2017年12月13日「緒方富雄 「緒方洪庵『扶氏医戒之略』考」」より続き。
『医戒』そのものはフーヘランドの原作(一部)を杉田が翻訳したものだが、それを原典に遡って杉田訳の得失を指摘評価しつつ訳し直し杉田訳にはなかった注釈をも付した杉本氏を含めて、本著は三者の合作とさえ言っていいと思う。
そしてその内容は、いろいろ面白い。面白いが、原著はドイツ語で、私はオランダ語もドイツ語を知らぬので、その追究にはおのずから限度がある。そのことをわきまえたうえで、楽しむことにする。
さて、この日本語訳で使われている「親験」という詞の出典が『福恵全書』ときいて、先日電子版で原文を閲したあと今日は佐伯富編『福恵全書語彙解』(同朋舎1975/8)を見てみたのだが、なかった。杉本氏の拠り所は『大漢和辞典』“親験”条だが、諸橋『大漢和』はいかにしてこの出典を得たのだろう。独自にか?
そして、汲古書院の『福惠全書 附索引』(1973/2、山根幸夫解題/索引編纂)の索引にもない。むろん本文にはある。巻十四、たとえば同書の165頁上。
楽しみは、まだまだ続く。
(社会思想社 1972年1月)
『医戒』そのものはフーヘランドの原作(一部)を杉田が翻訳したものだが、それを原典に遡って杉田訳の得失を指摘評価しつつ訳し直し杉田訳にはなかった注釈をも付した杉本氏を含めて、本著は三者の合作とさえ言っていいと思う。
そしてその内容は、いろいろ面白い。面白いが、原著はドイツ語で、私はオランダ語もドイツ語を知らぬので、その追究にはおのずから限度がある。そのことをわきまえたうえで、楽しむことにする。
さて、この日本語訳で使われている「親験」という詞の出典が『福恵全書』ときいて、先日電子版で原文を閲したあと今日は佐伯富編『福恵全書語彙解』(同朋舎1975/8)を見てみたのだが、なかった。杉本氏の拠り所は『大漢和辞典』“親験”条だが、諸橋『大漢和』はいかにしてこの出典を得たのだろう。独自にか?
そして、汲古書院の『福惠全書 附索引』(1973/2、山根幸夫解題/索引編纂)の索引にもない。むろん本文にはある。巻十四、たとえば同書の165頁上。
楽しみは、まだまだ続く。
(社会思想社 1972年1月)