書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

石井孝 『日本開国史』

2005年11月30日 | 日本史
“日本の開国は、中国市場獲得活動の余波である” (本書393頁)

 欧米列強(就中英・米)にとり、日本開国(市場開放)は、かの広大なる(と信じられていた)中国の開国(市場開放)の付けたりにすぎなかったという評価。

“(幕末の)わが国際的地位は、「半植民地的市場」というよりも、むしろ「経済的従属国」とよんだほうがふさわしいかもしれない。ともかくもこのことは、アジアにおける資本主義の形成において、必ずしもインド・中国・日本を同列において論ずることのできないことを示している” (本書388頁)

 インドは純然たる植民地であり、中国は、英清天津条約において、外国による内政干渉を誘発して自国の半植民地化を促進することが明らかな条項を英国と結び、さらには関税自主決定権を持たないというだけでなく税関行政そのものが西洋人の手中に握られていたから、当時の中国の国際的地位は日本よりも一層列強に対して従属的だったという評価。

 この著における明言されない最終的な結論は、幕末明治の日本には欧米列強による植民地化の危険はなかったということだろうか。
 もしそうなら、福沢諭吉の幕末観と同じである。福沢は幕末も明治以後も、西洋列強による日本の領土の軍事占領やそれによる日本国家の消滅(すなわち植民地化)の可能性を、ほぼまったく考えていなかった。

(吉川弘文館 1981年1月第2刷)

皆川亮二 『D-LIVE!!』 12

2005年11月29日 | コミック
“[スプリガン][ARMS]の皆川亮二が描く超絶ドライビング・アクション!!” (帯の売り文句)

 だから百舌鳥創は朧(おぼろ)化したのかと、妙な納得のしかたをしてみた。

(小学館 2005年12月)

鷲田小彌太 『大学時代に学ぶべきこと、学ばなくてよいこと』

2005年11月29日 | その他
 とても鋭い所ととても微温い所を均して、評価はまあ面白いという処。

(PHP研究所 2003年4月)

横須賀壽子編 『胸中にあり火の柱 三浦つとむの遺したもの』

2005年11月28日 | その他
 『哲学入門』(→今年9月15日)の三浦つとむ氏(1911-1989)の追悼文集と遺稿集である。
 板倉聖宣氏の「三浦つとむの弁証法と仮説実験授業」(本書127-138頁)が目当てで、あとはざっと拾い読み。巻頭吉本隆明氏の「別れの言葉」はさておき、追悼文部分の冒頭、故人を偲ぶ場だというのに故人との関係をネタにして、おのれとおのれの著作の宣伝にもっぱらこれ努める原口清氏「『マルクス主義の基礎』と『戊辰戦争』」のおかげで、初っ端から胸糞が悪くなってしまった。師匠が常識(common sense)に欠けると弟子もやはり欠けることになるらしい。
 もっともその弟子の一人ではあるけれども、板倉氏は三浦つとむという人物の学問的な業績と欠点双方をしっかりと認識し、そのことを自分の文章の中ではっきりと具体的な例を挙げて指摘している。流石である。
 そのほかの収穫としては、30年前に読んだきりの『武道の理論 科学的武道論への招待』(三一書房、1972年1月)の著者南郷継正氏の名を、寄稿者のなかに発見して驚いたことぐらいか(「恩師の果たした弁証法の凄みとその構造―二十一世紀に三浦つとむの確立した弁証法が生きるために―」、本書99-126頁)。

(明石書店 2002年8月)

▲「asahi.com」2005年11月26日、「中国外相、ロシア大使に謝罪表明 松花江の汚染問題」
→http://www.asahi.com/international/update/1126/006.html

 “中国の李肇星(リー・チャオシン)外相は26日、ロシアのラゾフ駐中国大使と会談し、松花江への汚染物質の流出事故について「中国政府の名のもとにロシアに深くおわびする」と伝えた。北京発のインタファクス通信などが伝えた”

