“日本の開国は、中国市場獲得活動の余波である” (本書393頁)
欧米列強(就中英・米)にとり、日本開国(市場開放)は、かの広大なる(と信じられていた)中国の開国(市場開放)の付けたりにすぎなかったという評価。
“(幕末の)わが国際的地位は、「半植民地的市場」というよりも、むしろ「経済的従属国」とよんだほうがふさわしいかもしれない。ともかくもこのことは、アジアにおける資本主義の形成において、必ずしもインド・中国・日本を同列において論ずることのできないことを示している” (本書388頁)
インドは純然たる植民地であり、中国は、英清天津条約において、外国による内政干渉を誘発して自国の半植民地化を促進することが明らかな条項を英国と結び、さらには関税自主決定権を持たないというだけでなく税関行政そのものが西洋人の手中に握られていたから、当時の中国の国際的地位は日本よりも一層列強に対して従属的だったという評価。
この著における明言されない最終的な結論は、幕末明治の日本には欧米列強による植民地化の危険はなかったということだろうか。
もしそうなら、福沢諭吉の幕末観と同じである。福沢は幕末も明治以後も、西洋列強による日本の領土の軍事占領やそれによる日本国家の消滅(すなわち植民地化)の可能性を、ほぼまったく考えていなかった。
(吉川弘文館 1981年1月第2刷)
欧米列強(就中英・米)にとり、日本開国(市場開放)は、かの広大なる(と信じられていた)中国の開国(市場開放)の付けたりにすぎなかったという評価。
“(幕末の)わが国際的地位は、「半植民地的市場」というよりも、むしろ「経済的従属国」とよんだほうがふさわしいかもしれない。ともかくもこのことは、アジアにおける資本主義の形成において、必ずしもインド・中国・日本を同列において論ずることのできないことを示している” (本書388頁)
インドは純然たる植民地であり、中国は、英清天津条約において、外国による内政干渉を誘発して自国の半植民地化を促進することが明らかな条項を英国と結び、さらには関税自主決定権を持たないというだけでなく税関行政そのものが西洋人の手中に握られていたから、当時の中国の国際的地位は日本よりも一層列強に対して従属的だったという評価。
この著における明言されない最終的な結論は、幕末明治の日本には欧米列強による植民地化の危険はなかったということだろうか。
もしそうなら、福沢諭吉の幕末観と同じである。福沢は幕末も明治以後も、西洋列強による日本の領土の軍事占領やそれによる日本国家の消滅(すなわち植民地化)の可能性を、ほぼまったく考えていなかった。
(吉川弘文館 1981年1月第2刷)