開』笠間書院1990年11月、第1章「節用集から漢語辞書へ」、同書19頁)
 付言すると、もとになった『節用集』は部門別排列になっている。部門別排列とは、伝統中国における字書類、例えば類書の排列順、つまり漢語及び漢語世界におけるカテゴリー分けと分類項目の立て方とその順番である。

 ※参考。佐藤貴裕「早引節用集の分類について」(『文芸研究』115、1987年5月掲載、同誌67~78頁)https://www1.gifu-u.ac.jp/~satopy/ronhayabikibunrui.pdf
 また、高梨信博「近世節用集の序・跋・凡例--早引節用集」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第3分冊 47、2001年掲載、同誌3-14頁)http://ci.nii.ac.jp/naid/120000792555

 なお、いま紹介した同じ高梨信博氏による「早引節用集の成立」(『国文学研究』113、1994年掲載)では、「節用集」の部門別排列から「早引~」のイロハ順への変化については、前者が編纂者本位あるいは〈意味〉による分類であったのに対し後者では利用者本位もしくは〈訓読(ヨミコエ)〉つまり発音によるそれへと変わったからだという説明が与えられている。
 これはどう解釈すべきか。
 

「日本人は非論理的で西洋人は論理的」といった話をまた・・・

2017年11月25日 | 思考の断片
 「日本人は非論理的で西洋人は論理的」といった話をまた、然るべき学位学歴を持つらしい方が真面目(? 少なくとも字面からはそうとうかがえる)に、ツイッターで論じておられる。ゆえに私も繰り返す。その「論理的」というのは何ですか。「論理」とは何でしょう。それは一つですか。どうして一つしかないと分っているのでしょう。