 ロシアにはすぐ謝るが、4月のデモから7か月経っても日本には謝らないという大人気のなさには驚く。しかし個人的には別に気にしない。弁償さえしてもらえればいいのであるから。ただこの行動が日本人の面子=めんつを潰したことになることを、中国政府が弁えているかどうかは、気になる(もっとも日本側がそれ以前に中国の面子=ミェンツを潰しているから、中国側もこういう挙に出たのだろうが)。

▲「Sankei Web」2005年11月26日、「三島由紀夫没後35年 『憂国忌』に800人」
→http://www.sankei.co.jp/news/051126/bun052.htm

 忘れていた。それにしても「憂国忌」とは、なんと悪趣味な名称か。

今週のコメントしない本

2005年11月26日 | 
 「週刊文春」今週号(12月1日)を読んで、「髪形も偽造 姉歯一級建築士」のコピーは、おもしろいが反則だと思いました。

①感想を書くには目下こちらの知識と能力が不足している本
  中村栄孝 『日鮮関係史の研究』 下 (吉川弘文館 1968年12月)

②読んですぐ感想をまとめようとすべきでないと思える本
  姜在彦 『姜在彦著作選』 Ⅴ 「近代朝鮮の思想」 (明石書店 1996年7月) 

  正村公宏 『戦後史』 上下 (筑摩書房ちくま文庫版 1990年4月) (再読)

③面白すぎて冷静な感想をまとめられない本
  坂本賢三 『科学思想史』 (岩波書店 1984年9月) (再読)
  山田慶児 『科学と技術の近代』 (朝日新聞社 1982年5月)
  中山茂/石山洋 『科学史研究入門』 (東京大学出版会 1987年11月)

  井上薫 『司法のしゃべりすぎ』 (新潮社 2005年2月)

④つまらなさすぎて感想も出てこない本
  ジョセフ・ニーダム著 牛山輝代訳 『中国科学の流れ』 (思索社 1984年2月)

⑤出来が粗末で感想の持ちようがない本
  該当作なし

⑥余りに愚劣でわざわざ感想を書くのは時間の無駄と思ってしまう本
  該当作なし

⑦本人にも分からない何かの理由で感想を書く気にならない本 
  該当作なし

 「現在の佐藤優氏はウルケシ(ウーアルカイシ)とジャバ・ザ・ハットのどちらにより似ているか」という設問も、反則でしょうか。
 週末の冗談でした。

竹中労 『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』

2005年11月25日 | 伝記
 時代劇ファンにとって、鞍馬天狗は市川雷蔵氏でもなければまして草刈正雄氏でもなく、竹光で六尺棒を両断したという凄まじい殺陣と、三百メートルを駆け抜けても裾を乱さないという美しい立居の、アラカン嵐寛寿郎でなければならないのであろう。
 萬屋錦之助・若山富三郎両氏の美事な立ち回りの師匠がこの人であることを、この回想記で知った。
 また、この人が生まれも育ちも生粋の京都人であることを知り、森光子女史がいとこにあたることも知った。そういえば面差しがどこか似ている。
 ところで私は子供のころテレビの何かの番組で国定忠治に扮したこの人を見たことがあるのだが、あれはもしかしたらかなりの貴重映像だったのかしらん。

(筑摩書房ちくま文庫版 1992年8月)

勝岡寛次 『抹殺された大東亜戦争』

2005年11月25日 | 日本史
 日本人だけでなく、外国人にとっても、日本の愛国主義についてのわかりやすい入門・概説書の一つと言うことのできる著作であろう。直接にはそう断ってはいないがおそらくはバー・モウの日本人評、「この人たちほど人種によって縛られ、またその考え方においてまったく一方的であり、またその故に結果として他国人を理解するとか、他国人に自分たちの考え方を理解させるとかいう能力をこれほど完全に欠如している人々はない」という言葉(→2003年1月6日、鶴見俊輔『戦時期日本の精神史 一九三一―一九四五年』)を正面から受け止めた上での戦前日本の擁護だからである。そのため、ただの「だまっていりゃいい気になりやがって」式のヒステリー発作で都合の悪いことには頬被りというそこいらの代物と同列ではない。再読に耐える。
 しかしそれでも、この本で展開される日本擁護論が、1942(昭和17)年から1945(昭和20)年までの足かけ3年間一座を率いて中国大陸を巡業し、中国全土の前線で「むっつり右門」二千回の慰問講演を行い、現地の日本の軍官民の実態を具さに実見した嵐寛寿郎氏の、「根本がマジメやない、タテマエ立派でも、本音はけっきょく日本人の“王道楽土”や」(本日欄、竹中労『鞍馬天狗のおじさんは 聞書アラカン一代』、191頁参照)という批判に耐えられるかどうかについては、疑問あり。

