書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

溝口雄三 『中国前近代思想の屈折と展開』

2015年08月30日 | 東洋史
 前回、前々回より続き。

 性(本来)を情(自然)の一層奥に置き、悪を含みつつ浮動する情(現実態)を性(天理)にむけて不断に収斂せしめようとする宋代理学に対し、性情未分のまま全分をそのまま天理の全現態ととらえようとする陽明理学の勃興は、人間一般のではなく明代人の現実態に即応する理観をうちたてようとする明代の衝動を示す。朱子は心と理と二つにしたと陽明がいうのは、明代人の心にはもはや宋代理観は適応的でないということの表明でもあった。 (「上論 明代後葉における思想の転換 第一章 明末を生きた李卓吾 第一節 虚構の理への拒否」、本書64頁)

 面白い。この指摘が正鵠を射ているとして、ならばそれはなぜであり、どういったふうに、要は具体的な局面で、適応的ではなかったのか。

 彼ら〔明代人〕は、虚構の天則の自然に対し真正の天則の自然を、すなわちリアルな性命を求め、虚構の非人間的規範に対して真正の人間的規範を求めた。彼らが外的規範のリゴリズムを拒否したのはそれは虚構のリゴリズムであったからであり、宋学的天理を拒否したのはそれが天の命であるからではなく、明代のリアリズムにとってそれがもはや天の理たりえないからであり、だから彼らは〔略〕自己の心性においてあるべき理を実得しようとしたのである。 (同、67頁) 

 朱子や彼に続く宋代の理学者は最初から「虚構」で「非人間的」な「リゴリズム」の主張をしたわけではないだろう。宋代人、少なくとも彼ら宋儒にとってはそれが「真正」であり「リアル」であり「人間的」だったからであるはずだ。それが明代ではそのように感じられなくなった。ここに事態の本質、問題の核心があるのではないか?

(東京大学出版会 1980年6月)

会田大輔/齊藤茂雄 「唐初における鮮卑系官人の諸相 : 和泉市久保惣記念美術館所蔵墓誌を中心に」

2015年08月29日 | 東洋史
 『史泉』122、2015年7月掲載、同誌21-33頁。

 墓誌は漢語(文言文)で、しかもほぼ決まった語彙・表現・文で書かれるから、そこに異民族・異文化の情報を読みとろうとするのは、たいへん困難な試みだと思う。表現レベルですこし、大方は語彙レベルが主たる戦場となるのではないか。

『琉球新報』「『沖縄、脱植民地への胎動』 「ワッター」の人生歩き出す」

2015年08月25日 | 地域研究
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-247726-storytopic-6.html
 2015年8月23日 9:24. 親川志奈子・オキナワンスタディーズ107共同代表執筆。

 沖縄植民地論あるいは(新)植民地主義論においては琉球処分後の「旧慣温存政策」についてはどう分析評価されているのだろう。

『琉球新報』「『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』 沖縄差別の政策に終止符を」

2015年08月25日 | 地域研究
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-247725-storytopic-6.html
 2015年8月23日 9:22. 前田朗・東京造形大学教授執筆。

 植民地主義から脱するためには沖縄差別を除かなくてはならない。そのため米軍基地を本土(ヤマト)に引き取る必要がある。非武装平和主義者としては、沖縄であれ本土であれ基地はいらない。だから、まず沖縄の基地をなくし、次に本土で基地との闘いに取り組む。

 「在日米軍基地を必要としているのは日本政府だけでなく、約八割という圧倒的多数で日米安保条約を支持し、今後も維持しようと望んでいる『本土』の主権者国民であり、県外移設とは、基地を日米安保体制下で本来あるべき場所に引き取ることによって、沖縄差別の政策に終止符を打つ行為だ」


 後者と前者の言説の関係は? 後者は前者の一過程?

川澄哲也 「元代の 『擬蒙漢語』と現代の青海・甘粛方言」

2015年08月25日 | 東洋史
 『京都大学言語学研究』22、2003年12月掲載、同誌301-324頁

 非常に教えられるところ大だった。

 「擬蒙漢語」とは、従来「蒙文直訳体」或いは「漢児言語」と呼ばれてきた漢語のことである。

 〔青海・甘粛方言は〕古くから蒙古語系 、或いはチベ ット語系の言語と接触を繰り返しており、擬蒙漢語との比較には最適の漢語である。

 擬蒙漢語の性質に関しては、「実際に使用されていた言語」という意見と、「蒙古語文書を翻訳するための文体」という二つの見解が対立している。

 先行研究において意見が―致しなかった要因としては、次の二点が考えられる。
  ①語学的 見地からの論拠が提出されてこなかった。
  ②標準的な漢語との比較しかなされてこなかった。

 〔両者の比較・分析過程は省略〕上記の諸現象はいずれも、周辺言語との接触の結果起きた言語変容であると考えられる。これらの事例に加え、第3節であげた同時代資料による直接的証拠をあわせ考えると、擬蒙漢語のような特殊な構造をもった漢語が元朝時代、実際に用いられていたと考えることができる。

琉球国由来記 - Wikipedia

2015年08月25日 | 地域研究
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E5%9B%BD%E7%94%B1%E6%9D%A5%E8%A8%98

 外間守善・波照間永吉編『定本 琉球国由来記』(角川書店 1997年4月)で原文を確かめてみた。漢字片仮名まじりの漢文体である。もととなった資料の漢字平仮名まじり文の和文体を書き改めたものの由(波照間氏「解説」)。「解説」ではその理由については書かれていない。
 ところで巻21の八重山島の条で、「当島、洪武年間、為御本国轄地」とあるのだが、本当かいなという気もする。まず“轄地”(管轄する土地)という表現が微妙である。そして明の洪武年間(1368-1398)といえば琉球はまだ三山時代で、琉球王朝は第一尚氏すら成立していない。
 この疑問を念頭に、いま引用したくだりの続き「毎年貢物献上、渡海イタシケルニ、其後、大浜村ニヲヤケ赤蜂・ホンカワラトテ二人居ケルガ、極驕〔驕りを極め〕、有叛逆之心〔叛逆の心有りて〕、貢物中絶ケル」を読めば、沖縄本島の権力が伸張してやっとこさ貢物を課せるようになった、そして課したところ、途端に拒否されたというふうにも読める。
 琉球王国(第一尚氏)側からすれば、ヲヤケ赤蜂・ホンカワラの両人はたしかに怪しからぬかもしれない。だが八重山の二人からすれば「勝手なことを言うな」と怒るのもまた当然である。そしてその怒りと反応を「極驕」「有叛逆之心」と表現するのもまた、「御本国」(第一、そしてそれを継いだ第二尚氏)の勝手のあらわれである。

Bicameralism (psychology) - Wikipedia

2015年08月25日 | 人文科学
 https://en.wikipedia.org/wiki/Bicameralism_(psychology)

  Bicameralism (the philosophy of "two-chamberedness") is a hypothesis in psychology that argues that the human mind once assumed a state in which cognitive functions were divided between one part of the brain which appears to be "speaking", and a second part which listens and obeys―a bicameral mind.

 "bicameralism"は、日本語で「二分心」と訳す。この概念を提唱したJulian Jaynesの著書を邦訳で読んでみたが(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』 柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2005年4月)、論証過程がいまひとつわからない。不備があるように思われる。だからこの英語版ウィキペディアでも上述の定義にあるように"a hypothesis"と断っているのだろう。