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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

桜井邦朋 『夏が来なかった時代』

2017年02月28日 | 哲学
 出版社による紹介

 桜井氏の著書は『福沢諭吉の「科學のススメ」 日本で最初の科学入門書「訓蒙窮理図解」を読む』(祥伝社2005/3)と『日本人の知的風土』(祥伝社2012/12)以来、3冊目になる。マウンダー極小期と同時期(1645-1715年)の全地球規模の寒冷化との関わり(因果もしくは相関関係)について氏の議論を知るため。

(吉川弘文館 2003年9月)

Culture and Social Behavior, "Book Review" by Lothar Katz

2017年02月28日 | 社会科学
 http://www.leadershipcrossroads.com/mat/Culture%20and%20Social%20Behavior.pdf

 この書評で評されているHarry C. Triandisによる同著を、昨年前半期の大学院講義で参考資料として取り上げた。
 Triandisは、文化により認められる論理的あるいは思考上のパターンの違いを、「集団主義的collectivist」か「個人主義的individualistic」かといった、彼自身の創案にかかる文化間の性質の違いに原因づける(同著190-191頁)。だが“論理”そのものはlogic, logicalという一つの(=普遍的な)概念きりない。そしてそのlogicとlogicalは、“個人主義的な”北ヨーロッパおよび北米社会に見られる思考と論述のパターンを指す。
 logicalだからindividualisticなのか、individualisticだからlogicalなのか。そして文化は異なっても"individual"の存在形態は万国共通で、"self"はみな"self"であるらしい。このreviewもそうだが、原著も議論の前提となる諸概念の適用妥当性について何等の検討も加えていない。

Kansai University Repository: 佐藤トゥイウェン 「ベトナムにおける 『二十四孝」』と字喃文献」

2017年02月28日 | 地域研究
 『東アジア文化交渉研究 東アジア文化研究科開設記念号』2012年3月掲載、同誌243-262頁。 テキストはこちら

 ベトナムの“孝”あるいはそれに相当するベトナム語語彙は。中国におけるそれとは倫理の体系における重要度や順位、ひいては意味においてことなるところがあるのではないか、それについての言及はここにあるかという問題意識で読んだ。残念ながら題名が示唆するように専門的に書誌学的な研究で、これらの点については触れるところはなかった。

尼ヶ崎彬 『日本のレトリック 演技する言葉』 (その2)

2017年02月28日 | 人文科学
 2015年01月13日「尼ヶ崎彬 『日本のレトリック 演技する言葉』」より続き。

 寄物陳思で挙げられる“物”は、“思”と共通する内包や外延を何も持たない(あるいは詠い手には個人的にあるのかもしれないが一般には共有されていない)たんなる別の事象で、受け手はその歌によって初めて“思”と結びつけられるという機制らしい。

 なお以下は余談であるが、いま再読した尼ヶ崎彬氏の著には本歌取のメカニズムについての考察も出てくる。これを読むと、分野を問わず「大理論や先行研究の理論的枠組みをそのままに承けて研究対象や資料だけを変える」体の論考や著作は、これを現代における、しかも散文での本歌取として考えると、それそのものについて研究上の意義と重要性がより高まるのではないかと思えた。

William Shakespeare - Wikipedia

2017年02月26日 | 文学
 https://en.wikipedia.org/wiki/William_Shakespeare#Classification_of_the_plays

  Shakespeare's works include the 36 plays printed in the First Folio of 1623, listed according to their folio classification as comedies, histories, and tragedies.
 (7.1 Classification of the plays)

 つまりシェイクスピアは自作の劇をこれは喜劇、これは史劇、これは悲劇、あるいはこれは問題劇と、自分で分類したわけではないということだ。すべて後人の手によるものである。

小松謙 『「四大奇書」の研究』

2017年02月24日 | 東洋史
 明代は士大夫の教養水準が下がり(具体的には科挙の出題元となる経典の注釈が「永楽の四大全」に限定された)、同時に同じコインの裏側として、読書人層の厚みと幅が増した。階層的にはそれまでより下へと広がり、庶民あるいは庶民に近い社会の心性が、彼ら(女性を含む)の参入により隆盛を見ることとなった出版文化および演劇文化に反映した結果、彼らが共感し感情移入できる出身と性格をもつ劉備・関羽・張飛といった登場人物を抱える三国時代が、題材として脚光を浴びてもてはやされることになる。『水滸伝』しかり、『西遊記』しかり、『金瓶梅』しかり、という見取り図か。

(汲古書院 2010年11月)

上村勝彦 『インドの詩人』

2017年02月24日 | 文学
 「詩人」とはバルトリハリビルハナ
 「まえがき」が、最初から喧嘩腰である。

 学問研究において、感受性などは無用の長物であるように思われる。〔...〕欧米から移植された『学問』の権威を頭から信じることができず、自分自身の問題でもないことに血道を上げて何になると考えるような人は、一流の専門家にはなれないのである。だから、学者たるものは、すべからく感受性を抹殺しなければらない。

 思い半ばに過ぎるものがある。

(春秋社 1982年5月)