(明成社 2005年9月)

▲「共同通信」2005年11月18日、「中国領事館に消火剤噴射 右翼名乗る男逮捕」
 →http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/aichi.html?d=18kyodo2005111801001881&cat=38&typ=t

 心が冷える。そんなことをして何になるというのであろう。
 こういう輩は中国の4月のデモで大活躍した過激反日活動家の奴らともども、武器を持たせてどこかの離れ小島へぶちこんで、全滅するまで殺し合いさせればいいのだと思う時がある。思う存分の暴力と流血の愉悦の裡に死ねるのだから、彼らもみな本望ではないのか。

森本忠夫 『マクロ経営学から見た太平洋戦争』

2005年11月25日 | 経済
 勝岡寛次『抹殺された大東亜戦争』(本日欄)が、この本の批判に耐えられるかどうかも、かなり疑問である。
 この書はもと『魔性の歴史 マクロ経営学から見た太平洋戦争』(文藝春秋 1985年2月)で、同書について丸谷才一/木村尚三郎/山崎正和『「鼎談書評」固い本やわらかい本』(→2005年9月10日「今週のコメントしない本」)に行き届いた評価があるから、興味のある方はそちらを参照してほしい。「評さるる人も人、評する人も人」の言がまさに相応しい内容。是非。

(PHP研究所版 2005年8月)
 
▲「多維網」2005年11月22日、「中美峰會談及靖國神社問題日本媒體稱不尋常」(同日付「中國青年報」からの転載) 
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/Forums/BackStage/2005_11_21_17_6_42_264.html

 A級戦犯のAを“一番罪が重い”の意味だと思っている中国人がかなりいる。だがこのAは罪状が「極東国際軍事裁判所条例」(原文英語)の第5条のa項で定めた「平和に対する罪」に該当するという意味にすぎない。
 こんなことを言う人間は、要するに東京裁判について何も知らないのである。60年近く経っていまだにこの有様である。その知的怠惰さは驚くほかはない(この“怠惰”のなかには、知らないのに知ったかぶりで大口を叩く臆面のなさという意味も含む)。
 そして国外、例えば米国やあるいは日本に何年いても、物知らずはやはり物知らずのままで変わらないこと(だからそのまま転載するのであろう)にも驚き、かつ呆れるばかりである。

▲「多維網」2005年11月24日、王希哲「中國海外民運怎樣尋找新的杠杆﹖」
 →http://www2.chinesenewsnet.com/MainNews/Opinion/2005_11_23_16_36_54_476.html

 日本人は、漠然とではあるが、民主主義は民族主義や国家主権を超越する価値だと考える。中国人は、民主主義者といえども結局は、民主主義は民族主義や国家主権――すなわちナショナリズム――を超越しない価値だと考える。おそらく今日、日本人と中国人の対話を困難にしている最大の原因は、ここにある。

▲内田樹「内田樹の研究室」
 →http://blog.tatsuru.com/

1.2005年11月25日、「『責任を取る』という生き方」 

 私も、“「もし、この件について自分にも責任があるとしたら、それは何か」という問い”が思考のオプションにない人間がよく解らない。
 解っているのはそういう人間とは会話が成立しないということだ。

2.2005年11月17日、「動物園の平和を嘉す」

 憲法改正の是非について、この人の意見は結論としては、私のそれとほぼ正反対である(→2005年11月1日司馬遼太郎『歴史と風土』欄参照)。
 だがこの人が結論に至るまでの思考に、首肯するところが、かなりある。
 できないところも、もちろん多い。とくに以下のくだりなどはそうだ。

“不登校や引きこもりやニートは「銃後の守り」という勤労義務への重大な違背とみなされ、厳しい社会的指弾を受けることになり、尻を蹴飛ばされて勤労動員される。
 「産めよ増やせよ」と厚労省は叫びたて、結婚率は急上昇し、出産育児は国民の義務を履行する行為としておおいに奨励される。
 家庭でも学校でも地域社会でも企業でも、「目上の人間の命令」に従うことの重要性が全社会的な合意を得て承認される。
 家父長権は復活し、学校での体罰が許され、でれでれしている青少年は街のおっさんから「この非国民!」とすれ違いざまに張り倒されるようになる。
 だって、指揮系統を無視するような兵士は戦場では射殺されて当然だからである”

 憲法九条(第二項)を改正すれば必ずこうなるという内田氏の断言には、何の確たる根拠もない。
 改憲すればあの戦前にそのまま逆戻りという論法は、この問題において外的状況が不可欠に関連する側面についていっさい言わないことも含めて、典型的な護憲派の――あるいは冷戦時代の“平和主義勢力”の――主張そのままである。
 ちなみに私は、まずこうはならないだろうと思っている。私が改憲に賛成する理由には、じつはこの判断もある。だが私はこんなことを改憲支持の論拠として正面きって書いたりはしない。証拠がなければ誰かと議論しても水掛論にしかならないからだ。
 『ためらいの倫理学』(→2002年10月27日)のファンとしては落胆してしまう。借り物でない、自らの肉声で語って欲しい。あなたはこんな馬鹿ではないはずだから。

永六輔 『芸人 その世界』

2005年11月24日 | その他
 やはり私は芸談のたぐいが好きなのだ。日本人だなあと、つくづく。
 付録の参考資料一覧がとても魅力的。

(岩波書店版 2005年5月)

▲12月17日(土)封切りの映画版アニメ『ブラックジャック ふたりの黒い医者』(手塚眞監督)で、ドクター・キリコの声を演じるのは鹿賀丈史氏である。ディズニーの『モンスターズ・インク』で、ランドール役を振られたスティーブ・ブシェーミは、ランドールの画を見て「顔で選んだのか?」とスタッフに訊いたそうだが、鹿賀氏の場合はどうだろう。

任正爀 『朝鮮科学文化史へのアプローチ』

2005年11月23日 | 東洋史
 ある方からいただいた本。
 奥付のプロフィールによれば著者は朝鮮大学理学部教員で理学博士。だから当然ながら、戦前戦後を通じて日本の朝鮮研究が持つ「植民地史学」的な偏向性には敏感だがマルクス主義や主体思想の持つ偏向性については鈍感そのものという書籍である。しかしながら、洪大容に関する研究の部分が、高度に実証的でありつつ同時に私のような初心者にも分かりやすく書かれているあたり――私には姜在彦氏の洪大容論よりも分かりやすかった――、この著者の学者としての本来の力量が顕れている。

(明石書店 1995年4月)

▲「アアサヨカ」五題。

1.「asahi.com」2005年11月18日、「靖国参拝は『韓国への挑戦』日韓首脳会談、溝埋まらず」
 →ttp://www.asahi.com/politics/update/1118/015.html

2.「Sankei Web」2005年11月18日、「歴史問題で妥協せず 韓国、大統領訪日困難か」
 →http://www.sankei.co.jp/news/051118/kok088.htm

3.「asahi.com」2005年11月18日、「北朝鮮の人権非難決議案、国連総会委で採択 中国は反対」
 →http://www.asahi.com/international/update/1118/005.html

4.「大紀元」2005年11月21日、「国連人権委員会、北朝鮮人権決議案を可決]
 →http://www.epochtimes.jp/jp/2005/11/html/d10172.html

5.「明報」2005年11月23日、「国際」欄(「日修憲建軍 和平人士誓抗」「阻修憲建軍 中韓可游說自民黨盟友」「建黨50年大修黨綱」「自衛隊實力 勝俄僅遜美」)
 →http://www.mingpao.com/index.htm

 自意識過剰の隣人たち。世界は自分たちを中心に回っていると思っている。もっともそれが、大であれ小であれ、中華思想(華夷思想)というものなのだろうが。